特別企画

「パチンコガンダム駅」はなぜ生まれたか? Apple地図騒動の本質とは

 「パチンコガンダムという名前の駅がある」「羽田空港が大王製紙に」「東京都公文書館が海の中に」「尖閣諸島が2つある」――今年9月、AppleがリリースしたiOS純正の地図アプリの完成度の低さがネット上で話題となったことは記憶に新しい。その後も、Appleトップのティム・クック自らが公式に謝罪、iOS担当の役員が更迭されるなど、ちょっとした「騒動」にまで発展した。

 今回の問題は、Appleが、iOS標準となるマップアプリを、従来のGoogleマップをベースにしたものから、完全自社製のものへと切り替えたことが、直接の原因となっている。

 なぜ、このような問題が起こったのか。なぜ、Appleは完全自社製のマップアプリにこだわったのか。スマートフォン時代に求められる地図サービス、位置情報サービスとはいったいどういうものなのか。今回の問題は、ビッグデータ、O2Oなど最新のビジネス動向と、どういった関係があるのか。

 Appleやスマートフォンの事情に詳しい、ジャーナリストの西田宗千佳氏(@mnishi41)と、Yahoo! JAPANで「ルートラボ」など位置情報サービスの開発にあたる地図のスペシャリスト、河合太郎氏(@inuro)に聞いた。(後編はこちら)

ヤフーの河合太郎氏
ジャーナリストの西田宗千佳氏

「Appleのマップはよくできている」?

iOS 6純正の地図アプリに突如として現れた「パチンコガンダム」駅。現在も修正されていない

――今、こんなに地図サービスが注目を集めるようになったのって、やはりAppleの新しいマップアプリの出来にみんな驚いた、というところがあると思うんですね。あれだけユーザー体験にこだわっている会社が、なんで「パチンコガンダム駅」が出てくるようなマップを作ってしまったんでしょう。

西田:ダメだダメだと言われているんですけど、実はソフトウェアとしてはよくできているんですよ。ダメなのは圧倒的にデータ。要は地図の上に乗っているデータはひどいんですけど、地図のテクノロジーとしては、すべてベクトルデータで描いて回転させるとか、他のアプリケーションと連携させる仕組みとか、よくできてるんです。でもそれがユーザーの価値に適っているかというとまったくそんなことはないっていうのが最大の問題なんですよね。

 あそこまでアプリケーションの上物、枠はできる会社が、地図データの変換だとか管理だとかというところについて、サービス・リリースに至る段階でも、ここまで粗雑だとは思わなかったというのが本音ですね。

河合:同じ印象ですが、むしろAppleっぽいなと。Appleはわりと手元のクオリティはすごく厳しいじゃないですか。でもiBooksとかもそうですが、上物や仕組みはすごくよくできているのにコンテンツがない。

 たとえばGoogleの最初の地図も僕ら地図屋は「なんだGoogleもこの程度か」みたいなこと言っていたんですけども、どんどんどんどん向上していった。彼らは全世界のデータを取ろうとしつつ、けっこう細部細部、ローカルにまで降りて行ってるんですね。国内の地図関連のコミュニティにも来て情報交換したりして。

 でもAppleはわりと仕掛けのところまでしか手を伸ばさないんですよね。そこから先はコンテンツプロバイダー任せ的なところがあって。でもiBooksなら“本がない”で済んでユーザーが不利益を被るわけではないところでも、地図だとそれが通用しなかった。手の届く範囲と影響を見誤ってた感があるのかな、と地図屋的には見てます。

Apple地図を立て直すには

西田:ただ一点だけフォローするとアメリカの地図は少しマシなんですよ。僕が観測する範囲では、特に炎上しているのは日本とイギリスなんですよ。それはどういうことかというと、クルマで移動していないところ。都市の中でのポイント情報や鉄道とかの連携が重要な土地ではまったく彼らの地図ポリシーが生きていない。これがアメリカのような、ロードサイド中心で動いて、食べ物の店だとかモールだとかがなんとなくわかれば生きていける、という場所では我々が感じるほど炎上していなかったみたいです。

 問題なのは、日本とかイギリスだとか、アメリカで暮らしている感覚では掴み切れないニーズが大量にあって、それに合わせて地図をローカルフィットしなきゃいけない場所で何もできていない。だからこそ日本のユーザーは開いた瞬間になんじゃこりゃって思ったというところだと思うんですよね。

――河合さんがもし、今のAppleのマップを立て直すとしたら、どこから始めますか。

河合:西田さんが言われた通り、ローカルのニーズがイギリスや日本、アメリカ、各国で全然違うわけです。今はAppleが一括でデータを仕入れて全世界共通のポリシーでパブリッシュしてるわけですが、それがローカルのニーズをフォローしきれていない。もし自社できめ細かいフィットをやるつもりがない、やれないんだったら、“Appleの地図体験”として最低限満たすべき要件、たとえばデザインガイドラインなどを定めた上で、それぞれの国に一番合ったものを作ってください、とローカルの企業に大幅に委譲しますね。

 地図がユーザーのiPhoneに届くまでには、元の地図データがあって、足りない部分を別のコンテンツプロバイダーから仕入れそれをマージし、どの要素を表示するか・どう描画するかというデザインを行ない、実際にデータを生成して、それを配信し、アプリがそれを表示する、とこれだけの段階があるわけです。今は大元の地図データのみを移譲しているところを、配信の手前、あるいはアプリの手前までを移譲する。クライアントのアプリは優秀なわけですから。

ローカルで成功したiTunes Storeと、失敗した地図サービスの違い

西田:Appleがそれをできていないかって言うとそんなことはなくて、実は例があるんです。それがiTunes Store。iTunes Storeは各国に会社があって、それはその国のApple製品を売る部隊とは別に、本社の直轄になってるんですね。

 彼らは何をやっているかっていうと……、たとえばiTunes Storeのバナーがあるじゃないですか。あれって現地の、たとえば日本にローカルにスタッフがいて、音楽、たとえばレーベルから売れ筋を聞いたり、スタッフがテレビ番組やニュースを見てつかんだトレンドだったりを基本に、その場で入れ替えているんですよ。なぜかといえば、あそこに置いてあるバナー一個二個で売上が変わっちゃうっていう体験を、彼らはしているからです。

 結果、国ごとにコンテンツ調達も必要だし売り方も必要だから、ということで組織を分けている。日本だとアイチューンズ株式会社というのを作って、そういうコントロールさせているんですね。本当だったら地図だってローカルにいろんなビジネスがあるんだから、そういう会社を作って、全体の体験を作るために地域に権限を委譲するっていうパターンを取るのが、河合さんのおっしゃる通り、一番適切なんだろうなと思いますね。

河合:たしかにiTunes Storeはその形態ですよね。多分それは売上に直結して、本部で数字がガーッと見えるから、意志決定しやすかったんだと思うんです。ただ、地図の場合、ユーザー体験には直結しているんだけども、地図サービスで会社が儲かるというところまでは、階段をいくつか上がって行かないとまだ届かないという。

 しかも厄介なのは、ベースになる地図サービスが支持されていないと、そこに情報を載せたところで誰も使わない。なので、無料体験で支持を得なければビジネスも始まらない、というところが鶏と卵になるんですよね。ビジネスとして、地図のユーザー体験がどれだけクリティカルなことか、ということが非常に想像しにくいんです。

――ローカルに根付いて、ということを考えると、Appleの問題に限らず、1カ月2カ月でできることじゃないですね。

河合:本当にそうです。iTunes Storeの例ですと、先のお話しのような更新の体制を一度作ればたぶん回っていくじゃないですか。でも地図の場合って、たとえばAppleのアプリも右下をめくるとちっちゃくリンクで「問題を報告」というのが出ますけど、あれを実際報告受けて直してっていうところを体制構築するのがものすごく大変なんですよ。

 弊社の例だと、ゼンリンさんから年に数回、大元の地図データがやって来るんですね。量が膨大な上に、基本その都度全部差し替えです。その配信と配信の間に「新しく建物ができた」とこちらで独自に直したデータも、全部また上書きされちゃうんですよ。なので、元データとは別のレイヤで独自の修正を行い、それをマージして即日反映、みたいなところを構築するのにやっぱりすごい時間とノウハウをかけてやっています。この、継続的に高いユーザー体験を提供し続ける体制を作るっていうところが地図の場合iTunes Storeの例よりもさらに困難で、Appleもこのあとにもう一段階、難しい時期が来るんじゃないかなと。

Appleのマップアプリの右下をめくると出てくる「問題を報告」リンク

――ものすごくマンパワーがいる作業ですね。

河合:そうですね。たとえば新しくショッピングセンターができましたっていう情報が来ると、建物の形状データを入手して、人が手で描いて、ショッピングセンターだ、商業施設だみたいなメタデータを付けて、システムに登録して、とその一施設を反映するのにこれだけの手間がかかるわけです。そこを自動化しようとすると、頂くデータの形式が統一されてるか、あるいはアルゴリズム側が進化してどんなデータでも食えるかってなるしかないんですが、どちらもなかなか難しい。

 百人とかそういう規模でやってるような作業ですが、有名施設に対応するだけで手一杯です。Appleのマップでもそれこそパチンコガンダム駅とかあれほどメジャーじゃなくても、自分の家の近くの知っている店とかを報告している人はそれなりにいらっしゃると思うんですけど、それらを全て対応するのは極めて困難だと思います。

西田:iTunes Storeがああいうふうに回っている理由って、少ないスタッフでもきちんとした能力があるスタッフがいれば効率的に回るからだと思います。たとえば音楽だったら、多分音楽の各ジャンルをわかっている人間は、数人ずついればオッケーなんですよ。しかもそれを24時間体制で回したってたいしたことはない。でも、間違いなく地図の場合って、一人一人の能力以上に、マンパワー。

――単純に考えて、管理しなきゃいけない事柄の量が全然違いますね。iTunes Storeと、日本全国地図では。

河合:しかもAさんとBさんの要件がバッティングしたりもするわけで。ここにうちの床屋が表示されるべきだ、いやうちの酒屋が、みたいな。なぜうちの店が載っていないんだみたいな話はどうしても発生します。音楽と違って地図の場合、そのお店がそこにあることは事実なので、表示される必要条件は全てのお店が持ってますから。それをたとえば自由投稿にして、投稿したもの全てが表示されるっていうふうにしても、文字が重なっちゃったら地図として使い物にならない。そういうことが起こってくるんです。

――結局いい地図を作るっていうのはそういうレベルまで見ないとできない。

河合:そうです。以前弊社内でも「地図なんて検索結果を乗せる土台だ」「究極的にはもう写真でいいじゃん」みたいなことを言われたことがあったんですね。だけど、実際そうしてみるとまったく使いものにならない。検索結果だけ地図に表示しても、コンビニの角を曲がったところにそのお店があるってのがわからないとダメで、ある程度情報がないといけないんです。

 しかもその情報は、各地の人の行動パターンに非常に依存していて、ロードサイドだったらクルマから見えるものを並べるとか、でも電車生活者だと駅のほうがいいのか、日本国内でも地方と都市では違ってくるはずなんですけど。

 そのくらい、ユーザーの足元に近づいて初めて、たとえばiTunes Storeで「こいつわかってるな」っていうセレクション、それと同レベルの体験がようやく提供できるという、非常に幅が広過ぎてメドが立たない問題なんですよね。

ヤフー、Google、Bing……同じ「マスターデータ」でも地図が異なるなぜ

――もう少し、地図を作るところについて掘り下げましょう。正直なところ、地図サービスって親になるマスターデータみたいな完成されたものがあって、Googleなりヤフーなりはそれ借りてるだけじゃないかってなんとなく思っていたんですよね。普段、あまりにも質の高い地図を使っていたものだから。それは全然違うんだ、という。

河合:Googleもヤフーも、あとBingなども、国内はデータがゼンリンさんなんですよ。なのにどれも全然違う。同じデータが提供されていたとしても、サービスとして構築すると手法によってものすごく違いが出ちゃう。

ヤフー、Google、Bingで同じ場所を表示したスクリーンショット

 そのまま使える「マスターデータ」ってものはなくて、マルチソースなんですね、基本的に。足らない店舗情報については、どこかから情報補ったりしますし、そのコンテンツプロバイダーもコロコロ変わりますし、ものすごくカオス。出処が怪しいデータとかもけっこう混ざってきますしね。

西田:店舗系のデータだと、複数の所から得たデータをマージして、信頼度で分けて使うんじゃないのかなと思ってるんですけど。

河合:そうですね。電話帳やゼンリンさんの地図に載っているデータといったボリュームの大きいものが基本で、それ以外のコンテンツプロバイダーさんからも頂くんですけど、表記がバラバラとかは日常茶飯事で、電話番号が違うし名前も違うけど明らかに同じ店だとか(笑)しかもその辺は街によっても違ったり。たとえば東京と京都のノウハウは全然違うとか。

――地域によってデータ収集したりだとか、まとめてるとこが違うと。

河合:各地方の自治体さんからもらうこともあって、そうするとデータがExcelで来るとか……。

西田:日本の出版社と行政ほど、今の時代にまともにデータを使えていないところはないですね。

河合:3.11の時に、弊社が電力メーター出しましたけど、あの時最初は画像で来てたみたいで。なので、データでくださいって言う間、放っておくわけにも行かないので、エンジニアが画像のピクセル位置から解析してそこから数字を抜いてデータに起こすというプログラムを書いてしのいでいたらしいです(笑)

Appleのマップと楽天koboの共通点

西田:楽天がダメな理由も実は理由が似ていて。出版社ごとに「書誌データください」ってお願いすると、例えばExcelのシートで来るわけですよ。ところが、フィールドは埋まってないわ順番が違うわ、もっと言うとジャンルコードもバラバラ。それをそのままサーバーにぶち込んでも、検索に引っかかるはずがないんですよ。

――Appleのマップとどこか……。

西田:そうですよ。koboの問題の本質と、Appleのマップの問題の本質はまったく同じです。

河合:似てますね、本当に。フロントエンドのところはよく出来ているけど、データのプロセッシングとか、継続的にフォローしていく所が全然ダメだったという。

 地図の話でというと、OpenStreetMapあるじゃないですか。あれも非常に象徴的な話で、地図データを作るところ、それをどういうふうなスタイルを付けてレンダリングをするかというようなプロセッシングのところ、後はそれをサーバーに置いてデプロイするところと、クライアントで表示するところという、レイヤがいくつかあって綺麗に分かれてて、OpenStreetMapとFOSS4G(Free Open Source Software for Geospatial、地理情報分野のオープンソースソフトウェア群)による地図は概念的には非常に上手くいってると思うんです。

 だけど、やっぱりデータの密度としては全然足りていない。日本の地図が今これだけすごいって言われているのは、ゼンリンさんがものすごい数の調査員を使って隅々まで周って住宅地図を作っている、というところがすごく大きいんですね。ヤフーもGoogleも基本的にはそこに乗っかった上で成立している品質なんですよ。

 自社で整備したいのはやまやまなんですが、全国を継続的にフォローしきれずゼンリンさんにもう任せるという風にジャッジをした。でもその寡占がいいかというとやっぱりあまり良くないかとは思うんですけど、あれを喜んでやるのはゼンリンさんしかない。

西田:ドコモと似てますね。会社の特質が。震災の後なども、足で歩いて設備回復していましたからね。多額のコストもかけて、今後の震災に備える設備も作っている。

河合:すごいですね。

西田:単純な銭金の話じゃないんです、そこは。たぶんゼンリンさんも、あそこまで綿密な地図を作るのはうちしかいないっていう自負がありますよね。

河合:ありますあります。うちが日本の情報インフラの根幹を担っているっていう自負はすごくあると思いますよ。

(後編に続く)

聞き手・構成 伊藤 大地