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【 2009/04/09 】
「新常用漢字表(仮称)」のパブコメ募集が始まった
[12:59]
【 2008/11/28 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第11回 「情報化時代」へ常用漢字表を進化させよ
[11:19]
【 2008/11/27 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第10回 ふたたび常用漢字表の改定を考える
[14:31]
【 2008/11/14 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第9回 議員の氏名表記とRFC標準の共通点
[11:12]
【 2008/11/13 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第8回 字体意識と社会的コスト
[11:27]
【 2008/11/12 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第7回 『議員氏名の正確な表記』と人名表記の位相文字
[14:06]
【 2008/11/11 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第6回 漢字の字体史から見た『議員氏名の正確な表記』
[17:08]
【 2008/10/31 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第5回 『議員氏名の正確な表記』はどうやって作られたか
[11:21]
【 2008/10/30 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第4回 議員本人のWebページとの比較結果
[15:03]
【 2008/10/29 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第3回 実装の上から『議員氏名の正確な表記』を考える
[15:15]
【 2008/10/28 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第2回 規格の上から『議員氏名の正確な表記』を考える
[11:08]
【 2008/10/27 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第1回 現代日本の「ゴルディアスの結び目」をほどくのは?
[16:44]
“情報化時代”に追いつけるか? 
審議が進む「新常用漢字表(仮)」

第3部 印刷文字から符号化文字へ
第11回 「情報化時代」へ常用漢字表を進化させよ


不特定多数を相手にした場面では一般的な文字を

 前回は氏名の表記にあたって「そのものの形」の再現と相手への礼儀の結び付きを断ち切ることが重要であり、そのために自分の名乗りにおいて適切に字体を使い分ける習慣を広めていく必要があることを述べた。そのためには自分の名前を表記する際、どういう状況なら「そのものの形」を主張してよいのか、どういう状況では「より一般的な文字」で書いた方がよいかという、字体使用の「目安」が必要になる。

 では、どのように使い分けるべきなのか? これを考える上で参考になるのが、第9回で述べたように一部議員の氏名表記や、インターネット上の「名前」を扱うRFC標準において、「より一般的な文字」への置き換えが行われていることだ。議員の氏名表記では、有権者に覚えやすい表記にする必要から「より一般的な文字」を使っていた。RFC標準では機種も規模も国籍も違う環境の中で「まぎらわしい文字」を排除するために「より一般的な文字」に置き換えていた。これはどちらも不特定多数を相手にした環境の中で行われている。

 このことから不特定多数、つまり社会一般に広く流通するような用途では人名異体字を主張せず、覚えやすく書きやすい一般的な文字を使用すべきということが言える。例えば多くの人々に読まれる公的な文書や公的なWebページ、あるいはマスメディアとしての新聞や雑誌、テレビ。こうした場所での氏名表記は、より一般的な文字がふさわしい。情報機器でも問題なく扱えるから、「情報化時代」という観点からも歓迎できる。さらにこうした区分は、常用漢字表前文にある次の一文とも重なる。

1 この表は、法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。[*1]


 これは常用漢字表が適用される範囲、つまり常用漢字表の目的を規定した重要な部分だ。この原稿で言う「社会一般に広く流通するような用途」は、上の条項が指し示す範囲と重なっている。不特定多数を対象とした氏名表記に「より一般的な文字」を使うという考え方は、この条項をより発展させた考え方と言えるだろう。

 ではもう一方の「そのものの形」は、どういった場面で使うべきなのか。これについては常用漢字表前文の、上に引いた部分に続く条項が参考になる。

2 この表は、科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。


 ここでは常用漢字表が適用されない範囲を定めている。例えば私的な文書やブログ、あるいは小説などの文芸、そして専門的な学術分野。こうした範囲が氏名表記に「そのものの形」を使うことができる範囲として考えられるだろう。こうした用途であれば凝った字体で、思う存分に自分を表現しても問題はない。とはいえ、どんな場合でも自分の字体を相手に強制しない心遣いは必要だろうけれど。


漢字小委員会でも字体の使い分けが話題に

 実は現在の漢字小委員会の審議においても、すでに同じような問題が検討されている。昨年度までの漢字小委員会の審議をまとめた文書『国語分科会漢字小委員会における審議について』(以下、『審議について』)のうち、「I 総合的な漢字政策の在り方について」の中にある「(3)固有名詞(人名・地名)についての考え方」を一部引用しよう[*2]

固有名詞用の漢字表を作成するのは困難であるので、固有名詞における漢字使用の基本的な考え方をまとめ、それを新常用漢字表(仮称)の前文中や附則事項の中などに示すこととする。基本的な考え方をまとめる場合、新たに名前を付ける場合の参考にしてもらうという観点から、以下の項目の具体化を検討する。
(中略)

(2)「一般の漢字使用」と「個人の漢字使用」の場合の使用字体の考え方
→「公共性の高い、一般の文書等における使用字体」と「個人的な文書等における使用字体」の考え方を整理し、一般の漢字使用においては「1字種1字体」が基本であることを確認。

→新地名を付ける場合の採用字体の考え方(一般の漢字使用に準じる。)


 上記のうち、「(2)「一般の漢字使用」と「個人の漢字使用」の場合の使用字体の考え方」という区分がここで考えていることに該当する。ただしこれは、引用文中「新たに名前を付ける場合」とあることからも分かるとおり、姓は含まれず子の名付けに限定している。また同じく文中に「固有名詞用の漢字表」とあるのは名付けのための漢字表であり、これを作成することは「困難である」と判断された。この一連の議論は2006年の第8回~第10回の漢字小委員会で集中的に討議された。その中で日本新聞協会出身の金武伸弥委員から、次のような発言があった。

(…)要するに、今おっしゃったように教科書とか新聞とか雑誌とか公用文とか一般的なものはできるだけ(引用者注:字体を)そろえた方がいいのではないかということです。つまり、例えば読売新聞社の渡邉恒雄さんの「邉」は、もちろん常用漢字体ではありませんけれども、読売新聞をはじめ各新聞・雑誌とも紙面では常用漢字体の「辺」を使っています。御本人の名刺とか特別な場合はもちろん「邉」ですけれども。そういう使い分けはあってもいいというか、一般的には常用漢字の字体で統一した方が社会生活上はいいだろうということです。(『第8回国語分科会漢字小委員会・議事録』2006年6月13日)[*3]


拒否反応は当然。まず必要なのは問題提起

 おそらく『審議について』における区分は、この発言に基づいたものと思える[*4]。先の区分を金武発言に当てはめると、「一般の漢字使用」が新聞・雑誌・公用文であり、一方の「個人の漢字使用」が本人の名刺における氏名表記となるだろう。つまりここで言う「一般の漢字使用」とは、冒頭で述べた議員の氏名表記やRFC標準と同じように、やはり不特定多数を相手にしたものなのである。

 ただし、『審議について』の区分とこの原稿で考えてきた区分とでは、対象にかなり開きがある。第1部第1回で述べたように、漢字小委員会においてこの問題が取り上げられたのは、例えば「宝冠」と書いて「てぃあら」と読ませるような、読みを思い浮かべることが不可能な子の名付けが目につくようになり、これが円滑なコミュニケーションを妨げているからだった。したがって対象は子の名前に限られる。一方でこの原稿では氏名表記全体、つまり姓と名を含めて考えようとしている。つまり違う地点から出発して同じ結論に辿りついただけとも言える。

 前提が違うから仕方ないとは言え、『審議について』のように子の名を対象とするだけでは「そのものの形」にこだわる問題点はなくならないだろう。一般に名より姓で表記されることの方が多く、結果的にこれを放置することになるからだ。さらに問題なのは第8回で述べたように、こうしたこだわりが符号化文字という考え方と相反していることで、文部科学大臣諮問が求める「情報化時代に対応する漢字政策の在り方について」への答申としても不十分なものと言わざるを得ないだろう。

 もちろん、子の名前だけでも大変なのに、姓まで含めれば世間に強い拒否反応を引き起こしかねないことはよく分かっているつもりだ。すでに第1部第4回で見たように、歴代の国語施策が固有名詞への対処を避けてきたのも、この問題が非常に困難なものだからだ。しかしここまで繰り返し書いてきたように、「情報化時代」にあたって「そのものの形」にこだわることを放置すれば、やがて情報機器による円滑なコミュニケーションが難しくなるだろう。この問題に国民的な議論が必要なのは当然であり、それにはまず文化審議会として問題を提起することが求められるのではないだろうか。


おわりに

 ここまで第1部として常用漢字表改定を審議する漢字小委員会の内容を検討し、第2部としてこれが文字コード規格をはじめとする「情報化時代」の現実とどのように関係するかを考えた。この原稿は字体問題を主題としているが、一般の社会では字体の区別はどうでもよい細かな問題とされる(きわめて健康的な反応だ)。ところが人名や地名などに限っては驚くほど微細な区別が主張される。このように、極言すれば私たちの社会で字体が問題になるのは固有名詞だけと言ってもよいのだが、特にこの傾向が顕著なのは氏名表記だ。そこで第3部として衆議院のWebページ『正確な表記』を例にとり、こうした字体意識が第2部で見た「情報化時代」の現実や、常用漢字表の改定とどのように関係するかを考え、その上でいくつかの提言を試みた。

 各種マスメディア報道を見る限り、そこでの関心はどの字が追加され、どの字が削除されるかという話題に終始しているように思える。それが無意味とまで言わない。しかしそのような見方から、あるべき日本語の姿が見えてくるとも思えない。この原稿はそうした報道に対するささやかな批判として書かれた。もっとも最終答申は2010年春、まだ先は長い。少しでも多くの人々が、常用漢字表の改定を自分の問題として考えていただくよう望んでやまない。数カ月にわたりお付き合いくださった読者の皆さん、多忙にもかかわらず取材に応じてくださった方々、またご批判ご叱正をいただいた方々に深く感謝いたします。



※この連載は全体を構成し直した上で、『活字印刷の文化史』(企画編集/小宮山博史・府川充男、勉誠出版刊、12月発売予定)の一編として収録される予定です。


[*1]……『常用漢字表・現代仮名遣い・外来語の表記』(大蔵省印刷局、1992年、P.3)
[*2]……『国語分科会漢字小委員会における審議について』2008年7月15日(http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_24/pdf/sanko_1.pdf
[*3]……『第8回国語分科会漢字小委員会・議事録』2006年6月13日(http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_08/gijiroku.html
[*4]……また、この次の2006年7月10日開催の第9回漢字小委員会では、阿刀田高国語分科会長が同じような趣旨の、こちらは地名と企業名を例にとった発言をしている。以下に引用する。
それからもう一つ、新しい名前を付けるときに、どういう規範ができるか分からないけれども、できるだけこれに従ってほしいというような言い方をしたときに、本来の名字は「渡邉」だけれども、「渡辺製作所」とするときには、「邉」はやめようというような方向にできれば向かってほしいというところもあるし、事実そういう発想で会社名を付けていたりするところがあります。土地の名前はややこしい字を使っているんだけれども、企業名として使うときには、そういうややこしい名前はこの辺でやめておこうと…。姓の漢字を変えるということはなかなか難しいけれども、新しい組織を起こすときには変えていこうという動きはどうもあるような気がするわけで、できればそういう方向になってほしいと思っています。新しく付けるということについて、それは姓名の名の方だけではなくて、いろいろなところに新しく付けるということはあり得るわけで、そこの辺りの固有名詞について考えるときには、常用漢字で可能なものは、そちらの方にということを考える必要があるのかなと思います。( 『第9回国語分科会漢字小委員会・議事録』(http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_09/gijiroku.html


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  “情報化時代”に追いつけるか? 審議が進む「新常用漢字表(仮)」
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2008/11/28 11:19
小形克宏(おがた かつひろ)
文字とコンピュータのフリーライター。本紙連載「文字の海、ビットの舟」で文字の世界に漕ぎ出してから早くも8年あまり。知るほどに「海」の広さ深さに打ちのめされています。文字ブログ「もじのなまえ」ときどき更新中。

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