iNTERNET magazine Reboot

Pickup from「iNTERNET magazine Reboot」その12

なぜ日本からグーグルが生まれなかったのか?

――ウェブ創世記を知る人々と振り返る[拡大版]

日本企業のR&Dとインターネット傍流論へ

日本企業もたくさんのアイデアを持ち、インターネットの研究に取り組んできたはず。これからまた新しいビジネスを生むために、創世記に面白かったことを思い出してみる。

右は遠山緑生さん

坂本:NTTもECサイトをやっていますが、アマゾンを目指していたとは思えない。では、楽天になることはできなかったのか、とは思う瞬間がある。少なくとも、NTTにもショッピングモールを作りたかった人はいたはずです。そこから電子商取引へ進出するというストーリーも考えられた。

髙田:電子マネーの研究もやっていました。いまもブロックチェーンの研究をやっているひとはいくらでもいる。ただ、その方向性がマニアックなんです。

高橋:電子マネーは当時のNTTの暗号の基礎研究の集大成で、新宿で実証実験をやってゲストに大女優を呼んでテープカットした記録も残っている。でも、それはEdyやSuicaにはならなかった。ただ、技術開発の野望はしぶとくあって、あくなき新しい技術を研究している。個人的には、またもう1回、グローバルプラットフォームから程よく分断されたコミュニケーションが数学的にきちんと制御できる世界、そういう仕組みがいいな。

クロサカ:でも、20年後に、NTTが研究していた○○は、なんで××にならなかったのか、ってなるんじゃないですか。そうならないために、なにがいまできるのか。

髙田:グーグルにはなれなさそうな匂いというのは、別にNTTに限ったものじゃない。もったいないといってもらえるのは嬉しいけれど、そこは今やどうでもいい話なんです。それよりも日本全体にグーグルになれない匂いが漂っているのかどうかが気になります。若い技術者達と話していると、例えば「オーバー・ザ・トップのサービスを俺たちにもどんどん作らせてみろよ、やってやるぜ!」という意気込みを感じることも多い。でも一方で、それをやろうとしたときの障壁を、技術やマーケットより、企業や社会の枠組みや体制に感じてしまっているようにみえるときがあって、それがすごく気になります。

坂本:例えば、アニメやマンガは日本発で世界に受け入れられている。それは、メインストリームじゃないところで作られているからじゃないかな。傍流であって、でもやっている人は集中して、熱を持ってやっている。メインストリームであればあるほど干渉はあるし、いろんなこといわれるし、できなくなっていく。

髙田:当時の俺たちの“ほっとかれ感”たるや(笑)。

クロサカ:インターネットに長く係わりながら、インターネットへの関心が薄くなったという人もいる。理由は、ネットがサンドボックスじゃなくなったから。

坂本:インターネットは、通信において傍流だった。

髙田:それで言うと、gooが弾けることができなかったのは、傍流感がなかったからかもしれない。

クロサカ:そうですよね。90年代末期のgooが一番輝いていた頃、ベンチャーだったグーグルの方が端っこだった。

坂本:当時のNTTにはお金があって、端っこや傍流であってもかなりのお金を使うことができた。シリコンバレーも、端っこといってもそれなりにお金がある。でも、日本で本当に端っこのビジネスに対して、インキュベートできるのか。

クロサカ:やっぱり、日本ではお金はなかなかつかない。シリコンバレーはエンジェルや専門家がそこら辺のスターバックスにいて、初期の段階の面倒を見てくれる。多産多死ってよく言いますけど、多死のためには多産が必要で、やっぱりそこは彼我の差が露骨にある。

坂本:ある時期まではNTTの研究費って、そういうところをカバーしていた気がする。NTTのなかでもインターネットは傍流でスタートしていたけど、いろいろ試すことはできたんです。

髙田:そもそもインターネット自体が、国の科学技術予算や大学、大企業といった、とても大きく深い「ゆりかご」の片隅で、ひっそりとアイデアや実装や運用をすすめていった側面がある。

高橋:いまの日本は主流と傍流の役割が変。主流なのに傍流のようなことをして炎上したり、傍流なのに主流のようなマジメさで取り組んで失敗したりする。

髙田:まじめにやらないと、ってなっている。ネットは、もっと、どさくさに紛れてやってもいいのかもしれない(笑)。

坂本:90年代に、僕が研究所に異動して、最初にインターネットにつないで経路情報をいじろうとしたら、そんなことしちゃダメだって先輩に言われた。

髙田:なんでダメかというと、経路情報はとんでもないことができるから。

坂本:その当時から、とんでもないことをしちゃうキャラに見えたんでしょうね(笑)。

クロサカ:でも、インターネットは仕組みとして、そもそも脆いもの。だから、インターネットがサンドボックスじゃなくなったっていうのは、ユーザー側が勝手にそう思っているだけで、仕組み自体はなんら変わっていない。

坂本:インターネットをサンドボックスとして捉えるのは難しくなってきていると思います。仮にサンドボックスであると強く意識したとしても、「遊ぶ」というか「試してみる」ことへのハードルが高くなっている感じです。仕組みが同じもののはずなのに昔と今とではなにが違うのか。

髙田:誰かと通信したいとき、昔は50人とか500人とか5000人が相手だった。今はいきなり50万人とか500万人になってしまう恐ろしさ。中間がないんですよ。

坂本:公園の砂場みたいに、実際にお友達がいる実社会のミニチュアのなかで、試行錯誤できる場がなくなってしまった。

高橋:ひとつはツイッターなどのソーシャルと無理に付き合うのをやめたら、砂場はできる気がしている。自分も趣味で音楽のウェブサイトを運営しているけど、そこには面倒だから書き込みはつけてない。適度な大きさの砂場でマネージされていて楽しい。

クロサカ:最近、リーンスタートアップなどの新規事業やスタートアップにフォーカスしたマネージメント手法がはやっていますが、あれは事業の段階ごとに砂場のサイズを適切に保つものかもしれない。

高橋:個人単位でそういうのをマネージするのはできる気がするけど、インフラ全体でいうと、程よく分断されたものって、今はない。そういう、ほどよく分断されたものがあるといい。

クロサカ:「ほどよく分断された世の中を作る仕組み」というのは多分なくて、ほどよく分断された空間を作る能力こそが、いま個々人に問われている。世の中がツールとして提供してくれるのを待つのではなくて、欲しい人が自分で組み合わせて作るしかない。

髙田:知の世界で「巨人の肩の上にのる」という表現がありますが、インフラにもそれがある。ネットワークの場合、それはオーバーレイ・ネットワークからのネイティブ化。つまり、例えば最初は電話網・専用線網の上にIPネットワークが実装され、その後ネットワーク自体がIP化されていく。SNSもインターネットの上に別の情報交換のための「ネットワーク」を作ったといえる。だから適度なサイズの砂場が欲しければ、自分で今のインターネット、ウェブ、ウェブサービスの上にオーバーレイしてつくればいいのでしょう。OTTは本来そのアプローチで出来てきたものだと思うし、だからこそOTT以外も含めて、その積み重ねを構成する誰しもが欠けてはいけない。

クロサカ:そう考えれば、「日本からグーグルが生まれなかった」のではなく、「日本のインフラがグーグルを生み出した」とも言えるかもしれません。

髙田:積み重ねは長い時間をかけた堆積の結果だし、そうしたインフラの堆積がない世界では新しい文化も生まれにくい。使い心地のいいサービスをこれからも生み出していくためには、そうした歴史こそが重要なのでしょう。

取材・構成=青山 祐輔