インタビュー
エン・ジャパンがオフィスを半分解約、「バーチャル本社」が生まれた理由
「Zoomでは難しい新人教育」「予期せぬ体調不良」はこれで解消!
2021年5月20日 06:55
新型コロナウイルスの拡大で東京に3度目の緊急事態宣言が発令され、テレワークも浸透しつつある。出社しなくても仕事ができる体制は整ってきたものの、「雑談がしにくい」「職場や同僚の雰囲気が分からない」といったコミュニケーションの問題は、多くの人が感じているだろう。
2020年春にテレワークを導入した人材サービスのエン・ジャパン株式会社では、夏から秋にかけて心身の不調を訴える社員が増加し、会社や上司にとって予期せぬ退職も相次いだ。社員の孤立を防止するため同社が導入したのは、コロナ前のオフィスの雰囲気をできる限り再現する「バーチャルオフィス」だった。
テレワークに課題、体調不良や予期せぬ退職が増加
すでにオフィスの半分を解約、あの頃の働き方には戻れない
Zoomでは難しい新人教育にバーチャルオフィスを活用
コロナ禍で帰国できなくなったCEOが自分のために開発したoVice
バーチャルオフィス導入ですべて解決……、ではない
テレワークに課題、体調不良や予期せぬ退職が増加
「これは、新入社員が初受注を獲得し、皆でお祝いしている様子です」。エン・ジャパン内部監査室の今村明則氏は、バーチャルオフィスで多数のアバターが集合し、「密」を形成している一角を指した。
「一斉通知したいことはメガホンを使って声で知らせられるので、皆が仕事の手を止めて至近距離に集まってきたのです」(今村氏)。
スタッフ人気が高い“カリスマ幹部”も、バーチャルオフィスを導入したことで各部署を巡回できるようになった。
「バーチャルでもリアル同様、いや、それ以上にもみくちゃにされて大盛り上がりでした」(今村氏)。
同社は2020年12月にプラットフォーム「oVice(オヴィス)」を使って「バーチャル本社」を開設した。きっかけは、コロナ禍で在宅勤務が続く中、社員が発するさまざまなサインをとらえにくくなったことだという。
「当社は昨年4月の緊急事態宣言直前に一斉在宅勤務になりました。その時は、自宅にインターネット回線がない社員をどうするかとか、ZoomやSlackの使い方をどう導入するかなど、ハードの問題に追われていました」(今村氏)。
同社は緊急事態宣言が解除された後も出社率を15~25%に維持し、社員もオンライン環境に次第に慣れていったように見えた。だが、実際には見えない場所に亀裂が生じていた。社内で問題が認識され始めたのは、夏を過ぎてからだ。
例えば、「予算が思うように達成できない」という問題の原因を掘り下げると、部署内でボタンのかけ違いや認識のズレがそのままになって、効率が下がっていた。さらに掘り下げると、部下からは「小さなことを相談しにくい」、上司からは「チームがどう動いているのか見えにくい」という声が聞こえて来た。
夏から秋にかけて行われた人事の定期面談では体調不良を訴える社員が増えたが、部署の先輩や上司は気づいていないこともあった。社員の退職も増加した。今村氏は「体調不良も退職も、顔を合わせていればもっと早く兆候をキャッチできていたのではと思うケースがありました。仕事のやり取りはSlackやZoomでできましたが、ふわっとしたコミュニケーションが断絶して社員のストレスにつながっていたのです」と語る。
すでにオフィスの半分を解約、あの頃の働き方には戻れない
上司、部下、ベテラン、若手と全方面からさまざまな不具合が生じる中で、特に深刻だったのが、業務を自己完結できない「新入り」だ。
会社や部署としてはサポートしているつもりだったが、当事者は在宅勤務が続き「どんな先輩がいて、誰がなにに詳しいのか分からない」と困り果てていた。人事部門との定期面談では新入社員や中途入社の社員から「先輩との関係がつくれない」「組織の役に立てていない」という悩みが明かされた。
エン・ジャパンは「コロナが落ち着いて、元の状態に戻る」のを待つ選択肢は取れなかった。1度目の緊急事態宣言が明けた2020年5月、「コロナが落ち着いても出社・テレワークを併用する」という経営判断を下し、同年12月にはオフィスのスペースの半分を解約することが決まっていたからだ。
その頃、同社の一部署でoViceが試験導入された。
「個人的なつながりからある部署が夏から使っていたのですが、『SlackやZoomで行き届かない部分を補完できそう』と社内で口コミが広がり、2020年秋には複数部署で使われるようになっていました。そこから全社導入の検討が始まり、12月にバーチャル本社を開設して全社員1200人が利用できるようになったのです」(今村氏)。
Zoomでは難しい新人教育にバーチャルオフィスを活用
oViceのバーチャルオフィスの特徴は、アバターの距離が近づくと音声で会話が可能になる点だ。数人が集まって会話している様子も可視化され、近づいて会話に加わったり、人に聞かれたくない話は会議室を使ったりもできる。冒頭で紹介した初受注のお祝いのように、相手に近づいて「おめでとう」と声かけも可能だ。
今村氏によると、近くにいる人の声を聞ける機能は、新入社員教育にも役立った。
「Zoomの打ち合わせには新人を同席させづらく、『見て、聞いて学ぶ』ことができないのが課題でした。バーチャルオフィスでは先輩が営業の電話をかけて、新入社員はそばで聞いて応対を勉強することもできます」(今村氏)。
エン・ジャパンがバーチャルオフィスを導入したころ、その運営会社であるoVice株式会社は、まだ社員数人のスタートアップだった。両社の担当者は毎週打合せをし、リアルなオフィスに近づけるため改善を重ねたという。
例えば、エン・ジャパンは部署ごとにオフィスを契約しており、当初は部署間を移動できなかったが、その後の仕様改善によって一つのアカウントで簡単に行き来できるようになった。一方で、外部の人が簡単に入れないよう、セキュリティは強化した。
バーチャルならではの利点もあった。「名古屋、福岡など地方の拠点を同じフロアにしたことで、距離の垣根を超えて交流が活発になりました」と今村氏。新入社員に向けたウェルカムボードや雑談専用スペースを設置するなど、「孤立させない」工夫も各部署で行われている。
今村氏は「テレワークを通じて、縦横だけでなく、斜めの関係も大きな支えになっているんだと気づきました。直属の先輩や上司がフォローしきれない部分を、共通の趣味を持つ別部署の先輩が見てくれていたり……」と語った。
コロナ禍で帰国できなくなったCEOが自分のために開発したoVice
oVice株式会社のジョン・セーヒョンCEOによると、同サービスは元々自分のためにつくったものだという。
2020年2月、チュニジアに滞在していたジョンCEOは、コロナの感染拡大で日本に戻れなくなった。リモートで仕事をし、テレワーク支援ツールを一通り使ったが、「日本にいる同僚がなにをしているのか把握しづらく、フラストレーションがたまった」と言う。
その後、同僚エンジニアと1週間かけて、PCの画面上でスタッフの位置を可視化でき、近づくと声でコミュニケーションができるツールを開発した。これがoViceのプロトタイプとなった。
当時、起業準備中だったジョンCEOはこのシステムの事業化を決め、設立済みの会社の社名も「oVice」に変更して、6月にテスト運営を開始した。最初はイベント利用を想定して営業していたが、エン・ジャパンの社員がバーチャルオフィスとして使えそうだと興味を持ってくれたという。
「夏にエン・ジャパンの社員とイベントで知り合い、お互いのやっていることを話しているうちに、その方の部署でトライアル導入してもらうことになりました。これがバーチャルオフィス契約1号です。雑談は本当に大事です」(ジョンCEO)。
その後もoViceはイベントでの単発利用の引き合いが中心だったが、2021年1月に2度目の緊急事態宣言に入ると企業からの問い合わせが急増。4月時点で導入企業は約600社に達した。
「1回目の緊急事態宣言でテレワークを経験した企業は、業務はかろうじてできてもコミュニケーションには問題が出ることを痛感しました。だから夏に感染拡大が一服すると、多くの企業が出社を再開しました。そして年明けに2度目のテレワークに入ったとき、どうやってつながりを継続するかという課題に向き合ったのではないでしょうか」(ジョンCEO)。
oViceのスタッフは2020年11月時点で3~4人だったが、ユーザーの急増で今は約30人に増えた。富士通やNTTコミュニケーションズなど大手もバーチャルオフィスに参入し、oViceは今月、事業拡大のためにベンチャーキャピタルから1億5000万円を調達した。
ジョンCEOは今後について、「テレワークと対面、どちらにも良い点と悪い点がある。今後はテレワークと対面を併用する企業が増えると想定し、ハイブリッドなサービスを開発したい。オフィスだけでなく、リアルの空間でできるもの全てをバーチャルで再現できるようにしたい」と話す。
バーチャルオフィス導入ですべて解決……、ではない
エン・ジャパンの今村氏は、コロナ前は災害発生時の事業継続計画を策定するなど、社員がスムーズに働くための取り組みを担当してきた。今は業務量の3割をoViceの利用促進に費やし、使われ方を分析したり、他部署に広げられそうな活用事例をまとめたりしている。
「導入して放っておいたら尻すぼみになるので、推進する役割は必要です」(今村氏)。
バーチャルオフィスはデザインのカスタマイズがしやすく、3月はオフィスを公園風に模様替えした。オフィスの中にバーやカフェを開設する社員もいる。
「リアルのオフィスでは予算や安全性がハードルとなって置けないものをバーチャルなら置けます。社内で楽しんで使ってくれる人、新しい使い方を提案してくれる人とも連携しています」と今村氏。
新入社員がおらず、各スタッフが自己判断で業務を遂行している部署はバーチャルオフィスを必要とせず、また、バーチャルオフィスになじめない人もいるという。今村氏は、「テレワークに合った仕組みを充実させながら、その仕組みになじまない人にどう働いてもらうかも考えています。ツールは入れて終わりではないので」と話した。