iNTERNET magazine Reboot

「iNTERNET magazine Reboot」発刊に際し、昔話その3

物議をかもした「回線話中度調査」

当時は電話回線を使ってプロバイダーにアクセスしていたのだ――

 前回はプロバイダーマップのことをお話ししたが、今回は、編集部が次なるキラーコンテンツとして取り組んだ「回線話中度調査」についての話をさせていただきたい。

 若い人たちには想像できないかも知れないが、当時は電話回線を使ってプロバイダーにアクセスしていたのだ。そのために、モデムなる装置をパソコンに接続する必要があったのだが、その速度はいまの千分の一にも満たなかった。創刊号(1994年)にこんな記述がある、『……できるだけ高速なモデム、最低でも9600bpsのものを用意してください。……いまなら、14400bpsの「FAXモデム」と呼ばれているモデムでも3万円も出せば購入できます』、と。9600bpsは“クンロクモデム”と呼ばれていて当時の定番。14.4Kbpsに3万円もかかったのはいま思えば高額だが、みな競って高速なモデムを買い求めた時代だった。

右:14400bpsモデム(PV-PF144、アイワ製)、左:ポケット型TA(LinkBoy、BUG社製)(「インターネットマガジン」1994年9月創刊号より)

 回線話中度調査とは、各プロバイダーにアクセスする際に電話がどの程度つながるかを調べるものだった。電話回線なので、ユーザーが集中した場合は設備規模とのバランスで話し中になることがあるわけだ。これを調査するのは大変だ。何十社(後に400社以上)もあるプロバイダーに都度、電話をかけて調べなければならない。

 この難題は、当時アルバイトだった三柳英樹君が解決してくれた。会社で余っていた古いノートパソコンやモデムをかき集め、調査プログラムも書いてくれた。その内容は、2時間おきに各社に自動でコールし記録する、それを四六時中やるという仕様だった。私はラックに並んだ機材を見て、これは立派な「調査システム」になっていると感心したものだ。

回線話中度調査(「インターネットマガジン」1995年11月号から掲載開始)

 やってみてわかったのだが、この調査は回線容量の公開以上にプロバイダー各社に緊張をしいるものだった。なぜなら、プロバイダー社の立場に立てば、受付回線のパフォーマンスがグラフで公開されてしまうことになり、回線容量以上にビジネスにインパクトがあったからだ。結果、編集部には嬉しくないクレーム電話が来ることになる。「うちは回線をたくさん用意してるから、話し中になるはずない」、「お宅の調査電話がお客さんのアクセスの邪魔だ」……、などである。

 その中の1つが思わぬ物議をかもすことになる。あるプロバイダー社が十分な設備を用意して開業したとのことだったが、話中度調査で話し中が出たのだ。そのプロバイダー社は、「自社計測では話し中は起きていない。訂正してくれ」というクレームだった。しかし、うちの話中度調査システムははっきりと話し中を記録していたのだ。この原因を調べるためにNTTに問い合わせることとなった。なぜなら、輻輳の疑いがあったからだ。輻輳とは電話網が混雑してつながらなくなる現象で、NTTにとって面子にかかわるデリケートな問題だった。NTTでは回線に詳しい担当官が対応してくれたが、十分な調査の上、回線設備を敷設しているので通常で輻輳が起きるはずはなく、実際にも輻輳は起きていないとのことだった。

 さて、困った。この問題の原因は、プロバイダー社の設備不足か、回線網の輻輳か、インプレスの回線不足かのどれかのはずだ。しかしいくら調べてもわからず、関係者ですったもんだの騒動となった。もちろん、インプレスの回線についても調べたのだが、結局わからずじまいだった。確証はないのだが、当時の地域の電話回線数はそこに住んでいる住民の数から割り出されていたと思うが、ネットワークサービスプロバイダーという、機械がアクセスする新しい業態が誕生したことで、その計算が狂ったのではないかと思った。

 ところで、後で知ったことだったが、この調査の電話代には毎月うん百万円がかかっていたのだ(1回10円を十万回以上かけていた)。編集部は仕事に没頭していてよくわかっていなかったのだが、部数が伸びて売上も上がっていた時期だったので、経理がうまく処理してくれていたそうだ。いい時代だった。

 これで、回線の太さ(プロバイダーマップ)と、つながりやすさ(回線話中度調査)を読者に提供することができた。インターネットマガジンでは、この2つの指標をプロバイダー選択基準として推し進めていった。

 ちなみに、プロバイダー情報については、これ以外にも料金などのカタログや最寄りのプロバイダーがわかるように、日本地図に所在地を記載した「日本のアクセスポイントマップ」も掲載していた。最盛期の誌面を見返してみたら、何とこれらに88ページが割かれていた。インターネットマガジンはデータマガジンでもあったのだ。

日本のアクセスポイントマップ(「インターネットマガジン」1995年11月号)

次回に続く)