トピック

生きる拠点を2つ持つ。東京を連れて地方に住む方法

バックアップとしての宮崎県移住プラン、リモートワーカーならば一度検討してみては?

「ひなた照らすICTプロジェクト vol.6 トーク&交流会」にゲストスピーカーとして登壇した筆者

 ITエンジニアの宮崎県移住を支援する「ひなターンみやざき」の一環として、交流会イベント「ひなた照らすICTプロジェクト vol.6 トーク&交流会」が3月2日、東京・渋谷で開催された。筆者も昨年のプロジェクトをちょっとお手伝いした関係で、今回はゲストスピーカーとして登壇することとなった。

 これまではITエンジニアが宮崎に移住し、宮崎で就職する、あるいは宮崎で起業するという話が中心だったそうだが、今回はちょっと違ったお話をということで、お声がけいただいた次第だ。

 宮崎へ移住するとなると、今首都圏に住んでいる方は今の仕事を辞めて、宮崎で再就職すると考えがちだ。だがIT業界ならリモートで働けるようになった現在、東京の仕事を完全に捨ててしまうのはもったいない。

 今回は宮崎で一風変わった働き方をしている筆者の体験談として同イベントでお話しした内容を中心に、当日会場で行われた質疑応答などの模様をお伝えしていこうと思う。

「ひなターンみやざき」とは

「ひなターンみやざき」公式サイト

首都圏在住の宮崎県出身者や宮崎県へのUIJターンを検討するITエンジニアが集うコミュニティを運営。オフライン/オンラインでの交流会の開催、県内のIT企業についての情報発信など、ITエンジニアの宮崎県移住を支援する取り組みを展開している。メンバー登録することで、交流会やイベントの情報が届けられるほか、希望者はキャリアコンサルタントによる移住就職相談を受けることも可能。

東京を連れて故郷に帰る

 筆者はもともと宮崎市の出身で、高校まで地元で暮らしたあと東京の専門学校へ進学。それ以降、東京でメディアの仕事に就いたため、首都圏で37年間生活した。宮崎へ帰ったのは2019年のことで、きっかけは、かねてから言われていた義兄の経営する会社を継ぐためである。なぜこのタイミングだったかと言えば、上の娘がちょうど高校進学の年だったからだ。

 義務教育ならともかく、高校の転校はなかなか難しい。編入試験を受けなければならず、どうしても現在の高校よりワンランク下の高校になってしまうケースが多いと聞く。どうせ宮崎の高校に通うのであれば、1年時入学のほうが本人にとっては負担が少ないはずだ。

 一方で一番下の息子は、小学校を卒業するのが2020年となる。せめて小学校までは転校なしでという妻の願いもあり、まず筆者と上の娘が1年先に宮崎に移住して基盤を作り、翌年残りの家族が移住してくるという、2段構えの移住計画となった。

 ところがご承知のように、2020年からコロナ禍となり、宮崎でも状況が一変した。慣れない仕事で会社を継ぐという計画は頓挫。だがすでに家族全員が宮崎へ移住完了しており、学校も始まっているので今さら首都圏に戻るわけにもいかず、宮崎で暮らしながらライター業を本業に戻すこととなった。

 とはいえ、メーカー本社やメディア企業はほとんどが東京にあり、展示会や製品発表などは全て東京で行われることから、取材活動は東京になる。以前ならば、地方に暮らしながらメディアの仕事を続けるのは絶望的だっただろう。

 だがそこは逆にコロナ禍がプラスに働いた。多くの企業がテレワークを採用し、取材対応もオンラインで行われるようになった。そうなると、どこに住んでいるのかは関係なくなる。宅配便も首都圏より1日余計にかかるが、それを考慮すれば機材貸し出しなども問題ない。

寝室の片隅に仕事場を構築して、ライターを本業に戻した2020年7月ごろ

 お陰様で、現在、連載本数は首都圏に住んでいたころの水準に戻すことができた。しかしこれは、単にリモートで済むようになったというだけではないと思っている。発注側としては、実際に会いにいけない場所に住んでいる者に仕事を依頼するなら、これまでの実績や信頼性を重視するはずだ。

現在は在京中と変わらない仕事量に戻った

 筆者はもともとテレビ業界でメディアの仕事をスタートしているので、締め切りを伸ばすという感覚がない。それゆえ、これまでの原稿も締め切りを過ぎたことはなく、無理そうなときには必ず事情と見込みを連絡するようにしている。こうした常に締め切りを守ることや、先方からの連絡にすぐレスポンスを返すといったクセが、信頼の担保になったものと思われる。現在はその「信用貯金」を切り崩しながら生きているというわけだ。

 もう1点、宮崎を拠点に生活できるようになったポイントは、無理に宮崎の仕事を取ることにこだわらなかったことかと思っている。宮崎にも数は少ないがメディアの仕事はある。ただ、いい席――つまり、ある程度高いギャランティが見込める仕事は、すでに席が埋まっている。そこを無理に取ろうとしても、上手く行かなかっただろう。

 むしろ、地元の利害関係に割り込まなかった。地元の人も、東京から来た者に仕事を奪われるのは歓迎できないはずだ。だがその一方で別の席を作る――つまり、別の仕事を持って来て間口を広げるということに関しては歓迎される。地元の人にはできないことだからだ。過去、宮崎に移住して成功した人には、自営業や起業した人が多いが、それは地元に新しく椅子を持って来て座ったから、だと思う。

5年間の宮崎暮らしで掴んだこと

 首都圏と宮崎との暮らしを比較すると、単純に都会と田舎という対比だけでは語れないところがある。地方はどこでもそうなのだが、それぞれに土地柄や気質などが違っており、その暮らしぶりは地元経済圏に最適化されている。つまり、東京の暮らしぶりそのままを地方に持ち込んでもコストばかりかかってしまい、地方に住むメリットが生まれないわけである。

 まず考えなければならないのは、生活コストの比重というか配分の再考だ。今年1月に不動産経済研究所が発表したところによれば、東京23区の新築分譲マンション平均価格が1億円を突破したという。23区内は投機の場であり、ここを生活圏にできるのは一部の選ばれた人だけということが、決定的になった。

 したがって普通の人の生活圏は、都心から遠く離れた郊外ということになるが、それでも生活費の大半を占めるのが地代家賃であることには変わりない。この点において宮崎の地代家賃は、非常に安い。筆者は以前、埼玉県さいたま市に戸建ての賃貸住宅に住んでいたが、宮崎では海から近いマンションに住んでいる。家賃で比較すると半額以下で、毎月7万円ほど安く上がることになる。

 宮崎で就職すれば賃金は下がるので、家賃で下がった分が相殺されてしまう。だが東京の仕事をすれば、東京水準のギャランティになるので、家賃の下落分がそのまま余裕にできる。

 ただ、どこに住むかで利便性は大きく変わることはいうまでもない。首都圏であれば駅から徒歩何分というのが重要だが、宮崎などの中核市クラスは車社会なので、駅までの距離に意味はない。車で5分ぐらいの範囲が日常の生活圏になるので、その中にどれぐらいの大型スーパー、ドラッグストア、コンビニ、食事処等が入るかがポイントになる。

 車で5分というと、交通事情にもよるがだいたい3kmぐらいだとすれば、直径にして6km。これがどれぐらいの範囲なのかピンと来ない人も多いだろうが、だいたい秋葉原から新宿までの直線距離が6km程度である。つまり距離だけ考えれば、皇居に住んで山手線内が買い物範囲、というスケール感で考える必要がある。

 宮崎に住んだら挑戦すべきは、農作だ。筆者は月額2000円で10畳分ぐらいの畑を借りているが、晴れの日が多く暖かい気候なので、農作物がばんばか育つ。6月に畑を借りて露地野菜を作り始めたが、全くの素人ながら8月には茄子やキュウリ、ミニトマトなどが収穫できた。また、同じく畑を借りている他の人からも余剰野菜をいっぱいもらうので、常に食卓には無農薬採れたて野菜が並ぶ。年齢関係なく持ちつ持たれつの「畑友だち」がたくさんできるので、おすすめだ。

宮崎に来たら畑をやらない手はない
自分で作った野菜を毎日食べる

働き方だけではなく、生き方も考える

 筆者と同居している子供は、残り2人となった。2人とも現在高校生で、大学は東京近郊を希望しているので、あと2年後には家族で首都圏に戻ることを計画している。宮崎から2人分の仕送りをするより、どこでも働けるなら親ごと行ってしまえ、というわけである。

 それまでに宮崎でやっておきたいこととして、筆者はこの4月から大学に行くことにした。通信制で3年時編入が可能だったので、2年で卒業できる。昨年、筆者は還暦を迎えたところだが、勉強できるのもまだ頭が働き、宮崎で余裕がある間だけ、と考えたからだ。

 子供達がみんな大学を卒業し、自立してしまったら、また夫婦2人だけで宮崎に戻るか、しばらく首都圏暮らしを続けるか、またゆっくり考えようと思う。どのみち結論を出すにはまだ6年以上ある。その間に事情も変わるところがあるだろう。

 今年1月に能登半島で大地震があったばかりだが、今後警戒される地震として、首都直下、南海トラフ、千島海溝・日本海溝、東海地方、関西直下が想定されている。日本中、安全なところはないと考えるべきだろう。そうしたときに、生活基盤が首都圏一本で大丈夫なのかという不安は、誰しもあるのではないだろうか。東京に住めなくなるといったシナリオを想定するのは馬鹿げていると、笑い飛ばせるほどのデータもまた、ないはずだ。

 東京で暮らせなくなったときに、いきなり見ず知らずの土地で暮らすより、土地勘がある地方が1つ2つあったほうがいい。ITやデジタル環境ではバックアップが必須なのはみな分かっているのに、生き方にバックアッププランがないのは、不自然だ。そんな理由から筆者は、頭と体が動くうちに首都圏と地方どっちでも生きられるようにしておくのは、悪くない考えだと思っている。

都会の価値観では測れない、宮崎県移住

 今回のトーク&交流会では、筆者も交えてのトークセッションおよび参加者との質疑応答が行なわれた。これには「ひなターンみやざき」の事務局を担当する株式会社宮崎県ソフトウェアセンターから、22歳のときに宮崎に移住した高橋良輔さんと、東京都出身で一昨年に宮崎へ移住した安富太悟さんが参加した。ここではその一部をご紹介する。宮崎県移住の実際を感じ取っていただければと思う。

筆者も含めたトークセッション。スクリーンの画面向かって右が、リモート参加した安富太悟さん。左は、トーク&交流会のモデレーターを務めた今村充裕さん(株式会社NOWVILLAGE代表取締役)

――宮崎は給与面で安いと聞くが、実際どうなのか。

安富: 安いのは事実だが、自分はもともと東京でもITベンチャーで働いていたので、それほど給与は良くなかった。自分は年齢的にも給料をもらうより与える側になってきているので、ギャランティが低いという部分については、他のところで価値を提供していきたいと思っている。

高橋: 自分は22歳のときに大阪から戻ってきたが、当時は自分の給与に対する水準はなく、また、やりたいことも特になかった。だが大阪時代の知り合いが宮崎で居酒屋を出すということで、頼まれてホームページを作ったことで、ITスキルが直接人の役に立っているという実感が沸いた。給料というよりも、やりがいを感じることが重要なのではないか。

株式会社宮崎県ソフトウェアセンターの高橋良輔さん

――宮崎でスキルアップは可能か。

安富: 自身のスキルアップに、場所は関係ないのではないか。東京は機会や選択肢が多いので、分かりやすくチャンスがあるように見える。一方、九州は福岡や熊本を中心にシリコンアイランドを形成しつつあり、これから黄金期を迎える。得たいものを求めて行けば、逆に地方のほうがチャンスがあるように見える。

――ITで働く環境は整備されているのか。

高橋: 企業誘致は宮崎県も各市町村も力を入れている。また、ワーケーション施設も整備が進み、ほぼ熊本と県境のような高千穂町にもワーケーションの拠点ができるなど、宮崎の魅力は残しつつ、チャレンジできる環境ができている。これから先も、さらにいろいろな市町村が取り組んで行くものと期待している。

 トークセッションのあとは「自治体PRトーク」として、延岡市と宮崎市の移住推進担当者からのプレゼンが行なわれた(下記のカコミ参照)。こうして見ると、筆者が移住した2019年ごろとはがらりと様相が変わり、各自治体の移住に関する情報が見つけやすくなっている。当時、筆者が探したときは、自治体のページを掘って掘ってようやく見つけたのが2年前のページだったりといった状態だった。2年間施策が変わっていないので、そのままだったわけである。

 でも今は年々情報もアップデートされ、移住すると決める前からも、さまざまな相談に乗ってくれる窓口もできた。「ひなターンみやざき」のようなポータルがあるのも心強い。

 移住するとなると、もうそそこに骨を埋めるぞというようなイメージだが、生きる拠点を増やすという視点で、宮崎県移住を考えてみてはどうだろうか。

宮崎県移住についてもっと知る――延岡市の「自治体PRトーク」より

自治体PRトークを行った延岡市役所人材政策・移住定住推進室の落合恵太さん

 延岡市のPRトークは、延岡市役所人材政策・移住定住推進室の落合恵太さんがリモートで実施し、市の概要や移住関連の取り組みについて説明。県外からの移住者への支援金や移住子育て世代への家賃補助・住宅購入補助といった「定住支援」の制度だけでなく、移住活動を目的に市内に滞在する人を対象として宿泊費・レンタカー代金の一部を補助する「お試し滞在支援事業」も行っていることを紹介した。

 また、市内でワーケーションを実施する事業者の交通費やレンタカー代金などの一部を補助する「ワーケーション企業誘致促進事業」も展開しており、「まずは旅行でもいいので延岡市に来てみてほしい」という。“延岡市にスムーズに移住するための手順”を取りまとめたというリーフレット「住む~ずガイド」も配布している。

延岡市で作成・配布している「住む~ずガイド」(一部)。市のサイトからPDF版がダウンロードできる

宮崎県移住についてもっと知る――宮崎市の「自治体PRトーク」より

自治体PRトークを行った「宮崎市移住センター」の移住コンシェルジュ・宮田理恵さん

 宮崎市からは、「宮崎市移住センター」の移住コンシェルジュ・宮田理恵さんがリモートでPRトークを実施。地域の魅力を紹介するとともに、近年における同市への“移住の傾向”について説明した。同センターが関与した移住世帯・移住者ともに増加傾向にあるが、本記事で紹介したような「移住前からの仕事を継続するリモートワーカー」が増加していることも指摘。令和4年度の移住支援金申請者における移住後の働き方について調査したところ、その36%がこうしたリモートワーカーだったという。

 「宮崎市移住センター」は移住相談のワンストップ窓口として宮崎市役所内に設置されているが、オンラインでも対応しているので「まずは気軽に相談してほしい」という。移住支援金制度についての問い合わせや、仕事・住まい探しといった移住前の相談から、先輩移住者や趣味・子育て・仕事のコミュニティ紹介といった移住後の相談まで、多岐に対応。また、移住希望者・移住者をサポートするための「移住アンバサダー制度」というものもあり、移住アンバサダーを務める地域の団体・企業や先輩移住者らとも連携してアドバイスや地域ならではの情報提供を行っているとしている。

小寺 信良

1963年、宮崎県出身。18年間テレビ番組制作者を務めたのち、文筆家として独立。専門分野はコンシューマー映像機器、放送機器、映像技術、放送文化、エネルギー問題、子どもとIT、PTAなど。インターネットにまつわる諸問題の解決に取り組む「一般社団法人インターネットユーザー協会」代表理事。2015年より2019年まで、文化庁文化審議会著作権分科会専門委員。2019年より故郷の宮崎県へ移住。コラム「小寺信良のくらしDX」をImpress Watchにて連載中。