編集部コラム

「能動的サイバー防御」という不思議な言葉と、國分功一郎「中動態の世界」が問う責任論

 「能動的サイバー防御」(Active Cyber Defense)とは、なかなか不思議な言葉ではないでしょうか。言葉の意味としては受動的な(他者からの働きかけがまずあって起こる)行動となる「防御」を、能動的(自らがまず動き、他者に働きかける)に行うというのですから。

 ところで最近、國分功一郎氏の著書「中動態の世界」を読みました。「中動態」とは、能動でも受動とも異なる“モノの言い方”です(本書では「動詞の『態(voice)』」と説明されます)。

 中動態を考える入り口として、國分氏は「カツアゲ」の例を挙げています。悪人に脅されて仕方なくお金を渡すとき、その行為が完全に受動的だとは言えないが、能動的な行為であるわけがない。では、一体何なのか?

 「中動態の世界」は、サブタイトルを「意志と責任の考古学」といいます。上記のような疑問から中動態について考察し、日常的な“モノの言い方”に含まれる「行動に対する責任」の捉え方を掘り下げていき、現代の一般的な「責任」の概念を批判するのが、本書における重要なテーマとなっています。

 本書の「あとがき」において國分氏は、精神疾患を持つ人(例えば、アルコール依存症の患者)などが、自分を研究対象として自分自身で研究する「当事者研究」の関係者との議論が、本書の執筆を決意したきっかけになった、という趣旨のことを書いています。そのような経緯からか、本書の内容は、「精神看護」という精神科医療従事者向け雑誌の連載として最初に掲載されました。

 そして、文庫版で加筆された補遺「なぜ免責が引責を可能にするのか——責任と帰責性」において、当事者研究に注目した理由が詳しく説明されています。本書で使われる独特な用語を回避しながら紹介すると、次のようなものです。

 問題行動が発生したとき、しばしば「犯人捜し」が行われるが、当事者研究では犯人捜しは行わず(つまり当事者を一旦免責した状態で)、問題の発生した原因や経過などを問題行動の当事者が研究・分析する。当事者研究がうまくいったケースでは、当事者自身の問題への理解が深まり、行動に変化が起こる。また、当事者研究の結果として(他者から責められたりしたわけでもないのに)当事者に責任感が芽生えることもある——。

 当事者研究の「当事者を一旦免責し、問題を研究する」に似た活動は、ほかの分野でも行われています。例えば、航空・鉄道・船舶事故の調査を行う運輸安全委員会では、「組織問題といった事故の背景にまで深く掘り下げつつ、責任追及から分離された科学的かつ客観的な事故調査を実施し、迅速に報告書を作成します」と、行動指針を示しています(運輸安全委員会 ミッション・行動指針より)。

 サイバーセキュリティの分野においても、経済産業省が、類似した取り組みを行ってきています。同省が公開している「サイバー攻撃被害に係る情報の共有・公表ガイダンス」には、サイバー攻撃被害の情報共有を求める目的として、次のような記述があります。

外部に出す情報として、自己の過失に関する情報(自己の責任に結びつく可能性のある情報)を含んだり、第三者の不利益となるような情報を含んだりする場合があるため、情報を出すことに躊躇するケースが多く見受けられます。
本ガイダンスでは、サイバー攻撃被害現場で発生する情報について、「攻撃方法を示す情報」である攻撃技術情報と、「被害内容を示す情報」である被害内容・対応情報の2つの情報に切り分け、主に、前者については早期の情報共有活動への提供を目指すことで被害組織自身の早期の全容解明や他の組織の被害予防/被害の早期認知/攻撃被害拡大防止に役立てることを意図しています。

サイバー攻撃被害に係る情報の共有・公表ガイダンスP12 「望ましい情報共有と被害の公表が行われることの目的は何か」より

 能動的サイバー防御の3本柱の1つである「官民連携の強化」においても、責任追及とは分離したかたちで実施することによる、迅速かつ効果的なサイバー攻撃の調査や情報共有の実現が、重要な課題の1つになると想像できます。

 当事者研究や運輸安全委員会のような例を見るに、世の中の仕組みが複雑になっていけばいくほど、このような活動は重要性を増すように思えます。能動的サイバー防御は、サイバー攻撃が質・量ともに激化・増加し、いざ実行されたら一撃で重要インフラが機能停止してしまうおそれもある状況を受け、必要に迫られて整備されたものですが、その名前が能動と受動を連結した言葉になっていることには、現代の複雑性が端的に表れているようにも感じられます。

 適切なシステムや組織が構築され、運用されることに期待すると同時に、私たち国民も「みんなで備えよう」と呼び掛けられている一員として、取り組みに参加していきたいものです。


 能動的サイバー防御に関しては、本誌で実施している「Wi-Fiルーター見直しの日」の関連で横浜国立大学の吉岡克成教授から教えていただき、昨年のインタビューでも話題に上っていました。

 その後、本誌では、内閣官房に取材した関連法の詳細、平サイバー安全保障担当大臣にインタビューした今後の取り組み、そして、産学官によるシンポジウムで話された内容を紹介しています。お読みいただき、勤務先や家庭におけるセキュリティを考える材料としていただければと思います。