iNTERNET magazine Reboot
「iNTERNET magazine Reboot」発刊に際し、昔話その2
「プロバイダーマップ」制作秘話
接続状況を知るには、一社一社、聞くしか手はない――
2017年10月19日 11:00
インターネットマガジンの昔話をすると、かならず出るのがプロバイダーマップの話だ。正式名称は「商用ネットワークサービスプロバイダー接続マップ」。各プロバイダーの回線がどうつながっているかを図示した雑誌付録のポスターだったが、ちょっと長いので「プロバイダーマップ」と呼ばれていた。このマップの制作についてはいろいろな思い出があるので、少しお付き合いを願いたい。
インターネットマガジンの創刊当時(1994年)はインターネットの市場は出来立てのほやほやだったので、雑誌の販売部数を伸ばすには市場が成長するのが早道だと思っていた。そこで、インターネットを使うには誰もがかならず必要になるサービスであるネットワークサービスプロバイダー(以下、プロバイダー)に着目した。インターネットを使うには、まずどこかのプロバイダーに入らなければならない。プロバイダー選びのハードルを下げられれば、インターネット人口も増えると思ったわけだ。当時、日本のプロバイダーはまだ十数社しかなく、これなら完全把握が可能だと思い、その制作を決意した。
当時のインターネットインフラは回線速度が遅かったので(64Kbps~1.5Mbps)、スピードは何より重要で、そのプロバイダーがどこにつながっているかや、どのくらいの回線容量でつながっているかが、みな知りたい情報だった。マップ形式にしたのは、それらの情報が一目で具体的に示せるからだった。
接続状況を知るには、一社一社、聞くしか手はない。しかし、各社は接続状況や回線容量を教えてくれるだろうか。これらはプロバイダー業の根幹を成す情報なので、簡単には教えてくれないことが予想された。そこで、インターネットの牽引者である村井純先生と故・石田晴久先生に相談し、アドバイスをもらうことにした。その時、村井先生が言われたことは今でも忘れない勇気をもらえた言葉だった。曰く、「回線容量を公表しないプロバイダーは、家までの道路の道幅を教えない不動産屋のようなもの」。さらに、日本のプロバイダーの先駆者であるIIJの深瀬弘恭社長が、情報公開に積極的に協力すると言ってくれたことも大きな後押しになった。これらの「お墨付き」をしたためて、メール、電話、時には訪問して聞き取りを行った。結果は成功で、どうしても公開できないところはあったものの、多くのプロバイダーが情報を公開してくれたのだった。
制作ではデザイン面でちょっとした工夫をした。回線容量に合わせて線の太さを変えたのだ。回線容量が大きい場合は太い線で、小さい場合は細い線で、そして回線容量を教えてもらえない場合は一番細い白い線で表現するという具合だ。これらの仕掛けは功を奏し、その後は情報公開が常識となっていった。
プロバイダーマップは、1995年6月号(月刊化1号)から始めて、2001年の10月号まで続いた。最後のマップでは1000社以上のプロバイダーが記録されており、B1判で印刷したと記憶している。掲載を終了したのは、日本のインターネットインフラが十分に成長し、そのお役目に一区切りついたということだったが、すでに印刷限界に達していたという物理的な問題もあった。
ところで、総務省の方と話した時、「プロバイダーマップはいつも壁に貼っていて、助かってます」と言われたことがある。とても光栄で嬉しかった半面、行政に役立っているのなら、助成金を出してもらえばよかったと思った。プロバイダーマップの制作は、それほど大変な業務だったのだ。ご協力いただいた先生方、プロバイダー各社の皆さま、そして制作関係者に、二十余年ぶりながら改めて敬意を表します。
(11月発行のReboot号では、当時のプロバイダーマップの復刻版を付録収録する予定です。お楽しみに:次回『物議をかもした「回線話中度調査」』に続く)