レビュー

映画「Winny」を観た……観よう!「言葉の代わりにプログラムで語る人」の世界

映画「Winny」ポスターより (c)2023 映画「Winny」製作委員会

 3月10日封切りの映画「Winny」を今更ながらに観てきたんだけど、一言で言って「すごい良かった!」。

 とかく、硬いテーマと思われがちなこの映画、その「硬い部分」はとても大事だけど、「それだけが魅力」というわけじゃない。だから、「そうじゃない魅力」を書いていきたい。

 要するに「面白いから観て!」と言いたいだけなんだけど(笑

「言葉の代わりにプログラムで語る人」が何を感じ、どう語るのか?

 さて、最初に言っておくと、この映画を観に行ったのは職業意識から。

 映画には弊誌から写真を提供させていただいてる(下写真)し、スタッフもいい感じのまとめ記事を作ってくれたし「これは編集長として観に行かないとダメだよね」と思っただけなのが、正直なとこ。僕がINTERNET Watchに関わるようになったのは2017年からなので、当時の詳しい話も知りません。

公判後に会見を行った金子勇氏(中央)と弁護団。2009年10月公開の逆転無罪を報じた記事より

 なので、観に行く前は、あまり期待していなかった。

 予告PVを観ていると、どうしても「技術者の未来を守る」とか「社会的意義が」「司法が」……といった堅いテーマを感じがちで、もちろん、それは「あってほしいこと」だし「正しい」のだけど、それだけだと、どうにも興味を搔き立てられず(だって当然だもの)。

 で、観て思ったことは、冒頭通りの「すごい良かった!」

 いろんな「良かったところ」はたくさんあったのだけど、とにかく良かったのが東出 昌大氏が演じる「金子 勇」。

 僕は、金子氏に会ったことはなく、「どんな人だったのか」を語る立場にはないけれど、でも心の底から感じたのは「そう、こういう人いる、いるんだよ!」という喜び感。

 「言葉が苦手で、誤解されがちだけど、でも、言葉以外で語る人」がスクリーンの中に表現され、そして内面が描かれる。こうした「言葉で語らない人」は、とかく理解されにくいのだけど、映画として描かれたことで、その壁を越えられたように感じた。

 「言葉で表現する代わりに、プログラムで表現する人」が、どのように日常を送り、悩み、表現していくのか、そして、その渾身の表現とはどういったものなのか、ということを、とても生き生きとこの映画は見せてくれたし、その「彼」を見る自分の目線に戻ると「なにをしたらいいんだろう」と考えさせられる。

 多くの人が「言葉」で語るように、彼は「プログラム」でも自分の思いを語っていて、その表現の一つが「Winny」でもある。それに思い至った時、プログラムが著作物(≒「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義される)として守られている理由も合点がいくし、また、最近のブロックチェーンやAIがいかに思想的なのか、過去から連綿と続く「自己表現としてのプログラム」がさらに大きくなって社会実装されている……なんてことも感じたり。

ちょっと蛇足

 さて、最後に蛇足だけども、この記事、ちょっと端折りました(笑

 金子氏のような人が「いる」と、他人のような書き方をしたけども、実は僕、もっと文章が書けなかったころ、どこか、金子氏のように「プログラムで表現する人」でした。

 彼とは比べ物にならないぐらい小粒な才能だったけど、昔の僕はうまく喋れなかったし、うまくも書けない…………、「でも、こんなプログラムを書ける!」。そんなコミュニケーションをしていた時代もありました。

 あなたの周りにも、そんな人が1人ぐらいいるかもしれないし、今読んでいただいているあなた自身が、そんな人かもしれない。

 そんな人と、もっとコミュニケーションできたらそれは幸せな世界になるんだろうな、と思うのです。

 なので、これを読んでいるあなたにも、この映画を観てほしい。そして、「こういう人のありかたがあるんだな」、って思えたらいいな、と思います。

 ………なんて書いているのが今日なので、上映中の映画館も減っちゃっていて、「なんでもっと早く書けなかったかな……」とも思うのですが、これでご興味を持った方がいましたら、是非、映画館にどうぞ

【映画「Winny」予告編】