講談社、五木寛之氏の個人全集をiPhoneアプリや電子書籍で配信


講談社の野間省伸社長(左)と五木寛之氏(右)

 講談社は6月14日、五木寛之氏の個人全集「五木寛之ノベリスク」をiPhone/iPad用アプリ、Androidアプリ、電子書籍で7月より配信開始すると発表した。アプリでの作家の個人全集発行は国内初。第1期配信作品は全32タイトルで、価格は「青春の門」全14タイトルは各350円、「親鸞」上下巻は各1200円。「さらばモスクワ愚連隊」などの短編と、毎月内容を変えて提供する短編3本セットは115円で販売する。

 個人全集ということで、第1期では講談社が版権を持っている作品を配信するが、今後は他社で版権を持っている作品なども他社の協力を仰いで配信していきたい考えだ。

 配信は、iPhone/iPad向けアプリ、Androidアプリ、.book形式による電子書籍の3種を用意。iPhone/iPad向けには無料のアプリをApp Storeで提供し、アプリ内のショップから各作品の購入およびダウンロードを行う形となる。6月末にアップルに配信申請を行い、審査を通過しだい配信を開始する予定で、App Storeでの配信時期が決まりしだい、Androidアプリ、電子書籍もそれに合わせる形で配信を開始する。

 PCおよびAndroid端末向けには、NTTドコモやau、ソフトバンクなど各キャリアの電子書籍ストアをはじめ、紀伊國屋書店BookWebやBookLive!など合わせて10以上の電子書店で配信する。


「1年度をめどにすべての新刊を電子化できる体制を作る」野間社長

講談社の野間省伸社長

 講談社の野間省伸社長は、「五木寛之ノベリスク」の電子出版について、「今回第1期で配信する『親鸞』は講談社創業100周年企画でもあり、講談社にとっては記念碑的作品になる。親鸞の書籍は67万部発行しているが、昨年ウェブ上Web上で無償公開したところ、125%に売上げが伸びた。紙と電子は競合しない、むしろ相乗効果を生み出していくものであるというのが、もともとわたしの持論。今後紙の作品ではできないいろいろな実験を通して、マーケットを拡大していきたい」とコメント。

 五木寛之氏の小説「親鸞」については、6月には「親鸞」文庫版を、その後新聞44紙で連載中の「親鸞激動編」を出版する予定だとして、野間氏は「五木さんの作品を(電子化することで)これまで読んだことがなかった若い方など、より多くの人に読んでもらいたいと考えている。電子化して多くの人に知ってもらい、それによって紙のプロモーション、マーケティングなどをどうやっていくのか。それはいまどこの出版社もできていないところで、われわれも現在、さまざまな施策をこれからやっていこうとしているところだ」とコメント。五木寛之氏の全集でいろいろな施策を行い今後につなげたいとした。

 また、新潮社は5月に作者の許諾を得られなかったものを除き、今後新刊書籍すべてを電子化していくと発表したが講談社では、という質問に「表にはまだ言ってないんですが、1年度をめどにすべての新刊を、実際出すかどうかは別にして、電子書籍にできるような体制を作り上げようと社内では言っている」と回答。2012年までには新刊書籍は電子出版もできる体制を作る方針を明らかにした。

 また、「電子書籍としての発展が将来的に築かれていった結果、紙の書籍とは違うものになる可能性もある。わたしも(電子書籍と紙媒体は)違うものと思っている。紙でも販売しているタイトルについては紙の書籍より安い価格設定になっているが、電子書籍は、まだ紙の書籍と比べると質的には低いと考えている。質の低いものは安くなる。また、より安い方がより多くの人に読んでいただきやすくなるということもある」と述べ、紙の書籍に比べて電子書籍は、読むメディアとして質的にはまだ低いとの認識を示した。

 電子化対応の方針としては、「いま、講談社では紙の書籍として稼働しているのが年間2万点強ある。まずはそのくらいのラインナップを電子書籍でも揃えなくてはいけない。合わせて出版する新刊をどんどん電子化していく。その後、古い書籍を電子化していく」として、現在紙で動いているタイトルから着手し、その後過去の出版物の電子化にも着手する方針を述べた。


五木氏「この5年間ほどは落胆の中で、電子書籍の推移を見てきた」

五木寛之氏

 五木寛之氏は、最初に「気軽にお話しようとぶらりと来たら、こんなにたくさんの記者さんがいるので、まるで東電の記者会見のようでびっくりした」とユーモアを交えて挨拶。

 電子書籍については五木氏は早くから興味を持っていたという。その理由として、(1)新しい技術、メディアに対する関心、(2)容量制限がない電子書籍の普及で、現在持ち歩いている重い資料が軽くなるのではという期待、(3)埋もれてしまった作品にもう1回光を当て、読んでもらえるのではないかという期待、の3つを挙げた。

 しかし、「それが、一部実現した部分もあるが、大部分が実現されていない。この5年間ほどは落胆の中で、電子書籍の推移を見守ってきた」と述べた。

 五木氏は、「昔、音楽の仕事をやっていたんですが、スタジオの仕事がだんだんメカニック優先になっていった。ディレクターやプロデューサーという人が指示を出して音楽を作っていたのが、デジタル化され、現在は非常に音作りが複雑。オーケストラの演奏でもパートごとに別録りをするといった状況だ。そうなるとディレクターの仕事がアシスタントのようになってしまう。いまはエンジニアがメインで音を作る時代。そういう意味で、いまはエンジニアの時代なんです」と音づくりや映像作りでも技術主導の世界になっていることに言及。

 五木氏はしかし、エンジニアリング優先という現状に疑問を持っているという。「スティーブ・ジョブズが言ったとおり、いちばん最初はアイディア」だと述べた。

 電子書籍リーダーについても、「読みやすく、読んでいて紙の本のように快感があるものが必要。これまでの電子書籍リーダーはエンジニアが作っているから美的感覚がない。この機械はこういうふうに動きますという説明ばかりで、『ああ、いいね。これなら文庫本持って歩くよりいい』と思わせるものがない」と、技術主導のもの作りに苦言を呈した。

 一方で五木氏は、「わたしは対談キングと呼ばれるくらい、対談相手は1000人を超えている。また、日刊ゲンダイの『流されゆく日々』(連載エッセイ)は36年間1日も休まずにやってきた。こうしたものは、電子の無限の容量の中でないと、紙媒体には絶対に全部入れることができない」として、紙媒体にない電子媒体のメリットを挙げた。

 また、電子書籍の価格については、「価格はレアなものに関しては、高くてもいいと思っている。『親鸞』執筆にあたっては、法蔵館という出版社の書籍を資料としてよく使っているが、そういう書籍なら、高くても買います。そういうレアなものがないからいまの電子書籍はダメだと思う。レアなものは高くてもいい。本のレア度に関して、価格をつけていく。5千円を出しても欲しい、そういう人がいます。わたしもそのひとり」とコメント。

 「各社の電子書籍サービスで、タイトル数が何千冊とか何万冊とか言っているのでは話にならない。全地球上の書籍が電子化されているというくらいやってほしい」と述べ、容量は無限という長所に期待はしているが、現実のタイトル数がまったく足りていない点を指摘した。

 

「埋もれた作品に光をあてたい」

電子版の個人全集「五木寛之ノベリスク」を表示したタブレットおよびスマートフォン端末と、「親鸞」書籍

 今回の全集で短編3作品をセットにして115円で販売するのは、五木氏の発案だという。

 五木氏は、「短編の中で、とくに自分が愛着があり、ぜひ読んでもらいたいと思う本が次々に絶版になっていく。書店に行って並んでいる本は、自分の全作品の2%くらいではないかと思う。全作品の7割くらいが廃刊になっている。以前は図書館に1冊あれば、破れたり汚れたりしても補修して読んでもらえたが、いまは図書館でも変色したりすると廃棄されて、図書館からも消えていく。自分の愛着のある作品が消えていくというのが一番つらいことなんです」と廃刊で読者の前から消えていく作品の多さを訴えた。

 短編115円という価格についても、App Storeで課金する場合の最低価格が115円なので115円で販売するが、五木氏としては「1作品10円でもいいと思っている。ただ、115円が最低価格なんです」と、埋もれている作品を読んでもらうためにできるだけ安くしたいが、有料配信のビジネスとしての壁があることを指摘。

 全集でも収録できない作品があった場合には、「著作権料を放棄して青空文庫にお願いして、無料でいいから多くの人に読んでもらいたいという気持ちもある」として、「五木フリー文庫というのがあってもいいと思う。あるいは、今回のノベリスクの中でおまけというか、これを購入してくれたならおまけに付けますという形で配信するというのもあるんじゃないかなと思っている」と述べた。

 続けて著作権についても言及。「著作権についてはいろいろな見方がある。わたしは、著作権保護期間の20年延長には賛成ではない。個人的には、著作権は死んだときに終わっていいと思っている。埋もれている作品を出してくれるなら、むしろこちらで少し金を出してもいいから出してほしいという気持ち」とコメント。「ちょっと過激と叱られるかもしれないが」としながらも、著作権に関する五木氏の考えを述べた。

 五木氏はまた、「電子書籍を読む人たちは、基本的にタダ(無料のコンテンツ)を期待しているんじゃないかという気持ちが大きいです。その中にビジネスを持ち込むことがどれほど難しいか。ただちにビジネスにはならない。時間がかかります。その中で、今回講談社が差し出してくれた器に乗るということは、非常に光栄でもあるが、ある意味捨て石という気もしますが(笑)」とジョークも交えて電子書籍ビジネスの難しさを指摘した。

 

読者に愛される電子書籍を作るには、技術者と編集者のチームワークが不可欠

 記者から「帯の推薦文や見返しなど、紙の本の良さは電子書籍ではありませんが、それについてさびしいと思われることは」との質問に五木氏は、「旧世代の人間だからそれはあります。でも、それは慣れだと思います。新しいメディアには違う良さがあり、新しい使い方ができると思う」と即答した。

 「今の活字は、紙に印刷するために100年かかって作ってきたもの。電子書籍には、電子書籍用の活字から、誰かが作らなくてはならない。それをやらないで、紙の書籍用の活字をそのまま使っていてはダメだと思う。いま、たとえば山崎さんという人が電子書籍用のフォントを作れば、山崎フォントということで、これは百年後も残りますよ。」

 「わたしは空冷エンジンの頃のポルシェなんかも乗り回してきたが、いまの新しい車にも興味がある。それは性能だけではなくて、デザインなど、ものとして愛することができるものになっているからです。それに対して電子書籍は、ものとして愛するものになっていない。そのためには、書籍は文系の人が作って来たわけですから、現在のエンジニア優先の世界で、技術者プラス編集者、このチームワークが絶対に不可欠であるし、編集者が非常に大きな役割を果たすと思います。」

 「紙の本は日焼けするし、湿気で歪んで汚くなっていく。大事にとっておいてもそうなってしまう。グーテンベルグが活字印刷を始めた頃には、きっと、羊皮紙にペンで手書きした本の良さは、金属の活字で印刷した本なんかでは代えられないときっと言っていたと思います。だからそれは大丈夫です。」

 


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(工藤 ひろえ)

2011/6/15 00:00