イベントレポート
BG2C FIN/SUM
金融庁の氷見野長官、ビットコイン発明者の「夢」への再考を促す
サプライズだった閉幕挨拶
2020年8月31日 09:51
金融庁の氷見野良三長官は、金融の権威が居並ぶイベント会場で次のように語りかけた。
「誰とも知らない相手から受け取ったビットコインが真正であることを証明するのに、造幣局も、銀行も、規制機関も、中央銀行も、財務大臣も、大学教授も、警官も、検察官も、裁判所も、軍隊も必要としない」──
金融庁と日本経済新聞社が共催で開催したイベントBG2C FIN/SUM(2020年8月24日~25日)、その最大のサプライズは、金融庁の氷見野良三長官による閉幕挨拶だった。
単にサトシ・ナカモトのビットコイン論文に言及したからではない。サトシ・ナカモトの「問い」、すなわち「信用できる第3者(トラステッド・サードパーティー)を必要としない取引」という問題提起をわかりやすい言葉で説明したうえで、金融のメインストリームでも、このような考え方が求められているのではないかと示唆し、深く考えてみようと語りかけたからである。
分散型の信用について、今こそ深く考える時期かもしれない
従来の日本の金融のメインストリームの専門家からよく聞く意見は、先の氷見野長官の言葉とは対照的だった。
「ビットコインのような暗号通貨(あるいは仮想通貨、暗号資産)は一部の投資家のための商品にとどまっている。決済には使いにくい。金融システム全体に影響を及ぼすことはない」といった意見が、権威筋の共通見解だったのである。
ところが氷見野長官は、金融のメインストリームの人々に向けてまったく違う切り口を提示した。
ビットコインのイノベーションの根幹である「信用できる第3者を必要としない取引」について語りかけ、伝統的な金融業界の権威──金融規制機関の職員、銀行員、中央銀行員、金融を専門とする大学教授など「信用できる第3者」であることを職業とする人々──が居並ぶ前で「サトシの夢は今なお重要だろうか?」と問いかけた。ビットコインの理念を再考し、従来の慣習に問われない思考をするよう呼びかけたのである。
「サトシ・ナカモト論文から10年以上を経た現在、私たちの社会の基盤となるビルディング・ブロックは大きな変化を遂げている」と氷見野氏は言う。社会の基盤、それは信用を構築する装置である。その具体例として、氷見野氏は対面のミーティング、プロの編集者、政府を挙げる。
私たちは習慣としてフェース・ツー・フェースの対面のミーティングで信用を構築していた。対面で会う理由は、その方が信用できる相手かどうかを見極めやすいと思われていたからだ。「私たちは動物的な本能、そのような情報を解釈する直感にある程度の自信を持っている」(氷見野氏)。ところがCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響で私たちは対面ではないやり方で信用を構築しなければならなくなった。
伝統的な出版物では、プロの編集者を信頼することで私たちは情報を検証するコストを節約していた。
例えば権威ある百科事典エンサイクロペディア・ブリタニカで情報を得る場合、書かれている内容は編集者が保証してくれていると考えるだろう。だが、Wikipediaを見るときには、私たちは匿名の筆者を全面的に信用する訳ではなく、参照するリンク先を見て情報を検証する。検証コストは下がったが、私たちは自分で信頼できない情報を検証しなければならなくなった。
政府は、裁判やその結果の強制執行などの手段により、各種の契約を支える信用の装置として機能している。ところが商取引の範囲が国際的になり、オンライン取引が増え、政府の機能は弱まった。
このような従来型の信用の装置の機能が弱まっている現在、デジタル技術で分散型の信用を構築するブロックチェーン技術の本質に目を向けることもまた必要ではないか──氷見野長官のスピーチはそのように語りかけたのである。
金融庁は何をやろうとしているのか
金融庁はどのように考えているのだろうか。
今回のイベントは、BG2CとFIN/SUMの2つのパートに別れていたが、そのうちBG2Cは"Blockchain Global Governance Conference"の略称である。「ガバナンス(Governance)」という言葉が入っていることに注目したい。
そして氷見野金融庁長官の閉幕挨拶は、このイベントの開幕挨拶からつながる内容でもあった。開幕挨拶の話し手は、日本政府の副総理 兼 財務大臣 兼 内閣府特命担当大臣(金融)麻生太郎氏である。
麻生大臣は「分散型金融システム(decentralized financial system)のマルチステークアプローチによるガバナンス構築」に言及した。日本政府はビットコインに代表される「分散型金融システム」に関心をもち、そのガバナンス体制を構築したいという意思表示を行ったのである。
その具体的な動きは金融庁が働きかけて発足したBGINである。ビットコインやイーサリアムを含むブロックチェーンの規制の方向性などを話し合う団体だ。
ビットコインに代表される分散型のシステムでは、分散型に合ったガバナンスが必要だと金融庁は考えている。規制機関によるトップダウンアプローチは有効ではなく、関係者全員が顔を合わせて話し合う「マルチステークホルダー」のアプローチが求められる。この考え方は、インターネット技術を推進する団体IETF(Internet Engineering Task Force)の技術ガバナンスなどを参考にしている。
このような努力を進める日本の金融庁は、世界的なブロックチェーン(暗号通貨の基礎技術)のコミュニティとの話し合いの場を作ろうとしている。今回のBG2Cでも、ビットコインのコミュニティ、イーサリアムのコミュニティから登壇者を呼んだパネル・ディスカッションが開催された。
一方で、金融庁は金融システム全体の監督機関でもある。金融のメインストリームでは、ブロックチェーン技術を活用して銀行がデジタル通貨を発行する取り組みや、中央銀行がデジタル通貨を発行する議論が盛んだ。
このようなブロックチェーン分野と金融分野の議論は、最終的にはつながっていく──金融庁内部にはそのような考え方があるのだろう。その考え方を具体的、明示的に示したものが、氷見野長官のスピーチだったのである。