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“情報化時代”に追いつけるか? 審議が進む「新常用漢字表(仮)」 |
第3部 印刷文字から符号化文字へ 第10回 ふたたび常用漢字表の改定を考える
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● 「情報化時代に対応する漢字政策」の至上課題
前節は『議員氏名の正確な表記』に掲載された議員のWebページを調べた結果、これらの議員の氏名表記では「そのものの形」に強くこだわるもの、そして漢字と仮名の違いさえも包摂しようとするものの2種類に分かれることが分かった。その上で、このうちの漢字と仮名を包摂する表記は、実はインターネット上の「名前」を対象としたRFC標準で規定されているUnicode正規化と、「より一般的な文字に置き換える」という意味で、全く同じ振る舞いであることを指摘した。そして、より一般的な文字を名前に使うという考え方は、インターネットや国会議員のような特殊な世界にとどまらず、戸籍法でも「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」と規定しているのと同じであることを述べた。
今度の常用漢字表の改定ではJIS文字コードと整合性を保つため、いわゆる康煕字典体を一部追加せざるを得なくなるだろう。これにより従来からの略字体と不統一となり、新しい常用漢字表は子供たちや日本語学習者などには分かりづらいものになる。このことは第2回で指摘した。この時、続けて以下のようなことを書いた。
本当の問題のありか、このような分かりづらい改定にするであろう本当の犯人は、そうした漢字政策を進める「社会の要望」の元となった、私たち自身が持つ字体意識ではないか。そしてその矛盾が最もはっきりと現れているのが、人名や地名など固有名詞における字体であると思える。普段は気にもとめないような一点一画の違い、長短の違い、はては撥ねる撥ねないの違いが、なぜか固有名詞に使われるというだけで大きな問題となってしまう。特にこれは人名において著しい。
ここで『正確な表記』に戻るなら、「そのものの形」に強くこだわる表記こそが、上で指摘したかった「分かりづらい改定にするであろう本当の犯人」ということになる。ただし、ここで注意しなければならないのは、人名異体字は本人が名乗りとして使うより、むしろ周囲の人々が待遇表現として使う際に影響が増幅されることだ。周囲は本人の主張通りに表記しなければ失礼になると感じ、本人が思っている以上に「配慮」してしまう傾向がある。その好例と言えるのが『正確な表記』だ。
このように「書体の違い」や「デザインの違い」を無視してまで「そのものの形」へ過剰にこだわることを続ければ、社会的なコストが増大するばかりだ(第8回)。数千年続く漢字の歴史の上からは、こうしたこだわりはごく最近発生した特異なものとせざるを得ない(第6回)。同時に文字コード規格における包摂範囲を否定するものであり、情報機器で使われる文字、つまり符号化文字という考え方と相反する(第8回)。第1回で常用漢字表の改定にあたって出された「情報化時代に対応する漢字政策の在り方について」[*1]という文部科学大臣諮問を確認したが、この「そのものの形」にこだわることをどのように位置付けるかこそが、「情報化時代に対応する漢字政策」としての至上課題、さらにはゴルディアスの結び目を断つアレキサンダーの剣になると考える。
● 「字体についての解説」をもっと分かりやすく
そこで求められるのは、まず「書体の違い」と「デザインの違い」を広く社会の共通認識にすることだろう。第6回で述べたように、『正確な表記』にある「横棒の信」と「縦棒の信」、三画と四画の草冠、「ハシゴ高」と「クチ高」、「土吉」と「士吉」、ネ偏と示偏、「ホの保」と「木の保」、一点と二点のしんにょう、これらはすべて書体の違いとできるものであり、こうした違いを区別することは漢字の伝統や習慣に反するものだ。また、第7回で述べたように「直」の第二画の傾斜など、デザインの違いでしかない微細な違いを区別することも、同様に漢字の伝統や習慣に反する。
そのために考えられるのは、常用漢字表「字体についての解説」の充実だろう。衆議院事務局の回答(第5回)に明らかなように、一般の人々にとっては1字ずつの「常用漢字」は多少知っていても、「字体についての解説」は存在すら認識されていないのが現実だ。これでは誤解・無理解は広まるばかりであり、なるべく多くの人々にこの規定の存在を知らせる必要がある。そのためには読んで「なるほど、そうだったのか」と思ってもらえるよう、現実に即した内容にする必要があるだろう。
ここでの規定自体は第6回で検証したように、十分に漢字の歴史や習慣に基づいた内容ではあるけれど、そこに挙げられている個々の例は満足なものと言えない。漢字に関心が薄い人でも実用に役立てられるよう拡充すべきだ。それには直近の国語施策である表外漢字字体表のうち「3 字体・書体・字形にかかわる問題とその基本的な考え方」、特に「(3)印刷文字字形(明朝体)と筆写の楷書体との関係」の内容を、常用漢字表に取り込むのが近道だろう(図1)。ここでは「字体についての解説」からさらに踏み込んだ、一点と二点のしんにょう、示偏とネ偏、食偏等の同一視が盛り込まれている。
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図1 表外漢字字体表「(3)印刷文字字形(明朝体)と筆写の楷書体との関係」(国語審議会、2000年、P.8)
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これに加え、「ハシゴ高」や「土吉」など現実に使われている人名異体字を常用漢字表の範囲内で採集し、1字ずつについてどれが「デザインの違い」に属し、どれが「書体の違い」に属すのかを明示すべきだろう。これについては国語研究所が蓄積した、戸籍統一文字をはじめとする各種データが参考になるはずだ。
またこれだけに終わらず、この規定を子供たちに伝えるべきだ。日本語の未来は私たち大人でなく、彼等のものだからだ。小学生は難しくても、せめて中学生が読んでも分かるよう、現在の「字体についての解説」の文章表現を、より簡単で明解なものに見直していく必要がある。さらにこうした趣旨を学校教育に取り入れてもらうよう、答申に提言を盛り込むべきだろう。
● まず、場面に応じて字体を使い分ける習慣を
ここまで「そのものの形」に強くこだわる現象に対しては、まず「字体についての解説」の充実が必要であることを述べた。あらためてお断りしたいのだが、ここで問題にしているのは漢字の伝統や習慣の上から「デザインの違い」および「書体の違い」と判断可能なものだけだ。例えば新井議員の「悦」や深谷議員の「隆」といった、当用漢字字体表で加えられた新字体(略字体)と旧字体の違いなども分類として可能ではあるが、そういったものは対象としてしていないことに注意してほしい。
これは約30年前の常用漢字表の制定時に比べて、現在では格段に各種資料やデータベースが整備されたことによって、「デザインの違い」や「書体の違い」がより精密に、そして分かりやすく定義可能になったことによる。意を尽くして説明すれば、この2点に絞ることで日本中が合意できるのではないかと希望を持っている。何より「情報化時代」にあたり、現在の状況に少しでも歯止めをかけることが求められている。
ただし、まだ考えるべき点は残っている。これら「デザインの違い」や「書体の違い」を無視して「そのものの形」にこだわる表記は、どんな場合でも絶対に使うべきでないし、こうした表記を使う人を尊重することさえも間違いであると言えるのだろうか?
それは違う。まず相手を尊重し失礼がないよう配慮する気持ちは否定すべきではない。そして「そのものの形」にこだわる表記自体を悪者にすべきでもない。もともと異体字を使い分けることは漢字ならではの楽しみだ。異体字を使うことがすべて悪いとなれば、漢字文化そのものが痩せ細ってしまう。
では本当の問題は何か。それは「漢字の唯一無二性」だ。第6回で見たように、もともと漢字に唯一無二の形などありはしない。このことを私たちの社会は忘れてしまった。特に「そのものの形」の再現が待遇表現として使われること、つまり相手への配慮や礼儀と結び付くところで弊害は顕在化する(第7回)。本人が人名異体字を使う限りはその人の勝手だ。そして相手に配慮することが悪いはずもない。最大の問題は両者が結び付くことによって、本人ではなく周囲の人間が、配慮のあまり「書体の違い」や「デザインの違い」を無視して、「縦棒の信」のように日本に存在しない明朝体を作ってしまうこと(第6回)、換言すれば「漢字の唯一無二性」を暴走させてしまうことなのである。
そこで大事なことは、「そのものの形」の再現と相手への礼儀の結び付きを断ち切ることだ。そのために必要とされるのは、氏名の表記では「あらゆる場面で唯一の字体が書かれるべき」という従来の発想を転換し、適切な場面で適切な字体を使い分ける習慣を作っていくことではないか。
相手の字体に配慮することは、礼儀の問題ゆえに他人が口を出すのは抵抗がある。ならば、まず自分の名乗りにおいて適切に字体を使い分ける習慣を広めていくのが先決だろう。そのためには自分の名前を表記する際、どういう状況なら「そのものの形」を主張してよいのか、どういう状況では「より一般的な文字」で書いた方がよいかという、字体使用の「目安」が必要になる。そして、こういうことのためにこそ、国語施策はあると思われるのである。
では、どのように使い分ければよいのだろう。数カ月にわたって書き継いできたこの連載も、次回でいよいよ最終回だ。ゴルディアスの結び目は果たして解けるのか。どうかお楽しみに。
関連情報
■URL
“情報化時代”に追いつけるか? 審議が進む「新常用漢字表(仮)」 連載バックナンバー一覧
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/jouyou_backnumber/
2008/11/27 14:31
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小形克宏(おがた かつひろ) 文字とコンピュータのフリーライター。本紙連載「文字の海、ビットの舟」で文字の世界に漕ぎ出してから早くも8年あまり。知るほどに「海」の広さ深さに打ちのめされています。文字ブログ「もじのなまえ」ときどき更新中。 |
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