iNTERNET magazine Reboot

Pickup from「iNTERNET magazine Reboot」その8

ネット企業のリーダーが語る新世紀へのメッセージ新春特別版(2) さくらインターネット代表取締役社長兼CEO・田中邦裕氏

90年代から日本のインターネット市場を開拓し、いまなお活躍されているネット企業のリーダーの方々に、創業当時の印象的な出来事や、注目されているデジタルテクノロジーによる社会変化、これから取り組むべきことなどを質問し、「新世紀へのメッセージ」として掲載している記事の拡大版。今回は1996年、国立舞鶴工業高等専門学校在学中に起業した、さくらインターネット株式会社代表取締役社長兼CEO・田中邦裕氏にご登場いただく。この20余年のインターネットの変化と同社の事業の進化、現在の思いまでをたっぷりと掲載する。なお、iNTERNET magazine Reboot本誌には20人のメッセージが掲載されているので、ぜひ本も手に取っていただきたい。(iNTERNET magazine Reboot編集長・錦戸 陽子)

インターネットはテクノロジーではなく文化

ウェブに感動する

さくらインターネット株式会社代表取締役社長兼CEO・田中邦裕氏

 ブラウザーができたのが1993年だったと思いますが、その93年に舞鶴高専に入学しました。高専を選んだのはロボコンのロボットを作るためでしたが、ロボット設計のCADシステムのバックエンド、つまりTCP/IPのネットワークやサーバーの方に興味を持つようになってしまいました。まだインターネットはありませんでしたが、2年生になった94年頃からTCP/IPには触れていて、自分のサーバーを立ち上げ始めていました。

 95年くらいに、Mosaicを初めて使いました。ウェブサーバーをインストールしてMosaicでHTMLを開くと、すごくビジュアルの豊かな画面が出てくる。それまでのTCP/IPは端末からtelnetでログインするとか、メールを端末で見るとか、あまりリッチではなかった。それがブラウザーの登場で、テキストだけでなく画像や動画がひとつのコンテンツとして見られる。当時流行りのマルチメディアですが、これに非常に感動しました。それで、自分でホームページを作ったり、作りたいという友達にサーバーを貸したりしていました。

 学校がインターネットにつながったのが96年。元々あったTCP/IPネットワークはUUCPで一日一回しか繋がっていなかったのですが、常時接続になりました。タイミングよく、ロボコンの全国大会で東京に行くことになりました。秋葉原の店頭にインターネット体験コーナーがあって、そこで舞鶴に置いてある自分のサーバーのアドレスを入れると、当然ながらブラウザーにバッと画面が出てきた。それが私の人生で一番大きな感動です。自分が勝手に立ち上げたサーバーが、インターネットにつながるだけで、世界中のいろいろな場所から誰でも見られる。インターネットはテクノロジーではなく文化だ。カルチャー、イノベーションだという観点で腹落ちした瞬間でした。結局、その2か月後に18歳で創業しました。

 元々はエンジニアなので、起業して一旗揚げようという考えはありませんでした。2か月後というのは、実は直接のきっかけがあったのです。もちろん、インターネットにテクノロジー的にもカルチャー的にも惚れ込んでいました。ただ、学校でトラフィックを出し過ぎて、サーバーを撤去しなければならなくなってしまって。仕方がないので、自分でドメインを取ることにしました。その時のドメイン名が「sakura」だったので、さくらインターネットという名前になったのです。

 当時は、まだ検索エンジンがありませんでした。ドメイン名を直接入力する必要があるので、分かりやすいドメイン名でなければなりません。空いている文字列を探したところ、「sakura」が使えるぞと。ちょうど「ne.jp」が新設された時で、「sakura.ne.jp」を取り、振込先口座が必要なので「さくらインターネット事務局」という任意団体で、個人事業主として始めました。

 始めたからには、途中で投げ出すわけにはいきません。ユーザーからは、使用料を年間一括でもらっていましたから。学生のやることですからだいぶルーズで、お客さんに怒られもしましたが、今ほど厳しい時代ではなかったので。サーバーが落ちたからといって、もちろん怒られますが、今のように大変なことにはならなりませんでした。

専用サーバーレンタルを始める

 二十歳になって高専を卒業すると、いよいよ定職につかなければなりません。奨学金をつぎ込んで最初のサーバーを買ったので、奨学金も返さなければいけなかった。それで、個人事業で生んだお金を資本金にして、大阪に出て有限会社として立ち上げました。1998年のことです。

 一緒にやっていた後輩は、まだ19歳で未成年。取締役になるには親権者の同意が必要で、親子関係を示すための戸籍謄本を取らなければならない。彼は淡路島に本籍があったので、2人でできたばかりの明石海峡大橋を渡って戸籍謄本を取りに行きました。それでなんとか登記できましたが、明石海峡大橋ができていなかったら間に合わないところでした。

 研究室の教官からは、「1000円で売るなら1000件は取らないとあかん、月100万はないとやっていかれへんからな」と言われていて、とりあえず1000件取ろうという話をしていました。といっても、有限会社にする前にすでに1000ユーザーは達成していました。ストックビジネスだったので、非常に助かりました。

 大阪に出て、専用サーバーのビジネスを始めました。当時は、レンタルサーバーといえば専用サーバーの時代でしたが、サーバー専業で創業する人はあまりいませんでした。通信のプロバイダーがサーバーも提供するという時代だったのに、サーバー専業で始めたので置き場所に困り、98年にビルを改装してコンピュータールームのようなものを作りました。そこから、データセンターをやる会社になっていきます。

 それまでの電算センターや通信センターは、郊外に多かった。電算センターなら多摩千里、通信センターなら高速道路や鉄道の脇のような通信回線を引けるところにありました。街中でインターネットのコネクティビティーを持ったデータセンターというのは、当時はほとんどなかったので、当社は都市型のインターネットデータセンターのはしりでしょう。

データセンター事業者になる

 自社のシステムを置くためのセンターを作りましたが、そこにシステムを置きたいという需要が膨らんできたので、99年に少し拡大してコロケーションのビジネスを始めました。といっても、その頃はまだデータセンター自体は商品ではなく、ビジネスインフラでした。それが変わってきたのは2002~3年くらいで、データセンター自体が商品になり始めます。いわゆるiDCブームで、ビットアイルさんなど、インターネットデータセンターと呼ばれる場所がどんどんできました。

 2004年くらいからは、Web 2.0のムーブメントがありました。Ajaxでグリグリ動くグーグルマップが衝撃的で、これからはウェブだろう、という感じでした。それまでは、ウェブは単なるプレゼンテーションで、アプリケーションには絶対に勝てないと言われていた。それが、Web 2.0でアプリケーションとしての認知がだんだん広がっていった。といっても、HTML5が普及して本当にリッチになったのは、この2~3年かな。この2~3年で急に、ウェブでできることが増えましね。

 ただし、アプリが出てきたので、5年前くらいからウェブはコンシューマーのフロントエンドとしては衰退してしまいました。ある新聞記者の方に聞いたのですが、グーグル検索やポータルからではなく、LINE、Facebook、InstagramといったSNSアプリや、ニュースアプリから記事に入ってくるケースが多くなっているそうです。20代前半の人に「最も使うアプリは何か?」と聞くと、ブラウザーではなくLINEやInstagramと答えるし、検索で最も使うのはGoogleではなくTwitterということですし。

 ウェブは完全にフラットな世界ですが、アプリになるとサイロ化してしまう。だから、私の愛したウェブの世界は少し変わってしまいました。業務アプリケーションはウェブベースでクラウド化していますが、それも業務アプリごとにサイロ化してしまう。ウェブエコノミーではなくAPIエコノミーに変わって、リンクで繋ぐのではなくAPIで繋ぐ形になっています。

 ともかく、Web 2.0のムーブメントでウェブサイトがどんどん増えるので、サーバーを使いたいという人も増え、データセンターが事業として成り立つようになりました。それで、2005年にマザーズ市場に上場したという感じです。

 ただしその時、このままではお客さんが増えないのではないかという、漠然とした不安感がありました。今でこそ、コンピューティングはいくらでも広がるので、重要はどんどん増えると完全に認知していますが、当時はデータセンターという箱物だけやっていても未来はないのではないかと。そこで、コンテンツや付加価値のソフトウェアにシフトしようということになりました。ところが、程なくして、上場2年と少しの2007年に債務超過になってしまいます。当時は別の人に社長をやってもらっていたのですが、私が社長に復帰することになり、本業回帰に舵を切りました。

仮想化・クラウド・HPC

 2007~8年というのは、いろいろなことが起きました。iPhoneが出たのも確か2007年でしたし、クラウドが出始めたのが2008~9年くらい。仮想化技術も流行り始めて、VMwareなどでサーバー統合するという時代になりました。データセンターでコロケーションする時代ではないという時代ですね。それで、2010年くらいになると、データセンター事業者は苦しくなってくる。すごく競争が激しくなっている中、2011~12年くらいにはAWSも出てきました。

 我々は、専用サーバーやコロケーションがビジネスの柱でした。だから仮想化はどちらかというと遠くに見ていましたが、2010年に「さくらのVPS」を発売しました。今では、VPSとクラウドが売り上げのセグメントの中で一番大きくなっています。非常に厳しい状況の中、市場が広がっているクラウドでなんとか成長してきたという状況です。

 専用サーバーはだんだん売れなくなっていましたが、実は2015年を底にまた売り上げが増えています。当社では、GPUコンピューティングを広げようと、2012年くらいから研究開発を進めていて、2年くらい前からはサービスとして提供を始めている。それが専用サーバーの売り上げが伸びている背景にあります。また、一時期すべてクラウドに移行という話があったので、その揺り戻しで物理サーバーが見直されてきたというのもあるようです。

 2年前からは、Preferred Networksさんのような、先進的なGPUコンピューティングをされる会社が我々の顧客になっています。最近はAIによる囲碁・将棋のコンテストが盛んですが、そういったコンテストに出場される方にもさくらの「高火力コンピューティング」を使っていただいています。シンプルに、安いからというのもあるでしょうね。ただし、安いから誤解されることがありますが、余計なことをしていないだけで、利益はちゃんと出ていますよ。

「速い、安い、落ちない、手軽」を追求

 これからは、規模が大きくなって分散化が進むはずです。CPUの速さはそれほど変わらないが、処理しなければならないデータの量はとてつもなく増えてくる。分散処理が必要になるので、サーバー単位や仮想サーバー単位ではなく、ラック単位やデータセンター単位でプロセッシングを考えなければならない時代になるでしょう。

 最近我々はスパコンを受注しているが、大型コンピューティングが大型データセンターでできるという時代を、我々が作らなければならない。海外では、Facebook、グーグル、マイクロソフト、アマゾンといった大規模インフラを持っている会社がありますが、日本ではヤフーくらいでしょう。我々はGPUサーバーを提供して、その上にコンテナを動かすクラウドビジネスもしていて、そのためにデータセンターから設計します。こういう会社は、我々とIDCフロンティアさん以外にはあまりいません。

 インフラを提供する会社は減ってきました。通信プロバイダーも、自社で光ファイバーを張り巡らせる会社はほとんどなくなりました。データセンターはどんどん売却されているし、クラウド事業者もクラウドはIoT、セキュリティといった事業のひとつになっている。当社のように、インターネットとサーバー自体を商材にしている会社は少なくなっています。

 我々が残っている理由のひとつに、オープンソースを活用していることがあるでしょう。高価なパッケージソフトを使わず、オープンソースをうまく使ってクラウドビジネスをしている会社は少ない。メルカリやマネーフォワードのようなサービスプロバイダーはオープンソースを活用していますが、インフラより下には降りてこない。規模が小さくて、自社でデータセンターを作ることのメリットがあまりないからでしょうね。もうひとつは、インフラを見られる物理レイヤーのエンジニアが減っている。私にしても、月額980円で借りられる今の時代だったら、レンタルサーバー会社は創業しません。特異点で始めたから、当社が残っているというのもあるのでしょう。

 ただし、データセンタービジネスはそろそろ終わりが来るかもしれません。コロケーションやラック貸しは、大規模なデータセンターを作ってサービス事業者に貸すのでなければ厳しいでしょう。逆に、規模は大きくせず、数ラック単位で地元企業に貸すというビジネスなら成り立つ。我々は中途半端な規模で、SIerがやるようなビジネスまではできないが、事業規模は膨らませなければいけない。速くて安いサーバー、オンラインで調達できる手軽さといった、基本的価値をさらに研ぎ澄ますとともに、お客様に喜んでいただけるサービス提供に必要なことはどんどん挑戦していこうとしています。

エンジニアの地位が向上する

 最近注目しているのは、デジタルトランスフォーメーションの動きです。すべての企業がIT企業になるという概念ですが、すごく重要だと思っています。社会全体が、エンジニアを貴重な存在として扱うようになるのではと思います。人件費も上がるでしょうし、エンジニアの地位が向上するでしょう。そうなっていない会社からは、さっさと逃れるべきです。IT企業ではない一般企業が、きちんとエンジニアを雇うようになるはずです。それも、単にITシステムの仲介役のようなものではなく、自社でソフトウェア開発するような人間としてです。そうなれば、人件費が安いままなわけがありません。

 だから、デジタル化によって起こることよりも、人件費が上がることによって起こることの方が、デジタル社会にとっては重要になりらます。要は、IT化せざるを得ないことがたくさん出てくるはずです。「こんなことをエンジニアがやっている場合ではない」ということが多くなる。コロケーションもそうで、データセンターにサーバーを持って行って、何かあったらリセットボタンを押すなどということは、エンジニアリソースの無駄遣いです。一般企業でそんなことは、だんだん許されなくなるでしょう。そうなると、自動化や仮想化、ソフトウェアデファインドといった動きに行かざるを得ない。今まではシーズから来ていたが、これからはニーズから来るデジタル化が出てくるはずです。

 別の切り口でいうと、ウェブではない世界がやってきました。APIが重要になるし、IoTなど人ではないデバイスが繋がり始めること。これは、技術的な変化として面白い。当社としては、これがなければIoTが普及しないという基本的な部分を、プラットフォームとして提供していくべきと考えています。

 余談ですが、マネーフォワードにしてもメルカリにしても、スマホだからああいうサービスができる。レシートをスマホのカメラで撮影したり、メルカリもスマホで撮って出品する。最初、画質は大丈夫なのかと思ったけれど、見る人もスマホの小さな画面だから問題ありません。ああいった、スマホベースで組まれたものがすごく流行っているのを見ると、やはり時代はスマホなんだなと思います。

 といっても、これからずっとスマホというわけではないかもしれない。紙媒体からブラウザーに変わった後、この3~4年でアプリが入口になった。アプリが流行っているうちは、デバイスはスマホだろうが、先日LINEがゲートボックスを買収しましたね。女の子のキャラクターが「おはよう」と起こしてくれたり、「今日の天気は晴れだよ」「今日の予定は××だから、○○を用意した方がいいよ」などと話かけてくるホームゲートウェイです。これらは個別のアプリでやっていたことですが、すべて話しかけてくれるなら個々のアプリは使わなくなる。つまり、入口の部分、アテンションを取るのがホームゲートウェイになると言われています。アマゾンエコーやグーグルホームも同様です。こういった変化がやってくる可能性はあります。

ゴールドラッシュにツルハシを売る

 創業から、コンピューティングリソースの提供という本質的価値は変わっていませんが、提供形態はまったく変わりました。コンピューティングリソースを置く場所を貸していた時代もあるし、コンピューティングリソース自体を箱で貸していた時代もある。最近は、コンピューティングリソースを仮想化して貸しています。コンピューティングリソースといっても、処理するだけでなくストレージもあるし、最近ではネットワークもある。IoTプラットフォームは、まさしくネットワークです。

 このように、コンピューティングリソースのどれをどのように提供するかは、時代によってだいぶ変わっています。ただ、我々は常に「ゴールドラッシュにツルハシを売ろうとしている」会社です。Mastodonが流行ればMastodonを貸すし、AI・ディープラーニングならGPUの石を、IoTならそのインフラを売ります。当社のインフラにかける情熱のようなものを、ゴールドラッシュでこれからビジネスをすごく伸ばそうとしている人に提供する。「やりたいことをできるに変える」という、コーポレートのブランドメッセージが、これからもテーマになっていくでしょう。

 もうひとつは「成長をお客様とともにする」という考えで、我々のお客様はスタートアップが多い。今はAWSがあるので我々のプレゼンスはそれほど高くありませんが、ずっとスタートアップ支援をしてきて、その会社が育っている。やはり、スタートアップにとって価格は重要ですからね。

 インターネットが重要だということは、当然みなさん認知している。必要とされているのに儲からないということは、本来はないはず。それは、やり方がまずいのでしょう。ネットワーク事業者がきちんとバリューを出していけば、普通に儲かるはずです。インフラを提供する会社はどんどん減っていますが、インターネットのことを文化的にもテクノロジー的にもきちんと知った人たちが、インフラ業界で残っていく必要があると思います。

 若い人を育てることも重要です。当社取締役の伊勢幸一は、ICTトラブルシューティングコンテストをやっていますが、ああいうコンテストや、沖縄オープンラボのようなものは、若者を育てることになるでしょう。みながAI技術者になるわけではないでしょうし、AIでもインフラは重要です。インフラ分野で若い人の育成は重要だし、教育とともに雇うことも重要です。学習と就労はセットなので、雇用することは重要な社会貢献となります。