【ソフトウェア】
R・ストールマン講演「ソフトウェア特許は技術の進歩を阻む悪」■URL 25日、フリーソフトウェア運動を推進するリチャード・ストールマンによる講演会が、特定非営利活動法人フリーソフトウェアイニシアティブの主催で開催された。「The Free Software Movement and the GNU/Linux Operating System」と題し、ストールマン氏は、フリーソフトウェアの理念や活動を紹介するだけにとどまらず、ソフトウェア特許の是非までを熱く語った。 ●フリーソフトウェアは人類の知を前進させる
ストールマン氏はまず、フリーソフトウェア運動が、決して他の団体を倒すための運動ではなく、人類の知を前進させるものと語る。同氏は、ネットワークに接続されたプリンタユーティリティソフトの例を挙げて解説する。例えば、ユーティリティソフトが、プリントキューの管理機能しか持っていなければ、紙詰まりが発生しても誰も気がつかないままキューだけが増えていくケースが想定される。そこで、ユーティリティソフトを改変し、トラブル発生時にキューを入れたユーザー全員にメッセージを通知する機能を持たせれば問題は解決する。 つまり、新しいアイディアを既存のソフトウェアに追加することが可能であることがフリーソフトウェアの概念の根底にある。これは、ソースコードを自由に利用できることに根ざしている。ところが、企業がソースコードの所有権を主張すると、とたんにソフトウェアを改変することが不可能になり、その結果、新しいアイディアを追加することができなくなる。 ストールマン氏は、ソースコードの所有権を主張する企業に対し、しばしばソースコードの利用を申し出たという。しかし、それは拒否され続ける。同氏は、「私は自分の怒りを表現する方法を見出せなかった。彼らは、すべての人間に対して協力の申し出を拒否するのだ」と語る。それゆえ、ストールマン氏は「自分がされて腹が立ったことを、私は他の誰にも行使したくない」と決めたという。 また、ストールマン氏は「ほとんどのプログラマーが、企業とNDA(Non-Disclosure Agreement:秘密保持契約)を結ばされる。そして、NDAの対象はブランクのままだ」と語る。さらに、「NDA契約にサインをすることは、人類に対する裏切り行為だ」と断罪する。企業がソフトウェアを独占することで、人類の知の進歩が硬直してしまうというのだ。 ●GNUの誕生~フリーなのにフリーじゃないソフト 企業がソフトウェアを独占することで、ストールマン氏はソフトウェア開発が「倫理的な形で不可能になってしまった」という。「レストランでウェイターでもすれば飢え死にすることはないし、倫理面で罪悪感を抱くこともなかっただろう。だが、私は問題を認識していたし、技術も持っていた。だから、フリーなOSを作らなくてはならなかったのだ」と語る。それから同氏は、コミュニティ作りを推進する。 ストールマン氏はエディターソフト「GNU Emacs」を作り出した。MITのネットワーク上で公開したが、1980年代中頃、すべてのプログラマーがインターネットに接続可能ではなかった。また、ストールマン氏自身も何らかの形でお金を稼がなくては生活できなかった。なぜならば、それまで勤めていたMITを退職したからだ。その理由は、「MITがGNUの権利を主張するかもしれなかったからだ。結局、MITはその後もコンピュータを利用させてくれたがね」。 そこで同氏は、150ドル送金してくれた希望者に対してプログラムのコピーを送るという“ビジネス”を始めた。1日に8~10本のコピーが売れたが、売上はささやかなものだったという。ストールマン氏は「贅沢さえしなければ、少ない稼ぎでも問題はない。お金を稼ぐという行為は、私の人生の中ではさほど重要なことではないのだ」と語る。 「150ドルを支払う必要があるのに“フリー”ソフトとはどういう意味だろうか、と人に聞かれることがある」とストールマン氏は述べる。「私のいう“フリー”とは、“自由”という意味であって“無料”というわけじゃない。英語は不自由な言語だが、日本語では“ジユウナ”といって区別しているのだろう?」と笑う。 ストールマン氏がいう自由には3つの段階があるようだ。自由1のレベルは、ソースコードを自分で自由に変更できる段階。自由2のレベルは、隣人のために再配布することが自由な段階。そして自由3のレベルは、コミュニティに対して改変したものを還元する段階だ。 ストールマン氏は“自由”について、「個人では、すべてのプログラムを学ぶことは難しい。自由3の段階では、あなたが施した変更が私のためになる。ほとんどの場合、あなたが求めているものは、みんなが求めているものだからだ」、「また、コミュニティに参加している人々は、全員がプログラマーではない。しかし、そのような人々が『こうしたい』という要望を出せば、誰かが対応することができる」と語る。さらに「自由にコピーをし、再配布することは、隣人を助けたいと思う善意の行為なのだ。この思いが海賊行為として裁かれるというならば、我々は有益なものを共有することができず、恐怖に支配されるだろう」とも熱弁を振るう。 ●Copyleftという考え方 ストールマン氏の理想である自由を守るための方法の1つが、Copyleftという考え方だ。これは、「GNU GPL」という形でライセンス供与されている。Copyleftは、著作権(Copyright)を元にした考え方だ。GNU GPLでは、ある条件に基づいてソフトウェアを自由に改変し、配布し、コピーする権利を認めている。その条件とは、改変したソフトウェアを公開する場合、そのソフトウェアも“自由”が保障されていなくてはならないというものだ。 この考え方は、MITの「Xwindow」の失敗を教訓にしている。MITがリリースしたオリジナルのXwindowは、自由を保障したものだった。ところがそれをUNIXに組み込んだベンダーは、そのソースコードを独占してしまった。ストールマン氏は、「その結果、開発者はXwindowをフリーソフトといい、ユーザーはそれをノンフリーソフトという混乱が起きてしまった。MITのライセンスでは、再配布にあたってノンフリーソフトウェアとして配布することさえも自由にしてしまったのだ。我々はこの失敗から学ばなくてはならない」と振り返る。 その後、ストールマン氏は非営利団体「Free Software Foundation」を設立し、フリーソフトウェア運動を推進する。構成員は、ほとんどがボランティアとして活動しており、現在50万人がフリーソフトウェアを開発している。「誰もが、自分がやらなくては誰もやらないだろうと思って活動しているはずだ」と同氏は語る。 彼らはなぜフリーソフトウェアを開発するのだろうか。この問いに対してストールマン氏は7つの可能性に言及する。「まず最初は、自由を求めるという政治的なイデオロギーだろう。これは、我々の理念でもある。次に来るのは、ソフトウェア開発が楽しいからだ。それから、ほめられたいという欲求もあるだろうし、プロフェッショナルとしての名声を求める人もいる。フリーソフトウェアを長年使っていると、自分もコミュニティに対して何かを還元したいと思うようになる人も多いし、ソフトウェア開発をお金のために行なっている人もいるだろう」。 ここでストールマン氏は、にやりとしてから「最後にMicrosoftが憎いからという人もいるかもしれない」と笑う。続けて「私自身は、Microsoftを憎んでいるわけではないし、1つの企業を攻撃することは間違っていると思う。そう思う人々を否定するわけではないが、少し狭量だと思う。ソフトウェアの独占による人類の知の前進、自由の獲得という本質的な問題から目をそむけているように思えるからだ」とコメントする。 ●オープンソース活動とフリーソフトウェア活動は別物 1990年代に入ると、フリーソフトウェア活動の理念が揺らぎ始めてきたという。ストールマン氏は「多くの人々が、フリーソフトウェアがパワフルで信頼性の高いものだと認識するようになった。しかし、この結果、これらの人々は実務的な優先度に従ってフリーソフトウェアを利用しているのであり、コミュニティの中でも“自由”という理念が薄れ始めてしまった」と語る。 これがオープンソース活動へとつながるとストールマン氏は分析する。「オープンソースは、フリーソフトウェアとほとんど同義だが、1点だけ違うところがある。それは、オープンソースの理念が倫理的なものではないということだ。彼らの理念は、技術的に優れたものを作りたいということだ。つまり、ノンフリーソフトウェアが人々を分断することに対する抵抗は、さほど重要なことではなくなってしまった」。 決定的なできごとが、Linuxの誕生だ。1991年までにGNUシステムでは、ほとんどのコンポーネントが開発されていた。足りなかったのはカーネルだった。1992年、LinuxがGNU GPLで配布される。ストールマン氏は、「Linuxの開発者達が、GNUシステムに目をつけたのは当然の流れだ。彼らは『なんてラッキーなんだ、コンポーネントはすでに存在しているじゃないか』と思ったに違いない。彼らがLinuxとGNUシステムを組み合わせたものを“Linuxシステム”と呼称したことで混乱が始まったのだ」と語る。そして、「GNUのことは忘れられてしまい、その存在を知らない人も多い。『私はLinuxユーザーだ』という人でさえ、そのほとんどがGNUで構成されているとは思っていない。中には、Linuxが成功したのだから、“自由”を追い求めるのを終わりにしてもいいのではないか、という人もいるくらいだ」という。 「それでも我々は、“自由”を忘れてはならない」とストールマン氏は宣言する。「なぜならば、今日、我々はさまざまな脅威にさらされているからだ。例えば、ソフトウェア特許なるものを許してはならない。自分で書いたソースコードの特許に訴えられるなんて馬鹿馬鹿しいことだ」。さらに同氏は「著作権、商標、特許を一括して『知的所有権』とするのは間違いだ。私は、知的所有権の侵害などということは成立しないと思っている。なぜならば、3つの概念はそれぞれ別々の法律、問題として考えなければならず、知的所有権を言及する人は、それらの区別が曖昧なだけにすぎない人だからだ」と断言する。 ストールマン氏は、「特許が技術の進歩を阻んでいるという調査結果が存在する。私は、車のエンジンや製薬業に関する特許については何の意見ももたないが、ソフトウェア特許については断固として反対するものだ。なぜならば、新しいアイディアは既存のソフトウェアと組み合わさることで実現していくからだ。無から有を生む人はほとんどいないのだ。特許は、これを実現不可能にする悪なのだ」として、ソフトウェア特許という概念を否定した。 (2003/4/25) [Reported by okada-d@impress.co.jp] |
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