天国へのプロトコル

第15回

うっかり初期化してしまった亡夫のiPhone、もう一度データを戻す作業に挑戦した記録

事例:亡夫のiPhone、パスワードを試していたら初期化されてしまった

 都内で暮らす70代の女性・Yさんから、メールでこんな相談を受けました。

「長年連れ添った夫の携帯電話が開けずに困っております。夫は半年前に亡くなったのですが、パスワードを何度か入力しているうちにウンともスンとも言わなくなってしまいました。助けてください」

 詳しく尋ねると、亡夫の形見はiPhoneでした。夫のiPhoneにはロックがかかっており、Yさんは該当しそうな数字の並びを何度か試したそうです。そして、どうやら端末が初期化されるところまで進めてしまったようでした。

 iPhoneは10回連続でパスコード入力をミスすると、自動的に端末を初期化するセキュリティ機能を備えています。亡夫氏はこの機能を有効にしていて、Yさんはそれに気づかずに初期化のスイッチを押してしまったわけです。こうなるともう端末内からデータを取り出すことはできません。

iPhoneの「設定」メニューから「Face IDとパスコード」に進むと、最下段に「データを消去」の項目がある。初期設定ではオフになっている
5回連続ミス以降は次回入力までに待機時間を要する。待機時間は回数を追うごとに伸びていき、ラストの10回目は8時間経ないと入力できない仕組みだ

 Yさんは、夫が残した写真やメモなどを手元に置いておきたいといいます。端末から拾うことはもうできませんが、バックアップ等が残されていれば、空っぽになったiPhoneにそれを復元するという手が使えます。

 確実性は低く、やや煩雑な作業になりますし、故人のプライバシーの問題もあります。ただ、近所で暮らす長男氏もiPhoneの復元に同意しており、作業もサポートしてもらえるとのことだったので、事情を勘案してアドバイスすることにしました。

復元:iCloudの同期アプリだけは復元できた

 空っぽになってしまったiPhoneは復元のための器になります。アクティベーションロックも解除されており、端末のパスワードも未設定の状態です。

 電源を入れて初期設定を進めると、復元やデータ転送が選べる「Appとデータ」画面に進むので、復元できるデータがあればここで選択できます。問題は復元元になり得るものがどこかに残されているか、です。

「Appとデータ」の画面

 iPhoneはデータの“写し”を端末の外に置く機能を複数備えています。そのうち標準で組み込まれているのが、自社のクラウドツール「iCloud」を使ってインターネット経由で二重化したデータを残す方法です。Yさんの夫氏は普段からあまりPCを使っていなかったそうなので、こちらを利用している可能性が高いと見当をつけました。

 iCloudの二重化の手段も2つに別れています。ひとつは日頃からデータを端末内とiCloud上で同期させておくもので、「写真」や「メモ」などの標準ツール単位で設定できます。同期対象以外のデータは、バックアップ機能を有効にすることでカバーします。これがふたつ目の手段で、Apple Payの情報や端末のロックを解除するパスコードといった一部を除いてほとんどの情報が対象となります。

 iCloudの空き容量が十分にあれば、この二刀流によってiPhone内のデータをほぼ丸ごと二重化できるわけです。

「設定」-「Apple ID」-「iCloud」と辿ると、同期とバックアップの設定が確認・変更できる。バックアップを使うには、ページ下方にある「iCloudバックアップ」をオンにする必要がある

 ただし、無料で使える容量は5GBまで。写真や動画などを撮っているとすぐに埋まってしまいます。以降は50GB(月額130円)から最大4TBまでの容量をサブスクリプションで利用することになりますが、課金を避けるためにバックアップ設定を無効にし、同期するアプリを絞る人も少なくありません。

 Yさんの夫氏はまさにそうした使い方で、一部のデータだけをバックアップするようにしていたようです。後で確認したところ、標準で同期設定が有効になっているアプリは「写真」を除いてそのままになっていて、「iCloudバックアップ」はオフだったといいます。

 とりあえずは何かしらのデータが復元できることが分かりました。Apple IDパスワードのリセットに難儀したものの、Yさんたちは空っぽになった夫氏のiPhoneに夫氏のApple IDの登録に成功。すると、対象のアプリは自動で同期されます。

 写真はやはり復元できず、LINEを含むサードパーティー製アプリも元に戻りませんでした。それでも、同期できた「連絡先」や「Safari」のブックマークなどから夫氏の“らしさ”が垣間見えて、ホッとしたと話してくれました。

検証:iCloudバックアップとPCバックアップから復元できたら

 仮に「iCloudバックアップ」が有効だったら、夫氏のiPhone内のデータはほぼ丸ごと復元できた可能性もあります。

 iCloudバックアップはiPhoneが電源とWi-Fiにつながっていて、ロックやスリープの状態になっているときに自動で実施されます。同期せずに端末内で保存する設定にしていたアプリ内のデータや、インストールしていたサードパーティー製アプリなどの最新版のコピーが人知れずオンラインに作られるわけです。

 各種アプリのログイン状態も保存されているので、復元した端末があれば、遺族がIDやパスワードを把握していないSNSに訃報を投稿したり、課金サービスのマイページにアクセスして契約内容を確認したりといったこともできたかもしれません(もちろん故人のプライバシーを尊重し、必要に応じての作業に限りますが)。

初期化したiPhoneで「iCloudバックアップからの復元」を選ぶと、Apple ID等を入力した後に復元メニューに進める

 ただし、復元を実行するには、元のiPhoneかそれに近いバージョンのOSが乗った端末、夫氏のApple IDとそのパスワード、二段階認証に使う電話番号等が揃っている必要があります。また、大前提としてiCloud上に十分な空き容量が必要になりますが、無料の5GBで足りる可能性は低く、有料版を利用していることが事実上の条件といえるでしょう。

 連載の第7回で検証した「デジタル遺産プログラム」は、このiCloudに残されるデータの死後の振り分けを事前に指定する機能といえます。いずれも上手く活用できたら便利ですが、本来の性能が発揮できる環境は限られる面もあるわけです。

 一方で、課金はせず、iCloudバックアップ並みの復元力を手に入れたいなら、PCにバックアップを残す方法もあります。これがiPhoneのバックアップで使えるもうひとつの手段である「PCバックアップ」です。

iTunesの「PCバックアップ」設定画面

 MacならFinder、WindowsならiTunesを介してiPhoneのメンテナンス操作を行います。バックアップには、固有のパスワードを設定して厳重にデータを保管する「暗号化バックアップ」と、固有のパスワードなしに二重化だけをする2タイプが選べます。

 暗号化バックアップならiCloudバックアップと同様にほぼ丸ごとの復元が可能ですが、遺品となった局面でみると、Apple ID等とは別のパスワードも新たに必要になるので、ハードルが一段上がる感じがあります。

 非暗号化バックアップならその点は問題になりませんが、ヘルスケア情報やクレジットカード情報などの復元は対象外となるため、本来の端末の環境から遠のきます。

 JR東日本の「モバイルSuica」を例にとると、暗号化バックアップでは復元の工程に新規の端末に移行するメニューが組み込まれているので、特段意識する必要はありません。しかし、非暗号化ではモバイルSuicaのアプリはインストール状態となりますが、機種変更の手続きには誘導されないので、復元後に個別に作業する必要があります。

 また、両方の手段に共通するのは、バックアップのタイミングが持ち主に委ねられるところです。iCloudバックアップのように、環境が整ったら自動で更新するといったことは期待できません。持ち主がPCにiPhoneを接続したときにバックアップが開始され、途中でケーブルが外された場合は完遂できません。

iPhoneの復元系機能の一覧表(筆者作成)

 以上のように復元系機能には一長一短があります。しかし、iPhoneのセキュリティが非常に強固であること、持ち歩く端末は紛失や落下事故などハードウェア的なトラブルに見舞われやすいことを考えると、できるかぎり復元の手段を整えておいたほうがいいでしょう。

 加えて、自分の身に万が一のことがあったときは、Yさんのように切実な理由からスマホを調べることがよくあります。それを見越して普段から使うのが理想ですが、せめてもの備えとして「スマホのスペアキー」(第3回で紹介)を作っておくのが良いのではないかと思います。

スマホのスペアキー。名刺大のカードにスマホのパスワードを書いて、修正テープでマスキングする
今回のまとめ
  • 故人のiPhoneを闇雲に開けようとすると全てを失う危険がある。
  • iCloudバックアップと暗号化バックアップならiPhoneの完全復活は可能
  • ただし、容量の上限や更新手段などそれぞれに必要な条件が異なる

故人がこの世に置いていった資産や思い出を残された側が引き継ぐ、あるいはきちんと片付けるためには適切な手続き(=プロトコル)が必要です。デジタル遺品のプロトコルはまだまだ整備途上。だからこそ、残す側も残される側も現状と対策を掴んでおく必要があります。何をどうすればいいのか。デジタル遺品について10年以上取材を続けている筆者が、実例をベースに解説します。バックナンバーはこちらから

古田雄介

1977年生まれのフリー記者。建設業界と葬祭業界を経て、2002年から現職。インターネットと人の死の向き合い方を考えるライフワークを続けている。 著書に『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)、『デジタル遺品の探しかた・しまいかた、残しかた+隠しかた』(日本加除出版/伊勢田篤史氏との共著)、『ネットで故人の声を聴け』(光文社新書)など。 Twitterは@yskfuruta