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休校中に授業動画500本作った公立中の“奇跡”、新卒から60代まで全教員の「学びの空白を作らない」戦い

「休校を失われた期間にしてはならない」

瀧澤教諭(写真)によると休校中は教室を撮影スタジオに“プチリノベ”した

 「オンライン授業をやってみて、予想していないことが多くありました。生徒の質問は増えたし、不登校だった生徒がログインして、授業動画を再生してくれたのは驚きましたねえ」

 学校の再開を控えた5月下旬、中野区立中野東中学校(東京)の田代雅規校長(61)は、校長室で「これ、見てください」とノートパソコンを開いた。

 そこに並んでいたのは、4月に社会人になったばかりの新米から、定年退職後に再任用された60代のベテランまで全教員約30人が参加して制作したオンライン授業動画だ。4月末から公開を始め、1カ月で500本の動画が生徒に届けられた。

英語の授業動画

 田代校長は「英語の先生の授業動画を見て、今更ながら現在完了形をきちんと理解できました。60代の再任用の国語教師は、退職金でパソコンを買って動画制作に挑戦してくれました。IT機器は不慣れでも授業の質が高いので、内容がしっかり伝わっています」と一つ一つを再生して説明を続けた。

 新型コロナウイルスの拡大で、日本は3月に一斉休校に入り、5月に緊急事態宣言が解除されるまで、子どもたちは自宅学習を余儀なくされた。

 公立校の多くはIT化が進んでいなかったため、休校中の「学び」のフォローも十分ではなかった。その中で中野東中はなぜいち早くオンラインに切り替えられたのか、そして6月の登校再開後、感染症対策と教育改革のバランスをどう取っているのか。田代校長や「キーマン」となった教員に聞いた。

最初に動いたのは民間出身の教員

 今や全教員がIT機材を使いこなす中野東中だが、田代校長は「私はITに詳しいわけではないです。ただ、学校としてタイミングには恵まれていました」と話した。

中野東中の田代雅規校長。お風呂に入っている時間などを利用し、教員が制作した動画を全て視聴した

 同校は2019年度に教育現場のICT(情報通信技術)化を進める研究校に指定され、昨年からタブレット端末やプレゼンテーションソフト、アンケートを作成できるGoogle フォームを使った授業を実験的に行ってきた。研究校はICT化に3年間取り組み、成果を発表することが求められているため、校長も教員も「教育のIT化」への意識はコロナ前からあった。

 新型コロナの市中感染がじわじわと増えていた2月、「何とかしないと」と動き出したのは青野祥人教諭(41)だった。

授業動画を制作中の青野教諭

 青野教諭は富士ゼロックスで13年間勤務し、2017年に中学教員に転身した。大学までラグビー選手として活動し、「ラグビーを続けるか教師になるかで迷って、企業でラグビーを続ける道を選びました」という。

 だが教師の夢も諦めきれず、社会人ラグビーの選手を引退した後、一念発起して教職に挑戦した。教育の世界に飛び込んで3年が経ち、新たしい環境に慣れてきたころのコロナ禍だった。

 「2月ごろから、同僚でつくったLINEグループで『休校になったらどうしよう』と議論していました。私自身もGoogleの学習管理ツール『Classroom』など、オンライン教育に役立ちそうなツール、手法の情報収集を進めました」

 青野教諭をサポートしたのは、ICT主任の瀧澤哲郎教諭(35)だ。休校中のIT活用に向けて具体的な道筋を検討した青野教諭に対し、瀧澤教諭は教員と密にコミュニケーションし、IT導入への心理的不安を和らげる役割を果たした。

「リモート歓迎会の盛況」がきっかけ

 一部の教師による議論が、学校全体の取り組みに広がるきっかけは、4月の「リモート歓迎会」だった。

 年度の変わり目で緊急事態宣言が出され、教員同士の歓送迎会が対面でできなくなった。そこで青野、瀧澤両教諭が中心となり、オンラインでの歓迎会を開催した。

 教員は、「密」を避けるため各教室に分散してオンライン会議システムのZoomにつないだ。1人は運動場に配置され、周囲の様子を情報番組風に実況中継した。

 「ものすごく盛り上がって、隣の教室から笑い声が聞えてくるんですよ。楽しすぎて、その日の夜は自宅から昼の続きでオンライン飲み会をしました」(青野教諭)

 翌日、オンライン歓迎会に参加していなかった副校長が瀧澤教諭に「昨日は楽しかったらしいね。自分も出たかったなあ」と話しかけてきた。

 当時、政府は休校期間をゴールデンウィークまでに設定していたが、東京での感染は落ち着く気配が見えず、5月も休校が続く可能性が高まっていた。副校長に「大変そう」ではなく「楽しそう」だと思ってもらえたことで手ごたえを得た瀧澤教諭らは、オンライン授業の導入を田代校長に提案した。

プログラミングを学んだ新卒教員が即戦力に

 田代校長は全教員が参加してのオンライン授業動画制作を即決した。生徒のネットワーク環境や端末保有状況、そして教員側のITスキル。課題は山のようにあったが、「ICT研究指定校として、やるべきだと考えた」(田代校長)。

田代校長

 Googleのプラットフォームを利用し、4月最終週を運用テスト期間とし、できる教師から動画公開を始めた。5月には通常カリキュラムに沿って、全教員が動画制作に着手した。

 「当初は全てが試行錯誤でした」

 田代校長が懐かしそうに振り返った。固定カメラをセットし、黒板を背に通常の授業形式で制作する教員、プレゼンテーションソフトを使う教員、多種多様なフォーマットの授業動画がアップされた。田代校長は時間を見つけて全授業を視聴した。

 「オープニング動画を凝って作りこんでいるものは、『時間がもったいないからカットしたら』と言いました。黒い背景に白い文字、重要なところは黄色い文字で強調されていたスライドは、目がちかちかするので、改善を要望しました(笑)」

 視聴者目線で感想を伝えるうちに、教員たちも互いの授業動画を視聴し、良い点を取り入れるようになった。決まった形式はなかったが、次第にトーンの統一感が出てきたという。

 青野教諭は「パワーポイントの資料を画面共有する間、先生の顔を端っこに映すかどうかで、ちょっとした議論になりました。生徒の意見も『先生の顔が気になって集中できない』『先生が見える方がリアルに近くて安心できる』と分かれました」と語った。ちなみに青野教諭は「映す派」だ。

動画に教員の顔を映すかどうかでも、意見が分かれた。青野教諭は「映す派」だった

 副教科を教える教員も、楽しみながら学んでもらえるよう工夫を重ねた。美術の先生はデッサン動画を制作し、音楽の先生はリコーダーの指使いを教えた。栄養担当の教諭は「タピオカミルクティー」のレシピを紹介した。

 もちろん、皆が最初から前向きだったわけではない。田代校長も「拒絶する先生はいなかったけど、自分にできるのか不安だという声はありました」と語った。

 それをサポートしたのは、大学時代にプログラミングを学び、2020年4月に教員になったばかりの技術教師だ。瀧澤教諭は「ちょっとしたトラブルの解決は彼がやってくれた」と感謝する。

 緊急事態宣言下、新入社員の多くが研修もままならない中、中野東中学では新任教諭が「即戦力」として大活躍したのだ。

不登校生徒のログインに感動

 中野東中は、リアルタイムのオンライン授業を行うのではなく、各自の都合に合わせて視聴できる「授業動画」を制作し、モデル時間割を配布した。

オンライン授業動画は学年、教科ごとにGoogleの教育指導管理ツールで公開されている

 オンライン授業動画は1コマ15分にした。生徒の集中力を考えてのことだったが、実際制作してみると、教室では50分で展開していた内容を15分に収められることも分かった。

 国語を教える青野教諭は、授業にクイズ形式の問題を挟み「ここから5分で考えてください」と言って、生徒に再生を一時停止してもらう手法を取っている。

社会の授業動画
国語の授業動画
初期は凝り過ぎた動画や黒い背景が一部で流行したという

 田代校長は、「オンライン授業動画だと、生徒による議論や発表がないので、時間が短くなるわけですが、それ以外にも教室での授業にはむだがあるとも感じました」という。

 田代校長は、同じ内容をオンライン形式と実際の授業形式で実施して比較する実験も行い、オンラインは12分、教室での授業形式だと27分かかるという結果を得た。

 「黒板に字を書いたり消したり、そういうことで思ったより時間を使っていることが分かりました」

 田代校長が最もオンラインに可能性を感じたのは、不登校気味の生徒が授業動画を視聴してくれたことだったという。

 「生徒のお母さんが学校に連絡をくれたんです。15分の動画を繰り返し再生して見ているって。その時に思いました。自分が現場の教員だった頃、勉強についていけない生徒の補習をしたくても、放課後は部活の指導があるからできなかった。でも、ITを活用すれば、学習が遅れている生徒や、あるいは通常授業では物足りない生徒に合わせた課題を提供できるかもしれないと、希望を感じました」

家庭のサポートが十分でない生徒のケアが課題

 オンライン授業をやってみたからこそ、課題も明確になった。

 不登校の生徒がオンライン授業に参加した一方で、端末やネットワーク環境がなく、自宅から授業を視聴できない生徒も数人いた。これらの生徒は登校し、学校が保有するPCで授業を視聴してもらったという。

 瀧澤教諭は「動画の再生状況をチェックすると、昼夜逆転していると感じる生徒もいました。家庭のサポートが不十分な生徒の生活をリモートで支えていく方法を考えなければ」と語った。

 ネットワーク環境があっても、授業動画視聴のためのツールにうまくログインできない家庭も多発し、教員が手分けして100件を超える問い合わせに対応した。

 授業内容への質問は、教室での授業より増えた。皆の前では質問をためらう生徒も、オンラインだと積極的に発言する。瀧澤教諭は「深夜でも質問が飛んでくるので、オンライン時代に合わせたルールは必要」と話した。

登校再開後は感染症対策の負担が増加

 4月最終週から5月末までに500本の授業動画を制作した中野東中でも、緊急事態宣言の解除を受け、6月から登校を開始。少しずつ日常を取り戻している。

事務室の職員お手製の小道具

 しかし感染対策や行事開催の判断など、現場は試練の日々だという。

 青野教諭は、「生徒と保護者の反応は『給食最高!』っていうのが多いです(笑)。ただ、給食時間の感染防止対策は大変。感染症対策と、教育面でのさまざまな取り組みをどう両立させるか。部活や行事は子どもたちにとっては重要ですが、感染リスクを高めてしまう。葛藤だらけです」と率直に語った。

 感染防止対策に膨大な時間を取られ、田代校長も、保健室で人の距離を取るための衝立を自ら作っている。

5月下旬、登校再開を控え保健室で距離を取るための衝立を自作する田代校長

 それでも休校中に成果を得た「オンライン化の流れ」を止めないため、青野教諭は6月の国語の授業で「物語の予告CM動画を作る」課題を出した。

 「自分たちが動画授業を作る中で体験したことを、生徒と共有したかったし、学習が進まない生徒向けに達成感を感じてもらう取り組みも進めています」

 生徒だけでなく、保護者に「オンライン化」を体感してもらうため、感染防止対策も兼ねて、登校再開後の保護者会でオンライン参加も取り入れた。

休校を「失われた期間にしてはならない」

 東京都の1日あたりの新型コロナ感染者数は5月下旬には1ケタまで減ったものの、7月にはぶり返し、3ケタが当たり前になっている。

 青野教諭は「私たちの学校は全員が4~5月にオンライン学活や授業を体験しているから、いつでもオンラインに変更可能、これは安心感につながっています。あとデジタル教科書が欲しいところですが、安くない(笑)。自分は学校内でしかできないことと、オンラインでもできることを仕分けしつつ、授業をつくり直しています」と話す。

 現場は相当な苦労があるものの、田代校長は「『感染防止策としてのオンライン授業』ではなく、新しい教育スタイルを見つけ出す機会」と前向きに考えている。

 教員たちの「休校期間を生徒にとって失われた3カ月にしてはいけない」という思いが、未経験で難しそうに感じるオンライン授業動画制作の原動力になった。

 視聴者として教員の“進化”を目の当たりにした田代校長には、大胆な夢も芽生えている。

 「授業は寄席でありショーでもあると感じました。最近、学校の勉強を教えるYouTuberの動画を研究し、自分ならこうすると考えるようになりました。校長を引退したら、数学を教えるYouTuberを目指そうと半ば本気で考えています」

 中野東中は実は、2018年4月に2つの学校が統合して設立された。休校中のオンライン授業動画制作は、2つの学校から来た教員の垣根を完全に取り払う一大プロジェクトにもなった。

中野東中は2018年4月、中野第三中と中野第十中が統合し誕生した

 「中野東中は教員たちの頑張りで、休校中に一段と素晴らしい学校になりました。個人的には日本一の学校と思っています」

 コロナ前から教員たちに「俺が責任を取るから好きなようにやれ」と言い続けてきた田代校長。現場がそれに応えてくれたことが、休校中の最大の喜びだったそうだ。