天国へのプロトコル
第2回
「自分が死んだらHDDを破壊して」は本当に実行可能!? 頼む前に知っておくべきこと
2022年5月31日 11:00
事例――親友に「自分が死んだらHDDを破壊して」と頼んでいる
3年前に神奈川県の某市でデジタル終活について講演したあと、参加者のAさんから、こんなコメントをいただいたのを覚えています。
「ま、俺は死んだらHDDを破壊するように親友に頼んでいるから大丈夫だけどね」
AさんはIT業界に身を置く60代の男性。公私ともに親しい友人との間で何年も前から、自宅のPCに内蔵しているHDDの破壊契約を交わしていると嬉しそうに話してくれました。一緒に暮らしている妻はデジタル機器が不得手で子供たちも遠方にいるから、現実的にも友人に頼むのが一番とのことです。
確かに一理あるのですが、その契約を履行するのは簡単ではありません。そのことをやんわりと伝えたのですが、Aさんは「大丈夫、大丈夫」とあまり真剣に捉えていない様子でした。
ちょっとした気休めとしての口約束ならまあいいかと、筆者もそれ以上は伝えませんでした。ただ、Aさんが本気で実行を信じているなら少し認識が甘いところがあります。今回はその理由を掘り下げてみます。
なお、今回はHDDを例にしていますが、取り扱いの要点はSSDであっても変わりません。
故人がこの世に置いていった資産や思い出を残された側が引き継ぐ、あるいはきちんと片付けるためには適切な手続き(=プロトコル)が必要です。デジタル遺品のプロトコルは整備途上の部分が少なくありません。だからこそ、残す側も残される側も現状を掴んでおくのが得策です。
この連載「天国へのプロトコル」では、デジタル遺品について10年以上取材を続けて、相談に乗っている筆者が、実例をベースに解説していきます(毎月1回更新予定)。
問題――死後のHDD破壊をお願いしても、実現しないケースもある
誰にも見られたくない、けれど自分の目が黒いうちは消したくない。そんなファイルや履歴が大量にたまっていくのは、パーソナルな機器の必然といえるかもしれません。
実際、Aさんのようなことを考える人はめずらしくなく、専門会社に死後の抹消を依頼するケースも見られます。関西全域で遺品整理や生前整理を請け負っている株式会社スリーマインドには、数年前から「死後にPCを破壊してほしい」という本人からの依頼が届くようになりました。
3年前に実際に粉砕したのは、末期がんを患った70代の男性が所有していたPCです。亡くなる半年前に司法書士を通して、男性の死後にPCを電動ドリルで物理的に破壊する依頼を受けたといいます。自分の葬儀や遺品整理などのことを事前に専門家に依頼する「死後事務委任契約」という契約があり、その契約の一環として処理したそうです。
「男性の相続人はゼロだったので、PCの破壊に異を唱える人がいない状況でした」(スリーマインドの屋宜明彦代表取締役社長)
没後のHDD破壊希望者の年代は70代から90代が中心で、多くは配偶者やきょうだいのいない「おひとり様」とのこと。親族が健在のケースもありますが、法律家が間に入ることで相続時のトラブルに備えているそうです。
それはつまり、死亡時に相続人が存在する場合は、プロであっても死後にHDDを破壊するのは簡単ではないということを示しています。Aさんのように家族がいる人の依頼は受けてもらえないかもしれない。それは、なぜでしょうか?
理由――PCとHDDの所有権はすでに遺族にある
「ご本人から依頼を受けて、お友達などの相続人でない方がHDDを破壊した場合には、相続人の所有権を侵害する恐れがあり、相続人から不法行為に基づく損害賠償請求などを受ける恐れがあります。」
そう語るのは、日本デジタル終活協会代表で弁護士の伊勢田篤史さん。2021年10月に刊行した『デジタル遺品の探しかた・しまいかた、残しかた+隠しかた』(日本加除出版)を筆者とともに執筆した共著者でもあります。
遺言書などが存在しない限り、ある人の持ち物に対する所有権は、その人が亡くなった時点で、相続人に承継されることになります。生前は自分のものとして自由に処分を頼めたとしても、自分が死んでしまえば基本的には別人(相続人)のもの。所有権があることを証明できない友人が勝手に破壊したら、新しい持ち主である相続人から咎められるリスクが生じるというわけです。
なお、デジタルデータそのものは、物体ではないので所有権は発生しません。所有権が問われるのは、データの容れ物であり物体であるHDDやデジタル機器です。
また、Aさんのように自宅にあるPCの中からHDDを取り出してもらうことを想定している場合、注意すべきことはさらに増えます。「故人に頼まれていたからといって、勝手に故人のHDDなどを持ち出すことは、住居侵入罪や窃盗罪などが成立する恐れがあります」(伊勢田弁護士)。
遺族が相続している家のなかに保管されている、本来遺族が相続するHDDを破壊する。友人の立場で考えると、なかなかに負担の大きなお願いであることが分かります。
現実的な解決策1――中身は内緒でもいいから、約束は伝えておく
以上を踏まえて、家族がいる人が死後にHDDの中身を抹消する作戦を考えてみましょう。
第一に考えるべきは、HDDの所有権に関する問題をクリアすることです。
「そのためには、まず遺言書を作成し、死後に友人がHDDの所有権を得られるよう手配することが考えられます。また、死因贈与契約を締結するとともにその契約書を作成し、死後に友人がHDDの所有権を得ることを客観的に証明できるよう手配することも考えられます」(伊勢田弁護士)
HDDの処分という特殊な事情を組み込むことを考えると、どんな形式の遺言書を作るにしろ専門家の助けが必要になるでしょう。そのコストを抑えるなら「死因贈与」契約書の作成が第一選択になるかもしれません。死因贈与は「自分が死んだら贈与する」という行為を指し、その約束は口頭でも成立しますが、伊勢田弁護士は「遺族トラブルを避けるためには、契約書を取り交わして書面で残しておくことが必要かと思います」と強調します。
そのうえで、HDDを受け取る道筋もつけておく必要があります。所有権が友人に移ったとしても、故人の自宅=相続人の所有物のなかにPCがあるなら、相続人の協力が欠かせません。
ここはやはり生前から話を通しておくのが最もスムーズです。といっても恥ずかしいデータが入っていることなどを明け透けに伝える必要はありません。「仕事や趣味に関係するデータが入っていて、仲間うちで対応してもらいたいから、などというかたちで話しておくだけでよいかと思います」(伊勢田弁護士)。
つまり、HDDの中身については触れなくていいから、処分の約束のことだけは家族に伝えておくということです。ただし、これは内緒で抹消したら後から家族が困るようなものが保存されていないことが大前提です。
デジタルデータには所有権は発生しませんが、著作権などの対象になるものもあります。また、最近は暗号資産の秘密鍵やNFT(非代替性トークン)付きのコンテンツなど、直接的な財産価値のあるものがデジタルデータで残ることも増えてきました。破壊対象にそうしたコンテンツが含まれる場合は事前に専門家に相談することをお勧めします。
現実的な解決策2――処分してほしいデータはオンラインに保存しておく
記録媒体の所有権に関する問題をクリアするもうひとつの方法として、そもそも保存場所に自宅のHDDを選ばないという手もあります。
死後に消去してほしいものはオンラインストレージにのみ保存して、いざというときはIDやパスワードを共有している友人に抹消してもらうのです。前述のとおりデジタルデータ自体には所有権は発生しないので、没後は友人に処分をお願いしても相続人の権利を侵害せずに済みそうです(やはり著作権等が発生するものは除きます)。
ただ、この場合はオンラインストレージ側の規約を確認しておく必要があります。契約者本人しか利用を認めていないサービスの処理を勝手に友人に託すと、規約違反になる可能性があります。また、有料のオンラインストレージの場合は料金の支払いや解約において、やはり相続人との調整が必要になることもありそうです。
最近はGoogleの「アカウント無効化管理ツール」やAppleの「デジタル遺産プログラム」のように、自身の死後に特定の相手に特定のデータが託せる便利な機能を提供するサービスも増えています。そうした機能を活用すれば、権利問題で誰にも迷惑をかけずに自分の名誉が守れるかもしれません。
ただ、オンラインサービスは将来の規約変更や事業撤退、あるいは漏えい事故など、HDDとは別のリスクも考えておく必要がありません。いずれの解決策も完璧とはいえない部分が残りますが、友人にHDDの破壊をお願いするよりは信頼性が上げられるはずです。
友人に過剰な負担をかけないためにも、不確かな将来への備えは謙虚に慎重に進めましょう。
今回のまとめ |
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