期待のネット新技術

自動車用ネットワークの標準化(6) IEEE 802.3chの策定と、今後の2.5G/5G/10GBASE-T1実装の見通し

 自動車用ネットワークの紹介も、第6回となる。前回は、マルチギガ化の議論の始まりとして2018年7月までの動向を見ていったが、今回は少し時間を戻して、Task Forceの2回目のミーティングが行われた2017年7月から始める。

光が議論の対象から外れ、銅線のSTPが前提に

 2017年7月、コーニングのSteve Swanson氏らによる"Optical PHY proposal for NGAUTO"というプレゼンテーションがあった。その第2回のUnconfirmed Minutesを見ると、プレゼンテーション後のStraw Pollではこの提案をサポートする気があるか否かで、Yes:21票/No:26票という結果が出たことで、Opticalを標準化に含むという機運は一気に薄れることになった。

 この第2回からDraftの策定がスタートし、2018年11月のミーティングにあわせてDraft 1.0が公開されているが、もうこの中にOpticalの話はない。

 以下の図1~図4は、2018年5月のミーティングで公開された"IEEE 802.3ch Timing and Next Steps with Timeline"の中の"Goals to Draft 1.0"であるが、もうDraftはCopperのSTPを前提に構築することがこの時点で決まっている。面白いのはまだこの時点では2.5Gbpsと10Gbpsのみが確実に入るとしており、5Gbpsに関してはまだ検討中だということだ。最終的には、仕様に入ることになるが。

図1:2018年3月での合意内容
図2:2018年5月で決まる(決まった)予定の内容
図3:2018年7月で決まる予定の内容
図4:2018年9・11月で決まる予定の内容

 さて、この後はCopperのSTPベース、ということで仕様策定が進んでゆく。規格は前回も触れたようにPAM-4での変調となり、単純にスピードが変わるかたちになった。以下の図とともに実際最終的な仕様を確認すると、パラメータにはScaling parameterとしてSが定義され(図5)、タイミングなどの定義にもこのパラメータが利用されている(図6)。

図5:これはIEEE 802.3ch-2020のClause 149の冒頭で定義されている
図6:LPI(Low Power Idle)モードから復帰するまでの時間の定義。例えばlpi_tx_wake_timeなら20フレーム分で、10GBASE-T1なら6.4μsec、5GBASE-T1なら12.8μsec、2.5GBASE-T1なら25.6μsecとなるわけだ

 つまり、純粋に速度に関係する部分以外は、原則として2.5G/5G/10GBASE-T1では同一となるわけだ。実際IEEE 802.3chの仕様はPCSとPMAに限られているから、あれこれ手を入れようがない、というのが実情に近いかもしれないが。

図7:PCSへのI/FのXGMIIがOptionalなのは、2.5GBASE-T1/5GBASE-T1ではXGMIIである必要性がないからである

 ただし、ここで「原則として」としたのは、例外もあるからだ。RS-FECにはInterleavingのオプションが付いている。Interleaving depthであるLの値は、次のように設定されている。

  • 2.5GBASE-T:1
  • 5GBASE-T:1 or 2
  • 10GBASE-T:1、2 or 4

 このInterleavingの動作をまとめたのが、下の図8だ。

図8:これは2018年7月のミーティングにおけるAquantiaのRamin Farjadrad氏らによる"FEC/Framing/Modulation for 10GBASE-T1 PHY"というプレゼンテーションより

 要するに、複数のフレームをInterleaveするかたちでまとめることで、バーストエラーへの耐性を高めようというものである。検討段階で、2.5Gbpsに関しては比較的確実というか、現状の技術の延長でもデータレートやBER(Bit Error Rate)に対する要求を満たすのは困難ではないと判断されたが、5G/10Gbpsに関してはデータレートもさることながらBERがかなり悪化することが予測された。

 議論の中では、より強力なFEC(Forward Error Correction)を使うといった案も出たが、それをやると実装が大変になるということでFECは2.5G/5G/10Gbpsで共通とし、その代わりにInterleavingでBurst Errorへの耐性を強める対応になった格好だ。

2020年3月に「IEEE 802.3ch」の標準化完了も、対応製品の普及はこれから

 最終的には、2020年3月のミーティングでDraft 3.2から変更を行わないこととなり、2020年6月にIEEE SA Boardもこれを承認、2020年6月末に仕様書もリリースされ、無事に「IEEE 802.3ch」として標準化が完了することになった。

 そんなわけで、1対のSTPケーブルで最大10Gbpsの転送が可能な仕様が定まったかたちになる。2006年に標準化が終わった10GBASE-Tが、もちろんSTPではなくUTPではあるものの、4対の配線でなんとか10Gbpsを通す仕様だ。しかもエラー訂正のためにLDPCまで持ち込んだのに対し、10GBASE-T1はRS-FECだけで、しかも1対のSTPで10Gbpsを実現しているわけで、この14年の間にずいぶん高速信号技術が進歩した、という見方もできる。

 もっとも、仕様が決まったから即採用できる、という話でもない。IEEE 802.3chによれば、PHYのFmax(最大動作周波数)=4000×S(MHz)となっている。Sは先の図5でも示されたパラメータで、つまり2.5GBASE-T1なら1GHz、5GBASE-T1なら2GHzで、ここまでならSTPでも何とか通信できる目途が立っている。しかし、10GBASE-T1だと4GHzとなり、STPで普通に通信できる上限(3GHz程度)を超えてしまう。このあたりは、これからの課題になるのだろうと想像される。

 実際、Open AllianceもTC15でPMAやPHYを含めたTest Suiteの策定を既に開始しているが、現時点で成果物が何も公開されていない状況であり、まだTest Suiteそのものの策定作業が終わっていないことを示している。

 作業を始めている、というのは例えば2021年11月に開催されたIEEEEthernet & IP @ Automotive Technology Week 2021において、測定器メーカーのRohde & Schwarzが「「TESTING PAM4 SIGNALING FOR 10GBASE-T1 AUTOMOTIVE ETHERNET」と題したプレゼンテーションを行っていることからも、伺い知ることができる。このプレゼンテーション資料を見ると、測定すべき項目はいろいろとあり、そこに向けて測定方法の標準化を早めに確立できるように、2021年あたりから各社が努力しているであろうと推察される。

 ただ、何しろ技術的な難度がかなり高い仕様なだけに、テスト仕様を確立するのもそう簡単ではないだろう。実際Open Allianceで2.5G/5G/10GBASE-T1に関するドキュメントとして公開されているのは、"Channel and Component Requirements for Fully Shielded 1000BASE-T1 and 2.5G/5G/10GBASE-T1 Link Segments"(2023年3月8日発行)のみだが、これは複数セグメントのLink、つまり複数本のケーブルをつないで最大15m以内にした配線が満たすべき要求をまとめただけのものだ。

 もちろん、これが決まることは実装には必須であるが、これだけあってもまだ何ともならないというべきか。ついでにいえばこのドキュメントはTC9(Automotive Ethernet Channel & Components)が定めたもので、TC15の作業はまだ反映されていない。このあたり、今年中に何かしら出てくるかどうか。もちろん非公開のDraftは既にリリースされているものと思うが、Public版のドキュメントが出てくるのは来年(2024年)以降になりそうな気がする。

 PHYの方の動きもまだ鈍い。現時点ではBroadcomが2020年11月にBCM8989X(PHY)とBCM8957X(L2/L3 Switch)をアナウンス、2021年4月にMarvellはIEEE 802.3ch準拠のPHYとして88Q4346を発表したが、両社ともに現状はまだサンプル出荷の段階で、量産には至っていない(下の図9)。

図9:88Q4346の構成図。MACとはXFI・XFI/2・2500BASE-X・USXGMIIと用途に合わせてI/Fを選べるようになっている。

 周辺コンポーネントという意味では、2022年1月にHALO Electronicsが2.5GBASE-T1対応のIsolation Transformerを発表しているが、今の時点でアナウンスがあったのはこの程度。圧倒的に製品数が足りていないのが分かる。

 MarvellとBroadcomのPHYは、それこそケーブルとかコネクタの開発やテストのためにもまずPHYがないと難しいという話であり、2社から提供されることで相互接続性のテストも行えることになる。先にも書いたように、2024年頃にはテスト仕様がぼちぼち出てくることが期待され、その頃には実車への実装テストのために、PHYだけでなくケーブルやコネクタなどのコンポーネントのサンプル出荷も始まると期待される。

 もっとも、当初から10GBASE-T1が出てくるのは期待薄で、まずは2.5GBASE-T1の実装ということになるだろう。それでも現状の1000BASE-T1の2.5倍の帯域が利用できるから、十分にメリットはある。次いで5GBASE-T1にシフトし、10GBASE-T1が市場に導入されるのは2030年台頃になるかもしれない。

大原 雄介

フリーのテクニカルライター。CPUやメモリ、チップセットから通信関係、OS、データベース、医療関係まで得意分野は多岐に渡る。ホームページはhttp://www.yusuke-ohara.com/