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一杯のコーヒーで精神的な満足を ~さかもとこーひー 坂本孝文氏(前編)
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「さかもとこーひー おゆみの店」。喫茶店ではなく豆売り専門店だ。定休日の夕方に取材に伺ったので写真では鉢植えの花が店内にしまわれているが、ふだんは店の外に花があふれている
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家でほっと一息つきたい時や仕事で気合いを入れたい時に嬉しいのが、美味しい1杯のコーヒーだ。豆や入れ方にこだわりがあるという方も多いだろう。さかもとこーひーは、ネットと実店舗でコーヒー豆を販売している店だ。
千葉市中央区にある店舗は、花がいっぱいで可愛らしいお店だった。花器に活けられた花は、長年通ってくれているお客様が活けたものだという。店の奥にある大きな焙煎機が目を引く。毎朝その日の豆を、朝6時から焙煎するのだ。
今回は、さかもとこーひーを経営する坂本孝文氏に、ネットをうまく活用して店を経営する秘訣を聞く。ネット通販は実店舗とどう違うのか。美味しいコーヒーとは。
● 食べ物が好き、もの作りが好き
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さかもとこーひーを経営する坂本孝文氏。集団行動が苦手だったため、高校生時代から会社勤めは無理だと考えたという
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出身は、千葉市中央区の海の近くです。小学校にあがるまで祖母の家の裏に住んでいました。初孫で、甘やかされて育ったおばあちゃん子で、何でもわがままを通していました。
食べることが好きで、美味しいものが好き。大きくなってから気づいたのですが、小さな頃から祖母が食べさせてくれていたお菓子が、実は老舗のものだったりしました。そういう意味で、祖母は“基準”がしっかりしていたのではないかと思うのです。そんな祖母の影響はあると思います。
デパートで、実演販売をしていたり職人さんが何か作ったりしていますよね。そのような、ものができていく様子を見るのが好きでした。活字中毒で、日曜日に早く目が覚めると明るい廊下でひとりで本を読んだりしていました。性格的には理屈っぽくて(笑)。親に「理屈ばかり一人前で行動が伴わないな」と言われたりもしていました。
高校に入った頃から、「自分は会社では生きていけないだろう」と自覚するようになりました。集団行動が苦手で、クラスにいても居場所がないんです。普通にしているつもりでも浮いてしまう。何を言っても「ユニークだね」、正義感を持って発言したつもりでも、「独特な正義感があるね」「その通りかもしれないけれどそれじゃあ通用しない」というのが担任教師の反応でした。
「組織じゃ働けないだろうから、喫茶店やペンションのマスターとかがいいだろう」と考えていました。僕は1955年生まれです。自分のちょっと上が団塊の世代で、自由を求めた呑気な生き方が流行りだした時代です。その世代に対する反発もあるのですが、同時に影響も受けているのだと思います。
● フルーツパーラーで“仕事”を学ぶ
食べ物が好きで物を作るのも好きだったのですが、手先は不器用。また、料理人など職人の世界はいまでも徒弟制度です。でも、自分は理屈っぽいので、徒弟制度は難しいだろう。その点、喫茶店は気楽そうだしいいなと。ただすぐに働くのは嫌なので、進学することにしたのです。
まずは進学することに決めて大学を受験したものの、すべて落ちて一浪し、次の年もまた落ちて。「試験とは意見が合わない」と感じました(笑)。これは神様が「大学に行っても遊ぶだけだろう。早く仕事に就け」と言っているのだろうと思い、友達の紹介でフルーツパーラーに就職しました。包丁の使い方を覚え、果物をカットしたり、ジュースやスパゲッティ、ケーキやプリンなどを作ったりもしました。
幸いチーフに恵まれて、掃除、挨拶、時間厳守、仲間との連絡の仕方など、あらゆる仕事の基本となることをここで学びました。上手に教育してくれたので、甘えもなくなり、職場のチームの中で与えられた役割をまっとうしなければならないことを学びました。同時に、「美味しそうだな」と思った果物は少しカットして食べてみて、味を覚えたりもしました。
● “美味しさ”の追求
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20~30代は、休日となると食べ歩いた。「自分がコーヒーについてしか知らなかったら、そういう方に満足してもらえるコーヒーが作れるわけがないと思うんですよ」
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19~20才頃から、仕事の合間にコーヒーや紅茶について学ぶようになっていました。喫茶店や飲食関係の専門誌をむさぼるように読んだり、有名なお店を巡ったりし始めたのです。
専門書を参考に、毎日紅茶を家で入れて飲んだり、休日にはでき始めたばかりの紅茶専門店を巡ったりもしました。コーヒーは銀座の「ランブル」という店に通いました。それまで毎朝お店でコーヒーを飲んでいたのですが、あまり美味しいとは思えなかった。しかし、ランブルで飲んだ時は、「これはうまい」と感じたのです。
僕は、自分の味を作りたいという欲求が強いんです。美味しさとは何かがわからないので、20代30代はひたすら何でも食べて飲んでいました。スコッチを飲んで自分なりの美味しさの“基準”ができたら、バーボンを飲んで基準を作る。和菓子洋菓子天ぷら寿司鰻イタリアンフレンチなど、一流とされる店があったらどこにでも行きました。
ただし、ステーキのように素材の質である程度決まってしまう料理ではなく、職人技で美味しくなるような料理の店に通いました。気に入ったケーキ屋があったら1回で1万円くらい買ってあれこれ食べてみたり、気に入った和菓子屋には季節ごとに通ったり。そうするうち、自分の中の好き嫌いや、美味しさの“基準”ができてきたのです。
料理人の世界では食べ歩いて修行するのは当たり前ですが、コーヒー屋ではそういうことをする人が比較的少なくて、コーヒーのことしか知らない人が多い気がします。でも、お客様はいろいろな飲食の経験をしてきている。海外で食べ歩いた人も珍しくない時代です。自分がコーヒーについてしか知らなかったら、そういう方に満足してもらえるコーヒーが作れるわけがないと思うのです。
● 紅茶専門店で学んだ紅茶の味
パーラーに2年勤めた頃、紅茶専門店の草分け的存在である神田神保町の「Tea House TAKANO」で人を募集しているのを知りました。面接を受けたら採用してもらえることになり、転職を決めました。紅茶専門店はまだ数少なく、コーヒーならいつでも学ぶ場所があるだろうと考えて紅茶を選んだのです。
そこではいろいろ勉強させてもらいました。研修で、スリランカの茶園の産地を回らせてもらったこともありました。1日3~4カ所ずつ茶園や工場など有名なところを回り、4日で20カ所くらい回るのです。現地では、説明を聞いて工場で紅茶ができる様子を見てはテイスティングルームでお茶を飲むという繰り返しでしたね。
実際に行くと、山の高さや風の強さ、日差しの強さや夜と昼の寒暖差などリーフの育つ気候が直に感じられます。大英帝国の植民地時代に建設されたホテルに行ったのですが、「そんな昔に、こんな山の中にわざわざホテルを作ったのか」と、イギリス人にとって紅茶がいかに重要なものであるか実感できました。
一番良かったのは、工場に入ってドアを開けた時に、作りたての紅茶の香りが押し寄せてきた時ですね。新鮮さとか爽やかさとかいう言葉では言い表せないくらい、鮮烈で曇りのない香りでした。
ただし、紅茶というのは、取れたての現地の方が美味しいわけではないんです。混ぜる前の1つ1つの畑から採れた茶葉のサンプルがあるのですが、それぞれ香りはいいが味がいまひとつだったり、逆に味はいいが香りがイマイチなど、紅茶としてはまったく完成されていません。それをブレンドして、美味しい紅茶を作り上げるのです。
たとえば、リプトンの工場に行くと、ミルクティー向けのリーフはミルクを入れた状態でテイスティングをするんですよ。「実際に飲む時はミルクを入れて飲むからテイスティングの段階からそうする」と言うんです。なるほどと感じました。「Tea House TAKANO」には、結局約5年間お世話になりました。
● 紅茶専門の喫茶店
1982年、千葉市中央区に紅茶専門の喫茶店を開きました。30席13坪の店です。資金は、親や公庫に借りて作りました。両親は、「こいつは言い出したら聞かないから仕方がない」と言っていましたね。すでに結婚していたので家内と、バイトを雇って開きました。この店は10年続けました。
ケーキやスコーンは手作りです。昼の12時に焼き上がるようにスコーンをオーブンに入れたので、OLさんに飛ぶように売れました。当時はまだハーブが手に入りにくい時代だったので、庭でハーブを育てて、5種類のミントを使ったミントティーを淹れたりしていました。
当時からのお客様にはいまだに「あのケーキ、できたらまた作ってよ」と言われるくらい評判は良かったんですね。でも、手作りなのでたいした数は作れませんし、儲からないんですよね。紅茶専門店ではそんなに客単価はあがりませんし。そういう意味で、お酒や食事を出せばもっと続いたかもしれませんが、ストイックにお茶にこだわっていましたね。
従業員一人当たりの年粗利高を見ると、喫茶は一番下なんです。粗利が350~400万円で、そこから経費や人件費が出ていきます。つまり、喫茶店をやる人はビジネスセンスがないということなのです。昭和30~40年代頃の、喫茶店という文化が入ってきたばかりで高い値段でもお客がどんどん来た時代はよかった。けれど、その頃でも大きくなったのはUCCなどのコーヒー会社の方で、喫茶店でそこまで儲けたところはありません。ビジネスの構造が根本的に違うんですよね。
● コーヒー豆を売る店をやろう!
喫茶店は何年やっても顧客名簿がありません。商店街の中などに開店すれば、近所の人や通りかかった人が黙っていても利用してくれるので、営業や宣伝にコストをかける必要はありませんが、顧客名簿の蓄積はありません。だんだん、「喫茶店業は儲からないし、体がきついからこれでは何十年も続かない」と考えるようになりました。
紅茶専門店でしたが、コーヒーは生豆で仕入れて網で炙り、1日10杯前後出していました。コーヒーがやりたい。それもコーヒー専門の喫茶店ではなく、家庭で飲んでもらうための豆売りがしたいと考えるようになりました。コーヒーもだんだん家庭の中に入ってきて、じょじょに豆売りの店も増えてきていました。そんな頃にたまたま、友達の知人で喫茶店を始めたいという人がいたので、店を売ることにしました。
喫茶店をやめて、コーヒー豆の販売を始めることにしたのですが、ちょうどいいような物件がありません。最初から売り上げは立たないし、豆を売るだけなので広さは要りません。一般的な貸し店舗では広すぎて、ちょうどいい広さのところがないのです。そこで、自分の家のガレージに手を入れて店にしてしまおうと考えました。入っていた父の車をどかして、壁や入り口を作り、電気やガスをひいて、焙煎機を入れて棚を入れ、店に仕立て直したのです。
● 顧客名簿を300人分集めよ
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BtoCでものを売るなら、「ともかく300人以上の顧客名簿を持ち、定期的に案内を送ることが大事」という
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話は少し戻りますが、紅茶専門店の近所には、サンケイリビングの編集部がありました。そんなわけで、編集部の人によくご利用いただいていました。そこで、コーヒー豆の販売を始める時に、豆と手紙を送ったところ、編集長からお呼びがかかって、「客は集めるし場所も貸すから、コーヒー教室を開かないか」と声をかけていただいたんです。
「コーヒーは身体に悪いのでは」と思われているような時代でした。そこで、美味しいコーヒーの入れ方や、「コーヒー自体が悪いのではなく古いコーヒーが胃に悪いので気を付けましょう」など、コーヒーについて知ってもらう会を開いたのです。
そういうところに最初に来る人は、積極的で好奇心が強い人が多いです。生協で役をやっていたり学校で役員だったりして、交友関係も広い方が多いんですね。そのうち、そういう方たちの家に出張してコーヒー教室を開いたり、豆を配達して回るようになりました。サンケイリビング編集部でうちの店を紹介していただいたこともあり、一気にお客様の輪が広がっていきました。
お客様が増えるにつれて、顧客名簿ができていきました。お客様になっていただいたら、まずサンキューレターを送り、毎月案内の葉書を出すようにしました。これから起業する人にアドバイスするとしたら、「ともかく300人分の顧客名簿を集めるべし」ということですね。
案内のはがきは、300人を越えたところで反応が違ってくるんです。やってみるとわかりますが、150人や200人の時とは明らかに違います。ある程度顧客名簿が増えたら、半年注文がない場合は送付をやめるとか、リピーターにだけ送るなどの絞り込みをしてもいいですが、それまでは全員に送ります。ともかく300人以上の顧客名簿を持ち、定期的に案内を送ることが大事なのです。
(後編につづく)
関連情報
■URL
さかもとこーひー
http://www.sakamotocoffee.com/
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・ 一杯のコーヒーで精神的な満足を ~さかもとこーひー 坂本孝文氏(後編)(2009/02/24)
2009/02/23 11:17
取材・執筆:高橋暁子 小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っている。 |
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