「実名制に異論を唱える人はいなくなった」Facebook日本上陸から2年の歩み


 2010年、都内某所の小さなオフィスでFacebookジャパンは始まった。その後、2年間でFacebookは日本でいかに浸透したのか――。

日本オフィス開設時の様子

 3月16日に開催されたFacebookのマーケティング関連イベント「fMC Tokyo」で日本オフィスの指揮を執る日本担当グロースマネージャーの児玉太郎氏が講演。日本版の開発で苦労したところ、実名と匿名の迷いなど、Facebook日本チームの2年間の道のりを語った。

Facebook日本担当グロースマネージャーの児玉太郎氏

 日本オフィスの初期メンバーは児玉氏とカリフォルニアから来た数名のエンジニアだった。Facebookがエンジニアを米国外に派遣するのは日本が初めて。彼らは数カ月前から本社で日本語の教育を受け、来日時には基本的な日本語をすでに身につけていたそうだ。Facebook側も日本の環境に適応しようと努力していた。

 当時、日本におけるFacebookの使い勝手はあまり良いものではなかった。「まず家電量販店で携帯電話をたくさん買ってきた。そして愕然とした。ほとんどの端末でFacebookにログインできなかった。ログインできても文字化けしていた。これでよく日本語版ローンチと言ったものだ」と児玉氏は振り返る。

 こんな状態でどうやって日本語版を開発すればいいのか。数カ月間、夜中まで議論を繰り返したという。たとえば名前表記1つとっても難題だった。日本人ユーザーの名前を英語と日本語の両方に対応させたかったが、「名前の処理はFacebookのプログラムの中でも根幹中の根幹」(児玉氏)であるため難しかった。

苦労した名前表記の画面

 「検索を含め日本語名を正しく処理するためには、いろいろなエンジニアとの調整が必要で、もっとも苦労したことの1つだった。いまでは日本がこの部分の開発を進めたことで、韓国語やロシア語など、それぞれの国でそれぞれの国の名前が使えるようになっている」

一時は匿名制も検討していた

 「日本では実名のソーシャルネットワークは定着しない」と言われていた。これは児玉氏も当然認識していた。だから日本チームは一度だけ、「Facebookに匿名機能ができたらどうなるか」を真剣に議論したことがあるという。でも最後は「実名だからこそ友達を見つけられて、実現世界を拡張できるサービスになるはず」という結論に達した。

 「Facebookが掲げるビジョンから足を踏み外して成長しても、それはまったく意味をなさない。チームメンバーはみんな日本が大好き。日本でも自分たちが誇りを持って作ったサービスはきっと受け入れられる。きっと実名であることの意味をたくさんのみなさんにわかってもらえると信じていた。それは少しずつだが着実に実を結び始めた」

 2011年頃から海外の事例をもとに、顧客とのコミュニケーションツールとしてFacebookを活用しようと試みる企業やブランドが現れた。Facebook側で特に働きかけたわけでもないのに、そういう実験をする企業は増えていった。「直近の購買につなげるのではなく。顧客とじっくりと信頼関係を結んでブランドや商品のファンになってもらうという新しい時代の流れがすぐそこまで来ていた」。

Facebookをマーケティングに活用している代表的な企業

 Facebookの利用者は面白いと感じたものを積極的に周りの友達に共有する傾向があるという。「新しい顧客を、既存の顧客が連れてきてくれる仕組みがFacebookにはある。そして実名だからこそ、共有の力は倍増する」(児玉氏)。Facebookが普及するきっかけは各国で異なるが、日本では企業やブランドがコミュニケーションツールとしてFacebookを活用し始めたことが成長の大きなきっかけにつながったと実感しているそうだ。

 「いまでは多くのユーザーが旧友と近況を報告しあったり、仲間とイベントを企画したり、同僚とグループ内でランチの情報を共有したり、遠くに住んでいる両親に子どもの写真や動画を見せたりしている。たくさんの企業やブランドの協力もあり、日本でのFacebookの利用者は継続的に増加している。直近では日本の月間利用者は1000万ユーザーを突破した。」

Facebookの月間ログインユーザー数は1000万人を突破

 この1000万ユーザーとはPCやモバイルなどデバイスを問わず、月に1回以上ログインした日本人ユーザーの数だ。Facebookは日本でも急速に浸透しつつある。

 小さなオフィスに机を並べてから2年。「実名制のソーシャルネットワークに対して異論を唱える人はほとんどいなくなった」と児玉氏は語った。


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(中村 翔平)

2012/3/19 11:15