iNTERNET magazine Reboot

「インターネット文明」の夜明けに向けて<前編>

WIDEプロジェクト30周年記念 村井純氏インタビュー

WIDEプロジェクトファウンダー、慶應義塾大学環境情報学部教授/大学院政策・メディア研究科委員長の村井純氏

 「WIDEプロジェクト(WIDE Project)」は、1988年、UNIXとネットワークの研究者たちが集まって設立された広域分散システムの研究プロジェクトである。オペレーティングシステムやネットワークの開発といった技術分野から、インターネットと社会などの分野に至るまで幅広い研究テーマに取り組んできた。そのファウンダーとして30年間、指導にあたってきた村井純慶應義塾大学教授に、30周年を迎えた気持ちとこれからのインターネットの課題を聞いた。

(聞き手:中島 由弘、写真:渡 徳博)

WIDEプロジェクトが長く続けられる理由

――2018年、WIDEプロジェクトを始められて30年という節目を迎えられました。この節目となる年にあたって、どのような感想をお持ちですか?

 研究者としての私の活動が約40年ですから、そのほとんどをささげてきたわけなんですが、いま振り返れば、あっという間に過ぎ去った30年でしたね。

――これだけの長い期間にわたる研究プロジェクトというのは、他に類をみないほど珍しいのではないかでしょうか。

 「プロジェクト」をこれだけ長く続けられることはまずないでしょうね。たいていのプロジェクトはあらかじめ短い期間が設定されるものなんです。なぜかというと、一般的な「研究プロジェクト」というのは、政府などの公的資金援助をいただいて進めるのですが、そうすると予算というのは1年間からせいぜい長くて3年間まで、まれに5年間という期限が定められているんです。私の知る限り、最も長いもので3年目と5年目でのチェックを受けたうえで、最長10年間というのがあります。それと比較しても、こうして20年、30年と続けられることはありえないでしょうね。

 なぜ、これだけ長く続けられたのかというと、WIDEプロジェクトはすべて民間の資金でやってきたからなんです。しかし、WIDEプロジェクトを立ち上げたとき、戦略的にそういう仕組みにしようとしたわけではありません。当初、インターネットに関する研究プロジェクトなんて一般には理解されず、政府の資金的援助をいただくことなどは期待もできませんでしたから、民間の力だけで進めるしか方法がなかったからなんです。いまどきの言い方をするなら「コンソーシアム」ということになりますかね。

 また、「プロジェクト」というのは、研究期間のほかにゴールも定められているものなのですが、WIDEプロジェクトでのゴールとは「インターネット上の分散システムの発展」にあり、そのための技術に関することはなんでもやるというものでした。これも立ち上げのときからなんら変わっていません。ウェブやブロックチェーンのような分野はもちろんですが、主に、レイヤーでいうならば低いところにあたる通信基盤技術をずっとやってきました。それは、当初から自分の興味がそこにあったからかもしれません。

――WIDEプロジェクトでの具体的な研究テーマはどのようにして決まるのですか?

 WIDEプロジェクトでは、研究テーマのひとつひとつにはあまり細かい制限を設けていません。現在、研究メンバーが100人~200人くらいいて、できるだけ彼らがやりたいことを実現できるような環境にしているんです。そうすると、それぞれのメンバーから面白い研究テーマをどんどん提案してくるわけです。それが、そのときどきの社会の関心とも一致していて、スポンサー企業からの賛同もいただき、結果も出せるという、よい循環を作って、ここまでやってこれたんだろうと思います。

 それから、WIDEプロジェクトはあまり固い組織ではないということ、支援をしていただいている企業のみなさまに、こびたりしないという特徴もあります。例えば、こうしたコンソーシアムを民主的に運営しようとするなら、候補となる研究テーマに対して、ボードメンバーが投票したりして、取り組む研究テーマを民主的に決めようとするわけですが、そこまでするわけでもなく、ボードメンバーが提案される企画に対して、面白そうなことはなにかと常に耳を傾けながら機動的に運営していくというやりかたになっています。ただし、このボードメンバーは選挙で選ぶようにしていますから、それなりには民主的な組織だとは思っています。

――現在、村井先生はWIDEプロジェクトのファウンダーという立場にいらっしゃいますが、これはどのような役割なのでしょうか。

 ファウンダーという役職は、2010年3月に私がWIDEプロジェクトの代表を退き、江崎浩先生(東京大学工学部教授)に引き継いだときに創設しました。この役職は選挙で選ばれる立場ではないにもかかわらず、ボードメンバーの会議には出席できるという「特権」を設けました。それはプロジェクトの支援をしていただいているスポンサー企業から「辞めないでほしい」という声が少なからずあったので、それに応えてのことだったんですが、発足当時からのWIDEプロジェクトのコンセプトがこうしてぶれないでいるのは、結果的には私がこういう立場になっても、プロジェクトに関与し続けているからではないでしょうか。

――組織としてはトップダウン的なマネジメントによる機動性を維持しながらも、多くの協力者に納得して受け入れられているというのはまさに村井先生のカリスマ性や人徳によるところが大きく、形だけの民主的な組織運営をするときに生じるような弊害もないということなんですね。

 そういう意味ではバランスがとてもうまくとれていると思います。私の立場からは、あれはだめだとか、これはだめだとか言うのではなく、なんとなくいろいろなハードルがあって、ブレーキがかかってしまいそうなことでも、重要なテーマについてはどんどんやろうよというように背中を押す役割だと思います。そうすると、関係者のみんなは「村井がいうなら、これは止められないな」というような雰囲気になって、それが結果的には推進力に変換されて、先に進められたということもたくさんあります。

WIDEプロジェクトは新たな文明の基礎を作った

――ちょうど、10年前の2009年にWIDEプロジェクトが20周年を迎えたとき、「日本でインターネットはどのように創られたのか」(インプレスR&D刊行)という書籍を出されましたが、そのなかで「コンピューターという意識のないデジタル情報デバイスや、情報そのものにもつながっていて、基盤として普遍的であるということに対する大きな使命が出てきた」と書かれています。

 10年前というと、まだスマートフォンが登場して間もないころで、当時、ここまでの普及をするとは誰も予測をしていなかったんじゃないでしょうか。私がインターネットに関わるようになってから、デジタルデバイスが普遍化することは常に理想像としてイメージしてきました。すべてのモノにコンピューターが入り、それがインターネットにフルスペックで接続できたらいいなというのは90年代初めごろからずっと考えていたんです。遅かれ早かれ、IPv4のアドレス空間を使い切ることは分かっていましたので、それから先のイメージを持っておく必要があったのです。

 ちょうどIPv6を設計するときにも、なぜ広大なアドレス空間がいるんだということをずっと考えていました。そのときに、人類は70億人以上いるわけですから、一人1台のデジタルデバイスを持ったら、それだけでIPv4の32億個のアドレス程度ではとても足りないと考えたわけですね。ここからIPv6の仕様に関する議論がスタートし、アドレス空間の規模を定義したわけです。

 そのような経緯もあって、IPv6の設計、実装、普及については90年代初めからのWIDEプロジェクトにとっての重要な使命だと思ってやってきました。当時から、いずれはさまざまな機器にフルスペックのTCP/IPが載せられるほどCPUやメモリが安価になったり、強化されたりするだろうなとは確信していました。例えば、デジタルカメラが登場したとき、これがインターネットに直接つながるなんていうのは理想でしたよね。もちろん、いろいろなセンサーの技術についても、WIDEプロジェクトとしてはずっと気にしてきた分野なんです。なぜかというと、「情報そのものにつながる時代」になるというのは、インターネットにはいろいろなデバイスがつながるのだから、デジタルデータを流通させる基盤として重要になる時代がくると考えていたからです。当時、その実現可能性はともかくとして、いずれそういう時代になったら面白いなというように思い描いていたんです。その意味では、この30年間はある程度、設計どおりには進んできたともいえると思います。

――その後の10年で、想定されていたことが現実になった結果、先生がおっしゃっているところの「インターネット文明」という時代を迎えたわけですね。

 最近、私が「文明」という言葉を使いたくなった理由は、そこから逃れられる人類はいなくなるということを表したかったからなんですね。「文明」というのはそのなかに属したら、全員がその恩恵に浴するわけですし、それによって社会の仕組みも変わってくるんです。歴史的にも、使う道具の種類で社会が変わるというのは「文明」というラベルを付ける条件のひとつだと思うのです。そういう意味では、インターネットという道具によって新たな文明ができているといってかまわないだろうと思っています。

 2018年に慶應義塾大学で「サイバー文明研究センター」を創設したときには、あえて「サイバー」という名前を使いましたが、これは「インターネット」という単語を使うと、われわれのようなインターネットの専門家にとっては分かりやすいのですが、そうでない人たちにとっては狭義にとらえられてしまい、意味を誤解されてしまうのではないかと懸念したからです。社会全体を包含する言葉としては「サイバー」のほうがなんとなく懐が深くて、そのコンセプトを理解してもらいやすいと考えたからなんです。ですから、専門家の立場として話す自分では講演などでは「インターネット文明」という言葉を使っています。

 いままでの歴史上の文明は、メソポタミアだとか、インダスだとかのような地域ごとに分散していたわけですが、インターネット文明はひとつの空間であるというのが特徴です。ですから、文明間の対立すら起こりえないのです。もし、対立があるとすれば、現存する国家とか、現存する社会とかとの対立です。例えば、現存する社会には、知的財産を守るという意味で、国ごとに定められた法律があるわけですが、この「国ごとに定められた」という考え方がないのがインターネットで作られている空間です。したがって、この2つの文明の間には矛盾が生じるわけです。

 しかし、両者の対立関係はすでに逆転をしているのかもしれません。人類の多くの人は現実空間に生きていて、これまでのインターネット空間は一部の使える人だけが使っていたという時代でしたが、インターネットが誰でも使える時代になった結果、すべての活動はインターネットの上で行われるのが基本になり、「国ごとに定められた」ルールは邪魔だなと思うようになっているのです。最近でいうなら、仮想通貨の取引規制なんかはその一例ですね。ある国では仮想通貨で取引できるのに、別の国では法律に違反するというようなことです。すべてはインターネットのグローバルな空間の上で同じように動いているのに、なにかまだ「国ごとに定められた」ルールを引きずっているなと感じます。サイバースペースとリアルスペースがくっついて、知らず知らずのうちにサイバースペースの上で生活するようになったという逆転劇を目の前で見ていると、インターネット文明というのはグローバルなインターネットの側にあるのであって、メソポタミア文明とか、インダス文明のような地理的な場所で局所的に興隆するような話ではなくなってきていると感じるのです。

――そうすると、もはやさまざまな政策は国単位で考えているだけでは不十分で、インターネットとの共生も考えなければならないということですね。

 もはやそういう考え方をしていかないとならない段階だと思いますね。そうでないと、その国が国際社会から孤立してしまったり、不利益を被ったりするようなことが起きるわけです。残念ながら、まだほとんどの人がこの点に対する理解に至っていないと思います。われわれのようなインターネットの専門家にとっては、日々のできごとから肌で分かっているようなことなんですが、政治家、官僚、法律家など、政策をリードする人々のなかにも理解できる人がもっと増えてほしいと思います。一方で、われわれインターネットの専門家の側は政治の世界には疎いところがあるので、お互いが勉強していかなければならないでしょう。

 なぜドローンが自由に空を飛んではいけないのかということを考え始めると、航空法など既存のルールが出てくるわけですね。われわれインターネット側の人間は、これから3次元空間をインターネットでどのようにデザインしなければならないかと考えなければいけないわけですが、そのときに、あらためて空は国境を越えてつながっているということに気づくわけです。

――WIDEプロジェクトを30年続けてこられて、最も大きなイノベーションはなんだとお考えですか?

 それは間違いなく、ワイヤレス通信、つまり無線による通信技術基盤がこれだけ強くなったことでしょう。

 余談にはなりますが、これを表現するのに面白い例として、よく使うたとえ話があります。昔から「WIRED(ワイアード)」という雑誌がありますよね。創刊当時の「WIRED」はインターネットがかっこいいものだということを体現した雑誌だったんです。でも、英語のWiredという単語は「ケーブルでつなぐ」という意味です。皮肉なことに、現在ではケーブルがなくてもつながることがかっこいいという、当時とまったく逆の状態になったわけです。つまり、いまでは「アンワイアード」になったんです。私は2005年に「アンワイアード―果てしなきインターネットの未来 4Gへのシナリオ」(インプレス刊)という書籍の翻訳をしましたが、そのなかで「3Gは張り子の虎、4Gが本当の龍だ!」という表現があります。これは言い得て妙だと思いますね。

 インターネット文明を作る上において、無線技術の発達はとてつもなく大きな意味を持ったと思います。具体的には携帯電話通信網による高速データ通信やWi-Fiです。WIDEプロジェクトとしても、大手の携帯電話通信事業者とともに技術開発などに取り組んできましたし、Wi-FiについてもIEEE(The Institute of Electrical and Electronics Engineers)とIETF(The Internet Engineering Task Force)での標準化にも取り組みました。IEEE 802.11の一つの委員会の議長はWIDEプロジェクトのメンバーの一人が務めているんですよ。そういう意味では、日本は無線技術について、とても強い国なんです。日本で要求される技術基準が他国と比べて厳しいので、できるだけ信頼性のある仕様にしようとするので、世界でもトップクラスの専門家が多くなるという背景があるからです。

情報技術の進展で起きたフラグメントの問題

――10年前のWIDEプロジェクト20周年の本のなかでは、インターネットというインフラが整うことによって「情報分野での技術が進むとフラグメント(分断・断片化)していく、手軽に使えることでそれぞれのセグメントに分かれてしまう。これがいちばん怖いことだ」とおっしゃっています。

 当時、懸念したとおりのことが起き始めていると思います。W3C(World Wide Web Consortium)はHTMLをはじめとするウェブ技術の標準化をしています。ウェブはインターネット上のサービスを作る上で大変重要なアプリケーション基盤です。例えば、W3Cではウェブからハードウェアにアクセスできるような仕組みも作りましたし、ネットワーク上で分散処理をするための標準化もしています。もちろん、これらウェブのアプリケーションもTCP/IPという標準プロトコルの上で行われているのですが、アプリケーションどうしがうまく動くための基盤であるかどうかということはそれとは別の意味で重要です。W3Cとしては、これからもウェブというアプリケーション基盤のなかに、さまざまな標準化された機能を追加していきたいと考えているわけです。

 例えば、自動車、銀行、漁業、医療というように、多種多様な産業ごとに、それぞれのアプリケーションや仕組みが作られてきています。当然、それぞれの産業でのアプリケーションに対する要求は異なりますから、そういう現象はあたりまえのことなんですが、そのなかでは暗号化や決済などの仕組みのように、特定の産業の要求に依存しないような共通する部分もたくさん含まれているわけです。こうした共通の機能は業界ごとに固有のものを作るのではなく、インターネットの機能として共通にしておかないと、それぞれのアプリケーションでの開発にかかるコストが莫大なものになってしまうことにつながります。これがいま懸念されている「産業間でのフラグメント(分断)」だと思います。

 もちろん、標準化を進めようとしている人はそれぞれの産業のなかにいらっしゃって、それぞれにご苦労もされているわけですが、その人たちにインターネットの上でやるなら、産業をまたいで一緒にやりましょうといっても、まとめあげるのはそう容易なことではありません。そこで、産業と産業のとりまとめをしようというのが最近のW3Cの役割になってきています。私自身にとっても、時間の使い方はインターネットプロトコルの標準化団体であるIETFよりも、ウェブの技術標準化団体であるW3Cのほうが多くなってきているのはそういうことを反映しているんだと思います。

 2017年から、出版社の人たちにもW3Cへ参加してもらって、そこで電子書籍のファイル形式などの標準化をし始めているのはこういった取り組みの一例です。他にも医療分野では遠隔地からの手術をしたり、画像診断のデータを扱ったりすることが考えられていますし、音楽の分野ではデジタル楽器間の同期をとろうとしたときのリアルタイム性についてとてもシビアな要求があります。実は、リアルタイム性というのはこれまでインターネットが最も苦手としてきた分野だったんですが、ステージという限られた範囲に限れば、電子楽器間の同期ができるようになってきました。

 このように、いままでのインターネット標準のなかではあまり気にしていなかったような課題もひとつずつ解決しています。インターネットなんだから遅延があるのはあたりまえじゃないかといって、こうした課題をないがしろにしておくと、そこに産業間のフラグメントが起こります。フラグメントが起きると、それぞれの産業分野において、大変な開発コストが生じるという不利益を被ります。インターネットにつなぐなら、できるだけ同じ技術を使おうといい続けたいのですが、それはいちばん難しいところですね。

 しかし、いまのところ大きなフラグメントが起きていて、とても深刻な状況にあるとは考えていません。でも、決して気を緩めてはいけない部分だと思います。いってみれば「俺たち」はこれまでインターネットを創ってきたという自負心がありますけれども、多くの人が使うようになると「俺たち」と思っている人はそれぞれの分野にたくさんいらっしゃるというわけです。これまでインターネットについて、まったく関心のなかった分野の人たちとうまくやっていくことは、先ほどいった「文明論」の観点からも重要な取り組みだと思います。

――さまざまな産業と連携する上で、WIDEプロジェクトという組織は研究という観点からの中立な立場での求心力を持つというわけですね。

 これからインターネットの応用分野はさらにどんどんと広がりますので、そこへアウトリーチしていくのはとても難しいんですね。一方で、いまやみんながスマートフォンを使っているわけで、スマートフォンの上でなにかを作るなら一緒にやろうよという自然発生的な動きもでてきているのも事実です。スポーツとヘルスケアなど、分野は違っていてもスマートフォンのアプリケーションの上に集約できるわけです。それはインターネットの上にある技術基盤が共通になっているからできるのです。しかも、とても安価に実現できるというのです。開発コストが安くすむというのは誰にとってものねがいです。つまり、コストが下がるんだったら、標準化には貢献しないという手はありません。

 ウェブ技術の標準化団体であるW3Cはこれからどのような領域においてインターネットの技術について協力関係を築いていくのかという点に重大な関心を寄せています。これはW3Cにとっては組織の存続価値そのものです。もし、それが実現できなければ社会コストが上がり、誰も得をしないということにつながってしまうからです。そこでWIDEプロジェクトとしては、W3Cとも協調しながら、これまで民間企業からの支援を受けながら実績をあげてきたノウハウが生かしていけるのではないかと思っています。

 なかでも、われわれの特徴は研究課題としてものごとを冷静に見られるというところだと思います。一般的に、ライバル企業どうしは手の内を見せないわけですね。ですから、現場では標準化したらいいなとは思っていたとしても、具体的な部分での調整はいつも苦労します。下手に技術情報を開示してしまうと、あっという間に競合企業にやられかねません。自分たちが優位な立場にたってからでないと標準化は進められないという問題もありました。しかし、早かれ遅かれ標準化するなら、いまからやっておけばいいんだということは、WIDEプロジェクトのような研究組織の観点からはいいやすいわけです。なぜなら、WIDEプロジェクトは日本中の企業が投資をしてくれていて、そこに参加するメンバーは呉越同舟でやっているわけですから、そうした環境のなかで自分たちが働き、標準化を進め、結果を企業にフィードバックすると、結果的にその企業の開発コストが大幅に下がることにつながるからです。WIDEプロジェクトを経済的に支援いただいている企業の方々からすれば、自社だけで閉じて開発をするのに比べ、十分な経済的価値も見出していただいているものと思います。(後編へ続く)

(取材:2018年11月29日)

村井 純(Murai Jun)

慶應義塾大学環境情報学部教授。工学博士。1984年、国内のインターネットの祖となった日本の大学間ネットワーク「JUNET」を設立。1988年、インターネットに関する研究プロジェクト「WIDEプロジェクト」を設立し、今日までその指揮にあたる。内閣官房高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT総合戦略本部)有識者本部員、社団法人情報処理学会フェロー。その他、各省庁委員会の主査や委員などを多数務め、国際学会などでも活動。日本人で初めてIEEE Internet Awardを受賞。ISOC(インターネットソサエティ)の選ぶPostel Awardを受賞し、2013年には「インターネットの殿堂」入りを果たす。「日本のインターネットの父」「インターネットサムライ」として知られる。

「iNTERNET magazine Reboot」コーナーについて

「iNTERNET magazine Reboot」は、ネットニュースの分析や独自取材を通して、デジタルテクノロジーによるビジネス変化を捉えるインプレスR&D編集のコーナーです。産業・教育・地域など、あらゆる社会の現場に、Reboot(再始動)を起こす視点を提供します。