地図と位置情報

清水建設が手掛ける屋内測位システムで、高精度の歩行者ナビゲーション~日本橋・コレド室町で実証実験中

連載「趣味のインターネット地図ウォッチ」からの派生シリーズとして、暮らしやビジネスあるいは災害対策をはじめとした公共サービスなどにおけるGISや位置情報技術の利活用事例、それらを支えるGPS/GNSSやビーコン、Wi-Fi、音波や地磁気による測位技術の最新動向など、“地図と位置情報”をテーマにした記事を不定期掲載でお届けします。


 清水建設株式会社、日本アイ・ビー・エム株式会社(日本IBM)、三井不動産株式会社の3社は、コレド室町1~3(東京都中央区)および東京メトロ銀座線三越前駅地下歩道の一部、江戸桜通り地下歩道において、音声ナビゲーションアプリ「NavCog」を活用した屋内音声ナビゲーションサービスの実証実験を2月8日から28日までの3週間、実施している。BLE(Bluetooth Low Energy)ビーコンによる屋内測位を活用したナビゲーションサービスを提供するもので、来街者を店舗や施設に案内するシステムの有効性を検証する。

音声ナビゲーション用地図表示画面

 3社の役割は、三井不動産がコレド室町1~3の店舗紹介やメニューなどの情報、平面図情報を提供。それをもとに清水建設が実験対象エリアにビーコンを設置し、来街者の所在位置を測位・検出する屋内測位システムと、ナビゲーション用の地図を作成した。日本IBMは、スマートフォンを通じた対話による音声ナビゲーションを行う「コグニティブ技術」を活用したシステムや、ナビゲーションのエンジンの構築を担当している。

 今回は、この中から、ビーコン設置およびマップ作成、ナビシステムの構築などを行った清水建設の担当エンジニアである、技術研究所未来創造技術センターIoTグループの貞清一浩氏(グループ長・上席研究員)と五十嵐雄哉氏に話を聞いた。

清水建設株式会社技術研究所未来創造技術センターIoTグループの貞清一浩氏(右)と五十嵐雄哉氏(左)

研究開始は2001年、建物内の人の滞留の把握から、より高精度な座席単位での位置情報取得へ

 屋内測位サービスの実証実験というと、IT関連の企業や地図サービスの提供会社が行うことが多く、清水建設のような大手建設会社が実施するのは珍しい。しかし、実は清水建設による屋内測位の研究を開始したのは2001年と、かなり昔に遡る。もともとは内線電話用構内PHSの基地局をもとに、建物内のどのエリアにどれくらいの人が滞留しているかを把握する研究などを行っていたが、より高精度な屋内測位を意識し出したのは、東日本大震災により節電の必要性が高まったころだった。

 「従来から行っていた“人が多く滞留しているところに絞って空調や照明の制御を行う研究”を進化させて、個人の嗜好に応じて快適性を損なわないように、座席周辺の環境のみを調整するという話になりました。そのために必要となったのが、人の位置情報を座席単位での高精度で個別に取得する技術です。」

 屋内測位の重要性を認識していた清水建設は2015年5月、屋内測位やナビシステムなどの実証を行うため、清水建設の技術研究所内に常設体験施設「親切にささやく場」を開設。IBM東京基礎研究所の技術協力を受けて、視覚障がい者向けの音声による屋内外歩行者ナビゲーションシステムを開発した。同システムは、IBMとカーネギーメロン大学(CMU)が開発した、視覚障がい者のナビゲーションを支援するオープンプラットフォームを活用した音声ナビゲーションアプリ「NavCog」を利用するもので、今回の日本橋室町における実証実験でも同じアプリを使用する。アプリはApp Storeから無料でダウンロードできる。

 「NavCog」は、屋内測位にBLEビーコン(iBeacon)を活用する。今回の実証実験では、対象エリアとなるコレド室町1~3の商業エリアおよび付近の地下歩道の計約2万1000平方メートルに224個のビーコンを設置した。使用したビーコンは、特にカスタマイズなどは行っていない市販品(アプリックス社製)だという。

 「ビーコンは、密集して配置すればするほど精度が向上すると思いがちですが、研究所での実験で、あまり多すぎても精度は変わらないということが分かっていました。今回は、5~10メートルにつき1個ずつ設置しています。置いてあるのは、点検口の裏など、隠せる場合はできるだけ隠して、天井が金属製のため裏には配置できないような場合は、天井付近の表側に取り付けました。」(貞清氏)

天井に取り付けられたビーコン

エスカレーターやエレベーターでのフロア移動も、位置情報をすばやく反映

 「NavCog」を起動し、プロジェクトの選択画面で「日本橋室町地区」を選ぶとモード選択画面となる。「車いす利用者」「一般歩行者」のいずれかを選ぶと地図が表示される。屋外の地図にはOpenStreetMapを使用しており、下部のボタンを1回タップするごとにフロアが切り替わり、屋内地図が表示される。

音声ナビゲーション用地図表示画面が示す人物の位置
屋外の地図にはOpenStreetMapを使用

 現在地がマップ上に表示された状態で、右上の検索ボタンまたは左下の音声検索ボタンを押すと検索できる。施設検索では「レストラン・ショップ・施設」などのジャンル別やフロア別で検索できるほか、トイレや授乳室、喫煙所などの施設を探すこともできる。

 音声検索は会話形式でやりとりすることが可能で、「ご質問はなんですか?」という問いに「○○を食べたい」と話すと、候補となる店がいくつか提示され、その中から選ぶことができる。音声認識のエンジンにはiOSのSpeech Frameworkを使っており、検索システムにはIBMが保有するコグニティブ技術(大量のデータをもとに意思決定を支援する技術)を使用している。

検索画面
音声検索も可能

 目的地が決まり、ルート検索を行うと、ナビゲーションがスタートする。「NavCog」の特徴は、ナビゲーション中にルート上の曲がり角に来たときに、「右に曲がる」「エスカレーターを上る」というメッセージとともに進行方向の矢印が表示されるターンバイターン方式を採用している点で、これから向かうルートが上になる「ルートアップ表示」のほか、利用者の進行方向を上向きに表示する「ヘディングアップ表示」や、常に北を上向きに表示する「ノースアップ表示」も選択できる。

検索したルート
案内の一覧

 曲がり角から次の曲がり角への間は、ルート上で赤く表示され、その前後のルートは緑色に色分けされるため、今どこを歩いているのかが分かりやすい。なお、デフォルトのマップでは屋内の店舗名は全く表示されないが、ルート検索を行うと、経路の周辺にある店の名だけ表示される。常にすべての店名が表示されない仕様のため、すっきりと見やすい。

ルートアップ表示の例。他に、ヘディングアップ表示やノースアップ表示も選択可能

 屋内測位の精度は極めて高い。歩き出せば地図上の現在地マーカーがすぐに動き出し、移動方向の変化もすばやく反映される点は、まるで屋外にいるかのようだ。フロアの切り替えもかなり正確で、エスカレーターで上り下りしているときに、フロアとフロアのほぼ中間付近でしっかりと切り替わる。また、エレベーターで移動する際も、上昇・下降が止まって扉が開く直前にフロアが切り替わる。筆者がこれまで体験した屋内測位サービスの中でも、このレスポンスの良さはトップクラスだと感じた。

エスカレーターの途中でフロア表示が切り替わる
エレベーターの扉が開く直前に切り替わる

三点測位方式ではなく、事前に作成した電波状況のヒートマップから現在地を推定する方式

 この高精度な屋内測位は、ビーコンからの距離を電波強度から推測して三点測位する方式ではなく、場所ごとにどのビーコンからどれくらいの強度の電波を受信しているかを事前に計測しておき、それをもとに現在地の電波状況に似た位置を探して推定する方式を採用している。

 対象エリアの電波状況の計測については、当初は1メートル間隔の計測ポイント各点で、人力で電波を計測するという方法を試したが、これでは効率が悪いため、IBMと共同で対策を考え、電動の車椅子の上に乗せて動きながら電波を計測する方式に変えた。これによって計測の工数はおよそ20分の1(自社実験環境での測定による)に減ったという。

 「計測用の車椅子にはLIDAR(レーザーセンサー)も付いていて、3次元マップの点群データとビーコン電波の測位を同時に行いました。コレド室町の場合、夜中はシャッターが閉じており、シャッターに電波が反射して電波環境が変わってしまうため、朝の開店前後の2時間くらいしか調査できません。そこで、いかに効率よくきめ細やかに計測するかが今回の実証実験では重要なポイントとなりました。」(貞清氏)

 「NavCogの測位には、ビーコンだけでなく、iPhone内蔵の加速度センサーやジャイロセンサーを活用したPDR(歩行者向け自律航法)も組み合わせて、ユーザーの移動速度を予測することで精度向上を図っています。また、エスカレーターやエレベーターによるフロア間の移動を検知するために、気圧センサーを使用するとともに、ネットワークデータ(経路データ)に合わせて現在地を補正するマップマッチングも行っています。ただし、マップマッチングについては、カーナビほど強い補正はかけていません。また、カーナビの場合はルートを外れた場合、すぐにリルートされますが、歩行者や車椅子の場合は、新たにルートを引くよりも、振り返って引き返した方が早いので、大きく外れていない場合は『歩く方向が反対です』と、音声で知らせるようにしています。」(五十嵐氏)

 ネットワークデータの作成を担当したのは清水建設およびIBMで、ルート検索はこのデータをもとに行われる。歩行者と車椅子ではルート検索結果が異なり、歩行者の場合ならエスカレーターを通るルートを案内する場合でも、車椅子ユーザー向けのルート検索では、エレベーターを使うように案内する。

視覚障がい者向けのナビゲーション機能も搭載、今後はビジネスモデルを作り上げる必要性

 「NavCog」には、車椅子ユーザーだけでなく、視覚障がい者を想定した機能も付いている。例えば、ルートに沿って歩いて行くと、「右(左)に○○の店があります」と、ルート上の周囲にある店の情報を音声で知らせる場合がある。これは、検索したルートで直線が長い箇所がある場合、視覚障がい者は不安になる可能性があるからだ。

 なお、2月8日の一般公開に先立って、2月1日~7日までの1週間、視覚障がい者45人による試験利用も行われた。アンケート結果は、「厳しい意見も寄せられたものの、おおむね好評」(五十嵐氏)だったという。

 「視覚障がい者の中には、完全に見えない人もいれば、少しは見える人もいて、それぞれ歩き方も異なり、自律航法の精度も違ってきます。屋内測位の精度についても、視覚障がい者の場合は初期位置の場所や方向を自分で確認するのが困難なので、より高い精度が求められます。また、視覚障がい者の方にとっても、このような音声によるナビゲーションサービスはこれまで無かったものなので、それに慣れていただくことも必要です。さまざまな点で難易度は高いですが、だからこそ、視覚障がい者の方に質の高いナビサービスを実現できれば、一般の方や車椅子でも問題なく利用できると思うので、今後も精度向上を目指していきたいと思います。」(貞清氏)

 高精度な屋内ナビを実現した今回の実証実験だが、清水建設としては今後、このサービスをどのように進化させていく方針なのだろうか。

 「今回は3社によるスモールスタートとなりましたが、このようなナビサービスを広めるためには、ビーコンの設置費用や維持・管理費用なども含めて、誰がコストを負担するかというビジネスモデルがまだ存在しないので、そこを作り上げる必要があります。技術的には、ある程度“行ける”というところまで来ましたので、あとはもっとナビ以外の付加価値を出していく必要があります。いろいろな分野で人の位置情報を活用することができれば、誰がお金を負担するかというのも見えてくるし、結果的にバリアフリーのナビも進んでいくと思います。」(貞清氏)

目的地に到着するとアンケート画面になる

片岡 義明

フリーランスライター。ITの中でも特に地図や位置情報に関することを中心テーマとして取り組んでおり、インターネットの地図サイトから測位システム、ナビゲーションデバイス、法人向け地図ソリューション、紙地図、オープンデータなど幅広い地図・位置情報関連トピックを追っている。測量士。インプレスR&Dから書籍「こんなにスゴイ!地図作りの現場」、共著書「位置情報ビッグデータ」「アイデアソンとハッカソンで未来をつくろう」が発売。