天国へのプロトコル

第16回

「○○ペイは不安」という80歳のAさん、死後の残高はどうなるか調べてみた

素朴な声――「○○ペイは不安だからいいや」

 来年で傘寿(80歳)を迎える知人のAさんは、先日ビデオチャットで雑談したときに「○○ペイは不安だからいいや」と苦笑いを浮かべながら話していました。AさんはスマホでLINEや地図アプリを使いこなし、ネットショップも日常的に利用しています。それでもコード決済サービスの導入は抵抗があるようです。

 詳しく聞くと、サービスそのものの利用ではなくて、一定額をチャージする仕組みが嫌なのだとか。「お金の管理が面倒だし、いざというときに引き出せないと怖いから。死んでも気づかれないだろうし」といいます。

 ○○ペイと呼ばれるコード決済サービスには、チャージせずにクレジット決済などができるタイプもあります。筆者はそのことを補足しながらも、Aさんの懸念も最もだと思いました。

 かねてから積極的に“終活”を進めてきたAさんの「いざ」には、自分の死後も含まれます。自分が死んでしまった後に、残高の存在が知らされずに家族に引き出されないことも心配しているのです。

 実際のところ、チャージしたまま放置されて塩漬けになっているケースはどのくらい発生しているのか。そして、Aさんの懸念は正しいのか、それとも家族に渡る仕組みが案外機能していて杞憂であったりするのか。コード決済サービス各社への取材と統計データから、可能な限り実情を探ってみました。

運営元の現状――残高を相続できることがより普通のことに

 まず、コード決済サービスにチャージされている残高の没後の対応ですが、1年前の第6回で解説したとおり、原則としては相続が可能です。遺族が運営元に問い合わせて所定の手続きを経ると、振込手数料を引いた額が指定した口座に払い戻される流れです。

 1年前は残高が相続できない例外的なサービスとして、nanacoカード(nanacoモバイル)の事例も採り上げていましたが、同サービスの最新の利用規約である2023年4月版では「会員が死亡した場合には、(略)現金の払戻しも行われません」の条項が削除されています。

 今回改めて残高が残るタイプの他の主要なコード決済サービスの利用規約やFAQページを調べ直しても、相続不可との文言は見つかりませんでした。業界全体で残高は相続対象という合意形成がなされているとみてよさそうです。

メルペイの相続手続きに関するヘルプページ。「返金または払戻請求権は相続の対象」と明言している(メルカリ ヘルプセンター「相続時の手続き」より)

 しかし、実際に払い戻しを求めるとなると、遺族によるアクションが必要になります。Aさんが懸念するように「死んでも気づかれない」ままでは、残高はいつまでも塩漬けです。

 各社の相続対応の頻度が掴めれば実働具合が見えそうですが、残念ながら、主要なコード決済サービスに尋ねたところ全ての企業で詳細は非公開とのことでした。ただ、「お問い合わせ窓口にて受け付けて個別に対応しています」(匿名)や「マニュアルに沿って滞りなく行っております」(匿名)といった回答からは、ユーザー対応のひとつとして相続対応が日常的に行われている様子が覗えます。少なくともレアな対応というわけではないようです。

 また、業界最大手のPayPayはさらに踏み込んで、「ユーザー数の増加に伴って相続についての相談件数も伸びています。サービスを開始したときから緩やかなペースで増えている印象です」と答えてくれました。

 PayPayは2018年10月に提供を始め、2023年10月時点で6000万人を突破しています。その間、2021年1月には利用規約で相続できることを明文化し(PayPay利用規約改定のお知らせ(2021年1月)参照)、同年6月には残高上限を500万円から100万円に下げるなどの変化がありました。しかし、それらのアクションが相続対応の増加に直接の影響を与えた感触はない様子です。

 僚誌「シニアガイド」で2019年9月に同テーマを取材した際に、同社は「2カ月に1回のペース」と話していました。ちょうど会員数が1000万人を突破した頃です。回答した他のサービスも「月に0~数件程度」でした。その頃と変わらない割合であるならば、やはりまだまだ相続対応の頻度は多くないといえるでしょう。

残高の現状――1ユーザーあたりの残高は微増程度

 では、塩漬けされうるチャージ残高の額は、ここ数年でどんな変化が見られるのでしょうか。

 一般社団法人キャッシュレス推進協議会が公表している「コード決済利用動向調査(2023年7月7日公表)」によると、2023年3月末時点で主要なコード決済サービスのチャージ残高はおよそ5355億円に上ります。

 一方で、同じタイミングの月間アクティブユーザー数は約7411万人です。アクティブユーザーベースで単純計算すると、1ユーザーあたり7200円ほどの残高を保有していることになります。この値は約6050円/人だった2019年からの推移を見ても微増に留まります。

一般社団法人キャッシュレス推進協議会の「コード決済利用動向調査(2023年7月7日公表)」を元に筆者作成

 ただし、アクティブユーザー数は2019年年末時点の約1800万人から、2023年3月末の約7400万人まで4倍以上となっています。この伸びは、利用者が増えたことに加え、複数のサービスを併用する使い方が広がっていることも関係しているようです。

 2023年1月、MMD研究所が全国の男女2万5000人を対象に実施した「スマートフォン決済利用動向調査」によると、コード決済サービスを利用している人は全体の42.3%に上ります。そのうち3人に2人は複数のサービスを利用しており、利用サービス数は平均で2.7でした。

 スマホにコード決済アプリを入れているなら、多くの場合は2~3併用しているというわけです。すると、トータルのチャージ額は2万円前後。手間を考えると、仮に残高に気がついても相続手続きまで進まない遺族が多くいても不思議ではない規模感のように思います。

 ちなみに、この2万円前後という額は、休眠預金の1件あたりの平均残高と近い値でもあります。

 2018年に施行された休眠預金等活用法(民間公益活動を促進するための休眠預金等に係る資金の活用に関する法律)により、銀行等で10年以上動きのない休眠口座は、口座ごと預金保険機構(DICJ)に移管されるようになりました。

 DICJが公表している2022年度の移管金は約1528億円で、口座数は約707万件となります。これを1口座あたりに直すと2万1600円ほどになります。公表が始まった2019年度以降、多少の変動はありますが、概ね2万円/件前後で推移しているのです。

結論――小銭入れか、長財布か、規模感を定めて使うのがベターかも

 これまで見てきた現状を踏まえると、Aさんの「お金の管理が面倒だし、いざというときに引き出せないと怖いから。死んでも気づかれないだろうし」は半分当たっていて、半分ズレている感じがします。

 残高が貯まる場所を増やすと「お金の管理が面倒」になるし、「死んでも気づかれない」リスクも当然上がるので、よくわかります。

 一方で、「いざというときに引き出せないと怖い」に関しては、若干の杞憂を感じました。多くのサービスは相続の仕組みを提供しているので、「怖い」と思うなら打つ手はちゃんとあるわけです。現実ではそこまでやるモチベーションがない、つまり「怖くない」から放置しているケースが多いようです。

 筆者がそこを丁寧に説明できていれば、Aさんの憂慮を少しは解消できていたかもしれません。(よく分からずに残高不足を自動チャージしたり、後払いしたりするタイプを利用したりするのも「怖い」ですが、この怖さは別の話ということで)

 小銭入れ程度の感覚で使うならそこまで深刻に将来に備える必要はないでしょうし、数万~数十万円が常に入っている長財布くらいの感覚なら一定の配慮はしておいたほうが不安を抑えられそうです。つまるところ、利用するスケールによって憂いの度合いも変わるはずで、そのことを意識して利用するのが合理的だと言えそうです。

 コード決済サービスの利用実態はスマホでしか確認できないケースが多く、金融機関の預金口座よりも気づかれにくいのは確かです。長財布的に利用するなら、塩漬けにならないように、緊急時に家族が状況を把握できるようにエンディングノートにメモしたり、第3回で解説した「スマホのスペアキー」を作ったりしておくのが良いでしょう。

今回のまとめ
  • コード決済サービスの残高は相続可能。普通の業務として対応されている。
  • 平均残高は1サービスあたり約7200円だが、2~3サービスの併用が多い。
  • 数万~数十万円の残高があるならきちんと備える。少額ならもっと気楽でも。

イベントのお知らせ

本連載著者の古田氏が代表を務める「デジタル遺品を考える会」による「第5回 デジタル遺品を考えるシンポジウム」を、12月7日(木)に、インプレス セミナールーム(東京・神保町)にて実施いたします。デジタル遺品の今と未来を考える「新しいきっかけ」として、デジタル遺品の現状や現行の相続制度との関連などを紹介するトークセッションとパネルディスカッションのほか、懇親会も予定しています。詳しくは関連記事をご覧ください。

故人がこの世に置いていった資産や思い出を残された側が引き継ぐ、あるいはきちんと片付けるためには適切な手続き(=プロトコル)が必要です。デジタル遺品のプロトコルはまだまだ整備途上。だからこそ、残す側も残される側も現状と対策を掴んでおく必要があります。何をどうすればいいのか。デジタル遺品について10年以上取材を続けている筆者が、実例をベースに解説します。バックナンバーはこちらから

古田雄介

1977年生まれのフリー記者。建設業界と葬祭業界を経て、2002年から現職。インターネットと人の死の向き合い方を考えるライフワークを続けている。 著書に『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)、『デジタル遺品の探しかた・しまいかた、残しかた+隠しかた』(日本加除出版/伊勢田篤史氏との共著)、『ネットで故人の声を聴け』(光文社新書)など。 Twitterは@yskfuruta