インタビュー

“VAIO生みの親”元ソニー社長の安藤国威氏が仕掛ける「長野発」のイノベーションとは

『信州ITバレー構想』キーパーソンに聞く<1>

 産学官で構成する長野県産業イノベーション推進本部が昨年9月、「信州ITバレー構想」を策定した。その呼び掛け人の1人が、元ソニー社長で、現在、長野県立大学理事長を務める安藤国威氏だ。ソニーではソニー・プルデンシャル生命(現ソニー生命保険)を立ち上げ、パソコンの「VAIO」を生み出すなど、同社を大きく変えるビジネスモデルを開拓した。今もなお世界を飛び回っている安藤氏がなぜ、長野において「信州ITバレー構想」に取り組むのか。その思いと狙いを聞いた。

安藤 国威(あんどう くにたけ)氏
東京大学経済学部卒。1969年、ソニー入社。ソニー・プルデンシャル生命(現ソニー生命保険)の設立や、パソコン「VAIO」、デジタルカメラ、携帯電話の開発・事業化に取り組み、2000年から2005年までソニーの代表取締役社長。現在、長野県立大学理事長。「信州ITバレー推進協議会」顧問、「一般社団法人長野ITコラボレーションプラットフォーム(NICOLLAP)」理事も務める。(写真提供:長野県立大学)

パソコン1つで新しいビジネスモデルを作る

――安藤さんが「信州ITバレー構想」に取り組まれたのはなぜですか?

 長野県立大学に着任してから、長野県産業イノベーション推進本部会議の委員を務めてきました。信州ITバレー構想は、長野県が2030年(のあるべき将来像の実現)に向けた(2018年度からの)「総合5か年計画」に取り組む中で、産業支援施策の方向性を示した1つのビジョンです。

 もともと私は長野市を中心とした県北のエリア(北信地域)にソフトウェア産業の活性化につながる人材と企業を集めたいというイメージを持っていました。長野県と一口に言っても広く、地域によってIT企業のタイプは違います。

 例えば諏訪市や飯田市がある南信地域には、光学機械を作るライト光機製作所、航空部品を作る多摩川精機など、世界に誇れるものづくり企業があります。一方、長野市のある北信地域や松本市のある中信地域には、ソフトウェア開発企業があるものの、まだまだ伸びしろがあると感じています。

 人口減少が進む中で地域が持続し、かつ欧米と渡り合える人材や企業を育て、新しいビジネスモデルを創っていくためには、ソフトウェア産業の発展は不可欠です。その施策として2018年末に、人材育成とIT企業の集積に関する県への要望書をまとめ、同じ思いを持っておられた長野県経営者協会の山浦愛幸会長と一緒に提出しました。幸い、県知事が積極的にバックアップしようと言ってくださり、長野県(信州)全体での構想がまとまったのです。

――地域にIT企業を誘致することは全国各地で行われています。信州ITバレーはどんな姿を目指しますか?

 長野は、地方といっても東京から新幹線でわずか90分、名古屋からも近い。しかも、近くにスキーリゾートで有名な白馬などもあり、自然が豊か。東京に拠点を置くIT企業にとっても、参入しやすく、魅力がある地域だと思います。また、長野県立大学や信州大学、長野高専もあって、産学連携がしやすい環境にあります。

 ただ、“箱”を作って東京から大企業に来てもらっても、官公庁のシステム受託ばかりやっていては面白くないでしょう。今はパソコン1つでどこでも仕事ができますから、生活のしやすい環境で、エンジニアだけでなく、デザインハウス、コンテンツ制作など多様な人たちが切磋琢磨しながら、新しいビジネスモデルを開拓していけたらと考えています。

 新規事業には、民間の力をつないでいくことが求められます。そこで、信州ITバレー構想の実現を目指す民間の推進組織の1つとして、人・モノ・金というビジネスに必要な要素をマッチングする「一般社団法人長野ITコラボレーションプラットフォーム(NICOLLAP)」を長野県経営者協会と一緒に立ち上げました。地元の大学や企業、金融機関のほか、長野県立大学とも地域包括協定を結んでいる日本ユニシスやKDDIもNICOLLAPのメンバーとして活動しています。

「一般社団法人長野ITコラボレーションプラットフォーム(NICOLLAP)」のウェブサイト

善光寺の2km四方に作る“イノベーションタウン”

――具体的にはどんなプロジェクトがありますか?

 長野市には1400年の歴史を持つ善光寺があり、世界中から観光客が集まって来ます。その周囲には古い宿坊とおしゃれなカフェが共存しており、徒歩圏内に信州大学や長野県立大学のキャンパスもあって、学生も行き来しています。その善光寺を中心とした2km四方に、IT人材や企業を呼び込む。そこで生まれたビジネスアイデアの社会実装まで行う「善光寺門前イノベーションタウン構想(ZIT構想)」に着手しています。

 NICOLLAPの拠点は、そのエリアの参道に面していて、今は大阪から移ってきてくれたシソーラスという会社の中にあるのですが、そのオフィスの1階でブレインストーミングをしたり、アイデアソンやハッカソンを実施したりしています(※下のカコミ記事を参照)。

シソーラス株式会社のオフィス(写真中央の4階建てのビル)。同社は代表取締役の荒井雄彦氏が2019年4月、長野市に開発拠点を開設したのに伴い、大阪市から移転。翌5月、同オフィスにNICOLLAP事務局を設置した
シソーラス株式会社の1階にあるワークスペース。NICOLLAPが主催する「地域共創ラボ」のワークショップも、ここで開催される。取材した日はちょうど同ラボの開催日で、NICOLLAPのメンバーが集まって事前打ち合わせなどを行っていた

――まちづくりの視点があるプロジェクトが進んでいるわけですね。

 そうです。

 参考になる事例があります。かつて米国オレゴン州のポートランド市では、街の真ん中に駐車場があり、車中心の街でした。それが市民と行政が協力し、人中心のコンパクトシティに変わって再生していきました。1階にはショーウィンドウのある明るい店を置き、2階以上に住民が住むという方法で、働くエリアに人が住み、夜もにぎわいが消えないよう工夫したのです。善光寺の近くにも空いたビルがまだありますので、同じように1階にIT企業のシェアオフィスを作ったり、その隣にカフェがオープンしたり、まちづくりとオープンイノベーションの仕組みを融合できればと考えています。

 実は東京に比べると、このあたりの家賃は3分の1ぐらい、オフィス賃料となると10分の1と言ってもいいぐらいです。それで東京と行き来しやすく、自然があるわけですから、実に恵まれた環境だと思います。

長野市の中心部、善光寺に向かう中央通りに面したビルに、シソーラス株式会社のオフィスとNICOLLAPの拠点がある

NICOLLAPと地域共創ラボ

NICOLLAP(ニコラップ)では、実際にコラボレーションを行う前段階として、会員以外からも広くアイデアを募る「地域共創ラボ」を開催している。現在のテーマは「稼ぐまちづくり」。2020年1月17日に第1回の「ブートキャンプ」を善光寺大勧進で実施。大学、行政、企業、エンジニアのほか、善光寺の関係者も参加した。その後、アイデアソンやハッカソン、ビジネス化を検討するマーケソンを実施。持続的農業を作るものから、防災やドネーションの新しいプログラムまで、5つのプロジェクトが進行している。3月10日には、成果発表を兼ねたシンポジウムを開催する予定だ。

DXができない日本企業、世界に通用する“地域発”の起業家マインドを

――安藤さんは、かつてソニーで「VAIO」の事業化に取り組まれ、今も世界を見ておられます。広い世界から見て、今の日本のビジネス環境をどう思われますか?

 私がVAIOに取り組み始めた当初、ソニーの開発部門はAV(オーディオビジュアル)が中心でした。PDAやワープロなど、非常に優れたデジタル製品にも取り組んでいたのですが、ビジネスとしては失敗していました。そこにはAVで成功する中で作られた確固としたカルチャーがあり、パソコンやITのようなオープンな技術の上で作られる製品は理解されないことがあったのだと思います。私はVAIOで音楽や映画などが融合していく新しい世界を作りたかったのですが、かなり苦労しました。結局はカンパニー制でトップに直接レポートできたので、AVのビジネスモデルを否定した、全く新しいVAIOのビジネスモデルを推進することができました。

 ソニーに限らず、日本企業では長く固定化した価値観と収益モデルによる壁があり、デジタルトランスフォーメーション(DX)を積極的に推進することが難しく、ビジネスモデルの変革ができていないと思います。従来の枠の中で仕事をしていては新規事業を進めることは難しいのです。その点、もとから枠がないスタートアップ企業は自由です。だから私は東京ではなく、長野から世界に通用するアントレプレナーを育てたいんですよ。

 IT産業で言うと、世界では米国クアルコムや中国ファーウェイ、スウェーデンのエリクソンなどの技術がけん引してきましたが、残念ながら日本ではファーストティアカンパニーが育っていない。ビジネスモデルの構築にITが必須の時代に、世界の最先端の技術を牽引するメガIT企業とロードマップが共有されていないとどんな製品を作ったとしても対等に戦えません。その意味からも、長野の企業は直接グローバル企業と結び付いていく必要があるのです。

 第4次産業革命と言われて、ブロックチェーンやAIなどの新技術が育つ局面を迎えた今こそ、これまでとは違う方法で仕事をするやる気のある人材を育てたい。その点、長野へ移住して来ている人たちは自由で、本気でビジネスに取り組んでくれています。

――長野県立大学でもグローバルな人材を育成するカリキュラムを導入されていますが、地域で生まれ育った若い人にもアントレプレナーシップを教えられますか?

 長野県立大学は、1年生は全寮制。2年生は全員、海外留学を経験します。グローバル市場を考えると海外体験は重要で、2週間~1カ月の短い間でも学生の成長は目を見張るものがあり、大きな刺激を受けていることが分かります。

2018年度に開学した長野県立大学の真新しい三輪キャンパス(写真提供:長野県立大学)
「攻める大学」を掲げ、アントレプレナーシップ(起業家精神)を身に付けた将来のリーダーを育成する「グローバルマネジメント学部」など、2学部・3学科で構成。理事長裁量で、学生の自主的な事業に資金を支援する制度もあり、同学部の学生が実際に古着屋の事業を立ち上げた事例もある(写真提供:長野県立大学)

 もう1つ、私が感じるのは、ビジネスをするのに大義が必要だということです。これをやったら儲かるというだけではダメで、国や社会に貢献したいという意識が大切で、これを潜在的に持っている日本人は多いように思います。

 地域に関わると、社会課題が見えてきます。実際に、長野県立大学の「ソーシャル・イノベーション創出センター(CSI)」には昨年、500件を超える課題が持ち込まれました。自治体では対応できないことを大学と企業が連携して担うのですが、そうした産学連携を進める中で、グローバルな視野を持った地域のリーダーが育ってくるのではないかと思います。そこに、私はこれまでの常識にとらわれない、新しい価値観を持つ若い人たちを呼び込んでいきたいと思っています。

長野市の中心部にある後町キャンパスには、「ソーシャル・イノベーション創出センター」と「象山寮」が併設されている
長野県立大学は1年生が全寮制。生活のベースとなる象山寮で「コミュニケーション力・主体性・社会性をはぐくむ」のが狙い(写真提供:長野県立大学)

ITだけではない“ITバレー”が目指す理想のかたちとは

――これからの信州ITバレーの展望を教えてください。

 ITバレーと言いますけれども、ITだけではダメなんですよ。

 ITで地域経済に取り組むというとIT導入率の話になりがちですが、農業など地場産業のことや、ずっと地域に暮らしている人の生活のしやすさなど、多面的なところに目を向けることが大事なんです。地域の強みと企業を結び付ける、人と人を結び付ける、アイデアのある人と技術を持った人を結び付ける。そうした地道なことを継続して行うことで、人が人を呼び、やがてエコシステム(生態系)が作られていくのです。米国のシリコンバレーが今のかたちになるには、80年という年月がかかっているんですから。

「ここで構想を掲げて、東京への集中を止めることが大事」と語る安藤氏。「私は東京の一極集中は日本を滅ぼすと思っています。地方にこそ実はフロンティアがあるし、生活の質も高い。東京にはミシュランに載るレストランが多いというけれど、豊かな食材を提供している別の地域があるわけで、フランスでは三ツ星レストランは必ずしもパリにあるわけではありません」(取材:2020年2月10日、善光寺大勧進にて)

 長野は東京に近いせいか、ほかの地域に比べて危機感が足りないのは少し心配です(笑)。ただ、最初に挙げたものづくり企業のように、売り上げの9割が海外というようなグローバル企業が長野県にはすでにあります。ソフトウェア分野でも、グローバルな市場を相手にビジネスをしたいと思う人には、大学やまちづくりと連携したオープンイノベーションプラットフォームを提供していきます。

 いずれ、東京にある本社を移してくれるIT企業が出てきてくれるとうれしいですね。自然の豊かな環境に移ることで、働く人のQOLは上がります。働く人の生活がよくなると、企業は必ずよくなります。長野はその理想のかたちを示していきたいですね。

――ありがとうございました。