第18回:ADSL 12Mタイプの方式乱立で混迷の時代となるか?



 7月12日、イー・アクセスによって下り最大12Mbpsの「ADSLプラス」の報道関係者向け勉強会が開催された。他社のサービスとの比較を交えながら新サービスの技術的内容を説明するというのが主な趣旨だが、その中でYahoo! BBによる新サービスに関する興味深い意見も聞かれた。もしかすると、ADSLは混迷の時代に突入するかもしれない。





イー・アクセスの新サービス「ADSLプラス」

イー・アクセス取締役兼最高技術責任者 小畑至弘氏

センティリアム・コミュニケーションズ リチャード・リン氏

 ADSLの新サービスが各社から次々に発表される中、イー・アクセスからも「ADSLプラス」と呼ばれる新サービスが発表された。このサービス名は新サービスの総称で、具体的には、最大速度を最大12Mbpsに向上させる「Speedプラス」、線路長にかかわらず100~500Kbpsの速度の上積みを目指す「Linkプラス」、最大伝送線路長を約7Kmまで延長する「Reachプラス」、セキュリティを強化する「Securityプラス」の4つのサービスから構成されている。イー・アクセスは、これらのサービスの展開によって、最終的にADSLの高速化、サービスエリアの拡大、クオリティの向上を目指していることになる。

 これらの新サービスの背景には、センティリアム・コミュニケーションズ社が開発した新技術がある。同社は、今年の4月に「Palladia」と呼ばれる新型のチップセットを発表したが、この新チップセットを利用することで、「eXtremeDSL」と呼ばれる技術が実現可能となる。今回、イー・アクセスによって開催された勉強会は、前述した新サービスの具体的な説明というよりは、その新サービスをささえる「eXtremeDSL」の技術的な説明会となった。以下、今回の勉強会でセンティリアム・コミュニケーションズ社のリチャード・リン氏によって行なわれた解説をかみくだいて説明していく。





最大12Mbpsを実現する「eXtremeRate」

 センティリアム・コミュニケーションズのeXtremeDSL技術は、主に高速化を実現する「eXtremeRate」と長距離化を実現する「eXtremeReach」という技術から構成される。「eXtremeRate」によってイー・アクセスの「Speedプラス」と「Linkプラス」が、「eXtremeReach」によって「Reachプラス」のサービスが実現されるわけだ。では、これらの技術は具体的にどのようなものなのだろうか?

 まずは、「eXtremeRate」であるが、これはADSLの最大速度(下り)をこれまでの8Mbpsから12Mbpsに引き上げることができる技術とのことだ。通常、ADSLでは、利用する帯域をサブキャリア(またはビンとも呼ぶ)と呼ばれる4kHzごとの帯域に分割し、それぞれのサブキャリアごとに変調を行なうことでデータを伝送する。サブキャリアの数は上りで6~31の26キャリア、下りで33~255の223キャリアとなっており、それぞれのサブキャリアで最大15bitのデータを転送できる仕様となっている。

 しかし、これまでの8Mbpsサービスでは、さまざまな原因から、ひとつのサブキャリアで実質的に11~12bitのデータしか伝送できなかった。当然のことながら、ひとつのサブキャリアで伝送できるデータが増えれば、最大速度は向上するので、これをなるべく15bitに近づけようというのが「eXtremeRate」のねらいだ。

 具体的には、以下のような技術を利用する。

  • 誤り訂正符号にトレリス・コーディングを採用
    これまでのReed-Solomon符号に加え、新たにトレリス符号を採用。高い符号化利得を得られるため、回線状況を問わずノイズマージン(S/N比)を向上させることが可能になる。S/N比とは信号とノイズの比率のこと。この値が高いほど高い速度を実現できる。
  • DSPのアルゴリズムの変更
    ビットマップの上端(高い周波数帯)、下端(低い周波数帯)を中心にサブキャリアへの搭載ビット数を最適化することで、最大の15bitを伝送できるようにアルゴリズムを変更。通常のビットマップは上端と下端の搭載ビット数が少ないために山形を形成するが、これによりどちらかというと台形のビットマップを形成できるようになる。
  • 最新鋭のアナログ・ライン・インターフェース用チップセットの採用
    DSPのアナログ/デジタル変換回路の改良により、A/D変換時の性能を向上。ノイズを最小限に抑えることが可能となる。
  • S=1/2技術の採用
    他社でも採用しているのと同様に、誤り訂正(Reed-Solomon)のパラメーター「S」に最小の値となる「1/2」を追加。誤り訂正による性能は低下するが、回線状況の良い環境では、オーバーヘッドが最小になり、速度が向上する。

 これらは技術的に理解しにくいものであるが、要するに、サブキャリアごとのデータ伝送量を最大の15bitに近づけるために、これまで障害となっていた誤り訂正符号やノイズなどのロスを最小限にするための技術を投入するということになる。もう少し具体的に言えば、ADSLモデムやDSLAMの性能を向上させることで、より多くのデータが伝送できるようになったというわけだ。


さまざまな技術により、各サブキャリアで15bitの伝送を可能にすることで、最大12Mbpsの伝送速度を実現する。イメージとしては、既存のビットマップの上部にさらにデータを積み上げ、台形のビットマップを形成するようなもの

 この方式のメリットは、あくまでもこれまでの技術をベースにしたものである点だ。利用する周波数帯、上りや下りのデータ伝送タイミングなどは、これまでの8Mbps ADSLと変わりはない。このため、既存のADSL技術に対する干渉などがあまり問題にならない。

 また、この技術は、今後の可能性として、15bit以上(20bit程度まで)のデータを伝送できるようにしたり、2.2MHzまでの帯域を利用するダブルスペクトラムや3.75MHzまでの帯域を利用するクワッドスペクトラムを利用して、さらにデータの伝送量を増やすような技術への応用も可能となる。もちろん、高い周波数帯を利用すれば、それだけ伝送距離は低下する。また、ノイズなどへの耐性も落ちるため、容易に実現できるとは言えないだろう。





安定性の向上と伝送距離の延長に効果がある「eXtremeReach」

 続いての「eXtremeReach」であるが、こちらは長距離伝送を目的とした技術だ。これまで、ADSLの伝送上限距離は4~5kmと言われていた。これは、データ信号の減衰はもちろんだが、距離が遠くなると、制御用の信号(ISDNとの同期のための信号やハンドシェーク信号など)が検出できなくなるためだ。データ信号が減衰すると速度が低下し、制御用の信号が検出できなくなると回線が接続できなくなる(もしくは頻繁に切断される)。

 そこで、eXtremeReachでは、まず制御用信号の多重化を行なう。具体的には、「TTR」と呼ばれるISDN信号に対する同期補足や「パイロット信号」と呼ばれるISDN信号に対する同期追従を従来の207kHzから、138kHz~276kHzまでに拡大する。このようなマルチキャリア化によって、万が一、ノイズなどの影響で信号がロストされたとしても拡大した部分でフォローできるようにしているわけだ。

 これは、回線の安定性向上に効果が期待できる。これまでの方式では、このような制御用信号とノイズがたまたま同じ周波数帯で重なることで、回線が頻繁に切断されるなどの影響が否定できなかったが、これでこのような問題が回避できる。さらにSN比も10dB以上改善できると見込まれている。現状、ADSLの安定性が低いユーザーは、この技術によって安定性が改善される可能性もあるだろう。

 また、距離の延長に関しては、オーバーラップの技術を利用する。オーバーラップとは、簡単に説明するとこれまで上りで利用していた帯域に下りの信号を重ねることで、下りの速度を確保する方式だ。上りで利用している周波数帯は低い周波数となるため、伝送距離が伸びても減衰しにくいという特性を持っている。これと前述した制御用信号の多重化により、これまでの4~5kmというADSLの伝送距離を6~7kmにまで延長しようというわけだ。

 このようなオーバーラップには、どのようなタイミングでどの帯域に信号を重ねるかで複数の方式が存在するが、eXtremeReachでは「FBMオーバーラップ」という方式を利用する。これは、いわゆるFBMモードでの伝送で、上りの帯域に下りの信号を重ねる方式だ。FBMモードでは、一般的なADSLのDBMモードと異なり、特定の時間帯に上りか下りのどちらかのデータしか送信しない(いわゆる片方向通信のようになる)。もう少し具体的に説明すると、信号の流れを時間軸で考えた場合、最初の一定時間に下りの信号を送信し、次に上りの信号を送信、そして再び上りの信号といった具合に、下りと上りの信号を交互に送信するわけだ。


FBMモードでの伝送。下りの信号と上りの信号のどちらか片方だけを交互に伝送する方式となる

FBMオーバーラップでの周波数帯。本来上りで利用する25.875kHz~138kHzまでに下りの信号もオーバーラップさせることで速度と伝送距離を稼ぐ

 FBMオーバーラップでは、この下りの信号を送信するタイミングで、本来上りで利用する帯域に下りの信号を重ねることで伝送速度を稼ぐことができる。しかも、本来上りで利用する帯域は、周波数帯が低いため減衰の影響を受けにくいという特徴がある。基本的にはFBMモードでの伝送となるため、全体の速度は本来速度の37%程度が上限となるが(片方向通信のため、本来伝送に利用する時間の37%しか利用しない)、これによって伝送距離を延長することができるわけだ。





今後大きな問題になりかねないオーバーラップによる干渉

 このような、オーバーラップ技術には、eXtremeReachで採用されているFBMオーバーラップ以外にも複数の方式がある。たとえば、すでにアッカ・ネットワークスが発表している「C.x」(Annex CのDBMで上りに下り信号オーバーラップさせる方式。さらにC.XOL、C.XDDなどがあり検討中)、現在テストが行なわれている「Yahoo!BB 12M」の「AnnexA.ex」(AnnexAで上りに下り信号をオーバーラップ)などがそうだ。

 しかしながら、これらのオーバーラップ技術には干渉という大きな問題がある点を忘れてはならない。本来上りで利用する帯域を下りの信号も利用するのだら、その信号が他の回線に干渉し、他の回線などの速度の低下を招く可能性があるわけだ。たとえば、前述したFBMオーバーラップでも、同一カッドにあるDBMモードのADSLの上り伝送(NEXT時)に干渉する。しかし、DBMのNEXT時の上り信号はもともとISDNのノイズによってかき消されていることが多いため、この影響は比較的小さいと言われている。

 問題は他の方式だ。今回の勉強会でイー・アクセスの取締役兼最高技術責任者である小畑氏は、「C.xはTTC(情報通信技術委員会)による検討会でISDN並の干渉レベルに押さえることができたが、Annex A.exはISDNの3倍程度の干渉が発生する可能性があり、甚大な被害が予想される」と述べている。これは、非常に大きな問題だ。たとえば、同じマンションの別の部屋で干渉の度合いの大きなオーバーラップ技術を導入されたら、その影響で自分の回線の上り速度が低下してしまいかねない。

 これまでADSLの速度を低下させる原因は、主にISDNや他のノイズがほとんどだったが、これに同じADSLが加わってしまう可能性があるわけだ。オーバーラップ技術は、確かに下りの速度を増加させる有効な技術だが、その代償も大きいわけだ。

 もちろん、このような干渉は、通常はTTCによって検討され、他に影響のないように変更されるのが普通だ。実際、アッカ・ネットワークスが発表した「C.x」の仕様もTTCによるスペクトラムマネージメントの検討会で議論が行なわれ、仕様が変更されている。しかし、小畑氏によると、Yahoo! BB 12Mで展開を予定している「Annex A.ex」は、TTCでの検討を受けずに、すでに試験サービスが開始されているとのことだ。

 TTCは帯域という限られた資源をみんなで有効に、しかも他のサービス(ADSLに限らず通信サービスすべて)に影響がでないように利用しようという目的で設立された団体だ。しかしながら、試験サービスとは言え、これを無視したサービスが実際のフィールドに展開されれば、TTCの機能は破綻し、何より他社のサービスを利用しているユーザーに甚大な被害が及ぶ可能性が高い。Yahoo!BBは、先にコロケーションの問題でも話題を振りまいたばかりだが、また同じようなことをしようとしているのだろうか?

 もちろん、この問題は、今後TTCで議論がなされていくだろうが、あくまでもTTCは民間の団体であり、強制力はない。最終的には、総務省の動きも見守る必要があるだろう。今回の結果如何によっては、国内のADSL市場は混迷を極める状態になるかもしれない。


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2002/7/16 11:32


清水 理史
製品レビューなど幅広く執筆しているが、実際に大手企業でネットワーク管理者をしていたこともあり、Windowsのネットワーク全般が得意ジャンル。最新刊「できるWindows 8.1/7 XPパソコンからの乗り換え&データ移行」ほか多数の著書がある。