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奥さんに使ってもらえるサービスを作りたい アイビィ・コミュニケーションズ社長 永沢和義氏(前編)
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「僕がブロガーと知っていても、社長だって知らない人は多いと思うんですよね」。「Modern Syntax」というブログで知られるアルファブロガー“モダシン”こと永沢和義氏は、ブログ情報ポータル・ランキングサービス「BlogPeople」で知られるアイビィ・コミュニケーションズ株式会社の社長でもある。
ブロガーとしての顔と社長としての顔を持つ永沢氏とはどんな人物なのか。永沢氏が独立するまでと、ブロガーとしての顔、社長としての今後までをお聞きした。
● “コンピュータが嫌い”だった学生時代
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ブログ「Modern Syntax」で知られる“モダシン”こと永沢和義氏。ブログ情報ポータル・ランキングサービス「BlogPeople」を運用するアイビィ・コミュニケーションズの社長でもある
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大学では情報工学科にいたのですが、コンピュータは大嫌いでした。その頃のコンピュータといえば、パンチカードや紙テープでプログラムを読み込ませるタイプのもので、時間もかかるし面倒くさいしで使えない。
「コンピュータはもう嫌だ」と就職担当の先生に言ったところ、「君は弁が立つから営業になるといい。コンピュータがわかる営業が求められているから」と勧められました。そこで、伊藤忠系の商社に就職しました。営業、企画など、7年間にいろいろと経験しました。
転職のきっかけは、1989年にUNIXフェアに行って、スティーブ・ジョブズのNeXTを見たことですね。それからずっと入りたいと思っていて、日本法人ができたのを機に、NeXT Japanに移りました。すごく楽しかったですね。優秀な人たちと仕事ができるし、あのスティーブ・ジョブズからメールがくるしで。
● リストラ、そして「次」を考える姿勢
やがて、NeXTがAppleに買収されることになりました。その頃僕はマーケティングを担当していたのですが、「技術者は要るが営業とマーケティングは要らない」と言われてしまいました。つまり、リストラされたわけです。
常々「突然会社がダメになっても移れるような体制はとっておかなければならない」と思って準備はしてありました。前から面白そうだと思っていた個人投資家(エンジェル)の会社に声をかけたところ、無事に雇ってもらえることになりました。
そこでは、シリコンバレーのプランとアイディアしか持たない起業家への投資に関わりました。市場性はあるか、競合はあるかを調べてレポートにし、投資する価値があるかどうかを判断して、投資した後は協力していく仕事です。
やがて、台湾の某テクノロジー会社から日本で上場したいという話がきて、手伝うことになったのですが、OEMのみで、営業もいないような会社だったのです。そこで、プロダクトマーケティングと管理部門を作り、僕はプロダクトマーケティングを担当することになりました。
その過程でトーキングハブを作りました。文字通り喋るハブで、起動時やエラー時に、エヴァンゲリオンの惣流・アスカ・ラングレーの声優さんを起用して、エラーメッセージなどを喋るという製品です。
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これが伝説の「みやむーハブ」こと、「Accton EH-3008e TalkingHub 宮村優子スペシャルバージョン」。100BASE-TX×8ポートで予約価格54,800円という、当時としても相場より1万円ほど高い価格設定だったが、限定300台が2日で完売した
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「PC Watchラジオ」でTalking Hub開発裏話をお話いただいた時の永沢氏。1998年2月なので、今からちょうど10年前のことになる
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営業には「こんなわけわからないものは売れません」と断言されました。声優さんのギャラもあるので、価格的には普通のハブより1万円くらい高かったのです。ところが蓋を開けてみると、プレスリリースをしたらユーザーがすぐに反応して、たった2日で完売してしまったのです。「こんなことは初めてです」と驚かれました。その後、別のハブでグッドデザイン賞まで取ったんですよ。
● リストラされて起業
その会社の手伝いは抜けることになり、またエンジェルの業務に戻っていました。次はどうしよう? と考えてみたら、起業に対して資金を出す仕事をしているのに、僕は起業の経験がありません。何が大変かは、実際にやってみないとわからないものです。そこで、自分でも会社を作ってみることにしたんです。2000年に起業をしたのですが、銀行との交渉はなかなかたいへんだということを身をもって経験しましたね。
しばらくは会社員と自分の会社という、二足のわらじ状態が続きました。やがて2001年にバブルがはじけ、投資先がなくなってリストラされてしまい、自分の会社一本でやっていくことにしました。今はソフトウェア・パッケージ商品の販売をしていますが、当時は受託開発やコンサルの仕事ばかりしていましたね。
かつてネットバブルがありましたが、あのように、何年かに1回、波が来るときがあります。僕は、「次に波がきたら乗りたい」と思っていました。波に乗るためには前もって会社を作って準備しておくことが大事だと思うのです。何かあった時の活動の場として、ただ作っておくだけでもいいと思うんですよ。会社は作ったばかりでは相手にされず、何年か続けている、という実績だけでも信用になりますから。
● 人生を変えた、“ブログ”との出会い
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「僕の転機は、何と言ってもブログとの出会いです。使ってみたらこれがすごく面白くて、一気にはまってしまいました。」
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僕の転機は、何と言ってもブログとの出会いです。2002年頃に流行したのを契機に、仲間内で試してみようかということになったのです。使ってみたらこれがすごく面白くて、一気にはまってしまいました。その頃は、ことあるごとに「ブログが面白いよ」とあちこちで言っていましたね。
家でも会社でもブログを読むか書くかばかりしていたので、「仕事に影響が出るとまずいな」と思い出したのがその頃です。そこで、「これを仕事にすればいいんだ」と思いついて、2003年頃にBlogPeopleを開始しました。
ブログのおかげで生活も一変しました。元々地方出身で東京に友達がいなくて、会社の人以外とは付き合いがなかったのですが、一気に付き合いが広がりました。知り合いも増えて、その人たちが勤めている会社からも仕事が来るようになりました。
普通、競合他社の社員同士が友達になるケースなんてありえないのですが、友達になって、仕事は仕事、プライベートはプライベートとして情報交換ができましたね。それ以外にも、本が出せたり、Webクリエーション・アウォードで「Web人賞」をもらえたり、テレビやラジオにも出られたり。すべてブログのおかげです。
● 何でも経験するというキャリアパス
お話ししてきた通り、僕はもともと起業したくてしたというわけではありません。エンジェルの仕事をしていたので実際に起業を体験してみたかったのと、たまたまリストラにあったという事情が重なったためです。
しかし、僕には僕なりのキャリアパスがありました。日本の商社の営業、外資のマーケティング、グローバルの何でも屋さんといういろいろなキャリアを経験して、外資と日本企業、業種も様々の中から、一番自分が合うものを探そうとしていたのです。
実を言うと、今も会社の社長という経験をしているだけなので、会社には固執していません。でも、転々としているようですが、それぞれ5年は続けているんですよ。「石の上にも三年」という気持ちで、最低3年は続けたいと思っていたので。
キャリアパスを意識しだしたのは、NeXTに入る頃からです。最初は、それまで営業しかやっていなかったので、「マーケティングなんて自分にできるだろうか」と自信がありませんでした。そうしたら、その会社の先輩から、「最初からできる人はいない。今までやってきた経験は必ず生かせるから大丈夫」とアドバイスをいただいたのです。
(後編に続く)
関連情報
■URL
永沢和義氏のブログ「Modern Syntax」
http://www.aivy.co.jp/BLOG_TEST/nagasawa/
アイビィ・コミュニケーションズ株式会社
http://www.aivy.co.jp/
BlogPeople
http://www.blogpeople.net/
ブログの“つながるきっかけ”を応援する「BlogPeople」(BB Watch永沢氏インタビュー)
http://bb.watch.impress.co.jp/cda/blogrelay/7344.html
永沢氏出演の「PC Watchラジオ 第68回」(ラジオ番組は公開終了しました)
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/radio/980205.htm
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・ 奥さんに使ってもらえるサービスを作りたい 第2回:アイビィ・コミュニケーションズ社長 永沢和義氏(後編)(2008/03/11)
2008/03/10 10:59
取材・執筆:高橋暁子 小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っている。 |
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