イベントレポート
イベント
「接触確認アプリ」で議論、プライバシーや有効性、法的側面は?
~個人の自由の尊重か、パターナリズムか
オンライン討論会を国際大学GLOCOMが開催
2020年6月16日 10:55
日本の政府がリリースする「接触確認アプリ」が近く登場すると伝えられている。これは新型コロナウイルス感染症の陽性判定者との濃厚接触を、接触した本人だけに通知するスマートフォンアプリである。この接触確認アプリをめぐるプライバシー問題、有効性、法的な側面、今後の課題など数々の論点に関する議論をお伝えする。
6月13日、オンラインイベント「GLOCOM六本木会議オンライン#1:接触確認アプリとはなにか ~データ活用時代の新たな公衆衛生を考える~」が開催された(イベントの模様も動画配信されている)。日本の「インターネットの父」こと村井純氏や、日本政府の接触確認アプリ有識者会議メンバーである藤田 卓仙氏も参加した。
イベントの登壇者は次の各氏である(イベントでの登壇者紹介順)。
・ 落合 孝文氏 (渥美坂井法律事務所・外国法共同事業 パートナー弁護士)
・ 庄司 昌彦氏 (武蔵大学 社会学部教授/国際大学GLOCOM 主幹研究員)
・ 藤田 卓仙氏 (世界経済フォーラム第四次産業革命日本センタープロジェクト長)
・ 村井 純氏 (慶應義塾大学教授 / 慶應義塾大学サイバー文明研究センター共同センター長)
・ 山本 龍彦氏 (慶應義塾大学法科大学院法務研究科教授)
・ クロサカ タツヤ氏 (株式会社企 代表取締役/慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授/国際大学GLOCOM客員研究員)
登壇者とは別に、渡辺 智暁氏(国際大学GLOCOM主幹研究員/教授/研究部長)が主催者を代表してこのイベント「六本木会議」について「情報通信の場で議論の場を設け、政策提言をするのが活動内容だ」と説明した。
この説明のように、多くの人々が使う接触確認アプリを題材に、法整備を含めた政策立案を視野に入れた議論が今回のイベントの中心的な話題であった。
「接触確認アプリ」は濃厚接触の事実を本人だけに通知する
イベント冒頭で、モデレータのクロサカ氏は、スライドを示しながら接触確認アプリの概要を説明した。
日本で厚生労働省がリリースする接触確認アプリは、GoogleとAppleが共同開発したフレームワークに基づく。GoogleのAndroidとAppleのiOSを合わせればスマートフォンのほぼ全機種をカバーする。
ここで接触確認アプリの概要を確認しておこう。これは筆者による要約であることをお断りしておく。
接触確認アプリの役割は、ある人の新型コロナウイルス感染症の検査結果が陽性となったとき、潜伏期間にあたる過去14日間に濃厚接触した全員に対して、そのことを知らせる(通知する)というものだ。
陽性になった人が検査機関で受け取ったパスコードをアプリに入力することで、その人と過去14日の間に濃厚接触の疑いがあるアプリ利用者に通知が届く仕組みだ。陽性の通知にはパスコードが必要なので「いたずら」はできない仕組みになっている。また、通知が届くのは「本人だけ」に限定している。
接触確認アプリが機能する仕組みは次のようになる。接触確認アプリを入れたスマートフォンは、同じアプリを入れている他のスマートフォンを近接通信のBluetoothにより常に探している。過去14日間に15分以上、半径1m以内に近づいていたスマートフォンからの識別番号を記録する。
身元特定に結びつかないようにするため、識別番号はランダムに番号が変わる。
また、ここで記録した情報はサーバー上には集めず、スマートフォン上だけに蓄積する。陽性判定の事実が確認された後で初めて、クラウドサービス経由で濃厚接触者をたどり通知を飛ばす仕組みだ。検査した医療機関や感染症対策を進める行政機関には個人の行動を把握する情報は渡らない。
つまり、組織的な感染症対策に使うアプリではなく、あくまで個人の行動変容を促すためのアプリなのだ。
クロサカ氏は、用意したスライド中の「日本でリリースされる確認接触アプリは個人が特定できる情報はいっさい記録しないので、プライバシーは保護されます」という文を示したうえで、次のように話した。
「これは直前まで直していた文章だ。私はこう理解しているが、これは『個人情報保護法における個人情報とは何か』という問題と裏腹だ。個人情報を保護するのか、プライバシーを保護するのか。法律もそうだし、私たち自身の気持ちの部分もある」。プラバシーを守る、という一言の背後には数々の論点が含まれている。
今回のイベントでの議論の背後には、「法律に基づく社会のルールの形成」という関心が共有されていたといえる。
研究結果が示す「人口の6割が導入」、ハードルは高い
一方、接触確認アプリは、人口の約6割まで普及しなければ有効ではないという研究がある。出席者の庄司 昌彦氏(武蔵大学 社会学部教授/国際大学GLOCOM 主幹研究員)は「これは相当高いハードルだ」と指摘する。
また、接触確認アプリはあくまで個人が自発的に入れるもので、利用を強制できるものではない。濃厚接触の通知が届くのも本人に限られる。
クロサカ氏は、「自分も経営者だが、従業員に対して『このアプリを入れてくれ』とは強制できない。ただし、『入れるといいことがある』とは言いたい」と話した。
プライバシー保護は「言われているより丁寧」「記録する情報はこれとこれ、という説明の仕方が大事」
接触確認アプリに対する誤解も一部にはある。例えば濃厚接触した事実や、その位置情報、誰と会っていたかの情報などが政府機関などに渡ってしまうのではないかと懸念する人もいるようだ。今回リリースする接触確認アプリについては、このようなプライバシー上の懸念はないといっていい。
日本でリリースする接触確認アプリはGoogleとAppleの仕様に基づくが、この仕様に基づくアプリは位置情報や、個人特定に結びつく情報は取得しない。
利用者本人以外には、アプリを提供する政府機関であっても濃厚接触の事実は分からない仕組みになっている。
庄司氏は「厚生労働省が発表した仕様書やQ&Aをざっと見たが、言われているより相当ていねいにやっている。プライバシーには気を使っている印象だ」と話す。
「『個人を特定できる情報を一切記録しない』と言われると『本当か?』と言われてしまう。しかし、記録する情報はこれとこれ、と言ってもらえると、個人の特定は相当難しく、ほぼできないことが分かる。説明の仕方は大事だ」と庄司氏は言う。
日本のアプリは「利用者自身のメリット」が中心に「アプリをいれた個人が、行動を起こすことで初めて感染拡大防止の効果が」
藤田 卓仙氏は、「接触確認アプリは、公衆衛生のためというよりも、まず自分自身のメリットが中心。個人が行動を変えるためのアプリだ。広い意味では公衆衛生にも役に立つものだ」と指摘した。
この発言を受けてクロサカ氏は「“私”とその周りの人たちに一番便益がある状態から始めよう、ということだと思った」と話し、「世界中で議論が割れている。日本はその(個人のためのアプリという)意識を明確に強く持った。対極は中国で、国で全部やる」と日本の立場を説明した。
国により接触追跡あるいは接触確認の方針は割れている。例えば中国、台湾、韓国では政府機関が情報を収集して対処する考え方だ。位置情報なども活用して濃厚接触を追跡しようとしている。
その中で、GoogleとAppleの仕様に基づく日本のやり方は、アプリを入れた個人が、アプリから得た情報を元に、医療機関で受診したり自己隔離したりという行動を自ら起こすことで、初めて感染拡大防止の効果が出る。
「濃厚接触をした人」のプライバシーを守るデザイン利用するインセンティブは?
接触確認アプリは、プライバシー保護を最大限重視した設計となっている。この事に注目する発言が相次いだ。
落合 孝文氏は、接触確認アプリの仕組みについて「個人の情報をなるべく残さない。感染したかどうかも、任意に、自発的に登録してもらう。アプリの管理者側で は、誰が実際に陽性だと登録したかどうかは分からない」と指摘する。
続けて落合氏は「濃厚接触した人の間だけでアラートが来る。誰を守っているかというと、濃厚接触した人。その事実をプライバシーを守った形で伝える。非常にプライバシーを大事にしている」と述べた。
村井 純氏は、「落合さんの話はその通り。この(接触確認アプリの)デザインはそのために作ったもの。プライバシーで『びびって』いる人が安心して使えるように作った」と、基本設計そのものがプライバシー保護にフォーカスしていることを指摘した。
続けて「歴史的に、データの利用はマーケティングのために個人のデータをどう使えるかということで発展してきた。一方、今回の接触確認アプリは(利用者が)『自分のため』に使う。こういうシステムではとても大事なことだ」とその意義に対する注意を喚起した。
藤田 卓仙氏は、「リリースする厚生労働省にとっては、今回のアプリは個人の行動変容を促すものだ。濃厚接触したときに適切な行動を取れるように誘導する。それ以外の部分では、インセンティブを与えるために、例えばアプリを入れて濃厚接触が確認されたときに検査を優先的に受けられるといった取り組みを入れていくかどうか、そこは有識者会議でも意見が出されている」と述べた。
アプリが機能するには、陽性者を発見する検査が不可欠だ。また、アプリを普及させるインセンティブとなるのは、いざというときの安心感だろうし、そのためには「アプリを入れておけば検査を優先的に受けられる」ようなインセンティブがあるとなおよい。
さらに、アプリが普及していけば、アプリで発見される濃厚接触者も増えるので、検査能力の拡大や濃厚接触者の大規模な隔離の体制も必要になってくる。
接触確認アプリをリリースして終わりということではなく、こうした施策一式をセットで世の中にアピールしていくことが求められるだろう。
「特定の業種を狙い撃ちするには、制度作りが必要」
村井 純氏は興味深い提案をした。「これ(接触確認アプリの議論)は、公共空間全体というか、全国民の課題のように思える。別の見方はないか」。
そこで村井氏はクラスタ=集団感染が発生しやすいと言われる場所の例を挙げ、「(集団感染が懸念される)こういう場所だけは100%接触を確認できるようにする。そういうアプローチは、なぜやらないのか?」と問いかけた。
藤田 卓仙氏は「部分的に導入率を100%にできるなら、それは大事な取り組みといえる。ただし国としてできるかどうか」と、原則賛成、実施には難しさがあることを指摘した。
山本 龍彦氏は「そのやり方は可能だが、特定の業種の店などをターゲットにした切り口はレピュテーションリスクに関わるので、我々の専門用語でいうと立法事実、エビデンスがあるかが問われる」と指摘した。特定の業種を狙い撃ちして 100%のカバー率を目指すには、エビデンスに基づく立法措置を含む制度作りが必要という認識を示した。
最近、神奈川県などの自治体がQRコードとスマートフォンを活用して店舗や施設を訪れた人のデータを記録する取り組みを行っている。山本氏は「クラスタが発生しうる所にQRコードのシステムを導入することで、そうした狙いはある程度実現する」と語った。
「法整備は逃げないほうがいい」……どういう対応が可能なのか考える必要が
クロサカ氏は、特定の場所で100%の接触確認を実施する考え方を延長して「『ここは大丈夫です』とトラスト(信頼)していく考え方を実現する必要がある」と述べた。「近代のフォーマットに乗っかるなら、ある程度(人が)集まらないと仕事ができない。でも集まると(感染症が)危ない。これがニューノーマルなのかもしれないが、トラストできる新しい考え方を実現していかないといけない」と語った。
一方、藤田 卓仙氏は医療分野の専門家の立場から注目すべき指摘を行った。
「1点目に、(感染症対策を見据えた)法整備は逃げない方がいい。今回、強制力を発揮して新型コロナウイルス感染症を押さえ込んだ韓国では、SARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)の感染拡大のときに議論して法律を作った。今後、(新型コロナウイルス感染症の)第2波や、他の感染症がやってくるとき、どういう対応が可能なのかを考えなければならない。
2点目に、今後の第2波の感染拡大などに関してどれくらいのリスクがあるのか、状況に合った形で手立てしていくべきだ。国境を越える行き来を再開する上では、これは国際的な議論も必要だ」と指摘した。
そして「(新型コロナウイルス感染症の)検査態勢も、アプリと同時に強化する必要がある」と語り、さらに「接触確認アプリは個人の行動変容を促すもの。医療分野では、意識が高い人はいいが、気を付けるべき人が行動を変えられない場合を多く見かける。医療の現場では、ある面でパターナリズム(権力による個人の自由への介入をある程度認める立場)で自由を制約する場合も出てくる。この面も含めて立法の議論を前向きにしてきいたい」と語った。
「個人の自由とプライバシーを最大限に尊重する」か「場合により強制力も行使して対処していくやり方」か
今回、日本政府がリリースを予定している接触確認アプリはGoogleとAppleの仕様に基づき、個人の自由とプライバシーを最大限に尊重する作りだ。
だが、今後の新型コロナウイルス感染の第2波や別の感染症が広まる可能性を考えると、個人の自由を最大限守るやり方だけでは医療の目的は達成できない可能性がある──藤田氏の発言の背後には、このような問題意識がある。
制度を作り、濃厚接触を積極的に監視し、場合により強制力も行使して対処していくやり方も必要ではないかという問いかけといえる。
村井純氏は「今回の課題はあらゆるセグメントにまたがっている。そこで、僕らはこういう国を目指すんだ、そういうcomprehensive(包括的)な抽象概念をきちんと決める、できている必要があるのではないか」と指摘した。
今回のイベントは、接触確認アプリという具体的な題材を取りあげつつ、社会のあり方まで議論が及んだ。
私たちの社会で、個人の自由とパターナリズム(政府機関の介入)のバランスはどこか、グランドデザインとしてどうするのがいいのか、それを決める必要があるだろうというのである。
人口の大半がスマートフォンを持っている今、インターネットは社会の課題と不可分に結びついている。技術と社会を接続した議論を、今後もより深めていく必要があるだろう。