インタビュー

AIは人間がより人間らしい仕事をするための存在――、Preferred Networks

 「日本企業はAI(人工知能)の採用が遅れている」――。

 IT業界にいるとこの手の話を聞くことは少なくない。だが、2014年3月からIoTにフォーカスしたマシンラーニング/ディープラーニングビジネスを展開するPreferred Networksの長谷川順一COOは「その認識は正しくない。少なくとも企業のAI活用に関しては、欧米にも引けを取らない」と、そうした風評に異を唱(とな)える。

 昨年あたりからブームとなり、IT業界を超えたバズワードと化しているAIだが、一般の人々が抱くAIのイメージ、特にシンギュラリティ(技術的特異点)などに関しては多くの誤解が含まれているという。

 ではAIとは実際にはどんな存在なのか。そして近い将来、われわれの生活にどんな影響を与えるのか。AIのスペシャリストから見た"2017年のAI"の実像について、長谷川氏に話を聞いた。

Preferred Networksの長谷川順一COO

日本企業が遅れているわけではない

――Preferred Networksは日本とベイエリア(サンマテオ)でAIビジネスを展開されていますが、国内企業と米国企業のAIに対する姿勢の違いをどのように見ていらっしゃいますか。

 日本企業がAIに関して"遅れている"ということはないと私は思います。米国の企業がAIで先行しているように見えるのは、GoogleやFacebookといった巨大IT企業がクラウド上でのサービスとしてAIを提供しているからで、非常に目立ちます。

 Preferred Networksが注力している業界は製造業やバイオヘルスケアが中心であり、海外と比較して、それらの分野でのAIへの取り組みが進んでいないということはありません。むしろ、非常に真摯(しんし)にAIに取り組んでいる企業をいくつも見ています。

――具体的にはどういった企業がAIの導入に意欲的なのでしょうか。

 Preferred Networksの顧客企業でいえば、トヨタや国立がん研究センターなどがその代表ですね。当社は現在、トヨタが行っている次世代モビリティの研究に参加しているのですが、自動運転車の開発などにおいて当社のマシンラーニングおよびディープラーニング技術も活用されています。また、国立がん研究センターとも共同プロジェクトを行っており、がんセンターが保有するさまざまなデータの解析にディープラーニング技術が使われています。

 よりIoTに特化しているケースであれば、産業ロボットの大手企業であるファナックが挙げられます。同社との協業では、工場のロボットに自律的に学習させ、自分で不具合を発見して対応させることを目指していて、将来的には高度な予防安全や止まらない工場といったレベルまで到達したいと考えています。

 AIという言葉は現在、マーケティング用語として使われるケースが多いので、GoogleやFacebookといったわかりやすい技術に注目が集まりがちですが、本当にAIが実用に耐えられるようになるためには、いま挙げたような製造業やヘルスケアでの事例の積み重ねが重要です。それに関しては、日本だけでなくグローバルにおいてもスタートしたばかりではないでしょうか。

AIとは「ディープラーニングとほぼ同義」

――マーケティング用語としてのAIが先行しているのはおっしゃるとおりで、一般の人々がAIに対して抱いているイメージと現状のAIとの間には大きな乖離(かいり)があるように思えます。Preferred NetworksではAIをどのように定義しているのでしょうか。

 実を言うと私はAIという言葉はあまり好きではないのですが、AIとは何かと聞かれたら「ディープラーニングとほぼ同義」と答えています。もっとも、一般的にはディープラーニング以外の技術、例えばルールベースエンジンなども含めてAIと称している場合が多いようですが、そうした風潮も特に否定はしません。ただ、現時点ではディープラーニングの成長なくしてAIが進化していくことはありえないといえます。

――ディープラーニングに関してもう少し見解をお聞かせください。「AI≒ディープラーニング」とするなら、現在のディープラーニングはどのくらいのレベルで、今後、どういった方向へと進化していくのでしょうか。

 ディープラーニングはまだスタートしたばかりの技術です。人間でいえば3、4歳のレベルですね。ただし3、4歳でも人間より優れている部分はあって、画像や音声の認識に関しては人間を超えています。しかし"会話"に関してはまったく人間のレベルに達しておらず、あまり進化していない。したがって、よく言われるように「AIが人間を支配する」といった事態は、少なくとも当面は起こり得ないとみていいでしょう。コミュニケーションが取れないのですから。

――Pepperのように、会話やコミュニケーションができることをウリにしているロボットもありますが…。

 コミュニケーション型のロボットの多くは、いまのところルールベースでのコミュニケーションがほとんどであり、人の感情を理解して対応できるようになるのはまだ研究開発の段階で、実用にはほど遠いレベルです。現状でのディープラーニングにおけるメインストリームは、やはり画像認識や音声認識の分野であって、その進化は自動運転車などに着実に反映されています。

適用範囲を選べば自動運転車の走行は高い精度で可能

――先ほど出てきたトヨタとの協業でも、自動運転車にディープラーニング技術が活用されているお話が出てきましたが、実際のところ、自動運転技術はどのレベルまで到達しているのでしょうか。

 そうですね、国ごとに事情が違うので例えば「全世界で自動運転車が何年までに走るようになる」といったことは言えません。しかし高速道路上で自動運転車を走行させるレベルであれば、100%とは言い切れませんが、非常に高い精度を実現できています。

 ただし、東京のような都市部で自動運転車が自由に走るようになるのは、まだ先だと見ています。

――ディープラーニングはどういった部分で使われているのでしょうか。

 もともと自動運転という技術は「交通事故をなくしたい、ぶつからないクルマを作りたい」という自動車メーカーの願いからスタートしているものです。ディープラーニングの活用もそうした視点から進められてきて、例えば車道から歩道に突っ込んでしまう事故や、ブレーキとアクセルを踏み間違えるといったことをなくすために活用されます。

 一般の自動車ではまだ先になりますが、特定の制限を設けたものであれば、自動運転は可能になりつつあるのです。運送業やサービス業において、自動運転車が登場するのはそう遠くないはずです。

――しかし、自動運転車の事故のニュースなどを聞くと「やはりまだ自動運転車は実用段階に達していないのでは」と思う人々も少なくないのではないでしょうか。

 人間も交通事故を起こしますが、自動運転車が起こした事故のほうが大きく報道される傾向にあります。ではなぜ人々は自動運転技術やディープラーニングに不信感を抱くのかといえば、ディープラーニングのブラックボックス的な側面に大きな理由があると思っています。

 ご存じのとおり、ディープラーニングでは「なぜそういう分析結果を出したのか」という部分がまだ解明されていません。人間が起こした交通事故なら原因を突き止めることは比較的容易ですが、自動運転車の場合「このAIはなぜその判断をしたのか」ということが論理的に証明できない。事故の原因を系統立てて説明できない以上、一般の人々が自動運転技術やディープラーニングを信頼しきれないというのは理解できます。

 ではそれを解決するためにはどうしたらよいのか。ディープラーニングをより進化させるというのはもちろんですが、現実的な解決策としてはルールベース技術との併用が挙げられます。

 ルールベースでは、人間の知識をルールとして設定し走行させます。この方式と学習ベースのディープラーニング方式のどちらの判断が精度が高く安全かを検証しつつ、精度の高い技術に切り替えていくという方法が取られるでしょう。

――AIによるクルマの自動運転が実現したように、人間の仕事をAIがどんどん置き換えていくことに不安を覚えている人も多いですが、こうした風潮をAIのエキスパートとしてどうとらえていますか。

 それほど心配する必要はないと思います。もちろんAIの進化によって人間の手が不要になる仕事は増えるでしょう。端的に言えば「ものを覚えて、判断する」という作業は必要なくなりますね。何かを丸暗記するようなことを強制する仕事は確実になくなるでしょう。

 しかしよく考えてみれば、AIに任せられるような仕事は人間がやるにはふさわしくない重労働が多いはずです。さらに日本に限って言えば、少子高齢化が進んで重労働の担い手が少なくなっている以上、AIは不安要因というよりも、むしろ人間を支援する技術であるはずです。人間がより人間らしい仕事をすることをサポートする存在、それがAIだと思っています。

――IT技術者の現場でも「AIがプログラマーの仕事を奪う」といった声を聞くことがあります。

 そういった話はAIに限らず、新しい技術が登場するたびに繰り返し言われてきたことで、特に珍しくはないのではないでしょうか。ただし時代が進むにつれ、リプレースのスピードは加速していると感じています。

やるべきところ、やるべきでないところを明確に定める

――Preferred Networksは日本でも数少ない、AIビジネスでプレイヤーとして世界で互角に戦える企業というイメージがあります。その優位性はどういった点にあるのでしょうか。

 最初にもお話したように、当社の顧客企業は交通システム、製造業、バイオヘルスケアなどが中心です。それらの企業において実用に耐えるAIシステムを提供していくために重要なのは、データの収集、解析、アクションを起こすところまで、すべてのフェーズにおいて人間を介さず、機械が自動化できる点です。そのプロセスに人間が介在すると、人間がボトルネックになってしまうことがあるためで、逆にいえばそういうプロセスがとれるところに注力しています。

 AIの脳みそとなる部分には、われわれが開発したディープラーニングのフレームワーク「Chainer」が使われていますが、こうしたAIにおけるコアの技術を自社で開発できる点も大きな強みだといえます。むしろコア部分を作れないと勝ち残れないでしょうね。

 Chainerは2015年からオープンソースとして公開していますが、これも大きなポイントのひとつです。Googleの「TensorFlow」もそうですが、こうしたコア部分のテクノロジは必ずコモデティ化するので、オープンソースとして公開し、ひろく普及させたほうが有利に働きます。

――GoogleやFacebookといった巨人が同じ業界のライバルで怖くはありませんか。

 Preferred NetworksはGoogleやFacebookと同じ土俵では戦っていません。われわれには彼らのような膨大なデータを集めることはできないし、コンスーマ向けのクラウド系のビジネスを展開する予定もありません。GoogleやFacebookと正面から戦っても、もはや勝てるわけがないのは明らかですから、最初から彼らを避けた場所で戦っています。

――企業としてやるべきことと同時に、やらないことも決めているわけですね。

 そうですね。例えば軍事系のビジネスには決して手を出さないときめています。自動運転のように、事故を減らし、人に役立つ技術となりうるような、社会貢献につながるところから優先的に取り組んでいます。

――開発者を採用するときにはどういう点をチェックされるのですか。

 いくつか要件はありますが、ひとつ挙げるとするなら数学や物理などの基礎をしっかり理解したうえで、「論文をきちんと読むことができて、さらにそれらをベースにした技術を迅速に実装できるか」という点です。毎日のように論文を読むようなタイプの人材だとよりいいですね。Preferred Networksは「最先端のディープラーニングを最短路で実現する」ことを目標にしています。ディープラーニングにこだわるだけの開発者では不十分で、柔軟にシフトチェンジできるマインドとスキルが必要です。

――たしかに「ディープラーニングならPreferred Networks」というのはよく聞きます。AIのスペシャリストがそろっているという印象がありますが。

 ディープラーニングはまだ人材が限られている業界なので、だからこそ当社が注目されやすい部分はありますね。「人が人を呼ぶ」という感じで、おかげさまで世界中から良い人材が集まってきています。

――昨年は、CEATEC2016にも出展されていましたね。ドローンによる自動飛行などは目を引きましたが、これはどういう狙いがあるのでしょうか。

 特別企画展示エリア内の人工知能パビリオンに出展し、深層強化学習に基づいた、ドローンの自律飛行に関する展示などを行いました。ドローンの制御は、スパイラル学習という手法により制御を実現しています。

 また、スマートピッキングや深層学習プラットフォーム「DIMo」の展示も行っていました。スマートピッキングは、Amazon Picking Challenge 2016で利用したものをさらに改良しました。こうした展示会への出展は、技術者にとってもいい刺激になりますし、より当社に興味を持っていただくには良い機会でしょう。