趣味のインターネット地図ウォッチ

春の地図まつり特別編1

カーナビの地図データはこうして作られていた! 点と線の地図「道路ネットワーク」とは

地図会社を訪ねて~インクリメントP株式会社<前編>

 カーナビ、スマートフォンのナビアプリ、インターネットの地図サイトやさまざまな位置情報サービスで今や我々の生活に欠かせない“デジタル地図”。こうした製品・サービスで使われている地図データはいったい誰が、どのようにして制作しているのかご存知だろうか?

 実は“地図会社”と呼ばれる民間企業がそれぞれ街の移り変わりの情報を独自に入手し、それをもとに地図データを更新している。日本にはいくつかの地図会社が存在するが、今回はパイオニアのグループ会社であるインクリメントP株式会社(iPC)を訪ねた。実際にその制作現場を目の当たりにすると、テクノロジーを活用して最大限に効率化・ペーパーレス化を図りつつも、地図データを整備するということは依然として大変手間のかかる作業であることを思い知った次第だ。そんな同社の地図作りについて、3回にわたってレポートする。


 iPCが整備・保有する地図データは大きく分けて、1)道路や鉄道、水系、宅地、山林などの形状を描いた「背景」、2)家屋などの建築物の輪郭を描いた「家形」、3)各種名称を示す文字情報である「注記」、4)道路のつながりをデータ化した「道路ネットワーク」――の4種類から成っており、それらがレイヤー構造となっている。

地図データの構造

 このうち背景、家形、注記の3つが「表示用地図」であり、それらのレイヤーを表示した状態が、我々が普通“地図”といって思い浮かべるものだろう。

 これに対して道路ネットワークは、経路計算やナビゲーション時の誘導などに利用される地図だ。利用者が目にする地図上には表示されない隠れた情報だが、これがなければルート探索することができず、また、その品質も左右する重要なデータと言える。

 1回目となる今回は、主にこの道路ネットワークに焦点を当てて見ていく。

iPCの地図整備拠点となった盛岡のTDC

TDCのオフィスが入る複合ビル「マリオス」

 iPCの地図作りについて具体的に見ていく前に、まずは同社の地図データ整備体制と、それを支える地図編集管理システムを紹介しよう。

 iPCが創業したのは1994年。パイオニアの100%子会社として誕生した同社は創業当時、地図作りを外部の「北海道地図株式会社」に委託していた。地図作りを内製化したのは1997年11月、岩手県盛岡市にソフトウェア開発拠点として「東北開発センター(TDC)」を設立してからのことである。設立後間もなく、TDCはソフトウェア開発だけでなく、地図データの整備拠点としても拡充することが決定した。

 一般的に地図会社というと、地図という紙媒体を世に送り出す“出版社”というイメージが強いが、iPCはカーナビ向けのデジタル地図を提供する会社として誕生したという経緯があるため、紙媒体は提供していない。TDCの菅原清所長は「iPCの特徴は、地図を作るだけでなく、地図作りを支援するエンジニア集団が共存している点にあります」と語る。その業務内容には、地図データの整備業務だけでなく、地図編集管理システム・制作ツールの自社開発・運用、研究開発、地図製品の品質検証業務も含まれる。

 iPCの地図制作部門である「コンテンツ部」は、「企画制作部」、地図データの新規追加・更新のための情報収集を行う「情報収集部」、背景データや家形データ、POI(施設)データを整備する「地図DB制作部」、道路ネットワークデータを整備する「道路DB制作部」の4つに分かれており、神奈川県川崎市の本社にある企画制作部を除く3つの部がTDCに所属する。

 TDCはJR盛岡駅の西口駅前に建つ複合ビル「マリオス」内にオフィスがある。マリオスは大手の通信会社やIT会社、保険会社などが入っており、市民文化ホールも併設されている大型施設だ。ビルは耐震構造で極めて堅牢であり、iPCが保有する地図制作用サーバーもこのビル内に設置されている。

 iPCといえば、東日本大震災の時に、オフライン使用可能なiPhone用の地図アプリ「MapFan for iPhone」を期間限定で無料化したことで知られている(詳しくは、本連載2011年4月14付の関連記事『クラウド時代に息づく、「MapFan for iPhone」のオフライン地図魂』を参照。なお、「MapFan for iPhone」は現在、後継アプリ「MapFan+」に移行)。震災当時、TDCの社内で起きた被害はごくわずかで、地図制作用サーバーにも全く異常は見られなかったという。

TDCの菅原清所長
TDCの会議室には、iPCの沿革が掲示されていた

「ArcGIS」がベースの地図編集管理システム「SiNDY」

 iPCの地図編集管理システムは、ESRI社のGISソフト「ArcGIS」をベースに、独自のカスタマイズを行ったシステムとなっている。そのデータベースシステムは、「Spacial INtegrated Database sYstem(空間的・統合されたデータベースシステム)」と名付けられ、通称「SiNDY(シンディ)」と呼ばれている。地図データだけでなく、図面やニュース記事などの各種資料も地図データベースの参照素材として1つのシステム内で一元管理することが可能で、参照素材の情報を管理するシステムについては「SiNDY-i(information)」と呼ばれている。

「SiNDY」の編集ツール画面

 SiNDYでは、独自技術によって目的エリアをすばやく抽出できるほか、全国シームレスな参照・編集環境を実現している。また、Shapeファイルや航空写真など、多種多様なデータを制限なく重ね合わせることも可能。さらに、バージョニング機能によって地図データを世代管理できること、カスタマイズ性が高く独自の編集ツールを簡単に組み込めることなども特徴だ。

 多人数同時編集が可能である点も大きな特徴だという。ベースとなっているGISミドルウェアの標準機能でもマルチユーザー編集は可能だが、排他制御ではないため、同一オブジェクトの編集ではコンフリクトが発生してしまう。iPCでは独自の技術によって排他制御を実装しており、最大100人以上による同時編集、1日に10万レコード以上の編集が可能だ。

 このほか、約500万kmに及ぶ走行調査で撮影した画像が約180TB(約20億枚)ある(2015年3月時点)。

「ノード」と「リンク」で構成される「道路ネットワーク」

 TDCで行う地図データ整備の内容は大きく分けて、「地図整備」「POI整備」「道路ネットワーク整備」の3種類がある。

データ整備・各制作工程の相関図

 地図整備で扱う背景データや家形データ、POI整備で扱う施設情報などは、利用者が実際に地図上で目にするものなので、だいたいどういうものか想像が付くと思うが、今回説明する道路ネットワークについてはピンとこない人がいるかもしれない。道路ネットワークとは、冒頭で述べたように“道路のつながり”をデータ化したもので、「点(ノード)」と「線(リンク)」で構成される。

道路ネットワーク整備の様子

 ノードは、交差点・分岐点のほか、途中で県道と国道が変わったり道路幅が変わったりする場合など、道路の属性が変化する地点にもノードが設けられる。一方、リンクは、それらのノードとノードをつなぐものだ。

 個々のノードは、位置情報(緯度経度)によって特定されており、それぞれユニークIDで管理されている。リンクは、起点・終点のノードと、その間にある形状構成点(それぞれ位置情報を持っている)によって位置と線形が特定され、同じくユニークIDで管理されている。こうした各ノード・各リンクがそれぞれ1つのオブジェクトとしてカウントされ、SiNDYに道路ネットワークデータのレコードとして登録されている。

 なお、以前は分岐点だったが、分岐する道がなくなった場合にも、その場はノードとして保持される。さらに1本の道路であっても、中央分離帯にポールが立っている場合などは上下線で別のリンクになっている。

高速道路のICの「道路ネットワーク」データ。iPCのスタッフがSiNDYで道路ネットワークデータを整備する場合、ノードとリンクがはっきりと見えるように編集画面は背景が黒くなる。編集画面は一見すると点と線の連なりでシンプルに見えるが、それらに紐づく属性は最大数十項目にも及ぶ

 ノードとリンクには、位置情報に加えて、さまざまな属性情報が紐付けられている。

 ノードが保持する情報としては、交差点の名称(漢字・読み)や信号機の有無――などがある。

 リンクが保持する情報としては、リンクの種別(車道本線部分を表す「本線リンク」、高速などの出入口やJCTなど本線間を結ぶための「連結路リンク」、一般道の交差点の内部であることを明示する「交差点内リンク」など)、道路種別、経路種別(iPC独自に設定)、道路管理者(国・都道府県・市区町村など)、道路幅員、車線数、道路名称(○○自動車道、○○街道など)、道路番号(国道○号線など)、リンクの種別、交通規制(一方通行・通行禁止など)、VICS情報、制限速度(最高速度)――といったものがある。

 さらに、大きな交差点については、その交差点のノードと、そのノードに接続する各リンクとの組み合わせによる「誘導情報」もオブジェクトとして登録されている。これは、どのリンクから交差点に入り、どのリンクへ進むかという情報で、例えば十字路であれば、交差点に流入するリンクが4本あるため、誘導情報として4つのオブジェクトがあるわけだ。それぞれのオブジェクトが交通規制(右左折禁止・Uターン禁止など)、方面案内、レーン情報――などの情報を保持しており、これが「左折は不可」「時間帯により右折禁止」といったルート探索に必要な情報として活用される。

 日本国内の道路ネットワークデータとしては、ノードとリンクのオブジェクト数がそれぞれ1000万件以上、交差点の誘導情報などが400万件以上あるという。

交差点ごとに右左折の矢印が付いている
交差点ノードの属性
方面看板の属性

 ちなみに、iPCの道路ネットワークデータは、日本デジタル道路地図協会(DRMA)が整備するデータに、iPCが独自に調査した情報を加えたものだ。iPCでは当初、DRMAの線画データをベースに北海道地図会社が経路種別や交通規制、VICS情報などを独自整備した道路ネットワークデータを使用していた。それがTDCの設立後、1998年からiPCでも道路ネットワークの整備を開始し、さらに2000年からは完全内製化して現在に至っている。

 現在でもDRMAからデータの提供を受けており、地図データ整備素材の1つとして活用しているが、iPCでは2005年から日本全国の道路走行調査を実施。調査時に撮影した写真などをもとに詳細なデータを整備しているため、信号機の位置の正確性や方面看板の情報量については、他社を圧倒するレベルになっているという。

 また、整備された道路ネットワークのリンクやノードのデータは、SiNDYに移行した2003年からすべて編集履歴を保存しており、2003年から現在までのデータはすべて参照できるという。

「道路ネットワーク」データの整備素材

情報収集から地図データ整備までの流れ:圏央道・寒川北IC~海老名JCTの例

 それでは、道路ネットワークデータがどういう流れで作られていくのか、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)・寒川北IC~海老名JCTの例に基づいて、順を追って説明していこう。3月8日に開通したばかりの路線だが、その情報収集とデータ整備は数年前から行われており、初めて同路線についての情報がSiNDY-iに登録されたのは2008年までさかのぼる――。

1)情報収集

 ウェブニュース、新聞記事、国土交通省・都道府県の予算資料、道路管理者のウェブサイトから、毎日・週1回・月1回など情報の更新頻度に応じて確認。

新聞記事のスクラップ(イメージ)

2)情報管理システムに登録

 地図の変化情報(道路管理者への問い合わせ内容、資料入手履歴などの履歴)の登録。圏央道・寒川北IC~海老名JCTは、2012年にSiNDY-iに登録情報を分割。

圏央道・寒川北IC~海老名JCTに関する「SiNDY-i」への登録情報

3)図面位置合わせ

 新しい道路が作られる時は、情報収集部が入手した図面を、地図編集画面上でずれないように位置を合わせ、道路中心線をトレースしていく。図面は開通の1~2年前までに入手できるケースが多く、圏央道・寒川北IC~海老名JCTの場合は2012年に入手。

海老名JCT付近の地図
地図編集画面上で図面位置を合わせた状態
全線
道路ネットワークデータ整備前(海老名JCT)
道路ネットワークデータ整備後(海老名JCT)

 なお、高速道路など長距離にわたる道路の場合は大変な作業になる。例えば、新東名の場合は、トレースするための工数を2週間確保して集中的に行ったという。

4)調査・取材

 供用開始(開通)時期、JCT・出入口の名称などを問い合わせて確認する。図面の更新の有無や、図面に掲載されていても本線と同時に供用を開始しない出入口などがないかも確認をしている。

5)背景の整備

 2014年11月上旬に整備。取材内容などを調査結果としてSiNDY-iに記録し、地図整備部門に反映すべき内容を伝える。地図整備部門は調査結果に基づき背景データの整備を行う。各種ルート案内に必要な情報もここで埋め込んでいる。

背景データ整備後

6)追跡調査

 地図データ整備後も開通日が確定するまで追跡調査を行う。2015年2月6日、開通日時が「2015年3月8日」と発表される。整備データが道路管理者の発表内容と相違ないか最終確認を行い、地図データ整備が完了。

 このように、TDCの地図データ整備業務では、記事や図面など情報収集・入手の段階でこそ紙の資料が使われる場面もあるものの、全体としてペーパーレス化を推し進めているのが特徴だ。資料・情報などもすべてSiNDYで管理され、その後の作業や進捗管理に紙の書類を使う必要がないようになっているという。

道路の状況をふまえ、ルート探索の“重み付け”をチューニング

 こうして整備された道路ネットワークデータを使ってカーナビのルート探索が行われるわけだが、iPCの地図制作チームが行っているのは、あくまでも基となる地図データの整備であり、ルート探索のエンジンは、カーナビメーカーやナビアプリ制作チームが独自にアルゴリズムを考えて作っている。

 ただし、ルート探索エンジンにおいてどのような経路を優先するかということと、どのような道路ネットワークデータを整備するかというのは密接に連携する必要がある。優先度の“重み付け”のチューニングなど、ルート探索の品質につながる作業も、実は地図データの作成段階で行われているケースも少なくない。カーナビについていえば、iPCは親会社のパイオニアのほか、JVCケンウッドや三菱電機、富士通テンなどのカーナビにも地図データを提供しているが、データ整備を行うにあたっては、提供先の会社と個別に連携を図っている。

 ルート探索に影響を与える道路の重み付けについて、地図データ側でどのような仕掛けを行っているかというと、例えば国道でも山に行くと酷い道になったり、逆に市道でも片側3車線の立派な道路があったりするケースがあるので、そのような場合は経路の優先度を上下させる。

ルート探索の“重み付け”のチューニングの例を見てみよう(岩手県盛岡市)。表示用地図画面で赤のラインで表示されているのが、基本的には優先度が高い国道だ
一方、道路ネットワーク画面を見ると、優先度の高い赤いラインがすべて国道と一致しているわけではないのが分かる。例えば、画面左端から東南(右下)に向かう国道46号線バイパスは、画面下部の中央付近で南(下)に直角に曲がるが、道なりに東へ直進する市道も国道と同じ重み付けが設定されている。一方、画面中央から東(右)に向かう国道106号線の起点付近は、国道ではあるが優先度は低い

 パイオニアがカーナビから収集したプローブ情報を解析し、道路の通過時間が速いものを優先させる場合もある。もちろん、そのように優先度をチューニングしたことで現地の人や道路管理者に都合が悪くなる場合もあるので、その場合は寄せられた情報をもとに変更することもある。

 今回は地図データ整備についての記事なので、ルート探索のアルゴリズムについて詳しく説明しないが、ロジックとしては、出発地および目的地に最も近いリンク間で、“コスト”が最も低くなるルートを探索する方法が一般的だという。ここで言うコストとは、距離の長短をはじめ、経路種別、道路幅員、信号機の有無、右左折回数、渋滞情報など、さまざまな条件が考慮される(もう少し詳しく知りたい方は、「Car Watch」2015年3月10日付の関連記事『高橋敏也、「サイバードライブアカデミー in カロッツェリアベース」でカーナビのルート探索アルゴリズムについて学ぶ』を参照)。

 ただし、ルート探索する距離が長くなるほど、探索可能なルートのパターンは膨大となる。そのため、日本全国をメッシュのような区画に分けておき、それらの区画同士を探索した結果をあらかじめデータとして用意しておくことで、探索時間の短縮を図っている。その結果、出発地から徐々に国道や高速など格の高い道路に移行し、区画同士のなるべく長い距離をそうした格の高い道路で移動した後で、目的地に近づくにしたがって徐々に格の低い道路に下りていく……という探索結果が出ることが多くなるという。


 次回は、デジタル地図の利用者がふだん目にしている表示用地図やPOIのデータが、TDCの地図DB制作部においてどのように整備されているのか、そしてそれを支える情報収集部の取り組みについて紹介しよう。

片岡 義明

IT・家電・街歩きなどの分野で活動中のライター。特に地図や位置情報に関す ることを中心テーマとして取り組んでおり、インターネットの地図サイトから法 人向け地図ソリューション、紙地図、測位システム、ナビゲーションデバイス、 オープンデータなど幅広い地図関連トピックを追っている。測量士。インプレスR&Dから書籍「位置情報ビッグデータ」(共著)が発売中。