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商売人をもっと増やしたい ~ウェブシャーク社長 木村誠司氏(前編)
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ウェブシャーク社長 木村誠司氏。ブログから想像していた通りの、愛嬌よしで人なつこい人柄。初対面でもあっという間に距離が縮まってしまう。“商売人”の社長が手段としてネットを選択した形で、IT業界ではやや異色と言えるだろう
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「非公式ウェブシャーク社長日記」を読んだことはあるだろうか。ブログのトップには、「この日記は非公式にウェブシャークの社長が更新していますが、公式にはウェブシャークの社長は更新しておりません」という文章が書かれている。
ウェブシャークは、「電脳卸ドロップシッピング」などで知られる大阪の会社だ。ドロップシッピングとは、ネットショップに注文が入った時点で、メーカーや卸売り業者から客に直接送ってもらうという、徐々に増えつつあるネットショップの運営方法だ。電脳卸ドロップシッピングは、これを仲介するビジネスだ。
「ブログは、公式には俺は書いてないことになってるんですよね(笑)」と、ウェブシャーク大将(代表取締役/CEO)木村誠司氏は笑う。「この日記のファンだったのがきっかけで入社したんですよ。本当に面白いんです」と同社策士(DL事業統括責任者/CMO)岸村大安氏は熱く語る。ちなみに、この「大将」や「策士」は、ウェブシャークでの二人の肩書きだ。木村社長を一言で言えば“キャラが立っている”。人を引きつける明るさを持ち、楽しませるトーク術が炸裂する。木村氏と岸村氏との掛け合いは漫才のようなのだ。
インタビューは終始和気藹々と進められた。終わった後に、何と記念撮影をした。カメラを取り付けた長い棒を持った木村氏が、自分撮りの要領で撮る。これで撮影すると、急に距離が近く仲良くなったように感じる。撮れた写真は、「非公式社長日記」で見かける構図とそっくりだった。大阪を実感したインタビューになった。
● 根っからの商売人だった子ども時代
小さな頃の俺は、スネ夫に近かったですね。頭を働かせて、「ジャイアン、こうすればきっとのび太が困るよ」と吹き込むような、いわば参謀タイプ。島田紳助ポジションも近いかな。散々盛り上げておきながら、いざその時になったら後ろに回るみたいな子どもでした。いやー、悪知恵の働くガキでした。ビックリマンチョコのレアカードを転売してお小遣い稼ぎをしていましたから。当時から商売人だったんですよね。
中学生の頃に、学校中のヤンキーに集団リンチをされたことがあるんです。というのも、修学旅行の時にカメラマンが同伴するじゃないですか。撮影してくれるけれど、写真を1枚60円とか70円の高い値段で売ってくる。そこで、カメラを持って行って、自分で撮りまくってみんなに売ろうとしたんですよ。そうしたらヤンキーにばれて呼び出されて、「何、商売にしとんねん」と(笑)。
● みんな何で商売せーへんの?
小学生の頃から、とにかく商売がしたかった。中学の頃には仲間と、「俺等が20歳になって一人500万円あったら全部で2000万円になるから、商売できるな」と話していたくらいです。
実家は下請けの縫製工場でした。家に縫製のためのスペースがあったのですが、あまりに普通にあったので、それが仕事だと気づいていなかった。漠然と「うちの親はサラリーマンか?」くらいに思っていて。中学生の頃、「おとんの仕事は何か」と聞いたら、「自営業」と言われて、そこで初めて気づいたくらいです。
アホ高校に通っていたので、高卒で即社会人になるケースが多いわけです。高校卒業時に驚いたのは、「で、いつ頃独立して商売やるの」と聞くと、みんなぽかんとしている。「何でそんなことせなあかんの」と言うわけです。
みんないつかは独立して商売するものだと思っていたので、みんなの反応にはびっくりでした。自分の仕事に対するイメージがみんなと違うらしいということは、その時に気づきましたね。
● フリマ行商からDCブランド古着店店長へ
親は自営ですが、商売人になるよう期待してたわけではないんです。親には「公務員になれ」と言われて、それはないなと。何かをして元手を貯めてやろうと、高校を出て普通に就職しました。
1年で辞めたんですが、その1年間、毎月10万円ずつ貯めていたんですよ。貯金が趣味なんです(笑)。社会人一年目だし、もちろん給料は安かった。手取り16万円の中で10万円貯金をして、家にも生活費を入れていたので、こづかいは毎月2万円くらい。
いつもピーピーしておごってもらってばかりいましたね。「お金ないからおごって」とか、「出世払いするから買って」とか。貯金してても、いま財布には10円しかない、お金がない、というのは本当なんで(笑)。おごられ上手でした。
会社を辞めて始めたのが、フリーマーケットの行商です。土日でマーケット会場を回っていました。元手がないので、仕入れては売っていたんですが、そこそこは売れて。ただ週末だけだったので、売上はたかが知れていましたけれどね。
やがて、モノはあるので店をやろうと思いつき、近所の店舗を借りて商売を始めることにしました。一気にモノを増やさなければならないので、大きなチャレンジでしたね。扱っていたのは古着と雑貨です。古着と言ってもビンテージものではなく、DCブランドの古着ばかりを扱っていました。
壁には赤い布を張って、尖った感じの店にしました。洋服店が並んでいるようなお洒落なところではなく、田舎の町に唐突にある不思議な店でした。片田舎だったんですが、流行の波にも乗って回り始めました。周囲の学校の子らは、2~30分かけて自転車で買いに来てくれたりしていたんですよ。広告は、自分で絵を描いて印刷してはその辺に貼っていました。
● ホームページを作るぞ!
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パソコンに詳しいわけではなく、一太郎とWordの違いもよくわかっていないくらいだったが、ネットで売ろうと思いついたら行動は早い。「いろいろ考えるより先に、気楽に何でもチャレンジするタイプなんですよ。」
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1997年頃、ワールドビジネスサテライトに、インターネットで古着を売っているおばさんが出てきたんですよ。それを見て、「俺もできないわけはない、やってみよう」と思って、ネットを始めることにしたわけです。
と言っても、この時はまだパソコンのことは何もわからない状態。そこで、パソコンを持っていた大学生の友達に電話して、ホームページ作りを頼んだんです。
パソコンを買ったのもその頃です。NECのVALUESTARだったかな。電気屋さんに行ったら「ExcelとWordの入ったセットと、ロータスと一太郎の入ったセットあります。でも今はロータスと一太郎のセットしかありません」とか言う。「じゃあそれで」と買ったくらい、違いがわかっていない状態でしたね。
俺の持論は、「商売人には知識なんて関係ない」ということです。商材に魅力があれば売れる。知り合いのネットショップが納品書を入れていたので驚いて、「何その紙、そんなの入れなあかんの」みたいな感じでしたし(笑)。固定観念はない方がいいと思うから持たないですし、いろいろ考えるより先に、気楽に何でもチャレンジするタイプなんですよ。
大学生だった友達に作ってもらったサイトで、さっそく店にある在庫を売り始めました。そうすると、これが一瞬で売れるようになったのです。古着は一点モノなので、1着ずつ写真を撮ってはPhotoshopで加工して、サイトにアップロードしていました。
モノを売る場所として、ネットはお金をかけずにいろいろなことが手軽にできて面白かった。実店舗なら、内装を一度真っ赤にしたら、そう簡単には変えられないからずっと真っ赤のままです。ところが、サイトなら壁紙が一瞬で変えられる。これは衝撃です。
おまけにサイトに展示していても商品は埃もかぶらないし日焼けで変色したりもない。店舗の掃除が必要ないですからね。感動しましたね。俺にとって、ネットは世界とつながるとかはどうでもよくて、売る場所、店として理想的な環境でした。俺には世界に発信する用事なんてなかったですし。
ただ、壁紙くらいなら自分で変えられたのですが、大きな更新は大学生の友達に頼まなきゃならない。すると時間がかかるわけですよ。商品の写真データを渡しても、彼も大学が試験期間中だったりという場合もあるしバイトもしてるしで、だいたいでき上がるのに2週間くらいかかる。
それだと時間がかかり過ぎるんで、自分でできないかと思って本屋に行って、FrontPageの本を買ってみたわけです。そうしたらあっという間にできて、「できるやないか、めっちゃ簡単やろ自分」と。それからは勉強して、自分で更新するようになりました。
● 売れる秘訣はユーザー目線
店を開いても、ネットショップをやっても売れましたね。昔から「ユーザー目線」という自信はあるんです。店の対応はこういう方がいいとか、一般の人はこれはあかんとかがわかるんです。
ショップの時は、実は接客はゼロでした。「なにかお探しですか」みたいな感じで接客されると、冷やかしでゆっくり見たりできないじゃないですか。気楽な方がいいと思ったからです。売りっ気を出すのは苦手なんですよね。
本人こんな感じなんで意外と言われるんですが、実は営業は苦手なんです。夜の飲み会は得意なんですが(笑)。営業も大事ですが、最後は営業力ではなくて、サービスや商品力、商品の品揃えなどの勝負になると思うんです。それに、プレスリリースや目立つサイト作りは得意なんですよ。
東京出張の時も、昼には予定がないんです。代わりに夜は忙しい(笑)。アポがなくても突撃の電話をするとみんな出て来てくれるんですよ。そういう意味では、「せっかく東京に来ているんだからこの機会に」ということで時間を取ってくれたりして、大阪から行くから有利なとこもあるかもしれませんね。
そうするうちに、最近では東京から出張で来ると「いま大阪に来てるから」って電話くれたりするようになって。嬉しいですよね。大阪に来たらとりあえずうちに会いに来てくれるみたいな感じになって、ありがたいです。大阪にいるのは、自分は引きこもりで外に出たくないからなんです。
● “ネットベンチャー“との出会い
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モノを売ってお金を得ていたので、プランを書いた紙切れでお金が入ってくるとは考えたこともなかった。「カルチャーショックでした。」
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大阪に「あきない・えーど」という起業や経営を支援する組織があります。1999年頃、そのオープニングイベントに参加しました。舞台の上に若い人たちが座っていて、それがネットベンチャーの方々との初の遭遇だったわけです。
その時舞台に上がっていた人々は、ビジネスプランでお金を集めた話はするんだけれど、売上の話はしませんでした。だけど、俺は商売人なので、まず売上は、利益はどうなんだと思うわけです。客席で、「売上なんぼやねん」「利益出とんか」と突っ込み入れながら聞いてましたね(笑)。
ちょうどネットバブルの時代です。その頃のIT企業は赤字が当たり前みたいな空気がありました。ビジネスモデルさえあれば、売上がなくてもお金が入ってきたんですね。
一方、俺はというとベタな商売人で、それまでビジネスプランをプレゼンするだけでお金が入ってくるなんて考えもしなかった。モノを売ってお金を得ていたので、プランを書いた紙切れでお金が入ってくるというのはカルチャーショックでした。
そこで、自分もビジネスプランを考えることにしたわけです(笑)。
(後編につづく)
関連情報
■URL
電脳卸
http://www.d-064.com/
株式会社ウェブシャーク
http://www.webshark.co.jp/
非公式ウェブシャーク社長日記
http://blog.webshark.co.jp/informal/
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・ 商売人をもっと増やしたい ~ウェブシャーク社長 木村誠司氏(後編)(2008/08/26)
2008/08/25 11:48
取材・執筆:高橋暁子 小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っている。 |
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