奥川浩彦の「岐阜の山奥に移住しました」
第1回
夢の地方移住、第一歩! 岐阜県白川町に「広々10LDKの山荘風住宅」購入しました
2025年5月8日 06:55
筆者は自宅マンションが名古屋市内にあり、2013年1月から12年ほど川崎市にオフィス兼住居を借りて仕事をしてきた。数年前から移住を検討し始め、昨年2024年12月に岐阜県加茂郡白川町に10LDKの山荘風?(ロッジ風?)の家を買い、移住した。
昨今、テレビで移住をテーマにした番組や、田舎の古民家をDIYで改築する番組などを目にすることがあるので、読者の中には“移住”に興味を持たれている人がいるかもしれない。この連載では「物件探しの実際」「移住とお金」「田舎の買い物事情」「ネットなどのインフラ事情」など、良いことも悪いことも含め、筆者の移住体験を連載でお届けしよう。
山荘風で広々10LDK、車3台分のガレージまで付いてます
初回なので購入した建物をザックリと紹介しよう。まずは外観を見ていただこう(冒頭の写真)。購入した物件は山の斜面に立つ建物で、三角屋根が住居。左側のクリーム色の部分がガレージ。手前下のシルバーの部分は物置?と思われるが、住んで4カ月経つが入ったことはない。この物置の上は、手すりに囲まれた広いテラスとなっていて、将来的にはウッドデッキにしたいと思っている。
建物の反対側(山側)に入り口=玄関はある。建物の隣のガレージはシャッター付きではないが車3台が置ける広さとなっている。玄関前にも車を置けるので、詰めて駐車すれば敷地内に10台くらいは駐車可能だ。
間取り図も見ていただこう。利用目的が決まっている部屋は「仕事部屋」「寝室」「オーディオ部屋」「運動部屋」などと表記している。1階に和室が4つ、洋間が2つ。リビングダイニング(LD)となっている部分は、キッチン側が洋間、残りは和室で、現在はカーテンで仕切って2部屋としている。2階は洋間が4つ。この2階の4つの部屋は、屋根の形状に合わせて天井の一部が斜めとなっている。
引っ越しの荷物を搬入する前に、室内の様子を動画で撮影した。Facebook用に倍速編集した映像をお目にかけよう。利用目的が決まっていない部屋は空き部屋としている。
「岐阜県白川町」ってどこ? 「白川郷」とは違います
白川町の立地も紹介しておこう。筆者の地元は愛知県の名古屋市。岐阜県は愛知県の北側に隣接している。
岐阜県内は市が21、町が19(その1つが白川町)、村が2つとなっている。白川町は県の南東部に位置し、北側は下呂市、その西側は郡上市、さらに北側は高山市、飛騨市、白川村(=白川郷)と著名な観光地となっている。白川町の南側は東から順に中津川市、恵那市、瑞浪(みずなみ)市、土岐市、多治見市となっていて、それぞれの市に中央道のインターチェンジ、JR中央線の駅もあり、名古屋への通勤圏となっている。
名古屋出身の筆者は、白川町の北側の観光地や南側のインターチェンジがある自治体名は以前から知っていたが、白川町の存在は数年前まで知らなかった。白川町の知名度は、近隣の自治体と比べると県外の人には低いと思われる。知名度の低さゆえ、勘違いされるのが白川郷で有名な白川村だ。
この冬は豪雪のニュースを何度も見聞きした。青森など東北地方の豪雪とともに白川郷の白川村の積雪は何度もニュースとなった。筆者のもとには「雪、大丈夫?」という心配の声を多くの人からいただいたが、その度に「豪雪のニュースは白川村。ここは白川町」と説明をした。広範囲の地図で白川村(白川郷)と白川町を見てもらうと分かるが、白川村は日本海に近く豪雪地帯だが、白川町は内陸部でやや太平洋側、積雪は10cm程度だ。白川郷と白川町は直線距離で約80km、東京駅から埼玉県を超えて群馬県の足利駅くらい離れている。
家の前の積雪の様子を見ていただこう。撮影は2月6日。県道から家に下りるスロープとガレージ前の積雪は10cm程度だ。この日から7日・8日と雪日が続いたが、豪雪とはほど遠い積雪量だ。
移住のきっかけは同級生の一言でした「田舎は……」
筆者が卒業した中学校は名古屋市名東区にある猪高中学校。昭和の人口増加で分校が4つできて現在は5つの中学校に分かれているようだが、卒業した1976年ごろは広大な学区で、学区内の著名施設は東名高速の名古屋インターだ。大学進学で地元を離れ、同級生との交流は少なかったが、60歳の還暦を前に大規模な同窓会が計画され、2019年に四十数年ぶりに同級生との交流が再開した。
同級生の1人がオーディオメーカー勤務を経て独立、オーディオショップを経営していた。その同級生がお店を閉め、2021年に豊田市の山奥、小原町に家を購入した。2005年に裕福な豊田市が山間部の4町2村を合併し、現在は豊田市となっているが、合併以前は愛知県西加茂郡小原村という人口4400人ほどの小さな村だった場所だ。豊田市の「今月の人口」を見ると、2025年4月1日の小原地区の人口は3163人、1477世帯、1㎢あたりの人口密度は42人となっている。比較参考に筆者の自宅マンションがある名古屋市瑞穂区の人口密度は1㎢あたり9598人(2023年10月)だ。
2021年8月、筆者は旧小原村の同級生の家を訪問した。住所は豊田市だが名古屋インターから車で1時間弱。お店をたたんでもオーディオ製品の買取・販売は継続中、自宅は名古屋インター近くにあり、オフィスとなる小原町の家には、2つの部屋にオーディオが置かれていた。隣家までの距離は数百メートル。「奥川、田舎は爆音出しまくりだぜ」の一言は筆者の田舎移住を考えるきっかけとなった。
筆者の世代は1960~70年代の第1次オーディオブームをかすめていて、1970年代後半の高校時代は街にオーディオ専門店もあったし、家電店のオーディオ売り場も大きな面積を占めていた。友人と「栄電社(現在のエディオン)の一社店にJBLが入ったぞ」「黒川店にパラゴン(JBLのスピーカー)が置かれている」などと会話した記憶がある。
筆者自身はお金がなかったので、オーディオマニアと呼べるレベルではなかったが、高校時代から細々とオーディオ好き、ジャズ好きが続いていた。爆音という基準は曖昧だが、近所に気兼ねすることなく音楽を聴けたり映画を観れたりできたら楽しい老後となりそうだ。
旧小原村訪問から3カ月後、ボンヤリと浮かび始めた“田舎で爆音”計画を加速させたのは、娘の「築100年の古民家を買った」というLINEの知らせだった。娘は大学の同級生と2015年に結婚。嫁いだ先は岐阜県加茂郡東白川村、筆者が移住した白川町の隣の村だ。ちなみに娘から結婚の報告の際に東白川村と聞いた筆者は「白川郷?」と聞き返した。
娘夫婦が買った古民家は東白川村の“空き家バンク”に登録されていた物件。空き家バンクの存在を知らなかったので、東白川村の空き家バンクの物件紹介を開くといくつかの売り物件・賃貸物件が掲載されていた。
その中で筆者が興味を持った物件は廃業した木工工場の空き家。16畳の和室を含む11LDK+独立した木工作業場+機械加工工場、築60年越えで300万円。巨大な2階建ての母屋の隣にDIYに使える作業場があり、さらに隣の工場はネットを張れば室内バッティングセンターが作れそうだし、ポケバイのコースを作れば孫が喜ぶかなぁと、夢(妄想)が広がる物件だった。すぐ隣に家があり“田舎で爆音計画”には適さなかったが、今後出てくる物件への期待を含め、ジワジワと移住への決意が固まっていった。
筆者が川崎市麻生区東百合丘のマンションをオフィス兼住居として借りたのは2013年1月。14畳のリビングダイニング、48平米くらいの1人暮らしには広めの物件だったが、2015年から台湾のNASベンダー「Synology」の日本広報を担当し、NASの貸出機の置き場がなくなっていた。加えてエリアが広がりつつあった光回線サービス「NURO 光」を使ってみたいのと、息子が転職して転がり込んできたこともあり、4年目の賃貸マンションの更新のタイミングで、車で5分ほど離れた川崎市多摩区西生田の2階建て4LDKのテラスハウスに2016年12月に引っ越した。
移住を考え始めたのが2021年の年末。オフィス兼住居の次の更新は1年後の2022年12月。それは早すぎると思い、その次の更新となる2024年12月を移住の目標時期とした。順調とは言えなかったが、予定どおり移住が実現した。まだまだ完成度は高くないがオーディオ部屋も稼働を開始し“田舎で爆音”を楽しみ始めている。爆音を出した翌日に、数十メートル離れた唯一のご近所さんに確認すると「聞こえないよ」とのこと。インターネットで防音室をDIYで作る方法なども調べていたが、とりあえず防音対策は優先事項ではなくなった。
「65歳からの10年」を楽しむために――
移住を計画するとともに年齢的なタイミングも考慮した。筆者は1961年3月生まれ。現時点で64歳になったばかりだ。自営業なので定年はないが、50代、60代と頭も身体も徐々に老化・劣化を自覚していた。移住を考え始めた2021年暮れは61歳チョイ前。これくらいの年齢になると、多くの人が「あと何年生きられる? 何歳で死ぬ?」と答えのない将来予測を考える。
昨年2024年に亡くなった著名人の年齢を見ると、中山美穂さんの54歳は若すぎるが、火野正平さん75歳、西田敏行さん76歳、小倉智昭さん77歳と、70代で亡くなられている。もっとさかのぼると西城秀樹さん63歳、やしきたかじんさん64歳、大瀧詠一さん65歳と、自分が還暦を過ぎるといつ死んでもおかしくはないと思わざるをえない。
それ以上は考えても答えはないので、筆者が想定したのは、65歳から10年を楽しく過ごすため、64歳の1年を準備期間・助走期間とした。なので今年1年は、この先10年を快適に暮らす、楽しく遊ぶために家の修繕をしたりDIYをしたり、必要であればリフォームを業者に依頼するなど様々なことを進めたいと思っている。“何歳から”“何歳まで”に正解はないが、あと5年経つとできることも減り、モチベーションも下がりそうなので、このタイミングで移住となった。
10年後に生きているか分からないが、75歳になってまだ元気だったらプラス5年で80歳。15年後には娘と暮らす現在9歳~4歳の孫たちが成人年齢になるので「おじいちゃんは入院するから……、老人ホームに行くから……、余命3カ月だから……この家は欲しい人にあげる」となれば理想的だと妄想している。
2022年春ごろ、筆者と同じ小田急線沿線に住むINTERNET Watchの編集長と飲んだ際に移住を考え始めたことを話すと、「それ、実現したら記事にしましょう」と提案をいただいた。あれから3年、この連載がスタートすることとなった。ちなみに、編集長から直接原稿依頼を受けたのは、人生初の税務調査の準備に追われてヘロヘロ状態のときに「それ、記事にしたいから原稿発注していいですか」と、傷口に塩を塗るような連絡をもらって以来だ。
筆者はたまたま“田舎で爆音”をテーマとしたが、娘夫婦と孫が住む東白川村から白川町に流れる“白川”は“鮎釣り”が有名なので、釣り好きの人なら川の近くの空き家を買えば釣りが堪能できそうだ。
また、ここから少し離れた郡上市や、長野県の国道19号沿い=木曽方面はスキー場が点在する。スキー・スノボー好きの人なら、その近くに住めば冬はあっという間にゲレンデに到着でき、夏は快適な避暑地となるだろう。
夢の広がる田舎暮らし。とはいえ、現実には良いことも悪いこともある。次回以降は、物件探しの具体的な話、お金の話、大小さまざまなトラブル、田舎の生活事情などをこの連載でお伝えしていきたい。