ワーケーション百景

第1回:島根県松江市

「自然が豊かな街で仕事をすると健康になる」を実証する、松江市のワーケーション

「ワーキングメンタルヘルスケアプログラムMATSUE」で利用しているゲストハウス「ココリト」のベランダにて。松江市産業経済部定住企業立地推進課(企業誘致・UIターンサポート)副主任の土江健二氏(左)と、産業経済部定住企業立地推進課地域資源活用コーディネーター(地域おこし協力隊)の林郁枝氏(右)

ストレスの数値化が特徴、ワーケーションを推進する松江市の取り組み

 企業におけるリモートワーク導入が進む中、自宅ではなく静養地や自然にあふれた場所で休暇中に仕事をする“ワーケーション”が広がりを見せている。このワーケーションを推進している自治体の1つが島根県松江市だ。

 松江市は7月26日、首都圏など大都市圏で働くIT技術者を対象にした「ワーキングメンタルヘルスケアプログラムMATSUE」(WMP)コンソーシアム設立準備委員会を設立し、実証実験を開始した。WMPは、首都圏など大都市圏にて3~4週間は通常通り勤務。次の1週間は松江市内の古民家やゲストハウスなどで働き、再び通常通りの勤務に戻るという流れだ。

 WMPで特徴的なのは、バイタルデータを取得し、東京と松江市における身体の活動状態やストレスを数値化することだ。

 このWMPは松江市が主体となり、サイバートラスト、さんびる、ダンクソフト、日本マイクロソフト、パソナテック、ミツフジ、ワークスモバイルジャパン、1/fYoga、山陰合同銀行、島根大学などがコンソーシアムメンバーとして参加している。

 このようなプログラムを実施する松江市は、島根県東部に位置する人口約20万人の県庁所在地。ソフトウェア産業の工業団地「ソフトビジネスパーク島根」が整備されており、IIJなどが利用している。また、Rubyの生みの親であるまつもとゆきひろ氏の勤務地が松江市にあるため、「Ruby City MATSUE」を掲げ、IT企業の誘致に積極的だ。

 松江市で行われるWMPで利用するゲストハウスの1つが、松江市八束町にある「ココリト」だ。八束町は、湖である中海に浮かぶ島。四方を水に囲まれ、畑が広がっているため、遠くまで見渡せるという自然があふれる場所だ。

 今回、WMPの主体である松江市の産業経済部定住企業立地推進課(企業誘致・UIターンサポート)副主任である土江健二氏と、産業経済部定住企業立地推進課地域資源活用コーディネーター(地域おこし協力隊)の林郁枝氏にお話を伺った。

「ココリト」の共有スペース。キッチンもあるため、食事が作れる。ここでは、食事をとったり、仕事ができたりする

“健康都市 松江”の確立で、多くのサテライトオフィスを開設

――まずはWMPの目的をお聞かせください。

[土江氏]「地方に行くと働きやすい」ということを数値化し、「働きやすい松江市」や「暮らしやすい松江市」といったような、“健康都市 松江”というブランドを確立することです。

 松江市は、2006年からRubyによるIT産業の振興「Ruby City MATSUE プロジェクト」を進めています。企業誘致もその1つです。今のところ、東京、大阪、名古屋など大都市に本拠地を持つ企業が松江市内に37カ所のサテライトオフィスを開設しています。

 この数字は大変、大きいです。先日、自治体を介したサテライトオフィスの数を総務省が発表しました。都道府県別では、島根県は43カ所で3位ですが、そのうちの37カ所は松江市です。そのため、島根県内のサテライトオフィスの大部分は、松江市内に設置されていることになります。この数字について総務省に伺ったところ、1つの市としては突出しているとのことでした。

 しかし、最近ではITを軸とした企業誘致はどの自治体も行っています。そうなりますと、補助金を増やすなど、誘致合戦になっていくでしょう。そのため、今回のプログラムは、Rubyに加えて健康増進も軸とした企業誘致に結び付けるというのが最終的な狙いですね。

ヨガの体験やサイクリング、仕事中も自然に触れる1週間

――健康の増進を軸にするとは、具体的にどのようなことでしょうか?

[林氏]多くの自治体は“自然が豊かな街”を1つの売りに企業を誘致しています。しかし、具体的な数値は少ないです。そのため松江市では、バイタルデータを測定し、具体的な数値を示すことで、自然が豊かな街で仕事をすると健康になるというブランドを築くのが今回の目的です。

 この健康をブランド化するために、ヨガの体験や希望者は水辺を歩く、自転車で八束町を走るなどの運動も日程に含めています。

「ココリト」では、レンタルサイクルも行っている。近くには、テレビCMで有名になった「ベタ踏み坂」の江島大橋があり、自転車で登る参加者も多いという

 仕事中も自然を感じられます。ココリトでは、デスクを外に向けて配置しています。PCのディスプレイから視線を外すと広い畑が見えるため、自然の中で働いているということが実感できます。実際に以前、プログラムに参加された方から「仕事の合間にパッと見上げると自然が見えてリラックスします」というご感想をいただきました。

「ココリト」のワークスペース。机は外側に向けて設置されているため、ディスプレイの上に自然の風景が見える

 これらのプログラムをこなし、島根大学人間科学部の協力のもと、血圧、脈拍、活動量、アミラーゼ(唾液によるストレス値の測定)などを出社時と退社時、松江市にいらっしゃるときは起床時と就寝前にも測定し、東京よりも松江市に滞在した期間はストレスが低くなるという結果も期待しています。

 これらバイタルデータの測定ですが、WMPに参加されているミツフジさんの伝導性繊維を用いた着衣型ウェアブル「hamon」やオムロンの活動量計「Active Style Pr」などを付けて行います。hamonで取得したデータは、トランスミッターやスマートフォンで収集してクラウド上にアップロードします。

 このセンサーデバイスですが、WMPで松江にいらっしゃる3~4週間程度前から4日ずつ、松江に滞在する1週間、東京などに戻られてから1週間付けて頂いただいています。これにより、約1か月間に渡りバイタルデータを収集しています。

ミツフジのバイタルデータの測定器「hamon」
オムロンの活動量計「Active Style Pro」

 観光もブランド化に必要なものの1つと考えています。実際に、今日はサイバートラストの皆さんに美保神社を参拝していただきました。

 このように、自然のほかに、健康と観光で松江市を評価していただくことが目的です。

畑の真ん中に建つゲストハウスでワーケーション

――WMPでココリトを選んだ理由は何ですか?

[林氏]圧倒的に自然ですね。畑の真ん中に建っているゲストハウスに仕事場があるという、都会にはない魅力です。また、ココリトは、ワークスペースと生活するリラックスするスペースがはっきりと分断されて、それが複数あるのも理想的です。

 仕事をする場所もワークスペースだけではなくベランダに設置した机、リフレッシュしたいときはハンモックでくつろぐなど濃淡が付けられるのがいいと感じています。

ベッドは2段式で、一般的なカプセルホテルよりも広い。また、全部で10のベッドがあるが、そのうち4つは女性専用だ

起床時に寝室のカーテンを開けると、そば畑が広がっており、自然の中にいるという実感がある

[土江氏]ストレスの緩和などメンタルヘルスも1つのテーマです。今回、マインドフルネスヨガを皆さんに体験していただいて、忙しく働いている気持ちがリラックスできるようにしています。

ココリトの入り口では、手作りの人形が迎えてくれる

そばを栽培している畑の真ん中にあるため、隣接する建物がない。また、春には菜の花が咲くという

――参加される企業にはどのような利点や目的があるのでしょうか?

[林氏]WMPに参加される企業の狙いというのは、健康増進だけではありません。

 現在、松江市でWMPに参加されているサイバートラストさんは、セキュリティや認証などのソリューションを展開する企業です。

 サテライトオフィスを含めて、いろいろな場所で仕事ができるとなりますと、セキュリティをどう守っていくかが重要になってきます。松江市内には、いくつものサテライトオフィスやコワーキングスペースがあります。これらのネットワークセキュリティを同等レベルにするというビジネスの展開も期待できることの1つです。

――松江市としてテレワークやワーケーションを進めるにあたり、受け入れるゲストハウスはどのように確保するのでしょうか?

[土江氏]松江市は、例えば市営のゲストハウスを作るといった方針はありません。すでに、日本海に面した場所や駅前に民間のゲストハウスがあります。松江市では、ワーケーションなどを行いたい企業の方から要望を伺い、それに適したゲストハウスを紹介します。中には、目の前に海が広がる民宿を開発合宿の場としてご紹介したことがあります。

 また、このようなゲストハウスのネットワークセキュリティや運営方法のアドバイスなどを行っています。

テレワークとワーケーションで東京オリンピックの混雑を避ける

――テレワークやワーケーションは通勤時間がないというメリットがありますが、WMPではどのように感じられますか?

[林氏]来年はオリンピックイヤーですので、これも狙いの1つです。オリンピック中は、東京の道路や鉄道が混雑するのは明らかです。そのため、自宅と仕事場の往復が困難になるでしょう。テレワークやワーケーションでは、この困難がほとんどありませんので、その点は大きいと思います。

 サイバートラストさんもその1社ですが、一部の企業は東京から離れて仕事をするために事前に検証をしたり、オリンピックに合わせて来年からテレワークを実施したりする企業もあります。まだ、検討の段階という企業もたくさんあるようですので、そういう方々に間口を広げてモニターツアーをしたいと思っています。

[土江氏]「テレワーク・デイズ」の取り組みとして、昨年は1週間、今年は7月末から9月上旬まで行いました。また、セールスフォースさんは、今年は20名が松江市で1週間リモートワークを行いました。

 このような実績もありますので、今回のプログラムで得たデータの検証結果も合わせて「オリンピックの期間中は松江市で仕事をしましょう」ということを広めたいですね。もしかしたら、オリンピックの期間中、松江市のゲストハウスが都内のIT企業でいっぱいになるかもしれません(笑)。

――WMPの今後の予定はいかがでしょうか?

[林氏]このプログラムを12月いっぱいまで続けて、来年の春に分析結果を発表する予定です。その結果、健康やブランド化を前面に出して、来年度はモニタープログラムを通じてサービス化を検討したいと考えています。

「集中しやすく仕事の効率もいい」と参加者の声

 このようなWMPだが、実際に参加しているIT技術者はどのように感じているのだろうか。サイバートラストのOSS技術本部第一組込技術部のエンジニアである杉浦開氏と、同じ部署のシニアエンジニアである山根大典氏にお話を伺った。

WMPに参加しているサイバートラストの山根大典氏(左)と杉浦開氏と(右)

――普段はどのような環境で仕事をしていますか?

[山根氏]普段の東京のオフィスは、高いパーティションで三方が仕切られており、壁で囲まれているような環境です。

 松江市では、私は月曜日と火曜日は松江のオフィスで仕事をしています。水曜日は松江の街を見て回りたかったので、カラコロ工房(カフェやアクセサリーの手作りが体験できる観光施設)に行きました。

――ココリトでの仕事の効率はいかがですか?

[山根氏]ノートPCよりもデスクトップPCの方が仕事しやすいですので、リモート環境よりもココリトで仕事をする方が効率がいいです。ただ、ノートPCを使っていてもカラコロ工房は雰囲気がいいのであまりストレスを感じません。けっこう楽な気持ちで仕事ができました。

――杉浦さんはいかがですか?

[杉浦氏]自分の慣れた設備が使えないというのは不便だと感じますが、ココリトのワークスペースはパーティションや仕切りがなく、集中しやすいと思いました。

――本日はありがとうございました。