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紙のノートも板書も否定しない──広尾学園が実践する「教育現場のIT活用」の中身

 一般企業におけるPCの導入は、普及期をはるかに超え、もはや常識レベル。しかし教育現場、特に中学・高校の授業におけるIT活用は、いまだは足踏み状態が続いているとも言われる。

 そんな中、広尾学園ではIT環境の整備を進め、校内全域のWi-Fiエリア化はもちろん、全生徒が個人用IT機器を持つ段階へと達した。とはいえ、すべての授業をIT化するかといえば、それもまた違うという。詳しい中身について、学校法人順心広尾学園 教育開発部統括部長の金子暁教諭に話を伺った。

広尾学園

中高の全生徒約1650人がタブレット・PCを所持、学内全域でWi-Fi完備

 広尾学園の前身である順心女学校が設立されたのは大正7年(1918年)。2000年代前半は生徒数減少に苦しんだが、2007年に共学化し、校名を現在の広尾学園へあらため、改革に乗り出した。現在は、中学入試の受験者数などからも明らかなように、都内で屈指の人気と知名度を誇る。

 生徒が学校生活の中で個人用IT機器を所持するようになったのも、実は2007年のこと。とはいえ規模は極めて小さく、中学・高校それぞれに設立されたばかりの「インターナショナルコース」の生徒数名が所持するというものだった。

 続く2011年には、高校に「医進・サイエンスコース」が設立。ここでは1クラスの生徒全員がiPadを使うようにした。この段階ではトライアルという位置付けだったが、一定の導入効果があったとして、翌2012年からは中学の本科コース新入生(1年生)全員にiPadを用意してもらうこととなった。

 こういった段階を経て、現在は中学・高校通じて3つあるコースのうち、本科コースの生徒はiPad、インターナショナルコースではMacBook、医進・サイエンスコースではChromebookを使用する体制となった。2017年3月の取材時点では、高校3年生のごく一部が所持していないだけ。翌4月には、中学・高校に在籍する全生徒が何らかの個人用機器を所持する体制となる。

広尾学園の生徒が利用するiPad(2015年の取材より)

 機器は学校側が一括調達するのではなく、各生徒がそれぞれ個人で購入・準備してもらっている。この際、iPadであればWi-Fi限定(3G/LTE機能非搭載)かつiPad 2以降の世代といった具合に、機種・性能に関する指定も行っている。また、機器については学校側でいったん預かり、余計なアプリをインストールできないようにする、音楽アプリを無効化するなどの管理設定を施している。

 当然、インフラ面では学校が対応した。「(2010~2011年前後での)新校舎建設に合わせて、ここで校舎内に全面的にWi-Fiが導入され、ほぼすべての場所でネット接続できるようになりました」(金子氏)結果として、中学・高校全体で約1650人が日常的に利用する学内Wi-Fiネットワークが稼働している。

自分の情報機器を学園生活で活用する生徒数の推移(提供:広尾学園)

板書や紙のノートを否定する必要はなし、使える場面でだけIT機器を

 これだけのIT導入率を誇るだけに、教育関係者による視察もひっきりなしという。ただ金子氏は「視察にくる先生方のほとんどが『授業の中でどうIT機器を使っているか見せてください』とおっしゃいます。ただ我々としては『使える場面でだけ使えばいい』というスタンスです」と明かす。

 教育現場では、予算をかけてITを導入した以上、授業の中でITを使わなければならない、そしてそれを対外的に見せなければならないという、いわば“強迫観念”のようなものがあるとも言われる。しかし、それではすぐに行き詰まってしまう──金子氏はそう指摘する。

教育開発部統括部長の金子暁教諭

 学校教育とは何も授業だけではない。休み時間、部活、自主学習、教師と生徒の交流なども含まれる。授業に限らない“学校生活”全般を充足させるための方策として、ITを活用するべきと金子氏はアドバイスする。

 広尾学園では、クラウド型のGoogle Apps for Education(G Suite for Education)が全面的に導入されている。学校登録をすることでメールやファイル共有、文書作成機能などを生徒全員が無料で利用できる。生徒同士の共同作業、教師と生徒間の連絡などに使うといった、ごく初歩のITインフラをまずこれで整備し、その上で初めて、授業におけるIT活用の道も広がるという。

 「せっかくのIT機器を使わなくなってしまうのではないか」という懸念に対しても、答えは明快。「例えば本校では、中学1年生も含めて全員が文化祭でプレゼンをします。IT機器を使わなければならない場面を用意すればいいんです」(金子氏)。

 その一方で、何もかもIT化しているかといえば、そうではない。保護者と学校間の連絡は原則電話で、時間帯も限定。メールも使わない。これには教員のプライベートな時間を確保する狙いもある。また、教員と生徒のメール連絡についてはルールを設けた。例えば、宿題は必ず学校内にいるときだけに出すようにし、放課後になってメールで通告するのは禁止――、といった具合だ。

 授業についても同様で、生徒は紙の教科書、ノート、鉛筆を従来通り使う。教師も板書する。生徒の机の中には確かにIT機器があるが、それを使うかは授業の科目・内容によって、教師や生徒がその場その場で判断すればいい。

 生徒側においても、板書の内容を紙のノートに書き留めようが、ノートPCからキーボード入力でメモしようが、それはあくまでも個人の自由。教師側は、全教室にプロジェクターが整備されているため、スライドを映し出すスタイルの授業を容易に行える。ただし、利用が必須という訳ではない。

 「今でもパソコンなどを一切使わず、板書だけで生徒を引きつけられる先生はたくさんいらっしゃいます。そこへ無理やり『IT使ってください』となったらおかしなことになってしまう。視察に来た方から『科目や教師側で足並みをどうそろえるんですか』と聞かれますが、そもそもそろえようとしたことはないです」(金子氏)。

「あって当たり前」だからこそ、授業・部活以外の領域でも活用できる

 金子氏は、教育機関における「環境整備」は極めて重要だと訴える。例えば広尾学園の医進・サイエンスコースでは、授業や部活とはまた別の課外講座として、大学医学部・大学病院とのタッグによるセミナーを開催している。内容はあくまでも大学レベル。中高生向けにわかりやすくするといったことは行っていない。

 受講生がその内容に追いつくには、当然インターネットを活用して調べ物をしなければならないし、それより以前に授業用資料を参加者間で共有する必要も出てくる。医療の現場でIT機器がフル活用されている現状では、「高校生でIT機器を持ってないので、プリントをください」という言い訳が通用するはずもない。中学・高校が社会と関係を密接にさせるには、IT設備は当然必須になってくるという。

 また、同様の課外活動としては、海外の大学が公開する講義動画に対し、日本語字幕をつけるというものがある。ここでは生徒の作業分担や進ちょく管理にクラウドサービスであるGoogleスプレッドシートを活用中だ。

日本語翻訳の作業過程でGoogleスプレッドシートを活用している(提供:広尾学園)

 もっと身近なところでは、放課後に先生へ質問にいったら職員会議で留守だった、部活関連の伝言をしたくて部室にいったら生徒とすれ違ってしまった──そういった、こまごまとした無駄を省くことにもつながる。結果、授業の準備に費やす時間が増え、質の向上も期待できるようになる。

 教育現場へITを導入する以上は、難関校の合格者数アップなどのわかりやすい効果が求められがちだ。しかし、IT普及度ゼロの状態の学校がそこまでの効果を求めるには無理がある。メールやウェブの利用といったごく基本的なIT活用の環境を整え、その次の段階として、よりわかりやすい教育効果を求めるべきと、金子氏は指摘している。

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 なお総務省では、教育現場におけるクラウド活用の先進事例と導入手順をまとめた「教育ICTガイドブック Ver.1」を6月30日に公開しているが、広尾学園もその中で先進事例の1つとして取り上げられている。

 ガイドブックは総務省のサイトからPDFでダウンロード可能になっているので、そちらも参照いただきたい。