Googleの「江戸川乱歩」ホリデーロゴができるまで


グーグルシニアウェブマスターの川島優志氏

 グーグルのシニアウェブマスターである川島優志氏が10月30日、「Doodle 4 Google」コンテストの記者説明会の中で、Googleの「ホリデーロゴ」の歴史や公開までの流れについて紹介した。

 「ホリデーロゴ」とは、何かの記念日や偉人の誕生日などに表示されるGoogleのロゴのことで、これを同社では「Doodle(ドゥードゥル)」と呼んでいる。英語で「いたずら書き」の意味だ。川島氏は、Googleのロゴデザイナーであり、“Doodler”の1人でもある。なお、「Doodle 4 Google」は、「Doodle」のデザインを小中学生から募集するコンテストで、日本で10月28日から募集が開始されている。

 川島氏によると、Google初のホリデーロゴは、1998年8月30日に表示した「Burning Man Festival」のもので、Googleの創業者の1人であるSergey Brin氏がデザインした。Googleを含め一般的に企業ロゴはブランディングのために非常に重要な位置づけを持っており、余白などを含めて厳密な取り決めがあるなど「デザイン面から言えば、そのロゴをいじくったりするのは非常に挑戦的で、普通は御法度」だが、Brin氏は「だからこそ面白い」ということで始めたのだという。

 Brin氏は数点ほどホリデーロゴを手がけたが、1999年からは、Googleにインターンとして入ったDennis Hwang氏が引き継ぐことになる。Hwang氏はその後、2007年までほぼすべてのホリデーロゴを手がけ、現在はグローバルのウェブマスターに就いている。日本に関連する最初のロゴとしては、2000年11月15日の七五三のロゴがあるが、「何で鶴と亀がいるのかわからないと言いながらも作り上げた」との逸話があるらしい。

 Googleが世界各国に進出するのに伴い、Hwang氏1人では対応しきれなくなったため、2008年以降はDoodleチームを設置。2007年に入社した川島氏もその一員で、2007年終わりごろからホリデーロゴを描き初め、現在、日本で公開されているものはほぼ川島氏が手がけているという。なお、2008年3月26日のパラメトロン計算機をあしらったホリデーロゴが、川島氏らが日本独自に初めて手がけた作品だった。


ホリデーロゴの2人の創始者と、最初のホリデーロゴ「Burning Man Festival」などDoodleチームのメンバーとホリデーロゴ作品の数々

 川島氏は、今年10月21日の江戸川乱歩の誕生日に表示したロゴを例に、ホリデーロゴが公開されるまでの流れも紹介した。

 川島氏によると、ホリデーロゴのアイデアは、Google社内から公募される。記念日や偉人の誕生日のアイデアを、「Google ドキュメント」のスプレッドシート上で社内の誰でも更新できるようにして情報を集約・共有しているという。それをもとに、川島氏を含めたコミッティーで検討して候補を決定。その日が近づくと、コンセプトモックを作成し、実際にそのアイデアで行くことが決まると、さらに詳細なドラフト案を作成することになる。

 川島氏は、実際に作成した江戸川乱歩ロゴのコンセプトモックとドラフト案を紹介しながら、最終的にどのように手直しされたか説明した。コンセプトモックでは、Googleの「gl」のあたりに銃を持った怪人二十面相を配置し、「oo」が小林少年と明智小五郎の顔だった。

 さらにドラフト案では、ポプラ社の少年探偵団シリーズの書籍の表紙のタッチを取り入れた。また、「l」の部分の怪人二十面相は、両隣の「g」と「e」の部分にあしらった宝石をつかみ取るような図案に変更。1つめの「o」の部分の小林少年とともにバストショットで描かれている。一方、明智小五郎は取りやめ、2つめの「o」は通常の字に戻した。

 これに対してチーム全体で「突っ込み」を入れ合い、怪人二十面相が何だかよくわからない、少年とどっちが大事なのか?といった細かい注文がなされ、それらの指摘をもとに最終的なものに仕上げた。完成版では、怪人二十面相は、ヘリコプターから降ろされた縄ばしごにつかまり、夜空に去っていくシルエットとして遠方に配置され、小林少年にフォーカスを当てるかたちになった。


「江戸川乱歩」ロゴのコンセプトモック「江戸川乱歩」ロゴのドラフト案

「江戸川乱歩」ロゴの完成版日本独自のホリデーロゴ。中央最上段が、初の日本独自ロゴ「パラメトロン計算機」

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(永沢 茂)

2009/11/2 11:16