● 一般的な文字に置き換えて氏名を表記する議員達
前回は「書かれた字のとおり」に強くこだわる字体意識により社会的コストが増大すること、そしてこれは符号化文字の考え方そのものを否定するものであることを述べた。しかしいくらデメリットがあるといっても、相手に配慮する気持ちまで変えられないし、変えてはいけないだろう。ではどうすればよいのか? 難しい問題だ。
まず高木毅議員の例を思い出してほしい。『議員氏名の正確な表記』(以下、『正確な表記』)によればハシゴ高を主張しているはずだった高木議員は、自分のWebページでは姓の方をハシゴ高でない「高」を使い、下の名前を仮名書きしていた(図1)。つまりより一般的な文字に置き換えている。
これは高木議員だけではない。例えば葉梨議員。この人は実に旺盛にWebページを更新している。そしてその中で、みずからの名前を「はなし」にほぼ統一している。かなり多い文字量にも関わらず、表記の統一にさほど乱れがないことから、葉梨議員は明確な意識で仮名書きを選択していることがうかがえる。では、葉梨議員が仮名書き以外は自分の氏名表記と認めないかといえば、それは違う。トップページの目立つところにルビつきの漢字で「葉梨康弘」と掲げ、さらに自署と思われる字で漢字表記をしているからだ(図2)。ここからは漢字と仮名のどちらも良しとする意識が見て取れる。つまり両者を包摂し、その上でより一般的な文字として仮名書きを優先しているのである。
他にも第4回で報告したように『正確な表記』にある字体と本人のWebページの字体が一致しなかった議員は22人いた。つまりこの人達は、自分の氏名をより一般的な文字に置き換えている。さらにこのうち半分近い10人がトップページにおいては仮名書き表記をしていた。これを名前の他の字にも広げるなら12人となる。
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図1 『衆議院議員高木つよし公式WEBサイト』「高木つよしプロフィール&事務所のご案内」[*1]
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図2 『自由民主党衆議院議員はなし康弘』トップページ[*2]
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一方で『正確な表記』にある字体を自分のWebページでも使っていた議員が、町村議員をはじめ14人いた。すなわち『正確な表記』を見る限り、人名表記の位相文字というものが逆の方向に2種類存在することになる。一つは高木議員達のように漢字と仮名さえも包摂しようとするもの(以下、「包摂」)、もう一つが「そのものの形」の再現に強くこだわるもの(以下、「そのものの形」)。ある意味で分裂しているとも言えるのだが、これはどういうことなのだろう。
● 特定の字体がその人自身と強く結び付く「漢字の唯一無二性」
少し整理してみると、「そのものの形」の方は、代議士に特有ということではなく、私たちの社会一般に見られる意識と言える。もともと名前とは他からの区別を目的とする記号だが、これらの人々は、一般への公開を目的とした複数の場所で特定の字体を主張していることから、名乗りという場面(位相)において、字体が強く自分自身に結び付いていると言える。
まさに円満字二郎氏が指摘する「漢字の唯一無二性」そのものだ[*3]。これはある言葉とそれを書き表す漢字の形(字体)が強く結び付き、その言葉を他の漢字で表現することに違和感を覚えるようになる現象のことを言うのだが、さらに円満字氏はこの現象が人名の表記で明確に現れることを指摘している[*4]。
しかし氏の説を推し進めるなら、字体が結び付いているのは「言葉」というより、むしろその背後にある「言葉が指すもの」、ここでは名前であり名前で表される「その人自身」ではないか。つまり「そのものの形」においては、特定の字体がその人自身と強く結び付き、その人にとっては他の字体で表現されることに違和感を覚えるようになると考えられる。
では一方の「包摂」の方はどうだろう。こうした一般的な文字に置き換える氏名表記が他の世界であまり見られない以上、これは代議士という職業に特有のものと考えてよいだろう。「代議士は選挙に落ちればただの人」などと言われるが、この表記は選挙に当選するため、有権者に覚えてもらいやすいよう、投票用紙に書いてもらいやすいように選んだ表記と言えないか。さらに漢字の唯一無二性を考えると、「そのものの形」との差は明らかだ。前述の葉梨議員のホームページからうかがえる字体意識からすると、「包摂」は漢字の唯一無二性と無縁と言ってよいだろう。
● まぎらわしい文字をより一般的な文字に置き換えるRFC標準
ここでもう一つ思い出してほしいことがある。第2部第8回で調べた国際化ドメイン名などのインターネット標準(以下、RFC標準)だ。地球規模で広がるインターネットにおいては、機種も規模も運用体制も国籍も異なる種々雑多な相手と交信する必要がある。そうした環境の中では「まぎらわしい文字」がセキュリティ問題を引き起こすのだった。
ここで言うまぎらわしい文字とは、例えば「ダ」を表すUnicodeの文字が、合成済み文字のU+30C0と、合成列のU+30BF/U+3099の2種類が表現可能といった、見た目は同じだが符号の並びが違うといったものを指す(図3)。
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図3 符号位置を調べるユーティリティ『UnicodeChecker』によって見た、「ダ」を表す2種類の符号位置。ここでは「Input」欄と「Compare with」の欄の文字を比較している。下部「Differences」欄のうち上が合成済み文字のU+30C0、下が合成列のU+30BF/U+3099。見て分かるとおり両者は見かけ上、全く同一だ
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それから互換用文字もそうだ。半角文字と全角文字や丸付き数字、単位記号などの互換用文字(互換漢字を含む)は、より一般的な文字と似ているものが多く、文字としても基本的に同じだ。これもまた、まぎらわしい文字となる(第2部第5回~第8回参照)。
インターネット上において、まぎらわしい文字が使えれば、偽サイトの横行や他人のなりすましを許すことになってしまう。そこでこうした文字を排除しようとする文字処理がUnicode正規化だった。これらのRFC標準では「まぎらわしい文字」を排除するため、「より一般的な文字」に置き換えるタイプのUnicode正規化を行うことを規定している(4種類あるうちの「NFKC」)。互換用文字について説明するため第2部第6回で示した図を再掲しよう(図4)。
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図4 Unicodeに収録されている、見た目が少し違っても文字としては基本的に同じであるペアの例。波線のイコールは近似的に等しいを表す論理記号。論理記号の左側が互換用文字、右側が「より一般的な文字」
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これらのRFC標準では、図4の左側にある互換用文字は、すべて右側の「より一般的な文字」に置き換えるUnicode正規化を行わなければならないと規定されている。現在こうした処理を取り入れているのは、以下のようなRFC標準だ。
- RFC 3491『Nameprep』[*5](国際化ドメイン名を規定する規格の一部)
- RFC 3722『String Profile for Internet Small Computer Systems Interface(iSCSI)Names』[*6](外部記憶装置をTCP/IPで利用するiSCSI規格の一部で、Unicode文字列によるデバイス名を規定)
- RFC 4013『SASLprep: Stringprep Profile for User Names and Passwords』[*7](Unicode文字列によるIDとパスワードを規定)
このように並べてみると分かるのだが、これらのRFC標準は、実は国際化ドメイン名、デバイス名、IDやパスワードといった、他からの区別を目的とした一種の「名前」を規定しているのである。
● 議員の氏名表記とRFC標準の共通点
ここで何か気付かれないだろうか。そう、こうしたRFC標準で行っている文字処理は、冒頭で見た議員の氏名表記に見られる2種類の位相文字のうち、「包摂」と全く同じことをやっている――どちらも「より一般的な文字」に置き換えている――のである。つまり仮名書きをしている議員諸氏は、有権者に覚えてもらいやすい表記を考えた末に、自分の氏名に一種の正規化を行っていたと言える。
さらにRFC標準の「まぎらわしい文字」とは何かを考えると、両者の共通点がはっきりする。ここで問題になったセキュリティ問題とは、まぎらわしい文字による偽サイトの横行や他人のなりすましを指す。まぎらわしい文字は識別しづらいためにトラブルを招く。つまり覚えやすい文字であれば問題にはならない。そう考えるとRFC標準の「セキュリティ確保」と、議員の氏名表記の「自分の名前を覚えてほしい」とは、実は同種の要求なのだと言える。
興味深いことは、RFC標準では機種も規模も国籍も違う環境の中でセキュリティ確保という要求が発生し、その結果としてまぎらわしい文字の排除という解決法ができたのに対し、議員の氏名表記では選挙に当選しないと代議士にはなれないという環境の中で「多くの人に自分の名前を覚えてほしい」という要求が発生し、その結果として常用漢字と平仮名による表記という解決法ができた点だ。インターネットの世界も国会議員の世界も、名前に対する要求が非常に切実であることは共通しているだろう。つまり両者の「より一般的な文字」に置き換えるという解決法は、きわめて厳しい環境の中で、他からの区別という名前の機能性が極度に高められた結果生まれたと言えるのである。
● 常用平易な名付けを求めている戸籍法
より一般的な文字を名前に使うという考え方は、何もインターネットや国会議員といった特殊な世界のものだけではない。同じようなことが日本国の人名に関わる現行法で規定されている。戸籍法第50条は子供に付ける名前について、以下のように規定する。
第50条 子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。[*8]
もしも「常用平易」であればインターネットでセキュリティ問題は発生せず、選挙においても候補者の名前を覚えやすいことを考えると、これもやはりRFC標準や議員の氏名表記と同種の要求に基づく解決法であることが分かる。ただし、現行の2004年9月に大幅追加された人名用漢字は、JIS X 0208では収まりきらず、これを拡張するJIS X 0213を必要とする文字も含まれる。つまり衆議院やこのINTERNET WatchのWebページでは表示できない文字が含まれている。これを考えれば、残念ながらすべてが常用平易と言えないのが現状だ。つまり、ここに人名用漢字の問題点が存在すると言える。
こうした認識は常用漢字表の改定を審議している漢字小委員会のものとも一致する。『国語分科会漢字小委員会における審議について』では以下のように指摘している[*9]。
(2)人名用漢字についての考え方
人名用漢字は平成16年9月27日付けの改正によって、その数が大幅に増えた。その中には、名前に使用するのにふさわしいと言えないような漢字もふくまれ、また「廳(=庁)」のような、常用漢字の旧字体までも人名用漢字とされたところであるが、名前の持つ社会的な側面に十分配慮した、適切な漢字を使用していくという考え方を一般的に普及していくことが望まれる。具体的には、「子の名というものは、その社会性の上からみて、常用平易な文字を選んでつけることが、その子の将来のためであるということは、社会通念として常識的に了解されることであろう。(国語審議会「人名漢字に関する声明書」、昭和27年)」という認識を基本的に継承し、
(1)文化の継承、命名の自由という観点を踏まえつつも、読みやすく分かりやすい漢字を選ぶ。
(2)その漢字の本来の意味を十分に踏まえた上で、ふさわしい漢字を選ぶ。
という考え方を広く普及していくことが求められる。
ところで『正確な表記』では、人名表記の位相文字が「包摂」の他にもう一つ、「そのものの形」がある。ここでは「書体の違い」や「デザインの違い」を無視しても「そのものの形」を再現することが相手への礼儀となるのだった。これを私たちはどのように考えればよいのだろう。また、漢字の唯一無二性という意味からはどうなのか。そして常用漢字表の改定からは、これらはどのように位置付けられるのか。
ここまで第3部として『正確な表記』の検討、そしてRFC標準との共通点を考えてきたが、そろそろ常用漢字表の改定に戻る時がきたようだ。次回はここまで見てきた「情報化時代」の現実から、常用漢字表の改定はどうあるべきかを考えたい。
関連情報
■URL
“情報化時代”に追いつけるか? 審議が進む「新常用漢字表(仮)」 連載バックナンバー一覧
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/jouyou_backnumber/
2008/11/14 11:12
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小形克宏(おがた かつひろ) 文字とコンピュータのフリーライター。本紙連載「文字の海、ビットの舟」で文字の世界に漕ぎ出してから早くも8年あまり。知るほどに「海」の広さ深さに打ちのめされています。文字ブログ「もじのなまえ」ときどき更新中。 |
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