地図と位置情報

IoTネットワークシステム「TREK TRACK」を使い、遭難事故防止を目指す実証実験、長野県・北八ヶ岳で実施

連載「趣味のインターネット地図ウォッチ」からの派生シリーズとして、暮らしやビジネスあるいは災害対策をはじめとした公共サービスなどにおけるGISや位置情報技術の利活用事例、それらを支えるGPS/GNSSやビーコン、Wi-Fi、音波や地磁気による測位技術の最新動向など、“地図と位置情報”をテーマにした記事を不定期掲載でお届けします。


 近年、ITを活用して山の遭難事故を防止する取り組みが模索されている。山は携帯電話の電波が届かないエリアがあることに加えて、電源が確保しづらいために電池切れを心配してスマートフォンの電源を切っている人も少なくない。このような中で、いかに登山者の位置情報をリアルタイムに把握し、道迷いや滑落といった事態が発生した場合に迅速に遭難者を捜し出せるかが課題となっている。

 このような課題を解決するために開発が進められているのが、株式会社博報堂アイ・スタジオが手掛ける「TREK TRACK」だ。同システムは、低消費電力でIoTデバイスとの連携を実現する無線通信規格「LPWA(Low Power Wide Area)」の1つである「LoRaWAN」を活用して登山者の位置情報を記録することが可能で、同社はこれを使った実証実験を2016年10月19日、長野県の北八ヶ岳にて実施した。

北八ヶ岳で行った実証実験

 TREK TRACKは、小型のIoTデバイスがGPSで取得した位置情報を、LoRaWANを通じて送受信機(ゲートウェイ)に送信する仕組み。プロトタイプは3Dプリンターで造形した白い筐体に、汎用のバーアンテナが付いている。LoRaWANでは、1台のゲートウェイで半径5~10kmの広範囲な独自ネットワークを構成することが可能で、ゲートウェイを通じてインターネット上のクラウドサーバーに位置情報を保存し、ログを地図上で確認できる。

登山者が持ちやすいサイズに改良中のIoTデバイス
実証実験で使用したIoTデバイス
IoTデバイスから送られてきた位置情報をクラウドに中継するためのゲートウェイ
試作アプリのトップ画面
登山の移動軌跡を3D地図上に表示

 開発したのは、博報堂アイ・スタジオ内の研究開発組織「Future Create Lab(FCL)」でクリエイティブ・テクノロジストを務めるエンジニアの川崎順平氏。自身も登山やバックカントリースキーなどを趣味にしているという川崎氏は、TREK TRACKを思いついた理由として、「スマートフォンやGPSウォッチなどさまざまな機器がありますが、人が今どこにいるかがリアルタイムで分かり、遭難したときに助けに行くために役立つものとして最適なものがなかったので、テクノロジーを使って解決しようと思いました」と語る。

 川崎氏が課題解決の取り組みを始めたのは2年前のことで、最初はインターネット環境のない山の中でリアルタイムに位置情報を取得し、共有する仕組みとして、山の中にZigBeeを使ったデバイスを設置し、リレー形式で通信する方式を考えた。ところがZigBeeの場合、約100m間隔でデバイスを置く必要があり、登山道すべてに配置するとなると数百万円の設置費用がかかってしまうことになるため、実用には至らなかった。

株式会社博報堂アイ・スタジオの川崎氏

 次に、iBeaconのタグを同じように登山道に沿って配置するアイデアを考えたが、山は特定保護地域になっているエリアが多く、多くのデバイスを設置することは難しいことが分かった。2016年の夏まではiBeaconのアイデアでなんとかできないか探っていたのだが、そんな中で知ったのがLoRaWANだった。

 「LoRaWANのデバイスのキットが発売されるということで、ビーコンを使った今までのアイデアをリセットして新たに機器構成を考え直しました。LoRaWANの最大の特徴は、機器コストが低く、省電力製に優れていて、それでいて通信距離が長い点です。特に省電力性については重要なポイントで、山小屋は自家発電で電力をまかなっているケースが多いです。LoRaWANのゲートウェイなら消費電力は20W程度で、電球が1つ増えるくらいなので山小屋も納得しやすいです。」(川崎氏)

 今回の実証実験では、ゲートウェイの機器を「北八ヶ岳ロープウェイ」山頂駅から5分ほどの休憩所に三脚を立てて設置し、モバイルバッテリーで運用した。ゲートウェイからはLTEのモバイル回線でインターネットに接続し、登山者が持つIoTデバイスから受信した位置情報を随時、クラウドサーバーに送信した。

ロープウェイの山頂駅付近にゲートウェイを設置

 一方、実証実験のチームは北横岳~大岳へと向かう班と、縞枯山から茶臼山へと向かう班の二手に分かれて、一班につきIoTデバイスを2つずつ持って歩いた。いずれも1日がかりの登山コースで、ピーク間に標高を大きく下げるポイントもあり、山で遮蔽された状態でどれくらい電波が回り込んで届くかということも確認できる。

 IoTデバイスからゲートウェイに対して位置情報を配信する間隔は、最初は1分間ごとに設定していたが、その後、30秒おきに細かくした。IoTデバイスのバッテリーは、30秒おきの送信間隔で送信し続けた場合、5日間くらい保つという。

IoTデバイスをザックに付けて歩いた

 このようにLoRaWANは、登山者が持つIoTデバイスと山小屋などに設置するゲートウェイのいずれも非常に省電力で駆動できるのが特徴だが、反面、1回で送信できるデータ容量は11バイトと、かなり小さい。IoTデバイスから送信するのは、デバイスのIDと緯度・経度、標高のデータだけで、これだけで容量はほぼ使っている状態だという。実際に遭難事故が発生した場合は、TREK TRACKが残した位置情報をもとに救援隊が捜索するという流れとなる。

 登山者が使用するのにあたって、スマートフォンを一切使う必要がないシステムにした理由は、川崎氏が自身で登山やバックカントリーのスキーを行っているときの体験から来ている。

 「山の中では、携帯電波が届きにくいので、その分、消費電力が多く、電池の保ちが悪くなることが多いです。山行中は電池切れを気にしてスマートフォンの電源を切っている人がとても多いので、使用するのにあたって、ユーザー自身が電池の保ちなどを気にしなくても済むように、スマートフォンを使わないシステムにしました。」(川崎氏)

 今回の実証実験で実際に電波の状況を確認したところ、地形の落ち込みによって電波が山に遮られるような場合や、雨が降ったりした場合などに電波状態が悪くなることがあり、数分間ほどデータが記録できない状態などが確認できたが、ほとんどの場所で良好な通信結果が得られたという。

山を歩きながら位置情報が取得できているかをチェックした
IoTデバイスが取得した位置情報のログ
クラウド上に保存された位置情報を地図上に表示
実証実験の軌跡

 省電力性の高さやコストの低さなど、さまざまな魅力を持つTREK TRACK。今後はどのように展開していく予定なのだろうか。

 「1月に新潟のかぐらスキー場周辺で検証を行う予定です。今回の実証実験は登山での使用を想定したものでしたが、次はバックカントリースキー/スノーボードで検証を行います。登山とは違った結果が出ると思うので、ここで得られた知見もフィードバックしていきたいと思います。また、3月には米国のトレードショーにも出展する予定です。LoRaWANについても、今後は機器の選択肢が増えると思うので、いろいろと使ってみて、最も範囲が広くて電波強度が強いものを選ぼうと考えています。」(川崎氏)

実証実験後に改良したIoTデバイスの最新版
IoTデバイスの内部

 「実証実験の先には、実用化も視野に入れていますが、TREK TRACKをいかに広めていくかという部分の整理は、私たちの得意な分野なので、とにかくできるだけ使える場所を増やしていくことが大事と考えています。」(川崎氏)

 ちなみに登山の世界では、雪崩に巻き込まれたときに迅速に助けてもらえるよう“雪崩ビーコン”という電波発信機が使われているが、TREK TRACKの場合は深さ1mくらいまでしか電波が届かない。ただし、雪崩に遭遇する前の30秒前のデータは取れるため、捜索の範囲を絞れるという点では有効だ。

 「山の中での自分の位置情報が常に記録されてデータが残るという点が重要で、遭難対策のサービスではあるけど、『これを持っていれば遭難しない』というものではありません。だからこそ、ただ製品を提供するだけではなくて、このサービスをもとに、警察や行政、レスキュー隊など、助ける側のプロの人たちと連携する必要があります。例えば現在は登山届という仕組みがあっても、遭難が発生してから警察に保管されている届けの中から該当する人のものを探すまでには時間がかかります。また、登山者の帰りを待つ家族が、登山者の軌跡をTREK TRACKを使って家から確認できるようにしておくことで、例えば『夕方になっても頂上に留まったままなのでおかしい』という具合にすぐに異変に気付くことが可能となり、捜索開始を早めることができます。」(川崎氏)

 このように山岳遭難対策としてもさまざまな可能性を秘めているLoRaWANだが、登山以外にはどのような用途が考えられるのだろうか。

 「海外では、空港で搭乗客にデバイスを持たせることで、空港内の居場所を把握できるようにするといった事例があります。ショッピングセンターで子供に持たせることで、迷子対策に役立てるなど、登山以外の可能性も探っていきたいと思います。」(川崎氏)

 TREK TRACKの本格サービス開始だけでなく、LoRaWANを使った仕組みとして、同社が今後、どのようなサービスを生み出すのか楽しみだ。

1月にはスキー場での実証実験も予定

片岡 義明

フリーランスライター。ITの中でも特に地図や位置情報に関することを中心テーマとして取り組んでおり、インターネットの地図サイトから測位システム、ナビゲーションデバイス、法人向け地図ソリューション、紙地図、オープンデータなど幅広い地図・位置情報関連トピックを追っている。測量士。インプレスR&Dから書籍「こんなにスゴイ!地図作りの現場」、共著書「位置情報ビッグデータ」「アイデアソンとハッカソンで未来をつくろう」が発売。