期待のネット新技術

自動車用ネットワークの標準化(1) 「BroadR-Reach」および「100BASE-T1」と「IEEE 802.3bw」

 自動車のネットワークが、昨今どんどんEthernet化されつつある。今回からその話をしたいと思う。

 もともと自動車には、多数のハーネス(電気配線)が利用されている。例えば運転席だけで言っても、ブレーキ(ブレーキランプ)、ウィンカースイッチ(ウィンカーランプ)、ヘッドライトスイッチ(ヘッドライト)、パーキングスイッチ(ウィンカーランプ)、ドアロックスイッチ(各ドアのロック)、ウィンドウスイッチ(各ドアのウィンドウ)、etc...と、多数のスイッチがある。そして、それが全部ハーネスでつながっているわけで、運転席の周りがハーネスだらけになるのは避けられない。

 加えて自動車では、1980年台からエンジンがキャブレターから燃料噴射(FI:Fuel Injection)に切り替わり、すぐにそれが電子制御燃料噴射(EFI:Electronic Fuel Injection)に進化している。EFIを利用するためには、その制御システムが必要というわけで、ここからECU(Electronic Control Unit)が車に搭載されるようになった。ということは、更にハーネスが増えることになる。

初めの「CAN」から、大容量伝送のニーズに応じて登場した「MOST」まで

 これをもう少しなんとか出来ないか、ということで車載用のバス(幹線から各装置に配線するシステム)が利用されるようになった。そのための規格として、まず最初に登場したのがCAN(Controller Area Network)である。これは元々は独Boschが独自に開発したもので、1986年に発表。1992年から実際に採用され始めることになる。

 1993年にはISO 11898として標準規格化された。実はこの当時、主要な自動車メーカーは全て独自にNetworkを開発していた。GMのClass 2 NetworkとかChryslerのCCD(Chrysler Collision Detection)、FordのSCP(Standard Corporate Protocol)などで、日本でもトヨタがBEAN(Body Electronic Area Network)を立ち上げている。ただ最終的にこうした独自のNetworkはCANに収束することになった。

 このCANの話は、Car Watchで「車載Networkの話(2)『CAN』」として解説しているので、ここでは繰り返さない。ちなみに転送速度は最大でも1Mbpsで、これで当時はお釣りが来るレベルだった。

 ただ、CANはある意味重厚というか堅牢性や確実性を重視した作りであり、もちろんエンジンとかアクセル、ブレーキと言った制御系にはそうした堅牢性や確実性が必要だが、例えばウィンドウの開閉制御とかワイパーのOn/Offといった、「動かなくても安全性には支障がない」用途には、ちょっとOverkillな部分があった。これに向けてより安価なNetworkとしてLIN(Local Interconnect Network)が90年台後半から開発され始める。このLINの詳細もCar Watchで説明しているので、興味がある方は「車載Networkの話(4)『LIN』」をご覧いただきたい。

 一方、将来を見越してCANよりもさらに高性能なNetworkを目指したのが、FlexRayである。こちらの詳細も「車載Networkの話(3)『FlexRay』」として説明しているので、今回は割愛する。ただFlexRayも最高転送速度は10Mbpsである。当時の制御系としてはこれで十分、と見なされていたわけだ。

 ただし車内のインフォテイメント系にはこれでは不十分であった。日本では考えられないが、アメリカだとRVの後部座席にモニターが付いていて、これでDVDなどの映像を流す、という使われ方がよくされていた。

 要するに家族で外出するときに、法規制で子どもは後部座席に座らせる必要がある(助手席はNG:今は日本もそうなった)。そこで、おとなしくしていてもらうために、子どもの好きなDVDを流しておくといった用途に使うわけだ。これも、運転席あたりに配されているDVDプレイヤーから映像出力ケーブルを後部座席まで引っ張るのは、無駄に配線が増える。最小限に抑えるためにはNetwork化したい、ということで生まれたのがMOST(Media Oriented Systems Transport)である。

 こちらも、Car Watchで「車載Networkの話(5)『MOST』」として解説しているが、25/50/150Mbpsの3つの規格が存在する。ただMOSTは想定されていたほどには低価格にならず、普及も今ひとつという格好だった。理由の1つはToken Ringトポロジーを採用したことにあるのかもしれない。やはりLeafというかTree型に配線できた方が、ハーネス構成の自由度が上がるからだ。

Ethernetを車載用にした「BroadR-Reach」と「100BASE-T1」の登場

 ということで、いよいよ今回の本題。こうした状況でBroadcomはBroadR-Reachという独自のNetworkを開発した。独自のNetworkといっても、物理層以外はEthernetそのままである。Ethernetは非常に広範に普及しているから、価格という意味ではEthernetより安いソリューションは事実上無いと考えて良い。なので既存のEthernetのMACまではそのまま利用し、PHYだけを自動車向けに新しく定義すれば安価に構築でき、かつ既存のEthernetに対応したアプリケーションがそのまま利用できる、と考えたわけだ。

 BroadcomはこのBroadR-Reach対応製品を2011年に発表している。こちら記事でも触れたが、元々はOPEN SIG(One Pair Ether-Net SIG:現在はOPEN Allianceに改称されている)という団体で仕様策定されていた(というよりも自動車にEthernetを持ち込もうとしていた企業が合同でOPEN SIGを立ち上げた)もので、これをBroadR-Reachというブランド名で製品化した格好となる。この仕様の骨子は、次の3点を実現するものだ。

  • 一対のUTPケーブルで接続可能
  • 通信速度は100Mbps、全二重
  • 最大配線長15m

 車内での配線なので、コストと重量の両方の削減のために、なるべく配線は簡素化したい。100Mbpsといえば100BASE-TXが広く使われている。これはCAT3以上のケーブルを使い、4対のUTPのうち2対を使って100Mbpsの信号を双方向で送り出している仕様だが、CAT3よりももっと細くしたかったし、値段も下げたいと考えた。

 下図は、このBroadR-Reach(というか、BroadR-Reachを標準化した100BASE-T1)の特徴をまとめたものだ。変調周りについて言えば、まずMII(Media-Independent Interface:MAC層とのI/F)からの信号は4B3B変換を行い、本来4bit幅の信号を3bitづつ切り出す。これに対してScramblingを掛けた後で、3B2T変換を行い、PAM3で出力する。つまり3bitの信号を2つのシンボルに変換して、3値(-1/0/1)で送り出す格好だ。受け取る側は2つのシンボルを受け取ったら2T3B変換して3bitに復元。これをDe-scrambleした後で、3B4B変換して4bitデータとしてMII経由でMACに送り出す格好になる。

出典はOPEN Allianceの「Advanced diagnostic features for 100BASE-T1 automotive Ethernet PHYs」。ちなみにこれはVersion 1.0のもので、最新版のVersion 2.2ではFECC(Forward Error Correction Counter)やTDR based Cableなどの項目が追加され、一方POLのPolarity detect/Polarity correctは削除されるなど、やや項目が変化している

 ちなみに、PAM3ということは1回の伝送で3値が伝送できるわけで、これを2回転送すれば9値が伝送できることになり3bit(8値)を超えるわけだが、両方のシンボル値が共に0は存在しない(厳密にはSSD:Start-of-Stream Delimiterという制御信号として扱われる)ので、実質8値ということになる。これにより、信号伝達速度100Mbpsに必要なシンボル速度は66.7MHzに下げることが可能になり、率直に言って劣悪な伝送環境(ノイズなども多く、動作温度範囲も非常に広い)での安定した通信に貢献する。

 またBroadR-Reachは全二重通信であるが、これは同じUTPの両端から同時に信号を送り出すかたちである。この場合、UTP全体の電圧は両方の信号の合計となるのだが、受け取る側はこの電圧から、自身の送り出した信号の電圧を引くというエコーキャンセルの仕組みを取ることで解決している。

2015年に「IEEE 802.3bw」として標準化

 このBroadR-Reachの仕組みは、IEEEでの標準化が行われる。2014年5月にPARが出され、同年8月に承認されてTask Forceが結成される。通常Task Forceが結成される前にはStudy Groupが半年~1年前から結成されて下準備がなされるのが一般的だが、IEEE 802.3 1 Twisted Pair 100 Mb/s Ethernet Study Groupの最初のミーティング(なぜかWebEXを利用したオンラインのみで行われた)が行われたのは2014年4月10日。続いて4月17日、4月24日、5月8日と合計4回のミーティングの後でPARがすぐ出されるという、異様に迅速なスケジュールでTask Forceが結成されている。

 Task Forceは2014年9月~2015年8月の間に計10回のミーティングを行い、これで仕様策定が完了。2015年10月にはIEEE Boardからの承認を得て、IEEE 802.3bwとして標準化が完了している。IEEEの規格としては異様なまでに迅速に標準化が終わっているが、これは要するに、たたき台となったBroadR-Reachの仕様が、かなりしっかりしていたことの裏返しともいえる。

BroadcomがOPEN Alliance SIGに寄贈したBroadR-ReachのPHY Specificationの表紙。Draft 1.0は2010年2月に完成、2012年3月にVersion 1.0となり、以後1.1/1.2/2.0/2.0.1/3.0/3.1/3.2と版を重ねている
大原 雄介

フリーのテクニカルライター。CPUやメモリ、チップセットから通信関係、OS、データベース、医療関係まで得意分野は多岐に渡る。ホームページはhttp://www.yusuke-ohara.com/