インタビュー
新入社員はNIFTY-Serveを知らぬ世代、30周年記念の「社史」で共有するニフティの歴史・我々の歴史
(2016/2/16 06:00)
すでにニュース記事で報じたとおり、ニフティ株式会社は2月4日、創立30周年を記念して、30年の歴史を振り返る社史コンテンツ「The History of NIFTY」を公開した。
特に創業時から、インターネット時代の前に普及していたパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を中心に、時代別・テーマ別に書かれた記事を読めるようになっている。
「The History of NIFTY」は、同社新規事業推進室ブランドデザイン部の社史チームが制作した。その狙いや取り組みについて、新規事業推進室シニアアドバイザーの鈴木隆一氏、ブランドデザイン部シニアスタッフの大谷明弘氏、ブランドデザイン部/イノベーション推進部部長の瀬津勇人氏に話を聞いた。
ニフティ社だけではない「我々」の歴史
――インターネットでニフティの歴史を公開した経緯を教えてください。
鈴木氏:
今年がニフティの創立30周年となります。サービスは、会社ができて1年で開始したので、来年が30周年ですが。
30年間事業をしていて、なかなかお客様に感謝を伝える機会がない。もちろん、一番いいのはよいサービスを続けることで、それはずっと取り組んでいることです。それ以外に、何かの形で感謝を伝えられないか、というのが出発点でした。
特にニフティはお客様に育てられた会社なので、共に語りあえる場ができないかということで、ウェブで公開する形にしました。サイトのタイトルこそ「The History of NIFTY(ニフティの歴史)」ですが、ホスト名は「ourhistory.nifty.co.jp」となっており、この「our」は、ニフティだけではなくお客様も含んだ「我々」を意味しています。
大元となるきっかけとしては、2011年の東日本大震災の復興支援活動がありました。被災された方やボランティアなど、多くのニフティ会員にお会いし、初めてでもニフティの仲間として親しくお話していただきました。この時に、何らかの恩返しができないかと考えるようになり、日本社会情報学会の柴田先生に協力して、流された写真を復元して持ち主にお返しする「思い出サルベージ」などで活動しました。
続いて、日本のネットサービスの黎明期においてニフティがその一端を背負った、少なくともその当時はベンチャー企業としていろいろなチャレンジをしてきたという自負から、そのことを残そうと思いました。起業時のCompuServe社との提携や、その後のSix Apart社との提携など、グローバルな展開をしてきました。それにともなって、マーケティングの知識を海外から取り入れたり、システムのスケーラビリティのために技術的なチャレンジをしてきたりといった歴史が、若い人にも参考になるのではと。
ただし、従来のような社内向けの紙の社史では、社外には伝わらない。インターネットの企業なので、ウェブで公開し、かつコミュニケーションがとれるようにしました。
今のバージョンは、見るのは誰でもできます。ただし、コメント投稿はニフティ会員だけに制限しています。TwitterやFacebook上では共有して反応していただいていますが。これを、次期バージョンではFacebookのアカウントでコメントを投稿できるようにしようと考えています。将来的には、ニフティのフォーラムのようなコミュニティができればとも思っていますが、それはまだ夢の話です(笑)。そのほか、スマートフォンで見やすいようにすることなども検討しています。
大谷氏:
もうひとつ、我々の思いとして、パソコン通信時代の歴史を何とかおさえておきたいという気持ちがありました。インターネットにはウェブ以前のパソコン通信時代の情報がほとんどない、個人の思い出話ぐらいしかない。インターネット前だから当然のことで、ある意味、紀元前の情報なんです(笑)。ただ、当時のパソコン通信の盛り上がりがあって、そうしたオンラインコミュニティの活気がインターネット時代にも続いて今がある、という思いです。
社史の記事を題材に長文を書き綴る人も
――ソーシャルメディアの反応など、感触はいかがですか?
鈴木氏:
一般向きのコンテンツではないので、爆発的にアクセスが集中するという性質のものではありませんが、ユニークユーザー数で8000人強ぐらいだと思います。
大谷氏:
公開してまだ1週間もたっていない(※インタビュー時点)ので、これからいろいろ出てくると思います。この数日で見た範囲では、貴重な情報を載せてくれてありがたい、というコメントなどをいただいています。
瀬津氏:
我々のサイトを題材にして、Facebookで長文を書いている方もいます。例えば、吉村伸さん(元IIJ/WIDE)は、NIFTY-Serveとインターネットのメールをいかに相互接続したか、その仕組みを考えた当時のことをFacebookで書き綴っていました(と、プリントアウトを見せる)。
――これは貴重な文章ですね。
瀬津氏:
そのような方々が参加してくれて、単なる振り返りではなく、NIFTY-Serveがネットワークカルチャーを牽引してきたことを確認したい。弊社のパソコン通信を知らないような若い社員にも、自社に誇りを持ってほしいと思っています。
――ちなみに、現在入社してくる若い人にとって、ニフティのイメージは?
瀬津氏:
やっぱり多いのは、プロバイダー事業や「デイリーポータルZ」でしょうね(笑)。
ただ、ニフティの遺伝子として、お客様と一緒に作っていくという、オープンであることとコミュニティということが受け継がれています。「デイリーポータルZ」や、イベントスペースの「東京カルチャーカルチャー」なども、そうしたネットワークカルチャーを踏まえた取り組みだといえます。
会員誌「ONLINE TODAY JAPAN」からフォーラム活動を振り返る
――NIFTY-Serveのカルチャーとしては、フォーラム活動は掘り下げがいがありますね。
瀬津氏:
5年前の25周年の時にも、フォーラムの同窓会を東京カルチャーカルチャーで開催して、驚くほど盛り上がりました。入社2~3年目の若い人が「すごい会社に入っちゃった」とツイートしていたことが印象に残っています。
今回の30周年でも、3回ぐらいイベントを開催したいと考えています。
大谷氏:
NIFTY-Serveでは、オフラインイベントが、びっくりするぐらい盛んでしたね。(「The History of NIFTY」のオフラインイベントのページを見せて)主賓にカズ(サッカー選手の三浦知良氏)を招いたイベントが開かれたり、素人じゃ行けないところへ行ったり。このように、びっくりするようなイベントが毎月どこかで行なわれていました。こういうことは、ぜひ記録に残しておきたいですね。
――こういう写真は社内に残っていたのでしょうか。
大谷氏:
実は、多くはニュースレター「ONLINE TODAY JAPAN」に毎号掲載されていたオフ会レポートからスキャンしました。
「ONLINE TODAY JAPAN」は会員向けに発行されていた紙の情報誌です。最初は会員全員に、途中からはエグゼクティブオプション設定者全員に送っていました。1997年からは「NIFTY SERVE MAGAZINE」として市販もしました。
「ONLINE TODAY JAPAN」では、フォーラムの座談会や活動報告など、その時々のトピックを掲載しました。外部のサービスを紹介するコーナーや、有名人にNIFTY-Serveを使ってもらう記事などもありました。
過去の「ONLINE TODAY JAPAN」は、ほとんどデジタル化されていなかったので、社史プロジェクトを機会に、スキャンするプロジェクトもあわせて進めました。現在のオフィスに移転した時から、ペーパーレス化の動きがありましたし。
ちなみに、移転の時に発見されたものもありますし、社員が写真をたくさん持っていて提供されたものもあります。最近も、ニフティの名前が入った川崎フロンターレのユニフォーム(1997年)を持ってきてくれた社員の人がいました。
社史編纂にあたり150人以上に取材、社員やOBが当時の思い熱く語る
――制作で苦労したことなどはありますか?
大谷氏:
社史編纂のプロジェクトが2014年にスタートして、150人以上の社員やOBに、印象深かったことを中心にさまざまなトピックを話していただきました。みなさんに楽しんで話していただきました。
鈴木氏:
ほとんどの方が、最初は「もう話すこともない」「もう忘れた」とおっしゃるんですね。そこで、手掛けたサービスに至るまでの話からしてもらいました。すると自分の話なので話しやすい。そうやって話に勢いがついたところで、本題のサービスを聞くことにしました。サービスを立ち上げた背景も分かるという点も重要です。
そのようにして話してもらうと、予定していた時間の最後の10分ともなると、みなさん話が止まらなくなるんですね(笑)。思いを持ってサービスを作ったので、それを自分の言葉で語ると熱くなる。時間ギリギリまで、熱く語っていただきました。
瀬津氏:
実は私もインタビューを受けました。今はなき「MOOCS」という音楽配信サービスをやってた時の話なのですが、最初は私とインターネットといった話を十数分して、それからMOOCSの話になりました。
大谷氏:
OBのみなさんにもいろいろ語っていただきました。特に創業当時の方からは、富士通や日商岩井から出向してきて、いかにNIFTY-Serveのサービスを立ち上げたかという苦労話を聞けました。
中でも印象的だったのは、当時、アスキーネットやPC-VANなどが先行していた中で、NIFTY-Serveを成功させるための施策にチャレンジした話ですね。まだオンライン決済がなかった時代に、クレジットカード会社と「アメリカのCompuServeではクレジットカードで会費を払っているのに、日本ではなぜだめなのか」と交渉して回った話など、社史の記事にも書きました。
変わらないのはコミュニティ的なマインド
――パソコン通信時代の話は興味深いのですが、その一方で、若い人に通じないこともあったのでは?
鈴木氏:
そこが問題ですね。できるだけ分かるように、サービスの説明を加えて、注なども入れました。まだまだ不十分だと思っているので、これからも補完していきたいと思います。
瀬津氏:
実は社史を、インターネットで公開する1年弱前から、社内で公開していました。その中から抜粋して、公開にそぐわない内容を書き直したり、加筆したり、注を加えたりしたのが公開版です。
大谷氏:
社内版は、金額や社員名、その時に考えたことなど、生々しいことが書かれていたので(笑)。公開版では、当時の役員以上だけ実名にしました。
瀬津氏:
この社内版で約1年間、社員の反応を見ました。1年間揉んだのが功を奏したと思います。みんなで参加できる社史というコンセプトで、インターネットでもみんなが参加できるという考えにつながっています。
鈴木氏:
新人教育の1つでも使いました。各自の自分史と世の中の動きを対比して並行させものを作るという課題で、そこから社史をリンクしていくというものです。新入社員からは「生まれたころにこんなサービスがあったなんて」と、自分の会社を見直して愛着が高まるきっかけになって、非常によかったと思います。
ユーザーのみなさんも同様に新しいことが見えてくるのではないかと。そのようなソーシャル社史のようなものを当初から考えていました。
――社内版での反応は?
大谷氏:
ベテランの方々が、情報を寄せてくれました。
瀬津氏:
エピソードを投稿できるようにしたので、何人か投稿したり写真を送ったりしてくれました。若い人は、研修のような形では興味を持ってくれましたが、社史として見せられても接点がないようでした。
ただ、ニフティの業務内容が、パソコン通信からプロバイダーへ、そしてクラウドへと変わっていく中で、コミュニティやカルチャーというところで一貫していることを確認できました。
改めて見てみると、ニフティには何回かのターニングポイントがあって、いつもチャレンジをしてきたのだなと。それも、ユーザーさんにオープンに、気楽にやってきた。それがニフティのマインドなのだと思います。コミュニティ的なマインドですね。
今回も「ニフティなら、きっとかなう。With Us, You Can.」というメッセージを掲げました。社史をオープンにすることが会社にどんな利益になるかというと、それは疑わしい(笑)。でも、オープンにすることで、社会全体に還元できる。それが、最初から鈴木や大谷たちと言っていたことです。