特別企画

「サイバーファースト」――デジタルのルールから現実の社会システムを考える

 6月7日から9日まで幕張メッセで開催されるネットワークコンピューティングのイベント「Interop Tokyo 2017」。今年のスローガンは「THE REAL ~本当のインターネットとは?~」。IoTなど新しい潮流が脚光を浴びる中、「インターネットの本質」を改めて考え直してみる機会にしたいという趣旨である。

 このインターネットの本質やコンピューティングパワーをフル活用して実空間のさまざまな仕組みを再定義しようという考え方が「サイバーファースト」だ。

 東京大学大学院情報理工学系研究科教授/WIDEプロジェクト代表で、Interop Tokyo 2017のプログラム委員会議長も務める江﨑浩氏が、デジタル前提社会の新しい考え方として注目される「サイバーファースト」をキーワードに、「拡大するデジタルエコノミーとインターネット第三の波」について概説する。

※この記事は、6月16日発行予定の書籍「サイバーファースト(副題:デジタルとリアルの逆転経済)」(江﨑浩著/インプレスR&D刊)の序文を再構成して掲載しています。本書「サイバーファースト」は、Interop Tokyo 2017のインプレスブースにて先行販売されます。

サイバーファーストの根源にある「インターネット・バイ・デザイン」

 インターネットは、デジタル技術を用いて、「一つはすべてのために、すべては一つのために」(One for All, All for One)を実現するグローバルなソーシャルエコシステムを形成しました。ソーシャルエコシステムとは、自分のシステムへの投資がネットワーク全体に貢献し、その結果、自分のシステムのサービス品質がさらに向上する仕組みのことです。サービス品質をあえて規定せず、「ベストエフォート」(最大限の努力)によって、自律的かつ継続的に品質が向上していくのがインターネットの特長です。

 地球上のすべてのコンピューターが相互接続されることにより、すべての人とモノが共通のインフラストラクチャを介して透明に(加工や修正が行われずに)情報を送受信し、共有することを可能にしたインターネットは、グローバルな規模で存在する地球上で唯一の社会・産業インフラストラクチャと言えるでしょう。

 このような、インターネットが持つ本質的な特長に沿ったシステムの設計・実装・運用・管理の考え方を「インターネット・バイ・デザイン」と呼びます。「インターネット・バイ・デザイン」の考え方は、コンピューターネットワーク以外の社会・産業インフラストラクチャにも適用可能なものです。この適用が、経済学で指摘されている「イノベーションは模倣から生まれる」にあたります。

成長するデジタルエコノミー

 インターネットが大きく成長した結果、地球上にデジタルエコノミーが生まれ、企業や非営利組織を含む多様なコミュニティーが活動しています。デジタルエコノミーは、狭義には、情報技術によって形作られる経済活動やIT/ICT産業自体を指します。しかし、私はもっと広い概念であるシステムとしてのデジタルエコノミーを捉えます。地球規模のデジタルインフラストラクチャであるインターネットの原理と構造を用いた社会・産業インフラストラクチャとしてのデジタルエコノミーです。

 デジタルエコノミーは、デジタル技術とネットワーク化を基本としており、システムを構成するハードウェア機器およびソフトウェアモジュールの間での相互接続性が極めて重要となります。特に、インターネット以外の産業・社会インフラにおいては、物理レイヤーからアプリケーションレイヤーまでの機能が独立し、それぞれ独自技術を用いたサブシステムから構成される「垂直統合型のサイロ型システム」(あるいはストーブ&パイプ型システム)となっていることが一般的でした。このような既存のシステムに対して、すべてのサブシステムに共通するオープンな技術を用いて相互接続し、連携して動作することが可能な「水平協調型のプラットフォーム型システム」へと移行することが、持続的な成長とイノベーションを実現し、デジタルエコノミーに資することになります

エミュレーションからデジタルネイティブへ

 デジタル化は、既存の社会・産業システムを根本的に変化させ、時には、主役と脇役が突然入れ替わってしまうようなことが起こってきました。

 主役の交代劇は多くの場合、新しいサービスの「エミュレーション」(Emulation:異なる環境で模倣すること)を既存のインフラを用いて行っていた構造から、エミュレーションされていたサービスのほうが成長・拡大することによって既存のインフラで存在したサービスが新しいインフラでエミュレーションされる構造へと進化します。典型的なものは、電話網とインターネットの関係であり、インターネットーの接続に利用されていた電話は、今やインターネットのひとつのアプリケーションになりました。

 新しい機能が、そのネイティブ(本質的)な特長を効率的に実現するような新しいインフラへ移行すること、そしてこれを起こすようなガバナンス(統治)が、社会の継続的成長に必要となるのです。

実空間とサイバー空間の価値の逆転

 リアルを中心にネットワークを利用する「フィジカルファースト」のシステムでは、その“筋肉系”である物理的な構造体は残りますが、それらを管理し制御するコンピューターやネットワークが“神経系”となり、その重要性が増していきます。この神経系のサイバー空間での展開が、現在、多くの業界で始まっている「スマート化」や「デジタル化」になります。一般に議論されている「第4次産業革命」や「インダストリー4.0」は、この段階のデジタル化にあたります。

 しかし、「サイバーファースト」は、さらに次の段階まで展望しています。それは、「ソフトウェアデファインド」(Software Defined) を最大限に利用するもので、これまでの「フィジカルファースト」とはまったく異なる考え方・方向性です。

 実空間のほぼ完全なシミュレーションが可能となったことで、実空間の定義・設計は、ほぼ、すべて、「サイバー空間」で行うことが可能となりました。サイバー空間は、これまで実空間では不可能だと思われていた新しい機能を提供することができます。その結果、実空間の物理法則を、サイバー空間が再定義することが可能になってきているのです。すなわち、「サイバー空間が実空間を設計する」のです。こうしたシステムは、実空間の設計をすべてソフトウェアで行うため、ソフトウェアデファインドと言ってもいいでしょう。ソフトウェアデファインドのシステムにすることで、素早い設計や修正が可能になり、迅速性(Agility)と柔軟性(Flexibility)が向上することになります。

 また、現在、人工知能(AI)が注目されています。人間の知識や経験がオンラインに集約され、莫大なデジタルデータとなって、解析可能となりました。デジタル化され、オンライン化され、ネットワーク化されることで、個々の人間の知識や経験が、交じり合う(混じり合う)ことになったのです。

 人間は、実空間で各々の知識と経験を互いに共有し、分析することも可能ですが、その共有には物理的な限界があります。しかし、デジタル化された知識と経験は、物理的な限界を超えて共有され、分析できます。その結果、サイバー空間は、人や脳を超える存在になるのです。このような、サイバー空間が人や脳の能力を超える現象は、すでに少なからず発生しています。

 これまで続いてきたコンピューターの処理能力の劇的な向上は、いろいろな観点で、これまで人類が経験してこなかったようなシンギュラーポイント(技術的な特異点) の踏破を起こしています。

 インターネットとそれを支えるデジタル技術が、それまでの印刷機の発明や、海底ケーブルシステムの実現、さらに電信・電話の発明とは異なる次元の革命であったことは明らかですが、「サイバーファースト」は、さらに大きな人類の進化なのかもしれません。

書誌情報

タイトル:サイバーファースト(副題:デジタルとリアルの逆転経済)
著者  :江﨑浩
価格  :電子書籍版 1300円(税別)
     印刷書籍版 1800円(税別)
ISBN  :978-4-8443-9778-6
発行  :株式会社インプレスR&D

序文/Chapter1「拡大するデジタルエコノミーとインターネット第三の波」より

江﨑 浩

東京大学大学院情報理工学系研究科教授。1987年九州大学工学部電子工学科修士了。同年4月東芝に入社。1990年米国ベルコア社、1994年コロンビア大学にて客員研究員。1998年10月東京大学大型計算機センター助教授、2001年4月東京大学情報理工学系研究科助教授。2005年4月より東京大学情報理工学系研究科教授。WIDEプロジェクト代表。Internet Society理事。工学博士。著書に『インターネット・バイ・デザイン』(東京大学出版会、2016年6月)、『なぜ東大は30%の節電に成功したのか?』(幻冬舎、2012年3月)がある。