俺たちのIoT
第9回
スポーツのIoT化で、感覚的だった技術を可視化・共有
2017年2月14日 10:00
ここ数回の本連載は、BLEや無線LAN、LTEといったIoTで使われる技術とその背景を説明してきましたが、今回からはIoTで何ができるのか、今までと何が違うのかをテーマに話を進めていきます。今回はCerevoのスポーツブランド「XON(エックスオン)」の第1弾製品である「SNOW-1(スノウ・ワン)を例に取り、スポーツとIoTとのかかわりを説明していきます。
まず初めに、SNOW-1がどのような製品かを説明しておきましょう。SNOW-1は、Cerevoのスポーツ用品向けブランドであるXONの第1弾製品として、2015年12月に発売したスノーボードのバインディングです。バインディングではなく「ビンディング」と呼ばれることもありますが、スノーボードとブーツを固定する器具のことです。
一般的なバインディングは、IoTはもちろんのこと電気的な仕組みを一切持っていませんが、SNOW-1はバインディングとしての機構に加え、荷重センサー、9軸センサー(加速度、角速度、地磁気)といったさまざまなセンサーを内蔵。さらに本連載の第5回でも紹介したBLEを搭載し、スマートフォンとデータを連携することができます。
9軸センサーについても簡単ながら説明しておきます。漢字で書くと分かりにくいかもしれませんが、これらはスマートフォンを使っている人であれば日常的に接している技術であり、加速度は「スピード」、角速度は「ジャイロ」、地磁気は「コンパス」と理解してください。端末の速度や加速度、端末の向き、東西南北の方角をそれぞれ取得することができます。
SNOW-1はこれらセンサーを搭載することで、スノーボードで雪山を滑っている最中の重心、左右それぞれの足の荷重、スピード、スノーボードの傾きといったさまざまなデータを取得し、スマートフォンに記録することができます。さらにスマートフォンのカメラ機能を利用し、撮影した動画にこれらのデータを重ね合わせて表示することもできます。スマートフォンを頭や胸に装着しておき、動画を撮りながら滑ると、自分の視点で滑った映像にあわせて自分の滑りのデータを分析できる、というわけです。
感覚的につかんでいたスノボで転んだ理由、IoTで定量的なデータとして把握
スノーボードというスポーツが生まれたのは1960年代と言われていますが、それから半世紀経った今まで、電気的な機構を備えたバインディングというものはありませんでした。それでは、バインディングにセンサーを詰むと一体何ができるようになるのでしょうか。そのコンセプトはデータの“可視化”と“共有”にあります。
スノーボードに限らず、スポーツの世界では言葉では伝えることが難しい技術が多々あります。テニスのラケットでボールを当てる位置、野球のバットの握り方といったことなら、目で見たり握り方を教えてもらうことで、ある程度までは頭で理解することもできます。しかし、「重心を落とす」「体重を前に預ける」といった体の動きそのものは、言葉だけで理解するのは非常に難しいことです。スポーツ経験者の方なら、こうした動作を言葉だけで理解するのがどれだけ難しいかもお分かりいただけるのではないでしょうか。
体重移動の技術が重要なテクニックであるスノーボードは、言葉だけでは技術を伝えることが難しいスポーツの代表的存在でもあります。本で読んだり、上級者に言葉で教えてもらったテクニックだけでいきなり華麗な滑りを披露できる人は皆無と言っていいでしょう。多くの人は初めてのスノーボードで何度も転び、尻餅をつきながら繰り返し練習することで、上級者に教えてもらったり自分で勉強したテクニックを少しずつ自分のものにしていくのです。
こうした技術を身に付けるのが難しい理由の1つは、その技術の感覚が人によって異なるからです。一言で「重心を落とす」といっても、それがどのくらい腰をかがめ、前後左右どの方向に体重をかけているのかというのは本人にしか分かりません。もちろん、「手を90度横に上げる」「背筋を伸ばす」といったように、数値や言葉で定量化できる動作もありますが、基本的には数字ではなく感覚でトライ&エラーを繰り返しながら自分なりの解釈で技術を身に付けていく、それがこれまでのスポーツにおける技術の向上方法でした。
話をSNOW-1に戻しましょう。冒頭で紹介した通り、SNOW-1では滑っている人の重心や左右それぞれの荷重のかけ方をデータとして記録し、それをグラフィックで表示することができます。これはつまり、感覚とトライ&エラーでしか自分の中に取り込むことができなかった技術を、データでとして定量的に分析することができるようになる、ということです。
スノーボードでバランスを崩して転んでしまった場合、今までは転んだ理由が自分の感覚でしかつかむことができませんでしたが、SNOW-1で荷重の動きを分析すれば、転ぶ瞬間に自分がどのような重心のバランスを取っていたのか、左右の荷重のかけ方はどうだったのかをデータで知ることができます。もちろん、データで見たからといってすぐにうまくなる、というものではありません。しかし、感覚でしか理解できていなかった自分の動きをデータにすることで、感覚でしかなかった技術を1つの指標として把握することができるようになるのです。
データとして可視化するということは、自分だけでなく他の人と比較して共有することもできるということです。自分より上手な人と滑りのデータを比較すれば、どこが違いなのかを一目見て理解することができます。スポーツをデータで分析するということは、感覚でしかなかった技術をデータによって定量化し、自分以外の異なる人とでも同じ数値として比較できるようになる、ということでもあるのです。
余談ながら筆者は水泳が不得意で、子どものころは水泳の上手い人を見るたびに「同じような動きをしているのになぜ、ひとかきで泳げる距離が違うのだろう」と不思議に思っていました。泳ぎ方をデータで可視化する技術が登場すれば、上手い人と自分の違いをデータとして理解することができたのかもしれません。防水機構も含めて大変な製品ではありますが、個人的には水泳を上手くなるためのIoTスポーツ用品、といったものも期待したいところです。
データ分析だけじゃないスポーツのIoT化、観戦の仕方も変わる?
スポーツをデータで分析することそのものは、それほど新しい話ではありません。野球の世界では投手や打者、野手の技術や癖などをデータ化することは一般化していますし、打者の強さをヒットを打つ確率で評価する「打率」という指標は、まさにスポーツのデータ化によるものです。また、データ分析で弱小野球チームを強くしていくというブラッド・ピット主演の映画「マネー・ボール」も、実在したオークランド・アスレチックスの実話をもとに描かれています。
スポーツのIoT化も決して新しい発想ではなく、こうしたスポーツにおけるデータ分析の延長線上にあります。打率は単純に試合の戦績だけで計算できますが、スポーツ選手の体の動きは試合結果だけでは分かりません。しかし、スポーツ用品にセンサーを搭載し、今までに取ることができなかったデータを取得することで、さらにスポーツを強く面白くすることや、初心者に対してハードルを下げることもできるのです。
スポーツのIoT化は1つのトレンドにもなっています。ソニーはテニスラケットの動きを分析できる「スマートテニスセンサー」を販売しましたし、ゴルフのスイングを分析するという製品もさまざまなものが市場に出ています。ハードウェアスタートアップの株式会社アップパフォーマは、サッカー選手に装着することで選手の動きを分析できるシステムを安価に実現した「Eagle Eye」をクラウドファンディングで発表、現在も開発を進めています。
とはいえ、スポーツのIoT化は簡単ではありません。電子機器を付けることは当然ながら重量が増えるため、軽さが重要なスポーツ用品ではスポーツそのものに不利益をもたらす可能性もあります。また、正式な試合ではこうした機器類の持ち込みや装着が禁止されているケースも少なくありません。
しかし、スポーツのIoT化は技術の向上や初心者のハードルを下げるだけでなく、観客がスポーツをもっと楽しむための技術として活用できる可能性もあります。野球の観戦では打者の打率や投手の球速、年間を通じた成績などを試合中に観客が見ながら楽しむことができますが、スポーツのIoT化で観戦中に取得できるデータはもっと多彩になります。PK戦になったサッカー選手の心拍の様子を見ながらシュートまでの時間を固唾を呑んで見守る、なんて観戦も、選手としては恐い機能ながら、新しいスポーツ観戦の1つのかたちかもしれません。