イベントレポート
CEATEC 2025
オードリー・タン氏と産総研 G-QuATの益一哉氏が対談、量子技術の社会実装に向けた取り組みについて議論
2025年10月20日 11:35
10月14日~17日に幕張メッセで開催された「CEATEC 2025」で、国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)は「量子技術の産業化に向けた産総研G-QuATの戦略」と題したコンファレンスを行った。
同コンファレンスでは、産総研 量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター(G-QuAT)の益一哉氏(センター長)、堀部雅弘氏(副センター長)に加えて、台湾のデジタル担当大臣を務めたオードリー・タン氏が登壇した。
世界唯一の量子拠点を目指して
はじめに、益氏よりG-QuATの取り組みについての講演が行われた。
G-QuATでは、「量子技術によるビジネス・市場形成」「世界最高レベルのハード・ソフトの研究・開発基盤整備」「世界最高水準の研究推進とグローバル人材の育成」の3点を高い水準で実現することで、他にない「世界唯一の量子拠点」になることを目指している。
益氏は、ベルギーの国際研究機関「imec」(Interuniversity Microelectronics Centre)のように、研究や開発の拠点であるとともに、社会実装を支えることで産業の起点にもなりたいというのが、産総研の根本的な考え方だと説明した。
続いて、堀部氏よりG-QuATのグローバル連携についての講演が行われた。
G-QuATは、デバイスの製造からアプリケーション、スタートアップ支援まで行うことが特徴で、堀部氏によると、これら全ての機能を持つ組織は他に類を見ないという。世界中にある組織と連携協定やコラボレーションを行うことで、人材の育成や人材の流動性を高めていきたいとした。
現在、国内だけでも、43以上の機関と連携しており、アプリケーションや次世代機、部品の開発を進めている。海外でも、アメリカ、EU、フィンランド、イギリス、カナダの機関と連携が発表されている。
量子技術を誰でも使える社会に
続いて、益氏とオードリー・タン氏のトークセッションとなった。ここでは、タン氏に対して量子技術に関する多くの質問が、益氏から行われた。
1つ目として、益氏は「量子コンピューティングは、民主主義の包摂性や包摂的な生活の質の評価にどのように貢献しうるのか」と質問した。
従来のコンピューターは、トランジスタの電圧の高低で「0」か「1」のビットの数値を決めていたが、量子コンピューターは、量子ビットが「0」か「1」のビットの数値が確定していない、重ね合わせの状態で計算を進めることができるなど、大きく異なる性質を持つ。
量子コンピューターは、物理現象のシミュレーションや、素因数分解をはじめとする一部の計算問題などにおいて、従来のコンピューターより少ない時間で計算できることが確認されており、今後、科学や産業など、さまざまな分野での活用が期待されている。
タン氏は、量子コンピューティングが最もパワーを発揮するのは、中央集権的な権威を生み出すものではなく、集合知(Collective Intelligence)を協調させるために設計した社会インフラとして開発された時だとし、これが多様性の本質だと考えているとした。
そして、量子コンピューティングを産業化するにあたって、利用機会が不均衡にならず、誰でも簡単にアクセスできることが重要で、そのためには3つの核となる要素があると、自身の考えを語った。
1つ目は、集団的な課題の解決にあるとした。「環境問題や、エネルギー問題を解決するための新技術開発のような複雑なテーマを、量子技術を用いることで解決でき、こうした技術から我々が取り残されるのではなく、誰もがアクセスできるようにすることで、より良い社会や民主主義を構築できる」と述べた。
2つ目は、民主主義そのものについて考えられるとした。台湾のコロナ禍における対応について、「AIを活用して市民からの声を分析していた。そこから、プライバシーを守りながら、暗号化された市民の声を分析することを、アクティブに行うことで、長年にわたり克服できなかった問題を克服できるようになった」とし、量子技術によってさらに発展させることが可能になると述べた。
3つ目は、安全性だ。セキュリティをきちんと確保することが重要になってくるとして、量子コンピューティングにおけるセキュリティの要点を語った。
量子技術を用いた通信ネットワークには、情報を削除したならば、削除した証拠が残り、それ以降誰もその情報を復元できないという特徴がある。タン氏によれば、こうした量子技術の特徴をきちんと理解し、活用することで、研究者や市民、ジャーナリストが使用するチャンネルを、しっかり保護することが可能になるという。
しかし、このような技術にアクセスして利用できるのが、一握りの力を持った権力者だけではいけない、とも指摘。「誰もが利用できる」ことが重要で、これによって民主主義を真に反映できるとした。
益氏はこれらの意見を聞き、開発のことばかりを考えてはいけないと感じたとし、「『いつまでに何をやるか』など、短期的なことを多く行っていたが、それではダメなんだということを強く感じた」と述べた。
基礎研究と産業界の橋渡しを
2つ目として、益氏は「量子コンピューターの研究者と、産業界などのような短期的な結果を求める立場との、考え方や時間軸などの価値観の違いや対立をどのように乗り越えていくのか」と質問した。
タン氏は、オックスフォード大学で行っている研究に加えて、無任所大使としての活動も行っている。こうした状況では、長期的なリサーチャーという役割を果たす一方で、大使という外交的な役割も果たさなければならない。
そうした中で、「時間軸が異なるものがある場合には、どちらか1つの時間軸を優先的に選ぶのではなく、異なる時間軸を橋渡ししてあげることが解決策になるのではないかと思う」と自身の考えを述べた。
基礎研究と短期的な結果を求める立場の橋渡しについては、「短期的な対策も出しつつ、その一方で長期的な基礎研究をやめるのではなく、並行して進めるということが必要になってくる」とした。
G-QuATの取り組みについても、「計画を示すことによって、より多くのステークホルダーから賛同を得やすくなるということに期待している」と期待感を示した。
これを受け、益氏は、「G-QuATをオープンスペースとして作ることで、国内のアカデミア、産業界だけでなく、世界のアカデミア、スタートアップの人に来ていただくのを意識して作ったことは、基礎研究と産業界、そういう人たちに対して橋渡しをするためには間違いないやり方だったと自信を持てた」と語った。
人々に信頼を与えることで、量子技術がより安全なものに
3つ目として、益氏は「量子コンピューターという新しい技術があって、これがどんな形で社会に浸透すれば、人々が心配なく民主主義に貢献できるのか」と質問した。
タン氏は、量子技術について、攻撃と防御どちらにも使用できるデュアルユースの技術であるとし、これを信頼できるものにするためには、まず「信頼を与える」ことが重要になると指摘した。研究者や政策の立案に関わる人が、一般の人とコミュニケーションを取ることで、信頼を醸成できると考えているとし、G-QuATではコミュニケーションを取れる場を設けていることが素晴らしいとした。
3年前に、タン氏自身のディープフェイクバージョンを作成し、多くの人に公開してきたという。タン氏は、「政府からこうした情報を発信することで、国民は『そういう技術があるんだ』ということを知ることができ、共通の知識にできる。こうして多くの情報を先手を打って開示していく、共有していくということで、人々に知ってもらい、それによって信頼というものが生まれると考えている」と述べた。
益氏は、「量子技術の進化は予想を立てていたよりもっと早く進んでいる。そのため、私たちは技術の進歩、進化を常に正しく社会に知らせていくということが改めて重要だと思う」とした。
量子技術では「ケア」のイノベーションが重要に
最後に、益氏は「社会価値の創造に取り組む研究機関は、どのような社会的アプローチで研究を進めていくべきなのか」と質問した。
AIが暴走しないように、何かのプロセスに人を必ず介在させる「ヒューマン・イン・ザ・ループ」という考え方があるが、タン氏によると、量子技術を社会実装していくにあたって、AIや量子技術は処理スピードが速すぎるため、人を介在させると人がついていけない問題が発生してしまうという。
タン氏は、「AIや量子技術をヒューマン・イン・ザ・ループにしてしまうと、回転させられているハムスターのような、心地の良くない体験を人間がしてしまうことになる。反対に、テクノロジーをヒューマンの『ケア』のために活用する『テクノロジー・イン・ザ・ループ』という方法でやってみてほしい」と提案した。
また、「シリコンバレーでは、『とにかくスピードを上げて開発して、壊せ』ということがよく言われているが、量子技術の場合、慎重に開発をして、修理してあげるというような取り組みでなければいけないと思っている。そのため破壊のイノベーションというよりは、ケアのイノベーションが量子技術の開発では必要になると思う」と語り、人間をケアする意識が大切だと述べた。
また、人材については「量子技術においては今いる人材に対して3倍くらいの人材が必要になってくると思う」と予想。「既存の人材を量子技術に対応できるようトランスフォームしていくというところも非常に重要になるため、研究機関の皆さんも力を入れてほしい」と呼び掛けた。
益氏は、タン氏との対談の中で「ケア」という言葉が印象に残ったとし、「『速く技術が進歩しているから、それをどう回すか』ばかり考えるのではなく、量子技術を社会実装していくというよりは、人間の幸せのために使っていくことが重要で、人間のケアについて考えながら進めていきたい」とした。