【連載】
■ 第3回 P2Pとワイヤレスの技術を用いた実証実験 ■前回は、P2P技術がワイヤレス技術と組み合わさることによって、どのようなことができるのかについて、考えてみた。今回はその具体的な例について紹介しよう。その分野では研究から実際の実証実験の段階のものまで、実にさまざまな事例が存在する。すべてを紹介することは不可能だが、その中でも特に目を引く国内の2つの事例について紹介したい。●PHSによるP2P 本題に入る前に、前回の記事の補足をしておきたい。前回「携帯電話やPHSでP2Pを実現しようとすると困難であることに気づく」という意味のことを述べたが、それについて本連載の一読者である山本貴大さんより意見をいただいた。PHSには「トランシーバーモード」という機能があり、これを使うとPHS同士で直接通信することができる、とのことである。実はこの機能については筆者も利用したことがあるのだが、あまり一般的ではなかったので紹介せずにいた。ただ、これは面白い機能であるので、ここで少し紹介しておこう。 これは、簡単に言うと、基本的にPHSは、家庭用のコードレス電話機などの「親機」に登録することによって、「子機」として用いることができるようになる(「基本的に」と書いたのは、実はPHS単体でも親機の代わりになれるものも存在するからだ)。そして、同じ親機に登録されたPHS同士は、「トランシーバモード」というモードに設定することによって、親機がそこに存在しなくても、子機同士で通話することができるようになる。もちろん、ダイアルアップ接続によって、データ通信も可能だ。すなわち、通信可能な範囲にいるPHS同士で、P2P通信ができるわけである。したがって、P2Pの実現は困難というのは、厳密には誤りである。 ただし注意したいことがある。それは、2つ以上のPHSとは「同時に」通信できないということである。もともとPHSは1対1の通話を行なうことが前提として開発されている。すなわち、リアルタイムなマルチホップの通信を行なうことはできない。もしそれを行なおうとするならば、一度データを溜め込んでから、別のPHSに接続しなおして送るということを繰り返さなければならない。もしリアルタイム性を重視しないのならば、そのような方式でも十分だろう。 ●防災の日の実証実験より それでは本題に入りたい。何でもかんでも面白いことを先にやってしまうのはアメリカばかりだとは、考えないほうがいいだろう。 「ワイヤレスP2P」という単語を考案し、広めようとしている人が日本にいる。株式会社スカイリーネットワークの梅田英和代表取締役CEO/CAだ。梅田氏は、日本国内における「ワイヤレス」と「P2P」を商売にしようとしている人たちの中で、おそらく最も最先端を走っている人といえるだろう。同社が提供する「DECENTRA」は、ワイヤレス技術とP2P技術をつなぎ合わせたアプリケーションの作成を容易に可能とするフレームワークである。 DECENTRAを使うと、PCをはじめとして携帯電話やPDAなどの端末で、種類を選ばずにすべての端末間でマルチホップ通信が可能となる。利用者は、IPアドレスの設定など面倒な手続きは必要なく、その場ですぐに利用できる。DECENTRAでは、IPパケットを独自のパケット形式に含めて通信することができるため、数ホップ先にインターネットとの接続ポイントがあれば、インターネットに接続して通信するということももちろん可能だ。「HotSpotサーバ」を用いることで、そのような接続ポイントを構築することもできる。 ◆DECENTRAの基本的なアルゴリズム P2Pで通信を行なう際にもっとも難しいのは、PeerとPeerの間を結ぶ経路を探す作業である。特にワイヤレスともなれば、各端末は自分勝手に自由な方向へ移動しているため、その作業は非常に複雑になってくる。もちろん単純にパケットを「ブロードキャスト」しあってやればデータを届けることはできるが、各端末は限りある資源である「電力」に非常に敏感であることに注意しなければならない。ほとんどの場合、数時間、長くても十数時間しかもたない小さなバッテリで駆動している。したがって、ジャブジャブとパケットを送信させることはできず、非常に複雑なやり方になったとしても、限りある資源を効率的に使って、相手と通信できる経路を探さなければならないのである。 DECENTRAにおける経路探しの方法は、IETF manetワーキンググループ( http://www.ietf.org/html.charters/manet-charter.html )のFSRプロトコルと、DSRプロトコルのアイデアが参考にされている。FSRプロトコルとは、通信が行なわれていなくても経路をあらかじめ探索しておく方式で、近くのノードほど頻繁に探索を繰り返すことで正確な経路を維持している。遠くのネットワークの状況まではっきりつかんでおこうとすると、端末の負荷が高くなってしまうため、ある範囲を超える部分については考えないようにするのだ。これに対してDSRプロトコルとは、通信の必要が発生した時に経路を探索しはじめるプロトコルである。 DECENTRAはその両者のプロトコルの長所・短所をうまく利用し、基本的にはFSRプロトコルの要領で経路を発見しておき、もし範囲外の端末と通信する必要が起こった場合は、DSRプロトコルの要領で随時探索を行なうようにしている。 ◆防災訓練での適用例 DECENTRAはすでにさまざまな場面で利用されているが、ここでは今年9月に東京都練馬区で行なわれた「練馬区・東京都合同総合防災訓練」の例をとり挙げてみよう。この防災訓練の詳細については下記URLの別記事を参照していただくとして、ここでは実際にこの技術がどのように役に立ったのか、そしてどのような課題が見えてきたのかについて的を絞ってみたい。 ■レスキューナウ、防災訓練で災害時緊急用ネットワーク構築システムを稼動/www/article/2002/0902/nerima.htm この訓練では、DECENTRAを使ったデモアプリとして、画像が送信できるインスタント・メッセンジャー(IM)を試作し、試用したそうだ。梅田氏は「結果的には、この手の状況ではIMはけっこう有効なのを実感した」と語る。たとえば、IMならばメッセージをフラッディングさせて全員に同報配信ができる。これを電話で行なおうとすると難しい。場合によっては1対1の指示が必要になるが、これにも対応可能だ。特徴的なのは、交信内容がログとして残せるということと、プレゼンスの確認で各端末を持った人が活動中かそうでないかを判定できるということである。災害時には携帯電話がつながりにくい、もしくはまったくつながらないという状況が想定できるため、このような既存のインフラに頼らない、その場に集まった人だけで構成できるネットワークは、非常に重要である。
また、「端末間の距離を徐々に広げていくと、TCPでは動作しないが、UDPは届くという地点が出てくる。アドホック環境で隣接端末とTCP通信できる範囲は、無線LANカードのメーカー公称到達距離よりもずっと短いと思われる」ということもわかった。憶測でしかないが、これは無線に特有の片方向リンクができてしまうからであろう。つまり状況によっては、向こうの端末には電波が届くが、向こうから発せられた電波はこちらには届かないということが起こりうるのである。TCPではパケットが届いたかどうかの確認を随時行なっており、相手から「届いたよ」という確認のパケットが戻ってくるのだ。もし片方向にしか送信できないとなると、その到達確認が戻ってこないために何度も再送を試み、一向にデータが送れないということになる。 さらに、「無線LANカードはメーカーによって到達距離にバラツキがあるため、メーカーが混在した環境では、単純に人を並べてhop数を延ばせるというわけではなかった。PDA+CFカードのようにアンテナ露出が小さいデバイスでは、電波が十分に届かないため、中継地点にいても、より電波の到達半径の広いPCにすっぽりと被われてしまって意味がない」のだそうだ。この分野ではさまざまな研究がされており、いろいろなアルゴリズムが提案されているが、実験環境の前提条件として「各端末の通信半径は等しい」としている場合が多い。しかし、この前提条件は実際に適合するものではなかったのだ。最初から各端末の通信半径を考えに入れた上でアルゴリズムを構築していけば、もっと効果的なアルゴリズムできあがるのではないだろうか。 細かいところではいろいろな課題があるにせよ、端末のみによるネットワークが即座に構築でき、実際にマルチホップで通信ができたということは、非常にすばらしいことである。スカイリーネットワークでは、この実験で得られたデータをもとにして、さらに高機能なDECENTRAを開発する予定だ。これからもDECENTRAの動向からは目が離せない。 一方、海外でも同様の動きは起きている。端末だけで無線のネットワークを構築するソフトや製品を開発する会社はいくつかあるが、その会社の1つであるMeshNetworks( http://www.meshnetworks.com/ )は、先日その一連の製品群の出荷を開始した。詳しくは別記事を参照していただきたい。 ■“アドホックP2Pネットワーク”の米MeshNetworksが製品を初出荷 ●名古屋の地下街での実証実験より 次に紹介するのは、今年3月中旬に名古屋市栄町セントラルパーク( http://www.centralpark.co.jp/ )の地下街において、富士通株式会社、株式会社富士通プライムソフトテクノロジ、九州大学が共同で行なった実証実験である。この実証実験は、「P2Pネットワークアプリケーションの研究開発とその実証実験を通じ、そのプラットフォームの安全性・信頼性・相互運用性を検証すると同時に,その管理技術がネットワークの自由性を損なうものではないことを実際のフィールドにおいて実証していく」というものである。実験の主眼は、富士通の開発するプラットフォームにあるわけだが、筆者は、ワイヤレスP2Pアプリケーションがはたして一般に受け入れられるものであるのかどうかを知る上でも、重要な実験であったと考えている。
◆地下街の無線ネットワークのシステム この実証実験では、サービスとして広告配信とビンゴゲームを提供した。これらのサービスはそれぞれ情報のpushとpullに相当する。地下街には、無線LAN(IEEE802.11b)のアクセスポイントが10箇所に配置された。しかし、各端末間をマルチホップしてデータを送り届けるのではなく、あらかじめ設置された10箇所の無線LANアクセスポイント間を、リピーターによって接続した。すなわち、無線リンクによるバックボーンを地下街に構築したと考えればよいだろう。また、ショップ情報などを管理するサーバーが1台あり、ユーザーのアクセス状況などもここでモニタリングされた。 ユーザーは専用のアプリケーションと、P2PコアソフトのインストールされたPDA(Windows CE 3.0、21台)を持参し、地下街を歩く。各アクセスポイントがカバーする領域は、他のアクセスポイントのものと重ならないように配置されており、ユーザーはそれぞれの領域を渡り歩くというイメージになる。
無線によるネットワークとなると、まず一番に心配されるのが、セキュリティーの問題だ。この実証実験では富士通研究所が開発を進めているVPC(Virtual Private Community)というプラットフォームを用い、著作権保護や個人情報保護を行なった。 ◆提供したサービス まず広告配信だが、各領域ではその近くの店舗の情報が配信された。たとえば入荷したジーンズの情報、喫茶店の割引情報などが、各個人のPDAに配信される。しかしすべての情報が表示されると見にくくなり困るので、PDAにはユーザーの属性に応じた情報のみが表示されるように工夫された。また、ユーザ同士で受け取った広告を交換をすることも可能だ。 次にビンゴゲームだが、これは地下街そのものをゲームの対象としているもので、ビンゴの数字を得るためには、そのエリア全体を渡り歩くことが必要になる。地下街の店舗をもっとよく知ってもらうという意味でも、有効なアプリケーションであろう。
◆ユーザーの反響 この実証実験に参加したユーザーからは、
といった意見が寄せられ、おおむね好評であった。また、情報を提供する側である店舗側としては、「ホームページ作成程度の手軽さでエリアサービスを展開できるのは魅力的だ」と感じたようだ。ただ、PDAを普段から持ち歩く人というのはなかなか少ないので、携帯電話のような多くの人が持って歩いているデバイスによって、同じようなサービスが展開できるとさらに良いだろう。実際には各携帯電話会社の思惑がありなかなか難しい面もあるだろうが、Bluetoothや無線LANを積んだ携帯がもっと出回って、それがJavaなどで自由に操れるようになれば、このようなアプリケーションは爆発的に広がるのではないだろうか。 ◆今後の実験について 今後は、次のような3項目を目的とした大規模な実験が予定されている。
携帯電話では、既存の通信網を利用するのではなく、微弱無線やBluetoothなどの「無料の」近距離無線を利用する。商店街から受け取った情報を他の人に渡したり、情報にコメントを追加するなどの「消費者の貢献」に対しては与えられたポイントは、商店街における通貨として利用可能となる。このポイントの流れをマーケティングの対象にすることで、消費者主体でコミュニティを形成することが、商店街振興対していったいどのような社会学的影響を与えるのかについても調査するそうだ。 ●その他いろいろな事例が 数ヶ月前までは、Web検索サイトで「ワイヤレス」と「P2P」でAND検索を行なってもヒット数は少なかった。だが、最近では数千ものWebサイトがヒットするようになった。この分野は今非常にホットな分野であることがよくわかる。海外でも、携帯電話にワイヤレスとP2Pの技術を導入しようという動きがあったり、ハエに見立てた小さなロボットを飛ばしてワイヤレスのネットワークを作るというまるで夢のような研究などが出てきている。 ワイヤレスとP2Pの技術がいろいろなところで利用されるようになると、我々の暮らしはどのように変化していくのだろうか。考えていくととてもワクワクしてきて、夜も眠れなくなってくる。
(2002/12/4) [Reported by 小出俊夫] |
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