期待のネット新技術

Wi-Fi 8を実現するPHYの技術群。安定性向上のELR、干渉対策のIM…

Wi-Fi 7の現状とWi-Fi 8(3)

 前回に引き続き、もう少しWi-Fi 8の改良点について説明していく。

 といっても、実のところIEEE P802.11bn Task Groupというか、IEEEの802.11のTask Group全体に言えるのだが、IEEE 802.3のTask Groupに比べると情報公開度が低い。

 IEEE 802.3のTask Groupの場合、討議のプレゼンテーションなども公開されている関係で、技術的にどんな検討がなされているかを割と追いかけやすいのだが、IEEE 802.11ではこうしたプレゼンテーションはほとんど公開されておらず、IEEE P802.11bn Task GroupのページでもMeeting AgendaとMotion list、Closing Report、Meeting Minutesが提示されている程度なのがほとんどである。

 なので、例えばELRでどんな符号化方式が提案されているかといった情報は現時点では不明のままである(たまに検索しても出てくる情報が、Draft 0.1のものだったり、そもそもDraft前の提案段階のレベルのものだったりする)。このあたりはご容赦いただきたい。

ELR(Enhanced long range)PDDU

 ELRは、IEEE 802.11beで定義されたものよりも堅牢な符号化方式を利用することで、より長距離でも安定した接続を維持することを目的としている。一般にアクセスポイントとクライアントを比較した場合、アクセスポイントの方が高出力となっており、そのLink Budgetは6dB程度になる。

 つまりクライアントからすると、受信はできても送信ができない(いや、送信はできるのだがそれがアクセスポイントに届かない)という不均衡が生じ、これが例えばスマートフォンでWi-Fiのバーが1~2本立っているのに実際には通信できないという状況を生み出している。

 ELRの目標は、IEEE 802.11bと同程度の到達距離を実現するというものだ。2024年の"Design Targets and Considerations for Enhanced Long Range"によれば、以下のようになっている。

PHY RateLink Budget
802.11a/g MCS06Mbps0dB
802.11b1Mbps6dB Better
ELR Rate 2~3Mbps3dB Better
ELR Rate 1~1.5Mbps6dB Better

 IEEE 802.11a/g MCS0は要するにIEEE 802.11beの5GHz帯と同等の到達距離であるが、IEEE 802.11bだとLink Budgetが6dB改善されている。ELRはこのIEEE 802.11bと同等のLink Budgetを、IEEE 802.11bより高い帯域で実現することを目標としている。

 ただ、実際にはELR Rate 1/2という2つのレートを用意しており、これを使い分けることで長距離接続性を確保する目論見だ。もっともこのELRは20MHzないし40MHz PPDUを前提としているためか、5/6GHz帯ではUplinkのみに利用し、Uplink/Downlink両方をサポートするのは2.4GHz帯に限定することが提案されている。またパケットは従来のプリアンプルの後にELRプリアンプルを付加し、その後ろにELR Dataが来るというかたちで、従来(ELR非対応)のWi-Fiデバイスと互換性を保つことも提案されている。もっとも先に書いたように、ここでどういう符号化が新たに採用されるのかは現状不明である。

IM(Interference mitigation)

 隣接するかたちで複数のアクセスポイントが存在する場合、これが相互干渉につながることになる。これを解決する方法としてCo-BFやCo-SR、Co-TDMAなどの技法がMAC層で追加されているが、PHY層で提供されるのがこちら。目的はLink状態の改善とPER(Packet Error Rate)の低減で、PPDUのデータ領域内に追加のパイロット信号を埋め込むことである。

 2025年1月付の"PDT PHY Interference Mitigation"によれば、まだ具体的には追加するパイロット数や配置、Indexなど詳細は検討中とあって、具体的にどう追加するかは判らないのだが、従来のパイロット信号が位相を追跡するために利用されるのに対し、追加のパイロット信号は干渉監視が目的となっている。

Long LDPC codeword

 LDPCそのものは2017年に説明しているので割愛する。Latencyが重要視される光Ethernetとかには向かないが、Wirelessという時点でLatencyが光/電気信号とは比べ物にならず、またThroughputがそこまで高くないWi-Fiにはある意味適した技法である。実のところLDPCのサポートはIEEE 802.11n/IEEE 802.11acでまずbnオプション扱いで追加され、IEEE 802.11axでは必須サポートとなった。

 従来のLDPCはBlock Lengthが最長で1944bitとなっているが、これを2倍の3888bitにすることで0.5~1dBのゲインが得られる、というのがその理由である(図1)。LDPCのBlock Lengthを伸ばすとそのまま計算量が爆発するということでこれまでは最長でも1944bitに抑えられていた(この長さをサポートしている機種がどれだけあるかも怪しい)が、IEEE 802.11bnのChipsetが(D3.0あたりのドラフトをベースに)量産開始されるであろう2027年は既に3nmがメインで、先端は2nmあたりのプロセスが使えるから、3888bitでも力業でぶん回す対応が現実的に可能だと思われる。

図1:IEEE Mentorの"Longer Block-Length LDPC Codes"より。横軸がSNR、縦軸がPERである。MCSによってPERに変化はあるが、3888bitの方が早くPERが下がることが分かる

MCS(Modulation and coding schemes)変更

 現在のIEEE 802.11be-2024では、MCS 0/1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/15の15個が定義されている(図2)。

図2:IEEE 802.11be-2024より抜粋。ちなみにこれは26-toneの場合で、ほかに52/52+26/106/106+26/242/484/484+242/996/996+484/996+484+242/2x996/2x996+484/3x996/3x996+484/4x996が定義されている(いずれもMCSは同じ)

 これについて、IEEE 802.11bnでは以下の4つがDraft 0.1で追加提案されていた。

  • MCS 17(QPSK 2/3)
  • MCS 19(16-QAM 2/3)
  • MCS 20(16-QAM 5/6)
  • MCS 23(256-QAM 2/3)

 その後、MCS 16/18/21/22/24-31なども提案されている。最終的にどこまでこれらが反映されるかは不明だが、従来よりも細かく帯域を制御するようにしたことで、これまでのように通信品質が悪化したときに大きくデータレートが下がるということにならず、緩やかに低下するように工夫した格好だ。

 ちなみにIEEE 802.11be-2024では、ETH用のMCSが追加されている(図3)が、同様にELR用にELR-MCS 0/1が追加される模様だ。また従来のMCSは4bitで表現可能だったが、今回MCSがこれを超えそうということで5bitに拡張されることになる予定である(従来との後方互換性は保たれる)。

図3:出典は図2に同じく。余談だが、前々回には「なぜかIEEE Get 802 Programの対象外」と書いたIEEE 802.11be-2024、現在はGet 802 Programの対象に入った。

UEQM(Unequal modulation)

 IEEE 802.11be-2024まで、MIMOを利用する場合に各波長の変調方式(MCS)は共通になっていた。例えばStream 1が16QAMならStream 2も16QAMでないといけなかったわけだ。これに対し、IEEE P802.11bnではStream毎に変調方式を変更する機能が追加される。Stream 1が256QAM、Stream 2が16QAMなんてことも可能になるわけだ。

 この方式のメリットは、一番伝達品質の悪いStreamに全体が引っ張られることを防げる点だ。KeysightがYouTubeにこれに関するデモ動画を投稿しており(図4)、このUEQMの効果が確認できる。

図4:UEQMの効果の例。問題は実環境でここまで本当にStream毎に明確に差がでるかどうかであろうかと思う

 余談だが、このKeysightのデモ動画、後半でLive Demoが行われており(図5)、RU 1~RU 4までの4つのクライアントに対して同時に通信を行っている(いずれも2.4GHz帯)。だが、RU 1にはMCS 17、RU 2にはMCS 19、RU 3にはMCS 20、RU 4にはMCS 8で通信を行っており、RU 1にはQPSK、RU 2/3には16QAM、RU 4には256QAMの変調をそれぞれ採用している。ここでもうMCS 17/19/20が出てくるあたり、先にMCSの所で説明したMCS 17/19/20と恐らくMCS 23の追加はほぼ確定しているのだろうと思われる。

図5:これは同社のVector Signal Analyzerである89600 VSAにWLAN Measurement App.を入れて動作させた例だそうだ

 ということでPHY周りの追加項目は以上である。ここまでいろいろ追加されていると、既存のIEEE 802.11be用のPHYをそのまま使うというよりも、あちこち作り直しが発生しそうであり、新規に作り直すメーカーも出てくるかもしれない。Broadcomは今年1月6日にいち早くWi-Fi 8用ChipsetとしてBCM4918(アクセスポイント用)とBCM6714/BCM6719(クライアント用)を発表したが、これもMAC/PHY部分はWi-Fi 7用を完全に作り直している可能性すらありそうだ。

 ということで長くなりすぎたので、MAC層の話は次回に。

大原 雄介

フリーのテクニカルライター。CPUやメモリ、チップセットから通信関係、OS、データベース、医療関係まで得意分野は多岐に渡る。ホームページはhttp://www.yusuke-ohara.com/