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「30年後のインターネットで一番大事なことはethics(倫理)」、WIDEプロジェクトが40周年記念イベント

ヴィントン・サーフ氏からのビデオレターも

 WIDEプロジェクトは、プロジェクト開始40周年を記念したイベント「WIDEプロジェクト40周年記念シンポジウム」を都内で開始した。

WIDEプロジェクト40周年記念シンポジウム

 WIDEプロジェクトは、1980年代の日本のインターネット黎明期からインターネットを研究し実装してきた、産学共同の研究プロジェクトだ。国内初のIPネットワーク網の実現や、世界に13あるルートDNSサーバーの1つの管理運用、IPv6技術の開発と実装など、日本のインターネット技術を牽引してきた。通信事業者や通信機器ベンダーには、WIDEの流れを汲むネットワーク技術者も多い。

 開会挨拶に立ったWIDEプロジェクト代表の江﨑浩氏は、40周年続いた理由として「さまざまな企業やグループ、個人がずっと支えてくれたことで続いてきたと実感している」と振り返った。特に学生が40年間ずっと入り続けて一緒に仕事をしてくれたことや、それを支えたスポンサーに感謝を述べ、「次は50周年、60周年、80周年に向けて、引き続きご支援いただければと思う」と語った。

 またTCP/IPの主要設計者であり「インターネットの父」と呼ばれるヴィントン・サーフ氏もビデオレターで登場した。サーフ氏は、1960年代後半からインターネットの進化に関わってきた中で、40年前にWIDEが参加し、研究に貢献して、現在もインターネットを前進させるエンジニアや専門家の集団であり続けていることを祝福。「10年後、20年後、30年後、40年後にも記念イベントが開催されることを願っている」と語った。

WIDEプロジェクト代表 江﨑浩氏
ヴィントン・サーフ氏のビデオレター

村井純氏、WIDEの40年間の成果と、これからを語る

 シンポジウムのハイライトだったのが、WIDEプロジェクト創設者である村井純氏の講演だ。

 村井氏は、WIDEの歴史や、そこで取り組んできた技術と社会へのインパクト、そしてこれから考えるべきテーマについて、縦横無尽に語った。

WIDEプロジェクト創設者 村井純氏

「成果を見せびらかして、その結果として世の中がよくなる」

 まずはWIDEの40年の振り返りだ。

 WIDEの前身となるのが、1984年に村井氏が創設したJUNET。JUNETでは主にダイヤルアップによるUUCP(バッチ転送)が使われていたが、そこでの議論から常時接続のIPネットワークとしてWIDEが登場した。ちなみに、現在のNTTが民営化したのは1985年のこととなる。

JUNETが1984年に創設

 WIDEが何を目指してきたか、村井氏の言う「TAO of WIDE(WIDEの根本理念)」について、同氏は1999年に講演したスライドから紹介した。

 まずWIDEの狙いについては、「専用線を用いたテストベッドを構築して研究者が力を合わせて若い研究者を育てて、それで『おれたちの環境自身がよくなる』」という言葉が掲げられている。このスタイルが研究としては珍しかった。WIDEが40年続いたのは、このあたりに根拠があるんじゃないか」と村井氏は説明した。

WIDEの狙い

 WIDEの役割については、「研究をして環境を作り、それらの成果を見せびらかすこと、その結果として世の中がよくなること」「発展のさまたげになる社会の困難に挑戦すること、その結果として世の中がよくなること」とある。「作って見せびらかしたら結果として世の中がよくなり、社会に怒られ続けて結果として世の中がよくなる、というのがゴールだと、結構考えていた」と村井氏は語った。

WIDEの役割

 そのほか、心がけとしては、「右手に運用、左手に研究、強靭な奥歯」と、泥臭い研究を肯定する立場を取った。さらに「北風より太陽」ということで、「インターネットを使え」とは言わないようにしていた。なお、そうとも行かない事態が起こったのがCOVID-19禍で、「インターネットを使え」と言うことになったと、村井氏は付け加えた。

WIDEの心がけ

 世の中に広めるのにも、従来のアカデミズムとは違う方法をとった。通常は研究者と世の中の間に企業が入るが、WIDEでは研究者と企業とが一緒に取り組むことで世の中からのフィードバックを直接受ける考えだと、WIDEの最初のころから言っていたという。

世の中に広めるための産学連携

 そのほか、WIDEメンバー数の推移や、コアな議論をするWIDE合宿の参加者数の推移などを紹介。さらに、当初「インターネットがテーマでは博士号を取れない」と言われたことに反発し、学会に認めさせたり、新しい学会を作ったりしてきたことなども村井氏は振り返った。

 WIDEのワーキンググループについては、最初は全員一緒に議論していた中から、テーマが増えてワーキンググループに分かれ、さらにIPv6がエリアとして設けられた。近年では、IoT、クラウド、社会応用、量子などのワーキンググループも盛んになっていると村井氏は紹介した。

近年のワーキンググループ

IPv6や、タクシーのワイパーから降雨状況を集計する実験、1990年代の衛星インターネットと映像配信の実験

 続いて、取り組んだ技術のハイライトだ。

 まず村井氏は氷山の大部分が海中にあるという図を見せて、「インターネットの中で、WIDEがやっていることはあまり派手に目立たない。そこが長持ちの秘訣かもしれない」とコメントした。WIDEがやっているのは、物理インフラやイーサネット、TCP/IP、せいぜいAPIまでで、世の中で目立っているのはその上のアプリケーションやサービスというわけだ。

「WIDEがやっていることはあまり目立たない」

 ただし、「IPv6はちょっと特別だった」と村井氏。1992年に国際会議「INET92」が日本で開催され、各国の研究者による次世代IP案の中でIPv6が採用された。その後、IPv6プロトコルスタックの実装において、WIDEのKAMEプロジェクトが世界をリードした。

IPv6とKAMEプロジェクト

 雨が降ると、自動車の運転手はワイパーを動かす。この情報をインターネット経由でリアルタイムで集めれば、降雨状況がわかる、というのがWIDEが2001年に実施した実験だ。名古屋で約1500台のタクシーについて、位置情報とワイパーの動きを集めてリアルタイム分析した。

 「Consumer Generated Dataの考え方の、初期の試みだった」と村井氏。当時、この研究についてヨーロッパで講演をしたところ、スタンディングオベーションを受けたという。ただし、その後の質問でプライバシーの話題が出て、「そこからプライバシーの研究が始まり、その後のRFIDなどでのプライバシーの研究につながった」と村井氏は付け加えた。

タクシーのワイパーの動きから降雨状況を分析する実験

 JSATとの共同研究では、トランスポンダー(電波中継機)を1台、スペクトラムを割り当てる権限まで借りて、衛星インターネットの実験を1990年代に開始した。ここでは、IPv6のマルチキャストを使い、アジアで映像配信を使った授業を行い、「School of Internet(SOI)」が始まった。

JSATとの衛星インターネットの実験
アジアでの映像配信による授業

 また、当時はIP通信はビデオ信号のようなデータを順番にパケットロスなく流すことが苦手だった。それを技術的に克服し、帯域が少ないところでは画像フレームを間引くといったDVTS(Digital Video Transport System)の研究にもつながった。

DVTS技術の研究

 この技術を使って、日本国政府のミレニアム記念事業の一環として開催された「インターネット博覧会」において、各地からの映像を配信したことも紹介された。

 「こういうところが品格のないと言われるところだが(笑)、こうやって社会を口説いてきたと思う」(村井氏)

インターネット博覧会での映像配信

インターネットを政府の挙げる重要インフラに

 次は、WIDEによるインターネットの歴史への貢献だ。

 村井氏は、ヴィントン・サーフ氏や、UNIXを作ったベル研究所、BSD UNIXを作ったビル・ジョイ氏、DNSの基礎を作ったジョン・ポステル氏などとともに世界のインターネットを作ってきたと説明した。

 その中で、トップレベルドメインの「.jp」を1986年に開設したことや、世界に13個あるDNSルートサーバーの1つが日本に1997年に設置されたことなども紹介。さらに、2000年問題や9.11テロ事件などのような国際的な問題について、13個のルートサーバーがグローバルに分散していることの意義について考えたと村井氏は語った。

 重大事態への備えについては、内閣の重要インフラ対策の中にインターネットなどの「デジタルインフラ」が含まれるようになった話や、さらにウクライナ侵攻が起きて電力も一緒に守る必要があるという考えになった話を紹介。「WIDEでは1990年代ごろから言っていたが、いま現実のものとして電力会社も一緒に考えるようになった。WIDEでやっていることは、20~30年早いが、それが研究としては面白いことだと思う」と村井氏は語った。

「.jp」ドメイン開設
13のDNSルートサーバーとグローバル分散
内閣の重要インフラ対策の中に「デジタルインフラ」

政府のIT戦略本部に1999年から参加

 次は、WIDEやインターネットの政策・ポリシーへのインパクトだ。

 村井氏は、政府のIT戦略本部に参加した1999年ごろに作った図を紹介した。まず当時、アナログ技術の守備範囲として、電話インフラや放送インフラがあった。そして、インターネットは電話インフラの上にあり、その上で経済や教育などの活動が行われていた。

 そこで「『電話の上でインターネットを動かすから高いので、ネイティブでインターネットを動かせば安くなるんじゃないか。そして、もしかすると電話や放送の一部もインターネットの上になるかもしれない』と話した」と村井氏。ちなみに実際に見せなかった図では、電話や放送も、全てのインフラがインターネットの上になることを描いていたという。

1999年のアナログ技術とインターネットの守備範囲
1999年に考えた、2001年のインターネット

 プライバシーの問題もある。1999年にMITで「Auto-IDラボ」を発足させ、RFIDの流通への利用を研究しはじめた。ところが2003年にファッションメーカーのベネトンが服にRFIDタグを埋め込んでクローゼットをデジタル管理できるようにする計画を発表したところ、プライバシーの侵害として「裸のほうがまし」という反対キャンペーンが起こったという。「技術と社会の両方の言葉をしゃべれないと新しい技術が作れない、というのがWIDEが学んだことじゃないかと思う」と村井氏はコメントした。

ベネトンのRFIDタグへの反対キャンペーン

 村井氏自身は、1999年の小渕政権以降、IT戦略本部に参加してきた。その活動を振り返り、政権交代などもありながら、IT戦略はけっこう安定して発展してきているのではないかと語った。

歴代政権とIT戦略

 世界では、村井氏はIETF(Internet Engineering Task Force)の議論に参加している。そこで各国のポリシーメーカー(政策立案者)に言いたいこととして、ウェブやインターネット(IPとルーティング)は世界共通のグローバルな標準技術だと強調した。

ウェブやインターネット(IPとルーティング)は世界共通のグローバルな標準技術

 また100回目のIETFのプレナリーパネル(全体会議)に村井氏が登壇したときに、「30年後のインターネットで一番大事なこと」というお題について、ほかのパネリストたちが「ethics(倫理)」と回答して村井氏を見たことを紹介し、「それをやるのは日本、という期待があるということだった」と同氏は語った。

30年後のインターネットで大事なのは「ethics(倫理)」

アジアや太平洋地域をつなぐ海底ケーブル網、そして「AIフルスタック」

 最後は、WIDEのこれからについてだ。

 村井氏がまず挙げたのは、日本をつなぐ国際光海底ケーブル網の整備だ。まず、日本から各地域につながっているが、多くの国際ケーブルが関東や関西に集中しており、災害や障害へのリスクのためにワットビット連携も含めて分散する必要があるという。また、アジアに強いが、南太平洋がやや弱いことも村井氏は指摘する。

日本をつなぐ国際光海底ケーブル網の現状

 そこで、前述した学校をつなぐSOI Asiaから、さらに太平洋地域のインフラによりSOI Pacificへと拡張。それをつなぐ海底ケーブル「ARENA-PAC」にWIDEも投資した。「SOIを使って大学の研究機関と組んで、インターネットの未来を進めることができる」と村井氏は言う。

 第1期の投資はグアムを中心とした学術ネットワーク「GOREX」に接続し、第2期の投資で太平洋の島を全部つなぎ、第3期では東京からシンガポールへの回線を強化することでアフリカやインドなどとも太くつながるという。「これらをつないでいくのを、世界の研究ネットワークと一緒に進めていけるのが、WIDEプロジェクトのベースとしてのインフラだ」(村井氏)

SOI PacificとARENA-PAC
第1期投資
第2期投資
第3期投資

 そして最近WIDEで言われているキーワードが「AIフルスタック」だという。一見、最近の流行に乗ったようにも見えるが、地球全体にわたる分散処理を作ってきたのがWIDEの活動で、WIDEという名前も「Widely Integrated Distributed Environment(大規模で統合された分散環境)」の略だ。「地球全体のコンピューテーションがデジタルデータと一緒につながって新しい空間を作る。それは40年間変わらないし、それを『AIフルスタック』と言うとわかりやすいんじゃないか」(村井氏)。

「AIフルスタック」

 最後に村井氏は、「WIDEは40年前に始まり、いろいろな支援をいただきながら、この先10年や20年の活動を続けていく体制は確立されたと言っていい」と語り、「私たちはその先を作っていくために、辛抱強く、平和で幸せで安全な世界を作ることを考えなきゃいけないと思う」とまとめた。

 そして、WIDEの毎年の報告書をベースに、WIDE40周年の書籍「俺たちのインターネットを全ての人へ」をインプレスから刊行する予定であるとアナウンスした。

WIDE 40周年書籍「俺たちのインターネットを全ての人へ」をインプレスから刊行予定

WIDEのようにAIフルスタックを発展させるには

 「AIフルスタック」については、さくらインターネット株式会社の田中邦裕氏と、ソフトバンク株式会社の湧川隆次氏をパネリストとし、WIDEボードメンバーの浅井大史氏をモデレーターとしたパネルディスカッションも開かれた。

 WIDEの言う「AIフルスタック」では、電力・立地やデータセンターに始まり、アプリケーションやサービスと運用まで、10のレイヤーが設けられている。3名とも、この上から下まで関わっているという人選だ。

 浅井氏はまず「日本の産学で連携して、WIDEがやってきたように、今後のAIフルスタックを発展させていくことを考えていきたい」というテーマを提示した。

WIDEボードメンバーの浅井大史氏(モデレーター)

 これに対して、新技術を作っていくには豊かさとハングリーさ(貪欲さ)の相反する要素の両立が必要で、WIDEの40年にはそれがあったという意見があった。また、オープンな議論の重要性や、日本からの議論への参加やOSSへのコントリビュートを増やすことで日本にもチャンスがあることなどの話も出た。

さくらインターネット株式会社の田中邦裕氏

 インターネットを作って普及させてきた流れを、AI時代にあてはめた意見としては、「インターネットも、バンキングのような重要な情報を通信するのは危ないと言われていた時代から、信頼されるような仕組みやルールを作ってきた」という意見も出た。一方で、「ネットバブルで潰れた会社から人や技術が残ったように、AIバブルが崩壊して何社か潰れても社会資本が残る」という声もあった。

ソフトバンク株式会社の湧川隆次氏

 最後にWIDEの“次の40周年”について一言ずつコメント。

 湧川氏は、「いまの若い人にはインターネットはすでにあるものだが、WIDEでは自分たちで作ってきて、自分たちで変えられるものだと考えている。そのマインドセットがあれば続くと思う」と語った。

 また田中氏は、「WIDEが続いていくことが重要で、そのためには若い人をどんどん入れていかないといけない。さくらインターネットでも、いま若い人が20年後になっても『WIDEに参加して金を出すのは当然』となるよう育てていきたい」とユーモラスに語った。

WIDEの「AIフルスタック」

IIJ設立の経緯を語る

 村井氏と、株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)代表取締役会長の鈴木幸一氏による対談「俺たちのインターネットを全ての人へ」も開かれた。

 IIJは、WIDEのボードメンバーの一部が研究ではなくビジネスとしてインターネット接続を始める必要があると考えて1992年に設立された、日本のISPの草分けの会社だ。

 対談では、通信事業者の許可が出なくて村井氏たちが鈴木氏に相談に行った話や、そこから鈴木氏が規制と戦ってきた話、当時の日本や米国の状況、日本の産業界や行政への危機感などが語られた。

株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)代表取締役会長 鈴木幸一氏
WIDEプロジェクト創設者 村井純氏