インタビュー

もし、社員から新型コロナ感染者が出たら…? 井之上PRが危機管理広報マニュアルを無償配布

社員に感染者が…広報担当者はどう動くべき?

新型コロナウイルスに関する危機管理広報初動マニュアル

 新型コロナウイルス感染症の国内における広がりがピークを超えたとの指摘がある一方で、第2波や第3波への警戒を緩めてはいけないことは、いまや共通認識となっている。

 そして、感染経路に心当たりがないまま、新型コロナウイルスに感染するケースも少なくない。自社の従業員が感染しないように生活を送っていたのにも関わらず、感染してしまうということも想定されるだろう。

 東京都の例を見てもわかるように、PCR検査が広く行われるようになったことで、感染者数が増加。無症状の人が陽性と判断されるするケースも増えており、この結果、企業内に感染者が確認されるといったことが起こる可能性もある。

 では、従業員や経営幹部になかに、新型コロナウイルスの感染者が確認された場合、広報担当者は、どんな広報対応を行えばいいのだろうか。

 そうした広報担当者の疑問に応えるべく、PR会社の井之上パブリックリレーションズは、「新型コロナウイルスに関する危機管理広報初動マニュアル」を無償で公開している。

 ここでは、社員に感染者が確認された場合に、広報部門はどう動くべきかといった内容を、危機管理広報の視点から、基本となる考え方や手順をまとめている。同マニュアルを作成した狙いや、初動のポイントなどを聞いた。

リスクマネジメントの最先端今年で50周年の総合PRコンサルが企業や自治体を支援

 井之上パブリックリレーションズ(井之上PR)は、総合PRコンサルティングを行う会社だ。1970年7月に創業し、今年でちょうど50周年の節目を迎える。

 1970年代半ばに、インテルやアップルなどが日本に進出した際、これら企業のPRを担当。これを機に、欧米企業型のPR手法を導入して以降、メディアに対する単なる記事掲載の提案だけでなく、企業が継続的に日本に根づくための支援を行うことに主眼を置いた活動を展開。創業理念にも、「パブリックリレーションズ(PR)を通じた、よりよい社会の実現」を掲げるとともに、「パブリックリレーションズは、人、モノ、金、情報に続く、第5の経営資源」と位置づけている。

井之上パブリックリレーションズ 代表取締役社長の鈴木孝徳氏

 井之上パブリックリレーションズの鈴木孝徳社長兼COOは、「当社は、常に、外部環境の変化を捉え、潮目を読み、社会に役立つ情報発信を行い、企業や自治体の広報を支援する役割を担ってきた。新型コロナウイルスというこれまで経験したことがない危機においても、PRの観点から企業や自治体を支援し、社会貢献できないかということを考えた。その一環として作成し、無償配布を行ったのが、今回の『新型コロナウイルスに関する危機管理広報初動マニュアル』である」と語る。

 同社は、これまでにも、情報漏洩や企業の不祥事が発生した際の広報対応の支援を行う一方で、2011年3月の東日本大震災発生後には、地方自治体などを対象にした「公的機関向けツイッター活用マニュアル」を作成して無償で提供。また、2013年には、ネット選挙解禁の留意点や活用方法を紹介した「有権者のためのネット選挙活用ガイドライン」も無償で公開した経緯がある。

 今回の「新型コロナウイルスに関する危機管理広報初動マニュアル」は、全国の企業、自治体などの広報担当者を対象に、新型コロナウイルスに関する広報の危機管理について、基本的な考え方や手順を紹介するものとなっており、新型コロナウイルスの感染拡大という有事における危機管理広報の初動対応のガイドラインとしての利用はもちろん、その他の有事の想定準備にも役立てることがてできるように構成。作成にあたっては、リスクマネジメント/リスクコミュニケーションの第一人者である社会情報大学院大学の白井邦芳教授の監修を受けた。

第二波、第三波に備えた危機管理を利用者がカスタマイズ可能

井之上パブリックリレーションズ アカウントサービス本部コンサルティング1部 シニアアカウントエグゼクティブの関口敏之氏

 マニュアル作成をリードした井之上パブリックリレーションズ アカウントサービス本部コンサルティング1部 シニアアカウントエグゼクティブの関口敏之氏は、「新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は、人々に恐怖や不安をもたらし、その結果、日々多くの情報が錯綜しており、事実の確認が難しいだけでなく、何が適切な情報発信なのか、それをどう行えばいいのかといった点で、多くの広報担当者を悩ませている。

 あるクライアント企業からの相談をきっかけに、一日も早く、社会貢献ができる、井之上PRらしい広報初動マニュアルを世に送り出したいと考え、パンデミックの環境下におけるPR支援の一環として、広報初動マニュアルを作成し、無償公開した」とする。

新型コロナウイルスに関する危機管理広報初動マニュアルの目次

 同社では、4月上旬に関口氏の提案より、マニュアル作成の検討を開始。中旬には社内横断型のマニュアル作成チームを6人体制で発足した。

 「当社が持つPRの経験や知見が生かす一方、政府や自治体が発信する最新情報を盛り込みながら、マニュアルの作成を進める必要があったため、経験豊富なメンバーでチームを編成した。公開する数分前までチェックを繰り返した」と、井之上PRの鈴木社長兼COOは語る。

 緊急事態でもあったことから、土日も作業を行い、ゴールデンウイークに本格突入する直前の4月28日に公開することができた。

「感染者数は減少傾向にあるが、第2波、第3波ということを考えれば、いまや従業員に新型コロナウイルス感染者が発生する前提で、広報対応ができる体制を敷く必要がある。企業や業界には、それぞれの文化や慣習があるため、個別の企業に対応するマニュアルとは異なるが、根本として押さえておくべきことをまとめ、それをベースに利用者がカスタマイズできるようにしている。緊急時の考え方を示すためのマニュアルになる」(井之上PRの関口氏)という。

公表基準決定でバッシングを防ぐ誠実に対応する姿勢がカギ

 では、「新型コロナウイルスに関する危機管理広報初動マニュアル」では、どんな内容が盛り込まれているのか。

 全15ページで構成される同マニュアルでは、「信頼できる正確な情報をどうつかむか」、「新型コロナウイルスに対する基本的な広報対応」、「企業を守る3つのキーワード」、「対外的な広報活動」、「対内的な広報活動(エンプロイー・リレーションズ)」、「従業員に感染者が発生した際の広報における具体的方策」などを示している。

 井之上PRの関口氏は、「従業員に新型コロナウイルス感染者が確認される前に、備えておくべき広報としての準備、従業員に感染者が確認された場合における広報の初動アクションという2つが大きなテーマになっている」とする。

 そして、準備と初動の重要性を、広報初動マニュアルでは指摘している。

 「パンデミック下では、不確かな情報が錯綜する。正しい情報をキャッチして、それをもとに対策を検討していくことが必要になる。また、感染者が確認された場合には、どのタイミングで公表すべきかが重要になる。そのための公表基準を決めておく必要がある」(井之上PRの関口氏)。

 実際、緊急時の対応方法を準備していた企業のなかには、すぐに新型コロナウイルスに関する特設サイトを用意し、自社の対応方法を示し、適宜、情報の更新を行うといった取り組みを行っていた例もあった。

 ある電機大手では、社内で感染者が確認された時点で、速やかにサイトで公表。それが誠実に対応する姿勢を示すことにもつながった。また、キャリア大手各社も、対応策や最新情報を、迅速に公開した業種のひとつだったといえるだろう。

「感染者が確認されたら、なんでも公表すればいい」というわけではない「出さない情報」もしっかり決めておく必要がある

 その一方で、「感染者が確認されたら、なんでもかんでも公表すればいいというわけではないことも理解しておく必要がある」とも語る。

井之上パブリックリレーションズ 執行役員の髙野祐樹氏

 井之上パブリックリレーションズ 執行役員の髙野祐樹氏は、「新型コロナウイルスの感染者情報は、個人情報と結びつきやすい。個人情報を保護するという観点から出すべき情報を決めたら、それ以外は出さないことも大切である。出す情報はなにかということも大切だが、出さない情報はなにかということをしっかりと決めておくこともそれと同じく大切である」とする。

 報道では、味覚や嗅覚に異常があるのに友人とのバーベキューに参加したり、陽性であるのに高速バスを使って移動したりしたことで、感染拡大のつながった例があったが、情報を出しすぎたことで個人が特定され、その個人がSNSなどでバッシングを受けるという事態も発生した。

 「企業のなかには、社会活動には大きな影響がないにも関わらず公表したり、プレスリリースを出してしまった場合もある。一方で、公表しなくてはいけないのに、それをしなかった事例も出ている。この広報初動マニュアルをベースにして、考え方や姿勢を統一するきっかけにもつなげたい」とする。

経営陣の思いを伝える「PR」は経営の心臓部

 一方、今回の広報初動マニュアルにおいては、2つの点に注目しておきたい。

 ひとつは、社外だけでなく、社内への情報発信の重要性に言及している点だ。

 井之上PRの関口氏は、「多くの企業と接していて、日々感じていることは、PRは、経営の心臓部であるという点。緊急事態が発生しているからこそ、経営層の考え方や思いを、リアルタイムに、ステイクホルダーである従業員に伝えることがより重要である。それを行わないと、企業の血液の流れが滞ってしまうのと同じ状態に陥る。とくに、今回のコロナ禍においては、従業員が不慣れなリモートワークを強いられている。経営陣がどんな思いで新型コロナウイルスに立ち向かっているのか、現場に対してどんな手を打っているのかといったことを社内の隅々にまで知らせることは、PRの観点から重要なことになる」とする。

 井之上パブリックリレーションズ 執行役員の横田和明氏も補足するように次のように述べる。

井之上パブリックリレーションズ 執行役員の横田和明氏

 「パブリックリレーション(PR)というと、対外的なプロモーションやリレーションと捉えがちである。また、パブリックを一般社会と捉えることもできるが、集団やまとまりといった意味もある。つまり、PRは、従業員やその家族といったまとまりに対するリレーションも重要な要素となる。その観点からみれば、従業員に対するリレーションは、危機管理において、重要なPR活動のひとつになる」と指摘する。

危機管理に求められる3つのキーワードは「倫理観」、「双方向コミュニケーション」、「自己修正」

 もうひとつは、今回の広報初動マニュアルの内容は、非常事態の場合にだけ適用するものではなく、平時から取り組んでおくべきものと定義している点だ。

 「広報初動マニュアルをダウンロードした企業を対象にしたアンケートでは、平時から、PRの観点での危機管理体制を準備している企業は2割しかなかった。部署ごとや、個別案件ごとでの部分対応ができていても、全社規模で対応できる体制がないというケースも多い。欧米の企業に比べると、日本の企業は、PRに関する危機管理体制が十分ではない」(横田執行役員)と指摘する。

 井之上PRでは、「倫理観」、「双方向コミュニケーション」、「自己修正」の3つのキーワードが、危機管理対応には重要であるとし、それを平時から社内に徹底しておくことの必要性を説く。「事実が隠蔽されるような不祥事が発生している企業に共通しているのは、この3つのいずれかが欠けている」とも語る。

 たとえば、「倫理観」では、自分たちだけが得をすれば良いという利⼰的過ぎる考え方は、結果として信頼感を損なうことにつながり、パブリックと良好な関係を維持することが難しくなる。そうした状況に陥らないために、高い倫理観を判断基準に取り⼊れながら、PRを行う姿勢が大切であると定義する。

 これを今回のコロナ禍に照らし合わせれば、根拠がない、あるいは十分ではないと思われるチェーンメールや情報を広げることに加担する行動は倫理観に背くものであり、さらに、⾃社や事業領域について誤った情報が流布されている場合には、速やかな訂正情報を開⽰することが、倫理観に則った行動につながるというわけだ。

『わかりやすい』『助かる』…普段の倍近くも反響が

 鈴木社長兼COOは、「100年に一度という事態が明日起こるかもしれない。いま、まさにそうした事態が起きている。PRという観点から、危機への対応を平時から図ることが必要である」と警鐘を鳴らす。

 広報初動マニュアルを4月28日に公開して以降、日本全国の公的機関や企業、NPOなど、これまでに460件以上の問い合わせがあったという。

 「これまで無償で公開したマニュアルは、200~300件だったことに比べると、倍以上のダウンロード数になっており、関心の高さを感じる。企業や自治体からも、『わかりやすい』、『助かる』といった声が出ている」(井之上PRの関口氏)という。

新時代の広報対応に向けた仕組みづくり

 だが、新型コロナウイルスを震源にして、社会環境は刻一刻と変わり続けている。

 井之上PRの関口氏は、「変化にあわせて、広報初動マニュアルをVer.2へとアップデートする必要が出てくるかもしれない」と語る一方、「今後は、企業の情報発信の仕方そのものが変わっていくことになる。広報部門はその点にも対応していかなくてはならない」とも指摘する。

 2020年3月以降、オンラインによる記者会見が増加。IT業界では、すべての記者会見がオンラインだけで行われている。

 「都心のホテルや、本社の会議室に記者を集めて会見を行うという、これまでは当たり前だった手法が当たり前ではなくなり、しかも、これが元に戻ることはないだろう。リアルな会見と、オンライン会見を同時に行うハイブリッド会見も増えていくことが想定される。情報発信の仕方が変わり、それに向けた投資をしていく企業が信頼を得ることができる。その一方で、一人一人に情報をどう提供するのかを考える必要がある。長年、変化がなかったメディアに対する情報発信の仕組みや、読者に対する発信をどう変えていくかということも、企業や自治体の広報担当者とともに、一緒に考えていきたい」(井之上PRの髙野執行役員)とする。

 新型コロナウイルスは、PRの仕方にも大きな変化を及ぼすことになったといえる。そして、今後は、新たな時代の広報対応に向けた仕組みづくりが求められることになりそうだ。同社はそうした動くにも対応していく考えだ。