地図とデザイン
幕末の古地図“完全描き起こし”、ウェブメルカトルで現代によみがえる「江戸切絵図」の街並みと距離感
スマホアプリ「大江戸今昔めぐり」ができるまで
2018年4月12日 06:00
古地図と現代地図を重ねて見比べながら、スマートフォン内蔵のGPSを使って現在地が分かる“古地図アプリ”は、幅広い層に人気を呼んでいる。2017年12月にリリースされた「大江戸今昔めぐり」も、このような古地図アプリの1つだが、これにはユニークな特徴がある。それは、スマートフォン上で古地図と現代地図とを見比べるときに、地図がぴったり重なり合う点だ。
一般的な古地図アプリの多くは、昔に作られた古地図をそのままデジタル画像化して収録しているものが多い。当然ながら古地図は距離や方角が正確ではなく、ずれが生じるためにうまく現代図と重ならない。また、古地図に描かれている文字が読みにくいこともある。
これに対して「大江戸今昔めぐり」に収録されている古地図は、江戸末期の古地図をそのまま使うのではなく、現代の地図をもとに江戸末期の古地図を“完全描き起こし”で再現したものを収録している。地図の透過度を変えることにより、古地図と現代地図で位置がずれることなく、今と昔を見比べられる。文字も旧字が新字体に直されているので読みやすい。
「江戸切絵図」のような図式で描かれた幕末の古地図でありながら、現代のスマートフォン地図として距離や方角が正しく描かれている――この不思議なデザインの古地図アプリがどのようにして生まれたのか、話を聞いた。
※「大江戸今昔めぐり」は、株式会社ジェイアール東日本企画、株式会社JAFメディアワークス、有限会社菁映社、株式会社ビーマップ、株式会社フジテレビジョンの5社からなる「大江戸今昔めぐり製作委員会」からリリースされたアプリです。
江戸の“切絵図”を現代地図に復元、制作開始は今から30年前
この完全描き起こしの復元地図を制作したのは、中川惠司氏。雑誌「プレジデント」の表紙イラストなどを手がけたイラストレーター/デザイナーだ。地図の専門家ではなかった中川氏が、あるきっかけで古地図の復元に取り組み始めたのは、今から約30年前のことである。
「最初のきっかけは、江戸時代の“切絵図”を現代地図に復元しようと思ったことです。切絵図というのは厳密な測量を行って作ったものではなく、イラストのようにいい加減なものですが、そういうものではなく、本来の地理的なデータに基づいた江戸を描こうと思ったのが出発点でした。」(中川氏)
このような考えに基づいて制作を進め、1994年に株式会社朝日新聞出版から刊行されたのが「復元・江戸情報地図」だ。A3という大きな判型で制作されたこの地図帳は、縮尺6500分の1という大縮尺で、江戸の町部だけでなく農村部も含めて、精密に描かれている。
「大江戸今昔めぐり」に収録されている古地図は、中川氏が制作した「復元・江戸情報地図」の原画をデジタル化したものだ。
ベースにしたのは、明治初期~中期に作られた“比較的正確な地図”
江戸切絵図をもとに、現代の街の区割りや道路と重なり合う地図を、広範囲にわたり新しく描き起こすという前例のない仕事に取り組んだ中川氏は、どのようにしてこの地図を制作したのだろうか。
まず中川氏は、現代の地図から一足飛びに江戸の切絵図と結び付けようとすると違いが大きすぎるため、明治初期から中期にかけて作られた東京の地図を土台にすることにした。使用したのは、「東京五千分ノ一」(参謀本部陸軍部測量局、1883年)や、「東京実測全図五千分ノ一」(内務省地理局測量課、1885年)、「東京近傍二万分ノ一」(帝国陸地測量部、1880年)、「東京近傍一万分ノ一」(帝国陸地測量部、1909年)など。
すなわち、東京の“比較的正確な地図”としては時代的に最も江戸の状態に近い明治初期~中期の地図の道や街の区割りをベースに、そこに江戸時代の資料をもとにして施設名や武家屋敷の名前などを落とし込んでいくことにしたのだ。
――と、簡単に説明したものの、これは実際にやってみると途方もなく手間のかかる作業である。まず、現代地図(国土地理院の2万5000分の1地形図)と照らし合わせながら明治時代の地図の道筋や街の区割りを復元するという最初のステップだけでも一苦労だった。
「江戸切絵図ほどではありませんが、明治の地図も、現代の地図のように空撮をもとにしたものではないので、あまり正確ではありません。都市部はまだしも、農地となると道のカーブの曲がり具合が現代と重ならない部分が多いし、あぜ道ばかりなので、どの道が現代の道路になったのかを判断しにくい。また、等高線と境界線の見分けが付かないことも多い。このような場合は周囲の状況を見ながらラインを修正し、当時の状況を推測しながら整合性を付けていきました。」(中川氏)
ときには文献を調べて道路の線を1本引くだけで数日かかることもあったという。このような気の遠くなるような作業を続けてこられたのは、なんとかして江戸時代の地図を現代によみがえらせたいと思う中川氏の熱意があったからだ。
「とにかく分からないことだらけでしたが、間違った地図は作りたくありませんでした。正確性に欠ける明治初期~中期の地図をベースに作ったという限界はあるし、細かい部分は整合性を付けようがありませんが、“大筋においては正しい”というものにしたいと思って作りました。例えば、江戸時代は村と村とで厳密な境界線を設定する必要がなかったため、文献を調べても『○○村はこの辺りにある』としか書かれていません。さらに、明治維新後の廃仏毀釈によって寺院が縮小したり、敷地の一部が学校などになったりすることもあり、位置が大幅に変わってしまったりすることも多い。そのような変遷を1つ1つ調べていくのはとても大変でした。」(中川氏)
文献資料をもとに寺社などの名称を特定、大名のプロフィールも記載
道路や街の区割、建物の位置などを明治の地図をもとに推測した上で、次に中川氏が行ったのが、施設名や武家屋敷の名称を入れる作業である。「大江戸今昔めぐり」アプリを見ると、市街地の地図では役職名や氏名、字(あざ)、出身地などが細かく記載されており、まるで現代の住宅地図のようだ。記載する文字についても、旧字ではなく新字体を使用しているため、誰でも簡単に読み取ることができる。さらに、中川氏の計算に基づく“石高”も記されている。
「大名の名前や役職名、石高については、全二十数巻に及ぶ『江戸城下変遷絵図集』(原書房、1987年)をもとにしました。この資料には、文政から天保にかけての市街地の区割りが載っていて、切絵図に書かれている人物が、それぞれどのような身分の人なのかというデータも掲載されています。もちろんこの資料も、道路の距離や区画の広さはかなりいい加減ですが、屋敷の配置などはしっかりと残っているので、江戸の中心部についてはこの資料がとても参考になりました。」(中川氏)
一方、農村部については明治の地図と照らし合わせながら、神社や寺院の記号がある場合はその名称などについて調べた。
「農村部については、とにかく手がかりは村名しかありません。例えば稲荷神社であれば、全国の稲荷神社だけを集めたリストなどを見て、『○○郡○○村のこの辺りに神社があった』という文献を探します。神社だけでなく、お寺についても日本全国の寺を集めた文献があるので、その資料の中から目的の村を探し当てることで、初めて地図の上に寺社名を記すことができるわけです。1つの寺を調べるために国会図書館に行って、丸一日かけたこともありました。目当ての寺社を文献の中に見つけることができたときは『やった!』と声が出てしまうほどうれしかった。とにかく何を調べるにしても手間と時間がかかるので、本気で取り組んだら一生仕事だと言えますし、本当にこの古地図作りは面白かったですね。」(中川氏)
寺社について参考にした文献は、「日本寺社大観」(名著刊行会、1970年)や、「寺社書上」(寺社奉行編、文政12年)など。このほか、江戸・東京に関する資料として、「角川 日本地名大辞典 東京都」(角川書店、1978年)や「江戸幕府・旗本人名事典」(原書房、1990年)、「江戸名所図会」(角川書店、1965年)、「江戸学事典」(弘文堂、1984年)など、挙げればきりがない。
さらに、「豊島区史地図編」(豊島区史編纂委員会編、1974年)や、「地図で見る新宿区の移り変わり」(東京都新宿区教育委員会編、1982~1985年)、「墨田の地図」(墨田区立緑図書館、1979~1986年)、「港区の歴史」(名著出版、1979年)など、地域の文献も細かく調べている。
これまでの地図制作について振り返ると、道路の位置や区割を検証するよりも、どこに何の施設があったのかという、施設名称を書き入れていく作業のほうが大変だったという。
このように、気の遠くなるような文献調査を経て長い年月をかけて中川氏が描き起こした「復元・江戸情報地図」の原画は、畳3畳ほどの大きさになった。
歪みを補正、図法をウェブメルカトルに、POI情報も追加
「大江戸今昔めぐり」で古地図と現代地図とをきれいに重ね合わせて見比べられるのは、このようにして制作された「復元・江戸情報地図」の原画を使用しているからなのだが、実はこれをデジタル化したのは「大江戸今昔めぐり」アプリが最初ではない。「江戸東京重ね地図」というWindows用ソフトが2002年に発売されている。同ソフトでは、「大江戸今昔めぐり」アプリと同様に、幕末の江戸の地図と現代の東京の地図を重ねて、地図の透過度を調節しながら見比べられる。その後、これに明治の地図を加えた「江戸明治東京重ね地図」も発売された。
「江戸東京重ね地図」および「江戸明治東京重ね地図」も一応、現代の地図が重なるように、区画の長さや施設の位置などがある程度、正確に制作されていたものの、ベースにした現代の地図があまり正確なものではなかったため、位置情報の精度は低いものだった。
これに対して今回リリースしたアプリ「大江戸今昔めぐり」では、地図の歪みの補正など改良が加えられている。具体的には、Google マップ上で位置情報が合致するように、図法をウェブメルカトルに変換するとともに、きちんとした経緯度情報を持たせている。地図データの整備を担当した有限会社菁映社の取締役社長・籏禮直喜氏によると、これはかなり手間のかかる作業だったという。
「『江戸東京重ね地図』のときに整備した江戸地図は、25年以上前の紙媒体の現代地図をもとに作られたので、国土地理院の地形図やGoogle マップなどの正確な地図に合わせようとしても難しいのです。そこで、いくつかのブロックをIllustratorでつなぎ合わせて1枚の大きなデータにした上で、歪みを補正していきました。また、『江戸東京重ね地図』のブロック分けは地図帳の各ページに合わせたものでしたが、今回は全体を国土地理院の地図をベースに分割し直したので、この作業にも多くの時間を費やしました。」(籏禮氏)
このほか、それぞれの屋敷の坪数の情報など新しい情報が加えられた。アプリの制作担当者であり、大江戸今昔めぐり製作委員会メンバーである株式会社ビーマップの開元聡氏(事業推進本部・ナビゲーション事業部)によると、POI情報の解説もこだわったという。
「例えば寺社については、都内の寺社情報を集めたサイト『猫の足あと』というサイトのデータを収録しており、寺社名だけでなく宗派なども記載しています。さらに、『江戸名所百景』の情報や画像なども収録しています。」(開元氏)
最新アップデートで、地図の掲載範囲を東京23区に拡大
さらに、今年2月末に行われたアップデートにより、掲載エリアも現在の23区内全域に広げた。Windows用ソフト「江戸東京重ね地図」や、リリース当初の「大江戸今昔めぐり」では、カバーエリアは東京の中心部の「御府内」と言われる範囲だけだったが、アップデート後は掲載範囲が大幅に広がることになる。なお、今回のアップデートで追加した御府内の外の地図については、中川氏に改めて原画制作を依頼したという。
「菁映社が国土地理院の地形図と明治の地図を同じ範囲に切り分けてプリントし、中川さんが作業する下図として用意しました。この下図に中川さんが手書きで情報を書き込み、その後、菁映社がデジタル化しました。さらに、一部のエリアについては同時進行で菁映社で地図を整備した部分があり、こちらについては中川さんの監修を受けています。」(籏禮氏)
「復元・江戸情報地図」が刊行されてからすでに20年以上が過ぎたいま、最新のスマホアプリとしてよみがえった中川氏の復元地図。しかも、新たに掲載範囲を大きく広げたというのは驚きだ。
「江戸時代の地図と現代の地図を重ねて見比べることができるので、これを見ると、はるか自分たちの先祖の生活が見えてとても面白い。このアプリを通して東京の変遷を知ることで、こんなに面白い街はなかなかないということを知っていただけるとうれしい。」(中川氏)
なお、今回のアップデートにともなって、「大江戸今昔めぐり」に収録されている地図データは、APIの形式でも提供されることになった。このAPIを利用すれば、他のアプリからも中川氏による復元地図を利用できるようになる。また、開元氏によると、自治体の郷土資料館など、一部エリアをオフラインデータとしてライセンス提供することも検討しているという。中川氏のライフワークである江戸の復元地図が今後、アプリやAPIの形態でどのように広がっていくのか楽しみだ。
本連載「地図とデザイン」では、INTERNET Watchの長寿連載「趣味のインターネット地図ウォッチ」からの派生シリーズとして、地図の図式や表現、地図のグラフィックデザイン/UIデザイン、デジタルによる新たな地図デザインの可能性……等々、「地図とデザイン」をテーマにした記事を不定期掲載でお届けしています。