日本のネット史編さん、CCライセンスで公開――のはずが……


 秋葉原コンベンションホールで開催された「Internet Week 2009」で26日、「インターネットの歴史を語り継ぐ人々のつどい」が開かれた。

 この企画は、日本のインターネットの草創期からネットワークの構築や運用、研究などに携わった人々が、当時の資料や写真を持ち寄って語り合い、後世に伝えるのが目的。主催者である「インターネットの歴史研究・資料保存グループ」が成果を編集し、クリエイティブコモンズ(CC)ライセンスでPDFで刊行すると説明されていた。


慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授/奈良先端科学技術大学院大学情報科学科学研究科教授の砂原秀樹氏日本UNIXユーザ会の法林浩之氏

 ところが、今回の「つどい」には、肝心の主催者がカゼで欠席。また、登壇者である砂原秀樹氏も、授業のために開始時間に遅れるとの連絡が前日になって入ったという。司会者を務めた日本UNIXユーザ会(jus)の法林浩之氏は、会場の参加者に対し、何か紹介する資料などを用意をしてきた人はいないか呼び掛けたが、(その人物自身がインターネット界の生き字引きのような重鎮の姿はあったものの)プレゼンテーションを準備をしてきた人は皆無だった。

 そこでまずは法林氏が、jusとインターネットのかかわりについて振り返り、1986年から1995年まで10回開催したイベント「UNIX Fair」でワークステーションとネットワークを接続する実験を行っていたと説明。今は紙でしか残っていないという、1990年開催の時のネットワーク接続メモや1992年開催の時の展示説明をはじめ、展示機材を写した写真のアルバムや1990年のネットワークワークショップの論文集など、「古い人の頭のスイッチが入りそうな資料をいくつか持ってきた」として会場に回覧した。1997年、1999年、2000年のInternet Weekのパンフレットもあった。

 そうこうしているうちに、砂原氏が登場。プレゼンテーションの準備が整うや否や「2009年の今年はいい年」とコメント。2009年は、日本がインターネットに接続されて20年、Videotexが25周年、商用パソコン通信25周年、「JUNET」が25周年、TRONが25周年、UNIXが40周年、(異論もあるが)インターネットが40周年にあたるのだという。

 そして、3月に急逝した石田晴久氏のことに言及。砂原氏は比較的最近になって、日本にUNIXが入って来たころの話を知ったという。それは、石田氏の葬儀の後に村井純氏から聞いたもので、日本で最初に稼働したUNIX 6th Edition(V6)は、1970年代半ばにベル研究所に研修に行っていた石田氏が持ち帰ったものだったとしている。

 「石田先生が偉かったのは、ソースコードが読めるから中身がどうなっているか見ようと呼び掛け、勉強会を始めたこと。こうした文化を創ったのは初めてではないか。つまり、みなさんとオープンソースだとか、情報を共有する礎を築いたのは石田先生だった。石田先生がやってきたことがあるから、我々は今ここにあるんだということを共有したい。」


砂原氏が紹介した資料の一部法林氏が持参した「Internet Week 1997」のパンフレット

 砂原氏はさらに、2008年に行ったWIDEプロジェクトの20周年記念シンポジウムや、書籍「日本でインターネットはどのように創られたのか? WIDEプロジェクト20年の挑戦の記録」などを紹介。こうした取り組みにより、WIDE Projectについてはかなり記録が“ダンプ”されたが、日本のインターネットの草創期を知る関係者は高齢化していることもあり、「そろそろ、覚えている人は書いておいてください」と会場に呼び掛けた。「まとめる必要はなくて、mixiでもブログでもTwitterでもいい。ネットに残しておいてもらえれば、検索して後から参照できます」。

 主催者が欠席だったため今後の予定が不明だが、日本のインターネット史を編さんして公開しようという試みがどうなるのか気になるところだ。


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(永沢 茂)

2009/11/27 21:01