天国へのプロトコル

第5回 デジタル遺品を考えるシンポジウム

社会や法律より、先立つべきは個々人の変化――パネルディスカッション

「死んだ後に自分のデータを活かして復活したい」で挙手、3分の1

 12月7日に実施した「第5回 デジタル遺品を考えるシンポジウム」の模様をお伝えします。プログラムの最後、第二部として実施したパネルディスカッションは、筆者が進行役を務め、株式会社パズルリングCMOの牛越裕子さん、日本デジタル終活協会の伊勢田篤史弁護士、そして、Whatever Co.のCEOを務める富永勇亮さんに登壇してもらいました。

プログラム

 Whatever Co.は、手書きのイラストをスマホ画面で動き回らせる「らくがきAR」や、ストップモーション時代劇「HIDARI」などで知られるクリエイター集団で、2020年にはデジタルで死後に復活する意志や条件などを表明できるプラットフォーム「D.A.E.D.」も公開しています。

 D.E.A.D.は「Digital Employment After Death」(死後デジタル労働)の略。自分の死後に、データをもとに自分が“復活”させられ、分かりやすいイメージでいえば多くの人に「自分AI」として使われるようなかたちで、死後にデジタルの自分が労働させられることを許可するか、しないかの意思を表明できます。当日の会場にはデモ機が置かれ、多くの参加者がYES/NOボタンを押して、死後“復活”の意思表明をしていました。

会場に置かれたD.E.A.D.のデモ機

 「死んだ後に自分のデータを活かして“復活”したいと思っていらっしゃる方いたら手を挙げてみてください」。ステージでの挨拶の途中で富永さんがそう問いかけると、会場からパラパラと手が挙がり、およそ3分の1になりました。

「D.E.A.D.を始める際、日米のアンケートで同じ質問をした回答でもYESが36%くらいでした。NOの人がそれだけ多いのであれば、復活したくない人たちが復活させられないような宣言を残すプラットフォームがあった方がいいだろうと。法的な拘束力はありませんが、議論のたたき台になればいいなと思っています」(富永さん)

Whatever Co. CEOの富永勇亮さん

 D.E.A.D.が提示した「死んだ後の“復活”を望むか?」など、新たに考える必要が出てきた課題も含めて、広くデジタル遺品について論議しようと複数のテーマを用意しました。以下はテーマごとに、重要な発言を一部文意補足しながら抜き出してレポートしたいと思います(以下、発言者表記は敬称略)。

テーマ1:5年後に深刻化しているデジタル遺品の問題は何?

古田:5年後は2028年。国内は65歳以上の人口が3割を超え、総人口は1億2000万人を割るかもしれないという頃です。通信技術も進化していて、6G通信も見えてきている。国を挙げたリュウグウコク計画(仮称、金融大手などが「ジャパン・メタバース経済圏」の創出を目指して立ち上げようとしているデジタル共通基盤)などもあり、メタバースがより使いやすくなっている可能性があります。

富永:メタバースでいうと、アカウントを持ったまま亡くなる人がたくさん出てくると思いますね。現実世界では亡くなっているんだけど、メタバース上で、死ねない。メタヒューマンがたくさんできるということじゃないかなと。先ほど(この前に行われた伊勢田弁護士のセッション参照)「一身専属性」という言葉を覚えましたが、その枠組みでなかったら、どんどん増えていきそうです。

古田:相続できる場合、私が作ったアバターが私の死後も子や孫が引き継いでいって、私じゃない二代目や三代目の管理人がメタ古田雄介を動かすみたいなことが起きてしまうかもしれませんね。

富永さんと筆者

富永:そうならないように、どんどん消していく仕組みが求められるようになるかもしれません。5年後よりもずっと先の話かもしれませんが、自分が作ったアカウントを自分で消せない場合は、一定期間が過ぎると自動消滅させられるとか、考えないといけないですね。

古田:先々を考える必要が増えそうですね。パズルリングさんが2022年に採ったアンケートで、72%の人がデジタル資産に万が一のことがあった場合に備えていないという結果が出ていました。そのあたりの現状は変わりそうですか?

牛越:おそらくですが、自分事として考えられるのにまだ数年かかりそうだなと捉えています。メタバースもそうですが、クラウドにあるアカウントを放置することによる問題は、時間が重ねるごとに深刻化していきそうだなと思います。

古田:なるほど。5年だとあんまり変わらなそうだけど、10年、15年、20年経つと様相が変わってくるという。

牛越:はい。そしてそれを深刻に捉えるきっかけがいつ訪れるかという問題もあります。生命保険に入るタイミングに近いかもしれません。両親の具合が悪くなったのを目の当たりにして、「そろそろ自分も」と考えたり。そういうことが起きないとなかなか取り組めず、どんどん深刻化していくのかなという風に思います。

古田:そうですね、深刻化してもいつ表に出てくるかは分からない。そうなると法律の整備も進まないかなと思いますが、そのあたり、伊勢田さんはどう思いますか?

伊勢田:やはり何か大きな問題が起きたときに新しい法律を作る話になるんじゃないかと思います。ただ、デジタル遺品は既存の法律で一応処理はできるんですよね。そう考えると、5年後にデジタル遺品の法律ができるというのは、なかなか想定しにくいんじゃないかと思います。

伊勢田さんと牛越さん

テーマ2:海外の事例で日本でも取り入れたいルールやサービス

古田:では次のテーマです。デジタル遺品にかかる問題は海外でも起きているわけで、米国の改正デジタル資産アクセス法(REVISED UNIFORM FIDUCIARY ACCESS TO DIGITAL ASSETS ACT)のように、国によっては専用の法律もできていますし、便利なサービスも普及していたりします。そうした海外のルールやサービスで国内に取り入れたいものはありますか?

伊勢田 最近だとデジタル遺言の動きは気になっていますね。

古田:米国ではe遺書法があり、韓国では音声証書遺言が以前から認められていますね。日本でもデジタル遺言が認められるように検討が進められています。導入されたら普及が進みそうですか?

伊勢田:遺言がデジタル化したら書きやすくなるというメリットはもちろんあると思います。ただ、その前の段階として、そもそも死ぬことを考えて遺言を作ること自体が精神的にきついという心理も、国内では根強くあると感じています。遺言を書くという行為自体の精神的なハードルが高いので、デジタル化しても(物理的なハードルが下がっても)そこまで爆発的には伸びないんじゃないかと。

古田:遺言を残すことが欧米ほどには普通の行為にはならない感じですか。

伊勢田:米国の法体系では相続に裁判所が関わることになるので、遺言がないと相続のために数百万円くらいの費用がかかったり1年や2年の時間がかかったりします。一方で、法体系が異なる日本では身内で遺産分割協議をして問題がなければそれで済む、という側面がありますから。

日本における相続制度の概要。日本の法律は大陸法系に属する(伊勢田さんのセッションより)

古田:なるほど。あと、個人的に気になっている海外のデジタル遺品サービスについて語らせてください。オランダには、故人のサブスク契約の解約を代行する「CLOSURE」があり、英国では保険や銀行口座、公共料金の情報などを死後に家族と共有する「Whenn」というアプリが2023年にローンチされました。

 それぞれ便利なんですけど、案外提供しているエリアが限定的なんですね。同国内だけであったり。このあたりの国境を越えるのはやはり難しいですかね。Whatever Co.さんは米国やベルリン、台湾にも支店をお持ちですが、そのあたりはどうですか?

富永:インターネットは国境を越えるんですけど、それぞれの国の法律に準拠しないといけないので、そこはやはり難しいですよね。

伊勢田:法律面もあるんですけど、多分意識の問題も強いのかなとも思います。日本で色々な人と話をしていても「自分はいつ死ぬか分からないから対策しておこう」と考えられる人はそんなに多くない印象があります。そこを乗り越えて、そうしたサービスを利用しようと考える人が、その国にどれだけの割合存在するかという面もあると思います。

テーマ3:デジタルやAIを使って追悼するために必要なこと

古田:次のテーマは、デジタル故人に関することです。数年前からこの話題が注目されることがありましたが、直近では生成AIの台頭によって、より身近なテーマになった感があります。

テーマ3のスライド

 冒頭に富永さんが触れたように、この技術は故人を追悼するのに生かせそうですが、扱いが難しい面があります。2019年年末に「AI美空ひばり」が物議を醸したように、扱い方によっては不謹慎と映ったり、非礼に思われたりします。

富永:一方で、故人を大切に思っていた人の「その人に会いたい」という思いは、昔からずっと続いていると思うんですよね。イタコしかり。

 けれど、デジタルはすごくリアルに復活してしまうというのが、1つ問題としてありますよね。リアルな声や映像で、その人に似た何かが誰かの思惑どおりにしゃべれてしまう。プライベートで近しい人が故人を偲んで復活させるなら誰も何も言わないけれど、公の場に出したときにネガティブな声が上がってくる。ただ、もし生前に本人が「自由に使っていいよ」と言っていたら、それが抑えられると思うんですね。美空ひばりさんの例しかり。

古田:ご本人がそこまで気を回してくれたら、見方が変わりますよね。遺族だけの判断だとどうしても難しい。そして、おっしゃるとおり公開することの是非という問題もありますよね。このあたり、日本の法律ではどうでしょうか? 相続人全員の合意があれば問題ありませんか。

伊勢田:日本の法律だと、一身専属のものを除いて、相続人が故人の権利義務を全部相続する形になるので、問題が上がるとしたら相続人の誰かが異を唱えるということになると思います。ですから、全員の合意がとれているのであれば、法的な問題は現実的には生じにくいと思います。ただ、公開する是非となると、それは非常に難しいところがあるなと。

富永:つまり、法律よりも倫理。

伊勢田:というところだと思います。

古田:倫理を鍛えるにはどうすればどうすればいいですかね。やはりディスカッションを繰り返す?

富永:それが1つだと思います。倫理の授業って、皆寝てたかもしれないですけど(笑)

古田:(笑)。あとはやはり、できるかぎり本人が意思表明する土壌ができればいいですよね。そこにD.E.A.D.の意義があると思います。lastmessage(サービスの詳細は牛越さんのセッション参照)は死後に届くメッセージが作成できますが、そこに組み込んだりはできますか?

牛越:そうですね。lastmessageは遺言書の付言事項みたいなところがあると思っていまして。お気持ちを伝える欄みたいな感じですね。将来を予測して、そこに揉める火種を消す言葉を残すということもできると思います。そういう柔軟なことができるのがデジタルの良いところですしね。

古田:そこに何を書けば皆が幸せになるのかをディスカッションするのも有意義ですよね。そうやって倫理を鍛えていくといいますか。そういう文化が作っていけたらいいですね。

富永:作っていきましょう。

テーマ4:デジタルを相続や終活にうまく活用するために必要なこと

古田:最後のテーマになります。「デジタルを相続や終活にうまく活用するために必要なこと」を順番にお伝えいただいて、ディスカッションを締めたいと思います。

 最初に私がお伝えすると、とにかくデジタル遺品を従来の遺品に馴染ませることが大切だと思います。とりわけデジタルだからと警戒しなくてもよくなるようにする。そのために業界や社会が変わるのにはなかなか時間がかかりそうですが、個人個人はすぐに取り組めるところがあると思うんですね。

 伊勢田さんのセッションでも触れていただきましたが、「スマホのスペアキー」を作る。今の世の中はデジタルの重要な情報がスマホに集約しやすくなっているので、とりあえず何があってもスマホは開けるようにしておく。そういう備えが広まればいいなと思っています。

富永:僕はゾンビが苦手で、ゾンビ映画は全部見られないんですよ。現実的に自分がゾンビになることはなさそうですけど、デジタル上のゾンビは十分にあり得るんじゃないかと思うんですね。

 例えばFacebookやInstagramのアカウントが没後に残って、誕生日のたびに知り合いにお知らせが届いたりということは実際に起きています。そうした未来を想像して、生前にどうしておきたいかを一人ひとりがしっかり考えておくことが大切なんじゃないかと思います。

牛越:大切な方を困らせないために、今デジタル遺品を考えることが大切だと思っています。重要なパスワードを書いてどこかに保管しておくということもそうですし、デジタル遺言を残しておくこともそう。二重にやってもいいと思っているくらいです。

 せっかく生前にメモを準備していたのに、遺族に気づかれないままになってしまって、生かされないということもありますから。

伊勢田:先ほどもお話しましたけれど、日本の場合、相続は遺族がやらないといけないんですよね。遺族といっても他人です。本人しか知りようのない細かなことはどうしようもありません。

 そして、デジタルはある意味で日記のように日々使う分だけ痕跡が積み上がっていきます。それは相続の場面でも生かせると思うんですね。そのためにも、やはり重要なパスワードはやはり家族に伝わるようにしておくのが良いと思います。

パネルディスカッション終盤の様子
古田雄介

1977年生まれのフリー記者。建設業界と葬祭業界を経て、2002年から現職。インターネットと人の死の向き合い方を考えるライフワークを続けている。 著書に『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)、『デジタル遺品の探しかた・しまいかた、残しかた+隠しかた』(日本加除出版/伊勢田篤史氏との共著)、『ネットで故人の声を聴け』(光文社新書)など。 Twitterは@yskfuruta