三上洋の「深掘り! IT時事ニュース」

iPhoneの「ヘルスケア」アプリの記録が事件の証拠となる時代に。データの信頼性は? プライバシー侵害の懸念も

 殺人事件の裁判で、スマートフォンのデータが重要証拠として採用される時代がやってきています。私たちが普段使っているアプリのデータによって、過去の行動などがわかるためです。

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この記事は、ワイドショーにもすっかり常連となった“IT時事ニュース”について、その背景も含めてITジャーナリストの三上洋氏が解説した書籍『深掘り! IT時事ニュース ――読み方・基本が面白いほどよくわかる本』(技術評論社)より、内容の一部を抜粋・再構成してお届けするものです。

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紀州ドンファン事件でスマホが証拠に

 和歌山県の資産家・野崎幸助さん、通称「紀州のドンファン」が死亡した事件で、スマートフォンの解析データが重要な証拠になろうとしています。

 この事件では、被害者が2階の寝室で寝ていたときに死亡しています。同じ時間に1階にいた元妻の容疑者は「2階に上がっていない」と供述し、殺人を否定していました。しかしその供述を覆すデータがスマホから見つかったのです。

 産経新聞(2022年4月27日)によれば「自宅2階にいた野崎さんが死亡する直前に、単独で接触していた疑いのあることが26日、捜査関係者への取材で分かった。スマートフォンアプリの解析で判明した。」とのこと。容疑者は2階との行き来を否定していましたが、「スマホの解析により2階との行き来が判明(同新聞)」という解析結果を重要な証拠と捉えて逮捕に踏み切っていたのです。

 では、「(1階と)2階との行き来」がわかるスマホのデータとは何なのでしょうか。どのアプリ・端末なのかは判明していませんが、まったく同じことができるアプリがあります。それはiPhoneの「ヘルスケア」です。

「ヘルスケア」は上がった階数を記録

 iPhoneのヘルスケアは、私たちの運動を自動的に記録してくれるアプリです。1日に何キロ移動したか、何歩歩いたか、何時間寝たかなどを、iPhoneの様々なセンサーを元に記録。もちろん時刻も記録されるため、「いつどのぐらい移動したか」をあとから振り返ることができます。

 この中に、あまり見慣れない「上った階数」というデータがあるのです。iPhoneをお持ちの人は、「ヘルスケア」にある「すべてのデータ」を見てください。ここに「上った階数」という項目があり、あなたが1日で登った階数が記録されています。

 この上った階数は、iPhoneに搭載されている気圧センサーを元に推測したもの。iPhoneでは6以降に気圧センサーを搭載しており、Siriに聞くと気圧を教えてくれます。ヘルスケアではこの気圧の変化を元にして上った階数を計算しているのです。

 紀州のドンファン事件の容疑者は、スマホを警察に任意提出していました。警察はスマホの解析かアプリの記録から、容疑者の供述とは異なり2階に上がっていたという証拠を見つけました。このアプリがiPhoneのヘルスケアかどうかは判明していませんが、「上った階数」が具体的にわかり、かつ利用台数が多いのはiPhoneなので、筆者はiPhoneのヘルスケアの可能性が高いと考えています。

過去にもヘルスケア利用での捜査が

 実はこれ以前にも、iPhoneのヘルスケアが事件捜査に使われている例があります。2017年に福岡で起きた妻子殺人事件です。容疑者である夫は、殺された時間に「寝ていたので動いていない」と供述していましたが、容疑者が持っていたiPhoneのヘルスケアがその時間に動いていたことを記録していました。警察関係者によれば、このデータを証拠のひとつとして逮捕に踏み切ったとのことです。

 またドイツではiPhoneのヘルスケアが記録していた「上った階数」が、殺人事件の証拠になった事例もあります。2016年に女性が殺害された事件で、容疑者が逮捕されましたが、裁判の途中で容疑者のiPhoneに注目が集まりました。

 警察が容疑者のiPhoneを解析しようとしたものの、容疑者はパスコードロック解除を拒否。そこで警察はミュンヘンの企業にiPhoneの解析を依頼した結果、ヘルスケアから重要なデータが見つかったのです。

 それはヘルスケアが記録している「上った階数」でした。死体が遺棄されていたのは川の堤防で、その時刻に容疑者のヘルスケアには、川の堤防と同じだけ上り下りの記録があったのです。警察では容疑者と同じ体格の調査官に実験させて、iPhoneのヘルスケアで同様の「上った階数」のデータが表示されることを確認。これを裁判の証拠として提出しています。

 このようにiPhoneなどのスマホの記録データが、事件の証拠となる時代がやってきています。今後の事件でもスマホのデータが鍵となる事件が増えそうです。

問題は正確さとプライバシー懸念

 ただし、スマホのデータが正確とは言い切れません。たとえば、iPhoneのヘルスケアのデータは気圧変化による推測であり、筆者の実測でもズレが発生することがあります。また登山で山頂に行くと「90階上った」という表示になるなど、信頼性が高いとは言えません。

 そこで実際の裁判では、同じ環境での再現テストによって証拠にする場合が多いようです。たとえば2017年の福岡県での殺人事件でも、同じ環境での再現テストで同様の記録が出たことを参考データとして使ったとのこと。またドイツの事件でも、前述のように再現テストが行われたことから証拠として提出したと報道されています。

 まったく同じ状況・機種を使っての再現テストで、同じデータが出たことを証拠にするわけですが、最初に容疑者のデータありきで、それに合わせたデータを出すために再現テストを繰り返すこともできるわけです。そのため再現テストをどこまで信用できるか、裁判所が慎重に判断する必要がありそうです。

 またスマホやネットサービスのデータを犯罪捜査に使うことには、プライバシーの懸念があります。特に警察による「捜査関係事項照会」では、本人に確認なく警察がネットサービスに対して情報を提出する要請をしています。多くのIT企業がこれに応じており、プライバシーの侵害を懸念する声があります。

 これらデジタルでの捜査については、法規制やガイドラインなどのルール作りが必要な他、第三者による事後のチェックも必要なのではないでしょうか。

三上 洋(みかみ よう)

東京都世田谷区出身、1965年生まれ。都立戸山高校、東洋大学社会学部卒業。テレビ番組制作会社を経て、1995年からフリーライター・ITジャーナリストとして活動。文教大学情報学部非常勤講師。専門ジャンルは、セキュリティ、ネット事件、スマートフォン、ネット動画、携帯料金・クレジットカードポイント。