iNTERNET magazine Reboot

「iNTERNET magazine Reboot」発刊に際し、昔話その5

「インターネット白書」で振り返る1995年の日本

国内インターネット人口は推計「571万8千人」

 この昔話シリーズでこれまで報告してきたように、インプレスでは月刊インターネットマガジンに続き、日刊INTERNET Watchを刊行したが、もう1つ、年鑑の「インターネット白書」を1996年から毎年、発行している。

 インターネット白書は、日本インターネット協会(現一般財団法人インターネット協会の前進)初代会長の故・石田晴久先生や同事務局長の高橋徹氏からの「日本のインターネット人口などの市場データを調査・発表できないか」、という依頼に応えるものだった。当時、行政はまだインターネットを重要テーマだと認識できておらず、国が発行する白書を待つことはできなかった。民間による白書発行は、それを見越しての石田先生のご提案だったのではないかと思っている。

 ただ、創刊号ではインターネット人口調査は行うことができず、代わりにサイバースペース・ジャパン株式会社の故・細江治己社長が先駆的に実施されていた利用者状況調査を無償提供いただき、インプレスの調査と共にインターネット市場調査として発表した(細江さん、ありがとうございました)。

 ここで、1996年創刊号の巻頭カラーページからいくつかのトピックを紹介してみたい。インターネット白書は年鑑として編集されているので、1995年から1996年初頭にかけての日本のインターネットの出来事や利用状況が概観できる。

 まず、日本最初の検索エンジンの1つである「NTT DIRECTORY」が紹介されている。いまはグーグルの功績もあり検索エンジンの重要性が広く理解されているが、当時はこのようなものが大きなビジネスになるとは(少なくても日本のビジネス界では)思われていなかった。ほかに、幕張で行われたネットワークイベント「NETWORLD+INTEROP95」などが記録されている。

 いまではあたり前のネットカフェだが、この時代にもう始まっていたのだ。坂本龍一氏のインターネットを使った武道館ライブの記録もあり、インターネットは最初から音声・動画も志向していたのがわかる。

 インターネット普及の立役者だった、マイクロソフトのウィンドウズ95の発売風景が記録されている。ウィンドウズ95の発売は鳴り物入りで、秋葉原では深夜に大勢の人が列を成し、発売開始の0時までのカウントダウンが行われた。私もその場に居たのだが、その熱気はすさまじく、朝まで続いた。

 個人ユーザー調査も見てみよう。インターネットの利用歴については、黎明期なので多くが1年以下の初心者だ。年齢のピークは30歳~35歳で、男性中心だったことがわかる。

 利用環境の調査は面白い。利用ハードウェアは何とAppleがトップで、マックユーザーが牽引したことが伺える。Webブラウザーは大半が当時大人気のNetscape Navigator、4%だけだがMosaic利用者がいるのも黎明期ならではだ。自宅からの接続回線は、ほとんどがダイアルアップ(電話線+モデム)だというのが、微笑ましく懐かしい。

 通信速度については、自宅からは28.8Kbpsモデムが主流で、会社からはやっと専用線の64K~192Kbpsあたりの速度になった頃だ。

 以上が黎明期の日本のインターネットの状況だが、いまと比べて想像してみてほしい。懐かしく思い出されることも多いだろうが、驚異的に進展したいまの環境を、改めてすばらしいと見つめ直すことも時には大事だろう。

 ところで、インターネット白書にインターネット人口を掲載できたのは翌年の1996年版から。「571万8千人」、これが初めて出した1995年の日本のインターネット利用者の推計値だった。

次回に続く)

 最後にちょっと宣伝を。インプレスグループ創設25周年企画として、インターネットマガジンが1号限りの復刊――その名も「iNTERNET magazine Reboot」。11月16日発売予定で、予約・購入を受付中です。